4-2 存命を計るのは恥ずかしいこと?
物語は三十分程前に遡る。
チャバックは旧鉱山区下層に住み、宅配と清掃の仕事をしていた。手先が不器用なので、どんな仕事も出来るわけではないが、運搬や清掃程度なら問題無く出来る。
その日のチャバックは、清掃の仕事を行っていた。
拭き掃除が上手くいかない。凄まじい油がついた跡を延々と掃除させられている。
「まだ取れてないのか! 早くしろ!」
「ご、ごめんなさあいっ」
先輩社員の怒声が響き、チャバックはぺこぺこと頭を下げて謝る。
「ああ……すっかり忘れていた。ユーリにいいものを貰っていたんだった」
ユーリに相談して、油を取るために、魔法洗剤を調合してもらった事を思い出すチャバック。そして使う際には、魔法洗剤が効きすぎるから、マスクをして手袋をはめてやるようにと注意された事を思い出す。
チャバックは支給されている従業員用の手袋をはめ、ゴミ捨て場に捨ててあった布切れをマスク代わりに口に巻き、作業を再開した。
(すごーい。簡単に油が取れていくー。流石ユーリの調合した魔法洗剤だね)
感心するチャバック。
「おいっ、この奇形野郎! 日雇いの分際で正規従業員に支給されている手袋、勝手に使ってんじゃねーぞ! それとマスクもすんな! マスクして掃除とか甘えなんだよ!」
そこに、いつもチャバックを怒鳴ったり殴ったりする先輩がやってきて、理不尽な理由で叱る。ちなみに手袋は正規従業員でなくても、使っていいことになっていたが、この先輩の嫌がらせでチャバックには使わせていなかった。
「わ、わかりました……ごめんなさい」
慌てて手袋を脱いで作業を再開するチャバック。
「ううう……」
手に強い痛みを感じて、チャバックは顔をしかめた。見ると、手が爛れている。
「何だその手は!? ふざけんな!」
そこに今度は社長がやってきて、チャバックの手を見て怒鳴った。
社長は昼間から酒が入っているようで、顔が真っ赤だった。酒癖が非常に悪い男で、酒が入ると暴力が増すので、チャバックは恐怖する。
「そんな汚い手で仕事しているなんて、みっともねえだろーが! 正道派の正義感気取りの貴族の連中に見つかったら、うちの職場はどーなってんだって、お叱りを受けちまうだろーが!」
怒鳴るなり、社長はチャバックに蹴りを入れる。正道派の貴族達は、下層労働階級の者達が不当な扱いを受けていないかどうか、定期的にチェックしにくる。下層部の経営者達はそれら貴族の目を気にしつつも、上手く誤魔化して、労働者達から搾取し、暴言や暴力の限りを尽くしている。
「だって……この魔法洗剤を使う時、手袋はめてやらないと駄目って言われたから、手袋していたら……。先輩に手袋しているのは生意気だって言われて……取り上げられて」
「何だって~? 俺そんなこと言った覚えは無いな~」
チャバックが泣きながら釈明すると、社長の後方からさっきの先輩がにやにや笑いながら現れた。
凍りつくチャバック。
「しゃっちょー、俺とこのノーテンパーの人の出来損ない野郎、どっちのこと信じるんですかあ? まさか俺が嘘ついているとか、思ってませんよねえ?」
先輩が悪意に満ちた笑みを広げて伺うと、社長もまた、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「無論、嘘吐きはこいつだ。ゴブリンより醜いこの野郎を見てると、イライラするんだよっ。こいつのいうことなんか一切信じられっか。なーにが魔法洗剤だ。お前がそんな上等なもん持ってるなんて、おかしいだろ」
「本当だよう。ほら、これ」
チャバックが魔法洗剤のチューブを取り出してみせると、社長は乱暴に取り上げる。
「で、どこからパクってきたんだ?」
「盗んだんじゃないようっ。貰っ……もご!?」
否定するチャバックの口に、社長がチューブを突っ込んだ。
「信じられっか馬鹿野郎が! お前の言うことなんか一切信じらんねーっ! こいつが魔法洗剤だってんなら、人間の出来損ないの汚物野郎のてめーをまず綺麗にしてやるよ! 嘘をつく口の中にぶちこんで、嘘をつかない口にしてやらあ! おら飲めーっ!」
