25-3 ソッスカーの平和に影差す予兆?
ジャン・アンリは貴族の生まれである。
どういうわけか表情が一切無いジャン・アンリは、父親からは気持ち悪がられていた。しかし母親は見捨てず、愛情を注いだ。
「僕に心はある。でも皆みたいに笑ったり泣いたりできない」
ある時ジャン・アンリは母親の前で、無表情のまま涙を零しながら、本心を明かす。
「心が無いと言われると、僕は確かに傷ついている。涙は……出る」
「あんなに素晴らしい絵を描く貴方に、心が無いなんてはずがないわ」
母親も泣きながら、涙するジャン・アンリを強く抱きしめて告げる。
「私が子供の頃、メイド長の婆やから聞いた話があるの。人の魂の中には光があるって。貴方にも光がある。だからこんな美しい絵が描けるのよ」
「魂の中に光……」
母親が耳元で囁いたその言葉は強い言霊となって、ジャン・アンリの心に刻まれた。
ジャン・アンリは魔術に興味を覚え、魔術師になりたがった。しかし貴族は魔術師や魔法使いになれないルールがある。
「僕は貴族をやめる。魔術師になる」
そう言って家を出ようとしたジャン・アンリだが、激怒した父親が剣を抜いてジャン・アンリの前に立ちはだかる。
「我が家の恥さらしがぁ! 出来損ないがぁ! お前なんて……息子なんて私にいなかっのただぁ!」
憤怒の形相で怒鳴りながら、父親はジャン・アンリを剣で斬りつけた。
剣はジャン・アンリに届かなかった。母親が割って入り、ジャン・アンリをかばって、代わりに斬られたのである。
母親は何も言わず、血を吐きながらジャン・アンリに向かって微笑み、息を引き取った。
父親は、妻を殺したのはジャン・アンリだと偽り、ジャン・アンリを役所に引き渡そうとした。
「この子は悪魔の子だ! 私の妻を――自分の母親を殺したのだ! 悪魔だ!」
役所で父親はそうがなりたてた。
「殺したのはてめーだろ。」
ジャン・アンリが役所に引き渡されるその間際に、一人の少女が呆れ声を発した。ボロボロの赤い帽子とマント姿の魔法使いだった。
「僕達が証人になるねえ。何だったら殺害現場を映像再現しちゃおう」
白一色の衣装の魔法使いの少年が言い、魔法を使う。ジャン・アンリの父親が、妻を殺す映像が再現される。
ジャン・アンリの無罪が証明され、父親は捕まった。
ア・ハイ群島でも名の知れた魔法使い、アザミ・タマレイとシクラメ・タマレイの兄妹の庇護を受けたジャン・アンリは、魔術師に弟子入りし、そこでめきめきと力をつける。ア・ハイ史上最速で魔術を会得するという記録を作り、注目を浴びた。
時は流れ、ジャン・アンリはタマレイ兄妹と結託し、K&Mアゲインという組織の一員になる。
「貴族は世界の歪みそのもの」
貴族出身ありながら、ジャン・アンリはアザミ達の前で何度もそう言った。
「お前、そんなに虫が好きなのか?」
ある日、蝶と戯れるジャン・アンリを見て、アザミが声をかける。
「ああ、虫は好きだ。虫はいい。実にいい。生物としての設計デザインの全てがいい」
人差し指の先に止まった蝶を見ながら、ジャン・アンリは語る。
「私が生涯をかけて解きたい謎の一つは、虫に心があるのかどうかという事だ。虫と同化してもなお、それはわからない。つまりそれは、虫に心が無いからこそ、読み取れないと解釈してよろしいか? いや、そう考えるのも早計としておく」
「そこら中にいる、すげー小さな虫の一匹一匹にも、魂があるってか? 一寸の虫にも五分の魂なんて諺が、東洋にはあるけどよ」
「虫にも魂が宿り、魂の中に光があるかもしれない。私には見えないだけかもしれない」
その時の会話のやり取りはアザミの中で強い印象に残り、よく覚えていた。
***
「魔術学に院現れた人喰い絵本、魔法使いと八恐だけで攻略して、全員救出だとよ」
K&Mアゲインのアジトの一室。新聞を広げたアザミが言う。同室にはアザミとジャン・アンリだけがいる。
アザミの前で、ジャン・アンリはまた虫と戯れている。あの時とは違い、ジャン・アンリの人差し指の先に止まっているのは、蝶ではなく、鮮やかな青い色の蜂だ。
「ルリハナモンバチだっけ?」
「うむ。では、最近の私のお気に入りだとしておこう」
問うアザミに、ジャン・アンリは頷く。
「で、うちらも再始動するわけだが、本当にあいつを信じていいのか? この前はあたしらの邪魔してくれたんだぜ?」
疑念を露わにして確認するアザミ。
