24-10 兎も群れれば危険
「あああ……マリエが死んじゃった……うわあああんん」
嬲り神に壊された人形を見て、子供のように泣きじゃくるインガ。
「気持ち悪い婆だなァ。人形だらけの部屋といい、服といい、何もかもキメぇわ」
「お前が言うな。ゴミ男」
嘲る嬲り神を睨みつけ、ガリリネがもっともなこと言った。
「どうしてこんなことするのお……? マリエは何も悪いことしてないじゃなあい。どうしてこんなことに……ううう……」
「運命は期待だけさせておいて、すぐに絶望と落胆の奈落に突き落とすのだ。この場合、平和を与えておいて、その平和を享受していた者を絶望に突き落としたのだ」
嘆くインガを見て、サユリが虚しげな面持ちで語る。
「気が変わった。ガリリネを助けるわけじゃないけど、今の嬲り神の台詞は許せない。誰にだって大事なものがある。それを壊しておいて、壊されて泣くほど悲しんでいる人を罵るような下衆は、絶対に見過ごせない」
ノアが嬲り神を睨む。
「おお、ノアちんが燃えていまして」
サユリがからかい半分に言う。
「ノアちんはやめろ」
「ぶひっ。ノアちん、頑張れ」
「ていうか、サユリは手伝いしてくれないの?」
ノアが半眼でサユリを睨む。
「もちろん手は貸さないのである。サユリさんは自分のためにしか生きていないのでして。手伝いもボランティアも人助けもお仕事も全て拒否するのである」
「仕事はしようよ。そのために呼んだんだ」
断固たる口調で言い張るサユリに、ノアが柔らかな口調で告げた。
「嬲り神とここで交戦するのは仕事ではないとして」
「いいや、仕事だよ。もし手を貸してくれたら、俺はサユリがいっぱい働いてくれた、助けてくれたって報告するよ? 俺が仕事と認めれば、サユリの株も上がる。評価も見直される」
「ぶひぃ……何だか口車に乗せられている気分なのである。でもそれも悪くないと感じているあたくしがいるのである」
未だにおいおいと泣いているインガを一瞥してから、サユリは嬲り神を睨んだ。
(ノアちんの言う通りなのだ。サユリさんだって、もしも大事な豚を殺されて、そのうえで罵られようものなら、怒り心頭どころではないのである。しかし……あたくしは自分以外の人間のことなんて心底どうでもいいはずなのに――何故かこのお婆ちゃんが泣いている所を見て、凄く腹が立ってしまっていまして)
珍しくサユリにも火がついていた。
「ここだと家や人形を壊すから、外に出よう」
「従ってやる謂れは無ェ……と言いたいところだが、確かに狭いな。それに婆の声がこれ以上うるさくなってもムカつくから、乗ってやるよ」
ノアが促すと、嬲り神は皮肉めいた口調で言い。大人しくそれに従った。
「みそメテオっ」
嬲り神が外に出るなり、サユリが仕掛けた。無数のみその玉が空中に現れ、嬲り神に向かって飛来する。
「ぐへっ!?」
全身にみそ玉の直撃を食らい、嬲り神が叫んで横向きに倒れる。
「何だァ……あっさりとズレた次元を渡ってきたぞ」
味噌塗れになった嬲り神が身を起こす。嬲り神は自身と周囲の空間の次元を瞬間的に一つずらし、攻撃を避けることが出来る。今回もそれを行ったが、全てのみそ弾が、空間を超越して嬲り神に直撃していた。
「みそがあれば何でもできまして!」
サユリが見得を切ったその時、嬲り神がかぶっているみそが蠢き、嬲り神の全身を覆いだす。
「みそスライムか!? しかも増殖してるし……」
みそはただ増殖してまとわりついているだけではない。嬲り神の肌を溶かし始めている。流石の嬲り神も普段の余裕を失くして鼻白む。
「ぶひひひ、慄くがいいのだ。これみそがサユリさんの会得したみそ妖術の力なのだ」
不敵に笑い、うそぶくサユリ。
「中々やるね、サユリ。俺のための御膳立てありがとう」
ノアがほくそ笑み、嬲り神の隙をついてミクトラで攻撃した。ノアの手に装着された手甲から伸びた、長い赤い光の刃が、嬲り神めがけて振るわれる。
「おっと~」
みそを全て振り払った嬲り神が、赤い光の刃を避ける。
「え……?」
ノアが急にきょとんとした顔になり、動きが止まった。嬲り神に攻撃をかわされたからではない。装着しているミクトラに違和感を覚えたのだ。
今度は嬲り神がノアの隙を突いて攻撃した。ノアめがけてゴミ袋を投げつける。何かに気を取られていたノアはこれを避けられず、顔面にゴミ袋の直撃を受けて倒れる。
ゴミ袋の中身が飛び出し、ゴミが意思をもつ生き物であるかのように、ノアにまとわりつこうとするが、ノアは魔法でこれらを防いだ。
「今のは中々いい線いってたぜ~。届かなかったけどなァ。ぎゃははははっ」