「ふごーっ!」
チャバックは必死に暴れて抵抗するが、社長の力には敵わない。チューブの中の魔法洗剤が、チャバックの口の中に注ぎ込まれていく。
「社長社長、ちょっとやりすぎでは……」
流石の先輩社員も引き気味になる。
「あーん? 何がやるすぎだあ? って、俺何してたんだっけ? てか、何してんの俺?」
少し酔いがさめてきた社長が、やっとチューブを外し、チャバックの拘束を解いた。
「ぐ……ぐるじ……い……。ユーリ……ユーリ……助げ……で……」
「おい、やべーぞこいつ。一体何があったんだ?」
真っ青な顔で泡を噴き出して呻くチャバックを見下ろして、社長は狼狽えて、先輩従業員を見た。先輩従業員はただただ苦笑していた。
***
病院に運び込まれたチャバックは、しきりにユーリの名を呼んで助けを求めていた。病院にいた医師は魔術師でもあり、魔法使いミヤの弟子のユーリの名も知っていたので、ユーリに連絡を取った次第である。
しばらくして、ユーリとスィーニーが病院にやってきた。
チャバックは死にかけていたが、間一髪で間に合った。ユーリの癒しと浄化の魔法で一命を取り留める。
「どうしてこんなの飲んだのさ」
ユーリが空になった魔法洗剤のチューブを手に取り、病室のベッドに寝かされているチャバックに問いかける。
「ご、ごめんよう。その……あの……の、喉が乾いてて、つい間違えて……」
「こんなの間違える? フツー」
チャバックの言葉を聞いて呆れるスィーニー。しかし疑うという事は無かった。チャバックならそういうこともあり得るのではないかと、そう考えてしまったのだ。
「そうだ……猫婆は元気になった?」
「うん、一応はね……」
チャバックの問いに、ユーリは陰りのある表情で、か細い声で答える。
(芳しくないみたいね……)
ユーリの表情を見て、力無い返答を聞いて、スィーニーはそう察する。
「ねね、聞いてよー、ユーリ、スィーニーおねーちゃん。オイラも魔術師になる勉強始めたんだよう。オイラ、魔法使いは才能無いから無理だって、猫婆に言われたけど、魔術師は努力さえすれば誰でもなれるっていうから、ケープ先生に頼んで、少しずつ魔術の勉強教えて貰ってるんだあ」
「そうなんだ。頑張ってね、チャバック」
わりと元気を取り戻したチャバックの話を聞いて、ユーリは安堵して微笑む。
そこに、一人の女医が病室に入ってくる。
「あ、ケープ先生だ」
「遅くなってごめんなさい。往診中だったもので」
チャバックが嬉しそうな声をあげ、女医が軽く会釈する。彼女の名はケープ。魔術師でもある女医だ。チャバックが小さい頃からよく面倒を見ていた。ケープの後ろには、この病院の院長である医師もいた。彼がユーリに連絡したのだ。
「何にせよ無事でよかった。本当に危ない所だったんだ。ユーリ君。ありがとう」
「ありがとさままま~」
院長とチャバックが礼を述べる。
「いえいえ……それにしてもチャバック。もう二度と洗剤飲んだりしちゃ駄目だよ。そんなことしたら本当に死んじゃうよ」
「う、うん……。ごめん。うっかりしてたんだあ。もうしない。気を付けるよ……」
ユーリが念押しすると、チャバックは浮かない顔になって謝罪した。
(何かおかしいな……)
(ちょっと変……)
ユーリもスィーニーも、チャバックの様子がおかしいことに気が付いていた。
***
チャバックが務めている清掃会社に、正道派の貴族が訪れる。
「最近、不当な暴言や暴力が流行っている。ここの従業員が病院に運ばれたというが、おかしなことはあるまいな?」
「とんでもございませんっ。今日だってバイトが顔色悪かったから、早い段階で病院に無理矢理連れていった次第ですよ」
「そうそう。あれは明らかに顔色悪かったし、放っておけないと思って」
高圧的な物言いの貴族に、清掃会社の社長も従業員も、ぺこぺこと頭を下げてへりくだる。
「ならばよしっ。だが定期的に見回りに来るぞ。いつでも我々の目は光っていると思え」
