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事情

「――あんた達が考えてる通り、そいつは無実」

 静まり返った通りに落ちる呟き。

 はじめの内、レネにはそれが誰の発言なのか、分からなかった。

 明らかにフレッドが喋っているのに、口調ががらりと変わっていたから。

「もうさ、観念しようよ。母さんも姉さんも、ここが引き際って分かんない?」

 少年は再び、あの荒んだ眼差しをしていた。

 そうしてレネを見つめ、苦く笑う。

「毒気が抜けた。そもそもこんなの、逆恨みもいいところなんだ。俺達は人のものを奪って生きてきたんだから」

 フレッドが全てをつまびらかにしていく。

「俺達親子はさ、父親が捕縛された復讐のためにあんたをはめようとしたんだよ。親父は、この辺りでは結構な勢力がある、盗賊団の首領だった」

「……それって」

 レネの声が震える。

 盗賊団の首領。

 ルネル村にやって来て、最終的には解体されたという、あの盗賊団か。

 首領を倒して解体に追い込んだのは……レネ。

 衝撃が体を駆け巡る。

 気付かなかった。今回の騒動の根幹には、父親を奪われた家族の復讐があったのだ。

 クラウスの側にいて敵意を向けられるのはいつものことだから、嫉妬ばかりを警戒していた。レネ自身を憎む本物の殺気など見過ごしていた。

「そこの商会の連中は、親父の盗賊団と裏取引をすることで不正に利益を得てたんだよね。おかげで僕らも匿ってもらえてたわけだけど」

 莫大なる収入源を失った恨みで、彼ら家族と共謀したということらしい。

 ひったくりなどの騒ぎを起こして仲間と引き離したのも、レネへの悪意を煽動したのも、商会の人間や盗賊の残党。

「本当はスリに仕立て上げるはずだったんだけど、あんたが俺にべたべた触ってくるから計画変更したんだよ。まあ母さんは……」

「うるさいうるさい!!」

 遮るように金切り声を上げたのは女性――フレッドの母親だった。

「何が逆恨み、旦那を奪われたのよ!? 私には、この女に復讐する権利がある!!」

「駄目だ、母さん……!」

 フレッドが制止の声を上げるが、もう遅い。

 彼女の腕がレネに向かって振り上げられる。その手には、石畳に転がっていたナイフ。

 盗賊の首領の妻だけあり荒事に慣れているのだろう、身のこなしは素早い。

 けれどレネならば十分に避けられる速度だった。刃先の軌道を冷静な眼差しで追っていると――不意に風が動いた。

「……この振り上げた手を、どうするつもり?」

 低く低く訊ねたのは、フレッドの母親に圧し掛かる底知れない闇。

 それは、クラウスのかたちをしていた。

 無機質な眼差し。

 違う。無機質を観察しているのだ。

 まるでものか何かのように、フレッドの母親を静かに見下ろしている。

「あんたは初めから、レネの命を狙ってたんだろう? だからナイフなんか持ってる」

「ヒッ……!!」

「復讐する権利があるとかほざいてたね。だとしたら、レネを害そうとしたあんたに、僕も復讐する権利があるってわけだ。ご自慢の顔みたいだし、生きたまま皮を剥がしてやろうか? それとも両眼を抉り取る? あぁ、喉を潰せば馬鹿なこともさえずれなくなるか――……」

「ちがっ……ごめんなさい、許して……」

「そうやって命乞いしてきた人にも、慈悲を与えなかったんだろ? 今さら他人の厚意にすがれると勘違いできるの、本当に不思議」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 狂乱の叫び。全てを呑み込まんとするかのごとく、恐れが凝った混沌。