嬲り神がノアの方を向いて嘲る。
「ノアちん、どうして? 戦闘の最中であるが? ぼーっとしてはいけないのだ」
サユリが訝り、注意する。
(ミクトラを使用した後、ミクトラがレベルアップした。戦いで使うごとに、このイレギュラーは強化されるんだ)
ノアはその事実に気付いて、気を取られていた。
(ミクトラの容量が広がった。これならあと一つか二つ、魂を入れることが出来るんじゃないか? そしてその分強化される)
興奮を覚えながら、ノアは嬲り神のゴミ攻撃を防ぎ続ける。
サユリが天使の羽根と輪を持つ小さな豚を数匹呼び出す。天使豚達は高速で空を飛び、嬲り神の周囲を激しく旋回しながら、鼻からビームを小刻みに放って嬲り神を攻撃する。
「しゃらくせえっ」
嬲り神が両手をかざすと、空飛ぶ豚達が空中で動きを止め、地面に落ちてく。
「ぶひ~……どういう原理かわからないが、やるであるな」
サユリは豚を消す。嬲り神に止められた豚は、サユリの意思で動かなくなっていた。
その時だった。
「ここにいやがったか、この糞婆! お前の家の不気味な人形を捨てろよ! 庭にも門の前にも塀の上にも不気味な人形だらけで、街の美観を思いっきり損ねているんだ!」
インガにしつこくつっかかるあの男が、また現れた。しかしインガは反応しない。
「こんな時に現れるとか……」
呆れるガリリネ。
「おおっと、戦闘中なのにクレーマーがやってきたーっ!」
サユリが実況口調で叫ぶ。
「いやあ、これは凄いクレーマー魂ですねえ。クレーマーの鑑と言ってもいいかもしれません。何が何でもクレーム入れたかったんでしょうねえ」
そして解説口調になるサユリ。
「どけどけーっ! 暴れ兎の大群だぞーっ」
クレーマー男と嬲り神の両方が、道を覆い尽くした何百匹もの暴れ兎の大群に飲み込まれる。まるで兎の津波のような、とんでもない光景だ。
「これ、どういうこと?」
「嬲り神も敵として認識した?」
呆気に取られるガリリネとノア。
「というか、何でこんな大量の兎がいるのであるか……」
「兎肉食う文化がある世界じゃないの? そして兎農園から一斉に脱出したとか」
サユリが疑問を口にすると、ノアが適当に思いついたことを言った。
兎の大群が去った後、インガに絡んだ男と嬲り神が二人揃って、首をはねられた状態で倒れていた。
「踏みつけられたのはわかるとして、何故首チョンパ?」
「人を襲う凶暴な兎なら、それくらいはやりまして」
「聞いたことない話」
首をはねられて倒れている二人を見て、さらに呆然とするノア、サユリ、ガリリネ。
「まあ今がチャンスだ。逃げよう。嬲り神とこれ以上無理に戦うこともない」
「それがよいとして」
ノアが促し、サユリが応じた。ガリリネもインガの手を取り、後に続く。
「くふっ……あはははははっ! ぶわーっははははっ!」
嬲り神が、首だけで哄笑をあげる。
「あははははっ、まさかよぉ、こんな展開になるたァ、露ほども思っていなかったぜ」
笑う嬲り神の首が転がり、胴体にくっつき、立ち上がった。
***
ファユミはディーグルと肩を並べて、シャクラの町を歩いていた。
(夢……みたい。ディーグルさんのような綺麗な人と、私のような醜女が……)
ディーグルのような美男子と一緒に歩いているというだけで、ファユミはすっかり浮かれ気分になっていた。
「うわ、何あのデカ女。しかもすっげえブスだね~」
「隣の男はツバメか? いや、男娼かな?」
「いずれにしても金目当てだろうさ」
そんな二人の組み合わせを見て、通りすがりのガラの悪そうな男達が、わざと聞こえる声で罵る。
「ファユミさん」
ディーグルが気遣い、声をかける。
「気にして……いません。いつものこと……でも、ディーグルさんまで侮辱されていることは許せません。きっと……精霊さんが……」
「いえ、ファユミさん。頼みがあるのです。しばらくの間、あれを見ていて頂けませんか?」
「あれ……?」
ディーグルが指したものは、町の看板だった。何故それを見なければいいのか、ファユミにはわからなかったが、とにかく言う通りにした。
その間にディーグルは俊足で移動して、ファユミと自分を罵った三人の男の前に立つ。
「言葉にも暴力はあります。言葉は人を傷つけます。時として言葉は人も殺めます。不用意に言葉の棘を放つ者には、仕置きが必要ですね」
ディーグルが言い放つと、三人のうちの真ん中にいる男の首を両手で掴むと、一瞬で180度ねじる。
さらに右にいた男の側頭部を拳で叩きつける。男の頭蓋骨が叩き割られ、鈍い音が響く。
「ひゃあああっ!」