「信じてはいないと言っておく。使えるものは何でも使うということでよろしいか? まあ、あてにならない程度ならまだいいが、足を引っ張る者や、裏切る者の起用は私も避けたい。個人的には私は彼女を好まないが、しかし彼女の境遇を知る限り、彼女は我々を頼らざるをえないだろう。そして彼女の望みも、多少はかなえてやれる」
「事が終わったら、どーするんだ?」
「その時はその時で考える」
アザミがさらに問うと、ジャン・アンリは無表情のまま無責任な答えを返した。
***
その日、ノアは一人で行動していた。
一人で繁華街のショッピングを楽しむつもりのノアであったが、その日は楽しめなかった。ずっと気になっていたことがある。
家を出てからずっと、視線が付きまとっている。ねっとりと絡みつくような嫌な視線。そしてノアに気付かせるよう、わざと気配を消さずに、嫌な視線を送りながら尾行している。
(どこの誰だか知らないけど、俺に喧嘩売ってるわけだ。上等だよ。買ってやる)
繁華街を早々に抜け、人気の無い場所へと移動するノア。
山頂平野の開けた草原で足を止めるノア。振り返っても誰も見当たらない。しかし確かに側に何者かが潜んでいるとわかる。
「勿体ぶってないで出てきたら? ぜんまいを巻いたのはそっちだろ?」
ノアが声をかけると、ノアの前方空間が歪む。
空間の歪みの中から現れたのは、角の生えた水色の髪の少年だった。
「ミカゼカ。君だったのは意外。喧嘩売られる覚えあったっけ?」
本当に意外そうな表情で言うノア。
「恨みとかは無いヨ。でも戦う目的はあるのサ。君に勝ち目はないけど、全力で抗ってネ」
にかっと歯を見せて微笑むと、ミカゼカは攻撃に移った。ミヤ譲りの念動力猫パンチが放たれる。
ノアはすんでの所でかわす。
ミカゼカはかわした直後のノアを狙い、続け様に二発目の念動力猫パンチを放った。上から下に繰り出すのではなく、横薙ぎに振り払う角度でだ。今度は避けることが出来ず、ノアはまともにこの一撃を受けて、大きく吹き飛ばされ、草むらの中で二度もバウンドして倒れた。
「痛……」
顔をしかめ、回復に魔力を注ぎながら、急いで身を起こすノア。全身に凄まじい衝撃を受けた直後で、本当はこのまま倒れていたいが、もたもたしていたら、さらに攻撃が飛んでくる。
念動力猫パンチの三発目が繰り出される。草むらに巨大な肉球マークがつく。しかしノアの姿は無い。
ミカゼカの頭上に転移したノアが、上から無数の重力弾をミカゼカに降らせる。
ミカゼカの周囲の地面が大きくへこむ。しかしミカゼカには影響が出ていない。重力弾そのものを逸らしたうえに、重力弾から生じる超重力さえ、魔力で防いでいた。
人差し指を立てて、くるくると渦を巻くように動かすミカゼカ。すると地面に落ちた重力弾が、ミカゼカの周囲を大きく回りながら浮かび上がり、上空のノアめがけて飛んでいく。
「舐めるな」
ノアが毒づき、重力弾を消滅させる。自分で出したものだから、自分の意思で消滅させられる。そんなことも承知のうえで、ミカゼカはノアの重力弾をノアに放ったのだ。舐められているとしか思えない。
(前にも同じやり方で防御されたっけ)
以前の戦いで、猛吹雪で攻撃したが、人差し指くるくるでひとまとめにされて、あらぬ方向へと流された事を思い出すノア。
ミカゼカが腕を振るう。
(やっぱり舐めてる)
苛立つノア。これまた以前と同じ流れだ。ビリーにもやられた攻撃。魔力の奔流が吹き荒れ、回されながら吹き飛ばされた。
転移したばかりなので、連続の転移魔法の使用は出来ない。もっと強力な魔法使いなら出来るだろうが、ノアには無理だ。
ノアは魔法を発動させて、柔らかく頑丈な魔力の薄い膜で自身を包む。防護膜が激しく回転しだすが、中にいるノアは回転しないし、ノアも防護膜も吹き飛ぶことは無い。
「へえ」
ノアが攻撃を防いだ事に、感心の声をあげるミカゼカ。
「ペンギンロボ」
ノアが一言呟き、ペンギンロボを呼び出した。
呼ばれた瞬間、ペンギンロボが回転しながら吹き飛ばされた。
「ちょっ……」
呼び出すなリ何も出来ずにあっさりと吹き飛ばされ、遠く離れた所でうつ伏せに倒れているペンギンロボを見やり、ノアは啞然としてしまう。
ミカゼカがさらに人差し指を回転させてくる。魔力の奔流が渦巻いてノアに襲いかかったが、前の転移からある程度時間が経過していたので、ノアは再び転移が使えるようになっていた。転移魔法で逃げる。
