3-1 途切れた物語の先を見よう
行商人スィーニーは滞在している宿に帰る途中、突然空間の歪みに吸い込まれた。
空間の歪みに入る途中、人喰い絵本の絵本世界に引きずり込まれたのだと、理解する。
引きずり込まれたのはスィーニーだけではない。もう一人、スィーニーの友人がいた。その友人の名はチャバックといい、ユーリの紹介で知り合い、スィーニーともすぐに仲が良くなった。スィーニーより三つ下の十二歳だ。
絵本の中に引きずり込まれる際、二人は、絵本のストーリーを頭の中で見る事になる。
***
・【父子】
ジヘは十歳の子供だ。とても内気な性格のうえ、心に傷を負っている。引っ込み思案で、自分の気持ちを上手く伝えられず、何かうるとすぐ落ちこみ、ふさぎ込んでしまう。
ジヘの父親は、男手一人でジヘを育てている。ジヘの父親は冒険者であったが、腕前はそこそこ程度だ。
父親は仕事で何日も家を空けるので、ジヘは冒険者の子供や孤児を預かる寮に入れられている。
寮には現役冒険者の年長の女の子がいた。名前はタルメ。威張りん坊で乱暴な一面もあるが、面倒見もよく、寮長からも信頼されていた。
タルメはジヘがいじめられていた時は、いじめた子供を殴るという、義の心も持っていた。ただし、タルメがジヘを助けた際、明らかにやりすぎなほどいじめっ子を殴打し続けていたので、助けられたジヘは引いていた。
ある日、ジヘは恐怖と混乱に取りつかれた。父親があまりにも長期間家を空けて、帰らなかったからである。
「お父さんは僕を捨てたの? お母さんみたいに、お父さんもいなくなっちゃうの?」
「捨てたどうこう以前に、事故にあったという考え方は出来ないの?」
ジヘがパニックになって不安を訴えると、タルメは呆れ気味に指摘した。するとジヘはますます脅えだす。
そこに、ジヘの父親が憔悴しきった顔で姿を現したので、ジヘは安堵する。
「中々帰れなくてすまんな。ジヘ」
抱き着いてきたジヘの頭を撫でる、疲れ顏の父親。
「ジヘのお父さん、貴方は冒険者として稼いでいるのですよね?」
「あ、ああ……そうだよ。それで稼いでいる」
タルメが不審げに尋ねると、ジヘの父親は、少し狼狽気味になる。
現役冒険者のタルメは見抜いていた。ジヘの父親は全く戦闘を行っていない。剣を抜いて戦った形跡は無い。剣は綺麗だ。軽装の鎧は多少土で汚れているが、魔物の体液を浴びた形跡が全く無い。傷ついて欠けている事もいない。つまり――
怪しいと感じているのは、実はジヘも同じだった。父親はいつも疲れて帰ってきているが、本当に冒険者なのかとずっと疑っていた。仕事の話も一切しようとしない。
ある日、タルメとジヘの二人で、父親を尾行した。
ジヘの父親は、初老の男と会っていた。その初老の男は、ジヘの母方の祖母だった。
父と祖父は闘技場に赴いた。父はそこで闘技場が貸し出してくれる装備を借りて、二戦程戦う。祖父は一戦目は父に賭けて、その時は父が勝った。二戦目、祖父は父の対戦相手に賭ける。二戦目の相手は父より格下と見なされ、オッズはかなり高い。
二戦目は父が負けた。祖父は御満悦の顔だ。ジヘもタルメも、どういうことかすぐに理解する。
「お前のおかげで今日も儲けられたよ。ほら、ジヘのお土産にな」
上機嫌の祖父が、父にフルーツパイを渡す、父は祖父に向かってぺこぺこと頭を下げてへりくだっている。
「父さん……冒険者じゃなくて、八百長なんてして稼いでたんだ」
真実を知り、悲しむジヘ。
「まずあのお爺さんを問い詰めてみましょう」
タルメが冷静に告げ、父と祖父が別れた所で、祖父に接触を図った。
「そうか……見ちまったんだな。ジヘ」