残った一人は一目散に逃げ出した。三人を即座に殺してやるつもりであったディーグルであったが、二人殺した時点での三人目の反応と行動が、予想外に早かった。
逃げ出したもう一人に悠々と追いつくと、ディーグル長い脚を振り回し。男の頭部を蹴り飛ばす。頭部が胴体からはね飛ばされて、壁に激突して転がった。首を失った胴体は前のめりに倒れている。
「口は禍の元です。来世では賢くおなりなさい。いえ――思いやりを持ってくださいね」
死体に向かってにこやかに微笑みかけ、優しい口調で告げるディーグル。
「精霊さんに……お任せすればよかったのに……ディーグルさんに手を汚させてしまって……」
「おや、見てしまったのですか」
看板から目を離したファユミが、申し訳なさそうに言うと、ディーグルは肩をすくめて苦笑した。
「人を不用意に罵って傷つける輩など、一秒たりとも生かしておく価値はありませんからね」
そう言った直後、突然硬直して呆然とするディーグルを見て、ファユミは怪訝な表情になる。
「どうしたのですか? ディーグルさん……?」
ファユミが声をかけるが、ディーグルは硬直したままだった。
***
・【シャクラの町の人形好きなインガ】
インガは変わった女の子だった。周囲の目を気にせず、周囲に合わせようともせず、自分のスタイルだけを貫くが故に、どこに行っても浮いていた。いつも人形を手放さずに歩き、学校に行くようになっても、学校に人形を抱いたまま登校した。
両親からも兄弟からも避けられるようになり、友人も出来なかった。それどころか学校に行けば、いつもいじめられていた。足りない子だと、狂っていると、そう思われていた。面と向かっても言われていた。
インガの奇行は歳をとるごとにエスカレートしていった。自分のことをインガちゃんと呼ぶようになり、おかしな服装をするようになり、幾つになっても自分は八歳の女の子だと言い続け、人前で人形に話しかけるようになったのである。
成人して家を追い出されたインガは、裁縫屋件人形屋を営むようになったが、その突飛な言動や奇行が災いして、客はあまり寄り付かなかった。家族から見放され、友人もいないインガであったが、孤独は感じない。インガには人形達がいたから。
「ほーら、アンドリュー、御飯ができましたよ~。こらこら、リーレイとニイは喧嘩しないのー。サイモンを見習いなさい。シャルルはまた人形劇が見たいのかしらー? あらあら、シンとジョニーはいつも仲良しさんねー。そろそろ二人で子共作る~? 大丈夫よー、男の子同士だって気合いを入れれば、子供は出来るんですからね~」
部屋の中に所狭しと並べた人形に向かって、インガは心底楽しそうに笑いながら語りかけ、人形を手にもってしきりに動かす。
「『インガちゃん、八歳の誕生日おめでとさまままー』ありがとさままま、フミューちゃん。誕生日プレゼントは何くれるのお? 『はい、薔薇のせめぎ合い~』わあ、これほしかった本だー。ありがとさままま~。『フミューだけじゃなくて俺も祝うぞー。お祝いの歌を歌うぞー』『ハリー君の歌に合わせて私も歌うー』わあ、二人ともありがとさまままー」
毎日毎日、インガは人形と喋り合っていた。毎日毎日、人形の台詞を口にして、人形と自分で会話し、人形と人形同士で会話させていた。人形達に名前をつけて、性格と役割を細かく設定していた。
年月が過ぎ、インガは老婆になっていた。しかしインガは依然として、自分を八歳の女の子であると認識していた。
***
精霊さんと呼ばれる少年は、一人憂う。
(アリシアは何であの異世界から来た者達に、あっさりと心を許しているんだ? インガもファユミもジヘパパもそうだ)
その事実を、精霊さんと呼ばれる少年は忌々しく思う。
精霊さんはアリシア達を守護する存在だ。精霊の信奉者である彼等に対し、精霊さんも強い親しみを感じている。
しかし精霊さんは、異世界から来た者達に対し、最初から懸念を抱いている。警戒している。
(あいつらはこの町に現れた異物。シャクラの秩序を乱す存在なんじゃないか? ケロンなんかよりもずっとヤバい存在なんじゃないか?)
何か根拠があるわけではない。しかし異世界からやってきた存在という時点で、強烈な異物感がある。精霊さんの心に強く訴える。漠然とではあるが、凄まじく嫌な予感を覚える。
(運命は確かに存在する。俺は信じている。これは運命の悪い導きなのではないか? 放っておくのは……よくないような……)
危ぶむ精霊さんであったが、現時点では、そんな漠然とした嫌な予感という理由で、アリシア達と仲良くなっている彼等に手を出すことに、この時点では踏ん切りがつかなかった。