かなりの距離を取った場所に転移した所で、ノアはミカゼカを見据えて、額から垂れてきた汗をぬぐう。
(ミカゼカ、この前より飛ばしている。この前は先輩と二人がかりでも苦戦したのに、この飛ばしているミカゼカを、俺一人でやらなくちゃいけないのか)
冷静に考えずとも、勝ち目が無いのはわかっている。
(一人で勝てる相手ではない……。戦いながら、隙を見て逃げるしかないか)
勝ち目が無いのは最初からわかっていたが、一切戦わずにただ逃げるという事も癪であったし、戦いながら、ミカゼカが戦闘を仕掛けてきた理由も探りたくて、交戦に応じたノアであった。
高速飛翔して、そのまま逃走しようとするノア。
しかし前方に魔力の気配を感じ、急停止した。すでに結界が張られている。おそらくは空間操作も封じ、転移でも外に出られないタイプの結界だ。
(駄目だ。こっちの意図も見抜かれている。全て先読みされて対処されている)
愕然とするノア。自分が隙をついて逃げようとすることも、ミカゼカはノアの逃走も最初から想定して、封じてきている。
(どうしてこんな……何のために俺を狙っているんだ……。わからないけど、逃げる事前提で、及び腰で対処していては駄目だ)
戦った所で勝ち目も無いとはわかっているが、それしか道は無い。
「本気で戦おうネ? さもないと死んじゃうヨ?」
ミカゼカがにやにや笑いながら声をかけてくる。
「婆の許可は得ているの? 婆に無断で、弟子の俺を殺していいの?」
「それ、命乞いのつもりかナ? 殺されかけた三下が泣きそうになりながら、『俺を殺していいのーか?』って、そんな無様な台詞を口にするアレ?」
ノアは純然たる疑問を述べたつもりであったが、ミカゼカはくすくす笑いながら煽ってくる。
「わかったよ……本気でやってやる」
覚悟を決めて、ノアはミクトラを出す。
ノアの腕に装着された篭手を見て、ほくそ笑むミカゼカ。
ガントレットのルビーから、赤い光が迸り、巨大な光の刃が形成される。
(魂が二人分になっただけ、威力も持続力も倍加している。こいつの実験台にしてやるよ)
マミとケロン、二人分の苦痛をエネルギー化した刃は、かつてないほど巨大な代物になっていた。ただ大きいだけではない。光の刃を作った時点で、刃に込められた凄まじい力を実感できた。
ミカゼカが全身に魔力を纏い、ノアめがけて突っ込んでいく。
その挙動を見て、ノアは不審に思う。罠があるのかと戸惑う。
(何か罠があるのか。それとも挑発して遊んでいるのか。どうする……?)
迷うこと一秒。ノアは突っ込んできたミカゼカに対し、攻撃する事に決めた。
ノアが腕を振った瞬間、赤い光の刃が広範囲に広がった。回避できないようにした。
ミカゼカは高速で避けようとしたが、赤い光の触手のようなものが伸びて、ミカゼカの腕と脚に絡みつく。
しかしミカゼカは慌てず、赤い光の触手が巻きつけられた腕と脚を根本から切断し、ノアとの距離を一気に縮めた。
至近距離から魔力を放出し、迎撃しようとしたノアだが、反応が遅れた。
腕に熱い衝撃を覚えるノア。
「え……?」
ノアの右腕の肘から先が失われていた。切断されていた。
ミカゼカは片足で立ち、片手にはノアの右腕が握られている。赤い光を放出したままのミクトラも一緒に。
(ミクトラを奪われた? イレギュラーを奪うつもりだったのか? それが狙い?)
状況だけ見ると、そのようにも判断できる。しかしそれはおかしな話だとノアは思う。
(ミクトラは俺を所有者と認めている。奪えるものじゃない。俺以外には扱えない。でもアルレンティスともあろうものなら、所有者を変更させる方法も知っているのかな?)
勘繰るノアの前で、ミカゼカはにかっと歯を見せて笑う。
「心配しなくていいヨ。別にこのイレギュラーを盗もうってわけじゃないからネ。欲しいのは、その中にあるものなんダ」
「中……? 中!?」
ミカゼカの台詞を聞いて、驚愕して叫ぶノア。
ミカゼカの再生した手が、ルビーに触れた。
「マミの魂、確かに頂いたヨ」
そう言ってミカゼカは、ミクトラをノアの方へと放り投げる。
「母さんを……」
何か言いかけたノアであったが、言い切る前にミカゼカは転移して姿を消した。
ミカゼカのいた場所と、草むらに落ちた篭手を交互に見やり、呆然と佇むノア。
(母さんの魂が目的って――つまりは……)
恐ろしい考えが、ノアの脳裏に浮かんだ。そして、魂を盗むという行為からして、ミカゼカの目的はそれ以外に考えられない。
二十五章・糸冬