ジヘとタルメに詰め寄られ、祖父はバツの悪そうな顔になる。
「あいつが借金いっぱい背負っているのは知っているか? 俺はそいつを少しでも減らす手伝いをしているんだ。あいつは剣の腕はたつんだが、頭が回らん奴だから、冒険者としてはやっていけないんだわ」
「ジヘパパを利用しているだけではないと言いたいのですか?」
「儲けは折半しているんだぞ。文句言われる筋合いはねーよ。それとさ……娘さんも冒険者なら、ちょっと調べものを頼みたいんだが」
神妙な顔で祖父が依頼してきた。
「あいつ、俺の所だけで働いているわけじゃないんだ。今日は随分と疲れた顔していた。昨日……他に仕事をしていたんじゃないかな。ヤバい仕事をしている気配がする。あいつが何をしているか、突き止めて欲しい。場合によっては、説得して辞めさせたいからな」
「わかりました。調べてみます」
祖父の依頼を受けたタルメは、翌日、またジヘの父を尾行した。ジヘも一緒だ。
ジヘの父が向かったのは、廃鉱だった。魔物の巣窟となっているという噂の場所だ。幽霊が出るという噂もある。
鉱山の中で、父はトロッコを使って運搬作業を行っていた。幾つもの荷物を鉱山の中へと運び込み、積み上げていく。
「御苦労様でした。次もよろしくお願いします」
黒ずくめの怪しげな男がにこやかに言い、父に金を渡している。
父と怪しげな男が立ち去った所で、タルメとジヘは、こっそりと父が運び込んだ荷物へと近づき、中身を調べてみた。
***
気付けば、スィーニーは知らない街にいた。
周囲に建ち並ぶ家屋のデザインが、ア・ハイ群島の街のそれとは違う。しかし見覚えが無いわけではない。たった今、スィーニーの頭の中で流された映像の中で、同様のデザインの建造物を何度も見た。
頭の中で流された映像と音声。それが何を意味するか、スィーニーは知っている。
「今のは――人喰い絵本のストーリー?」
周囲を見渡して呟くスィーニー。
つい数十秒前、スィーニーと近くにいたもう一人の少年は、空間の歪みに囚われ、中へと引きずり込まれた。そして僅かな時間に、圧縮された記録が頭の中に注ぎ込まれた。
「すごーい、頭の中に絵と声とがばんばん流れてきたよー。すごーい」
呆然としているスィーニーの隣で、歓声があがる。とろんとした目つきで、口は常に半開きで、鼻水を垂らした肥満気味の少年。頭髪はほとんどが禿げあがり、毛はわずかにしか残っていない。頭の一部に大きなコブが出来ている。左腕上腕部から左手にかけては、大きなイボが沢山出来ていた。右腕の先は縮んでおり、肘のすぐ先に右手がある。片足も悪くて、常に引きずるようにして遅い速度で歩く。服の中にも様々な奇形があると聞いているが、スィーニーは見た事が無い。
この少年の名前はチャバック。その容姿は一言で言えばとても醜い。そして軽度の知的障害
を患っている。しかしスィーニーとユーリは全く気にせず、ごく普通にチャバックと接している。
「チャバック……その格好」
そんなチャバックの服装の変化を見て、スィーニーは驚いた。先程の絵本の映像に出ていた人物の一人と、同じ服を着ていたのだ。
「あんた、登場人物の一人のジヘになってる?」
「わぁい、スィーニーおねーちゃんはタルメと同じ服装だー」
「マジで……? って、マジだ……」
チャバックに指摘されて、スィーニーも自分の服装の変化に気が付く。
「オイラ……きっとジヘって子と同じ所あるから、ジヘになったんだよ」
よたよたと歩きながら、心なしか自虐めたい口調で言うチャバック。脚にも奇形があるので、上手く歩くこともできない。
「私はタルメと同じなん? ジヘはともかく、タルメって何の変哲もないキャラクターに思えたし、何だかなあ」