 日常を切り裂き、突如目の前に現れた地獄。街中の人々は本能的に後ずさった。

 あれは勇者ではない。

 あれは、勇者の皮を被った――化けもの。

 その中で唯一、進み出ることができたのは、レネだけだった。

 背中にそっと触れる。

「――クラウス、帰ろう」

 闇の獣が振り向く。

 レネは苦笑した。

 全く困った幼馴染みだ。街にいる間くらい、勇者らしくしていろと言ったのに。

 レネを陥れようとした者達に、レネを傷付けようとした者達に、彼は怒ってくれている。

 恐怖なんて微塵も感じなかった。

 この駄目な勇者に愛おしさが込み上げてくるなんて、間違っているだろうか。

「ね。もう帰ろうよ、一緒に」

 クラウスの瞳をずっと見つめていれば、濃くなっていた青色に理性が戻るのが分かった。

「……レネ」

「うん。早くルネル村に帰ろうよ」

「……そうだね。お土産、買わないと」

 弱々しくとも、彼の顔に笑みが戻ってくる。

 レネも頷いて笑顔を返した。

「……何よ……」

 震える声を発したのは、食い入るようにレネ達を凝視するフレッドの姉だった。

 母親を守るようにしていた少女が、クラウスの豹変に最も衝撃を受けているのかもしれない。優しく穏やかで紳士的な勇者と接していた分、余計に。

 少女は涙をこぼしながら喚いた。

「何よ……何よ、勇者なんて……勇者一行なんて……!! 魔王討伐の旅なんて偉そうに言ってるけど、今だって遊び歩いてるだけじゃない!!」

 ……この時、レネの動きについてこれた者がどれほどいるだろう。

「――――馬鹿か」

 平凡な村娘が、低い低い声を発する。

 本当に一瞬の出来事。

 理不尽な疑いをかけられても真上面から反論し、人の好さそうな顔で苦境に耐えていた少女が、フレッドの姉との間合いを一瞬で詰め、乱暴に胸ぐらを掴み上げていた。

 街の者達には――それどころか、勇者一行のフルールやヴェルヌですら肉眼で追えなかった速度。

 レネの静かな、けれど圧倒的な怒りが辺り一帯に満ちる。

「勝手に歓迎しておきながら、期待から外れたら暴言か。浅はかな独りよがりで満足してればいいんだから、気楽な人生だな」

 小さな体から凄まじい殺気がほとばしった。

 暴言を吐いた少女は呆気なく失神する。

 レネは、彼女から手を放すと吐き捨てた。

「――クソくらえよ」

 もはやこの場の空気を征したレネに、立ちはだかる者はいなかった。




 一網打尽にされていく商会の長や、盗賊団の首領の妻。失神したままの娘。

 誰が主犯なのかは、調べを進めてみないことには分からない。

 けれど今度こそ盗賊団は壊滅するだろうし、商会にいたっては取り潰しとなるだろう。勇者一行をも巻き込んで、それだけのことを仕出かしたのだ。

 大人達に交じる小さな背中を見つけて、レネは思わず駆け寄った。

「……フレッド君」

 声をかけてから気付く。

 この名前も偽りかもしれない。陥れる相手に本名を明かす間抜けはいないし、今にして思えば、名前を訊ねた時も答えるまでに僅かな間があった。

 狼狽えるレネに、少年は小さく笑った。

「あんた、本当に強かったんだね。何か人間離れした速さだったよ」

 父親が捕縛された詳細を聞かされても、まだ半信半疑だったらしい。

 とはいえ、怒りに任せて失神させてしまったのはよくなかった。レネは慌てて謝罪する。

「あの、君にとっては家族なのに、ごめん」

「自分の方がひどいことされたのに、何謝ってんの? 本当にカモだね」

 憲兵は少年に、罪を自供したため減刑の可能性があると説明していた。

けれど彼はそれに首を振り、家族と同等の処罰を申し入れていた。

 今さらになって、迷子だと思っていた少年との会話が甦る。

 とっくに傷だらけ。割り切れるようになるまで、どれくらい場数を踏んできたと。

 盗賊団の首領の息子として、きっと想像もできない壮絶な人生を歩んできたのだろう。

 そんな彼に何が言えるというのか。

「あんたって、本当に変わってる。……俺にさ、絶対に断ち切ってやるって覚悟があれば、とっくにこんな人生から抜け出せてたんだよ。惰性で生きてたから悪事に加担し続ける羽目になった。さっきも言ったけど、これも当然の報いってやつ」

「……家族を、簡単に断ち切れなかっただけだよ」

 子どもが親の罪をいさめるのは難しい。

 一緒にいても泥沼に引きずり込まれるだけだと分かっていながら逃げなかったのは、家族を見捨てられなかったからではないだろうか。

 ナイフを振り上げた母親を咄嗟に止めようとしていたのは、レネを守るためじゃなく、これ以上彼女の罪が重くなるのを防ぐため。

 彼の姉だって、怒りを露わにするクラウスから母親を守っていた。

 彼らは人の幸せを奪いながら生きていたのかもしれない。けれど確かに、家族としての絆があったのだと思う。

「ごめん……私が、フレッド君……君の、家族をバラバラにしたね……」

 第三者ならレネの行いを正義と称賛するだろうが、少年にとっては違う。彼には彼だけの真実が存在している。

 レネは家族を引き離した。彼なりに必死に繋ぎ止めていたはずなのに。

 俯いたままぽつぽつ喋るレネの頬に、少年の手が触れた。

「……ルネル村、だっけ」

 そっと顔を持ち上げられ、至近距離で目が合う。

 少年の表情はどこか穏やかだった。

「俺がもし出自を跳ね除けて、立派な人ってやつになったら……あんたを見返しに行くよ。それなりの復讐になるだろ?」

 刻み込むような笑みを残して、彼の温もりがそっと離れていく。

 少年はもうレネを振り返らなかった。

 ……彼の復讐が、もしいつか叶ったら。

 その時は、今度こそ本当の名前を聞きたい。







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