「へへー」
「ははーっ」
高飛車に言い捨てて去る貴族に、平身低頭の姿勢を貫く社長と従業員。
その貴族と入れ替わりの格好で、チャバックが現れた。
「何だ、お前無事だったのかよ」
「大したこと無いのに、オーバーに苦しんで病院行って、仕事サボりやがったんだな? そうだろ」
従業員が舌打ちし、社長も不機嫌になって吐き捨てる。
「そ、そうじゃないよっ、本当に苦しくて、病院の先生にも死にかけてたって言われたよっ」
「何だとこの野郎。それじゃまるで俺が人殺しかけたみたいな言い草じゃねーか。俺を人殺し扱いする気か? ええ?」
赤ら顔の社長が、顔を歪めて凄む。元々人相の悪い男だが、怒りで顔が歪むと酷い凶相となる。
「つーか、こいつが人か? 人の出来損ないだろ。多分殺しても俺、別に何とも思わねーわ。ひゃははは」
従業員が嘲る。
チャバックは何も言い返せない。チャバックには自覚がある。自分の知能が著しく低いという自覚。自分の見た目が不格好で醜いという自覚。自分の体が歪で、上手く歩く事も出来ず、手先も不器用であるという自覚。自分が劣る者だという自覚。
そんな自分だから、見下す者が多い。それが世の中というものだという事も、チャバックは知っている。しかしその一方で、チャバックはもう一つのことを知っている。
『例えハンデがあっても、一生懸命生きていけ。そうすればきっと報われる。俯いて生きてたら駄目だ。顔を上げて、前を向いて歩くんだ』
幼い頃、チャバックを可愛がってくれた叔父が、力強く告げた言葉。チャバックはその言葉を信じて、毎日ひたむきに頑張っている。
その頑張った結果、ユーリという友人が出来て、スィーニーという友人も出来た。叔父の言った通りだと思った。
自分を罵り、嘲る人間もいる。しかしそうでない人間も確かにいる。後者を心の支えにしている。前者には……?
「ムカつくわ。もう少し思い知らせてやった方がよさそうだな」
「社長、ほどほどにしといてくださいよ。病院担ぎこまれたのもひやっとしたし。こんな人の出来損ないのゴミ人間でも、殺すと罪に問われちまうんですから」
「わかってるよ。ちゃんと今度は加減するさ」
社長と従業員が二人がかりで、チャバックを殴打しはじめる。
「やめてよ……もうやめてよう……。オイラ何もしてないのに、嘘もついてないのに、どうしていつもこんな酷いことするの……?」
殴られながら、泣きながら、チャバックは訴える。
「てめーの全てがムカつくからだよっ。そしてさっきの貴族のせいなんだよっ。恨むならてめー自身と貴族を恨めっ。おらおらおらっ!」
「ははっ、こいつ見てるとムカつくけど、こいつをボコる時だけは楽しいぜ。こいつはボコられるために生まれてきたような奴だな」
二人の殴打は、チャバックが動かなくなり、泣き声が止まるまで続いた。
***
夕方。首都ソッスカー山頂平野の街道。
「今日はありがとう。チャバックの件は驚いたけど」
健康的な小麦色の肌を夕日に反射させたスィーニーが、同じく夕日に照らされた顔でにこやかに微笑み、礼を述べる。
「うん。危ない所だったよ。それにしても洗剤をうっかり飲むなんて……」
ただでさえ露出度の高いスィーニーが、一際扇情的に見えてしまい、内心どぎまぎしながら、先程のチャバックの話題を出すユーリ。
「いくらチャバックでもそんな間違いするのかって思ったけど、まあ……チャバックだから……」
表情を曇らせて言うスィーニーであったが、どこかチャバックの様子がおかいようにも感じられた。
「色々知ることが出来て面白かったー。私さー、色んな土地に行って、色んなことを見て知れるから、行商人ていう仕事してるし、気に入ってんだー」
「そっか。そう言われるとガイドした甲斐もあったよ」
上機嫌にスィーニーに、ユーリも嬉しそうににっこりと微笑む。
「スィーニー、こんなこと聞くのは何だけど、僕と会う前――ア・ハイ群島に来る前、何かあったの?」
「え……? 何でそんなこと聞くの?」
ユーリの質問に目を丸くするスィーニー。