頭をかくスィーニー。
「ところでさ、物語が途中で終わってなかった?」
スィーニーが尋ねる。
「あ、うん、変だった。ジヘとタルメがお父さんの運んだ荷物を調べた所で終わったよう」
「私もそこで終わってたんよ」
スィーニーがチャバックの後を追う。
「チャバック、どこ行くの?」
「わかんない。でも物語の先を見つけて、進めないと」
スィーニーが尋ねると、チャバックはそんな答えを返す。
「あのねあのね、ユーリが言ってたよ。物語をきちんとした形で進めれば、人喰い絵本の中に引きずり込まれた人は、全員絵本の外へ出られるんだってさ。でね、それでね、人喰い絵本の登場人物になると、物語と同じ目に合うんだってさ」
「私もその話は知ってるよ。でもこの物語は途中までだった。私達が物語の登場人物になったって事は……私達が物語を先へと進めろってことだよね」
喋りながら、スィーニーは思う。あのジヘという子は内向的で、タルメに引っ張って貰わないと動けなかったように思える。しかしチャバックは、色々な障害を持つが、内向的な子ではない。明るくて積極的だ。ジヘと同じ所があると言われても、共通点は見受けられない。
(私もチャバックも、登場人物との共通点は無い? でもチャバック自身が、あのジヘと同じだと言っているし……)
チャバックには何か感じる所があったのだろう。しかしそれを問いただすのは、躊躇われるスィーニーである。何かチャバックの闇を見てしまいそうで。
***
ミヤの家は、玄関を入ってすぐに広間になっている。その広間の奥には祭壇があり、ミヤはよくそこで祈っている。
今日も相変わらずミヤは、祭壇に祈っている。そして相変わらず咳の音が聞こえてくる。
祈りを捧げるのはユーリも同じだが、ユーリは祈りに場所を選ばない。しかしミヤが祈っているのは大抵、この祭壇の前だ。たまにユーリに感化されて、祈るユーリの横で、ユーリと同じように祈りを捧げている姿は見られるが。
(そもそも猫なんだから、ああして祭壇の前にいるか、僕の隣で瞑目してないと、師匠が祈っているかどうかわかりづらいんだけど)
そんなことを思いつつ、ユーリはミヤのいる方へと近づく。
「師匠、新商品を試してみましょう。これで猫の毛の艶がとてもよくなるそうです」
「はあ……儂の毛の艶の心配までされてしまうとはね。ま、気の利く良い子だねと、ここは褒めて、ポイントもプラス1しておくかね」
ユーリの言葉を聞いて苦笑するミヤ。
「何かネバついてるぞ」
薬品を毛に付けられたミヤは、不愉快そうに尻尾を左右に振って床に打ち付ける。
「あれー? スィーニーから買ったものなんですけどねえ……。スィーニーも他の行商人から買ったものだって……」
「あの娘の商品は当たり外れあるから、食品や体につける類のものは買うなと言ったろうに。プラス1は消してマイナス1」
弟子の言葉を聞き、ミヤが尻尾を床に打ち付ける速度が増す。
「えー、大丈夫ですよ。結構美味しいものも売ってくれますよ。ア・ハイに無い各地の特産品を――」
「お前……儂の言いつけを守らず、あ奴から買って食っとったわけだねえ?」
「あっ……」
ミヤがネチっこい声を発し、ユーリはしまったと口に手を当てる。
ミヤの尻尾が床を打つ速度が、ほぼマックスになった。びたんびたんと左右に凄いい勢いで打ち続けている。
「ポイント2マイナスっ。そして罰だ」
「痛たたたたっ、すみません」
ミヤがユーリの肩の上に駆け上り、頬に噛みつく。もちろん加減はしている。
その時、呼び鈴が三回鳴った。
「ゴートか」
臭いで来訪者の名を言い当てるミヤ。そして三回の呼び鈴は、仕事の依頼を指す。