「来たばかり、僕と会ったばかりの頃はさ、ちょっと暗かったというか、固かった? すぐに明るくなったけどさ」
「ああ……違うんよ。私さ、ユーリとチャバックと会う前は、ずっとあんなんだったの」
「え……そうなの?」
「うん。行商人してるくせに無愛想だったし、全然明るくなかったよ。でも……まあ、本人を前にしてこんなこと言うのも照れるけど、ユーリもチャバックも、いつも明るかったからさ、私もそんな風になりたいって感じて、それで人前で明るくするようにしたんだ。でも、上側だけ明るくしてるわけじゃないよ。考え方からして、明るく変えていこうって思ったんよ。だって明るさって、内面から出てくるものじゃん?」
「そうだったんだ。こっちこそ何か……」
照れくさそうに言うスィーニーに、ユーリも照れ臭くなって、頬を掻く。
「ねね、またガイドしてくんない? 暇な時でいいからね」
「いいよ」
「ガイドが嫌なら、デートでもいいんよ?」
「え……あ……その……」
にかっと歯を見せて笑うスィーニーに、ユーリは思いっきりたじろいでいた。
***
(よしよし、これでかなりユーリと親しくなれた。この調子で、接触する機会をもって増やして……)
宿屋の部屋に戻った所で、ほくそ笑むスィーニー。全てはプラン通りに進んでいる。
そう意識してから、スィーニーは突然吐き気を催した。
(え……何これ……すごく気持ち悪い……。気分が悪い……。吐き気?)
何故急に気分が悪くなったのか。その理由は数秒後に理解した。
(ああ……そうか。自分のやってることに、気分悪くなってんだ。私……こんな汚いことして……。ユーリはあんなに優しくて明るくて真面目でいい子なのに、そんなユーリを騙して……。だから……)
スィーニーは自己嫌悪のあまり、吐き気を催し、眩暈まで引き起こして、立っていられなくなった。よろめき、床に膝をつく。
(ユーリやチャバックみたいになりたくて……。私は気持ちを入れ替えた。あの二人みたく優しく明るくなりたくて……。でも私は……)
心が黒い泥で塗りつぶされたような錯覚を覚えなから、スィーニーは気を引き締める。自分が成すべきことを強く意識する。
(でも……これが私の使命なんだから。世界の秩序を保つための……管理者メープルCから授かった大事な使命なんだもの……)
***
「ブラッシー……今話はできるかい?」
ミヤが魔法で、古い知己に念話を繋げる。頭の中で声を紡ぐだけではなく、肉声に出している。ミヤとしてはこの方が喋りやすい。
(あら、ミヤ様お久しぶりぶり~。ええ、全然よろしくてよ~。よろしくなくてもミヤ様のためなら、お時間作りますわ~ん)
裏返った男の声が、ミヤの頭の中で響く。
「恥ずかしい話だけどね、仕入れて欲しいものがあるんだよ」
(ミヤ様が恥ずかしがるものって何かしら~ん)
「ミミズマンの生体を四匹以上、ガオケレナの聖灰、ナイトエリクサー、聖者プンスカの肝、聖果カタミコ、アクルの血」
(う~ん……難題ね。でも……恥ずかしいの意味も、何故欲しているかもわかったわん。全てを手に入れるのは、いくら私でも無理そうよん)
「全てとは言わんよ。ま、聖果カタミコが無理なのはわかっている。もしかしたらと期待して言ってみただけだ。なるべく早いうちに、手に入れられそうなものだけを手に入れて、儂の元に配達してくれ。それらが果たして効果があるかどうかも、わからんしね」
(ふむむ、それならせっかくだし、私が直接ミヤ様に届けますわーん)
「いや……別にあんたが来なくてもいいんだよ」
相手の言葉を聞いて、ミヤは鼻白む。正直この人物に直接来て欲しくはない。
(久しぶりにミヤ様ともお会いしたいしー、ミヤ様がこれだけのものをかき集めて、必死に存命を計っているのは、ミヤ様のお弟子さんのためなんでしょ~? ミヤ様のお弟子さんがどんな子なのかも、見てみたいしね~ん)
「ふん……お見通しか。好きにせい」
ミヤは息を吐き、念話を切った。
短いですが四章はこれにておしまいです。




