事件は待ってくれない
しかもこういう時に限って、厄介ごとというのは立て続けに起こるのだ。
レネは店を出てすぐにでもこじらせ厄介勇者をひっ捕まえるつもりだったのだが、鋭い敵意を感じて、まずはそちらを確認した。
敵意の正体は予想通り、顔役の通達を聞いても勇者一行の追っかけをやめない者達だ。
通りの向こう側にそれなりの人数がいて、ここまでくると屋台の店主達にも迷惑かもしれない。
その中には、街に入った時からずっとついてきている少女もいた。
クラウスを強引に連れ出そうという作戦は、今は控えた方がいいと判断する。
ああいった手合いは、多勢になると思いもよらない行動に出ることがある。人望がありすぎる幼馴染みをもったレネの経験則だ。
そうして機会を窺っていると、今度はどこからかひったくりの被害を訴える声が聞こえてきた。副騎士団長として放っておけなかったセーヴィンが、「すぐに戻る」と言い置いて離脱していく。
次は喫茶店で甘いものを食べようという話になっていたのだが、その場を離れない方が賢明だろうということで、レネ達はしばらく露店を冷やかして待機していた。
すると今度は商人がやって来て、フルールに声をかけた。
恐れ多くもと前口上をしながらも、王室御用達の品を扱っていると自尊心を垣間見せる。フルールは真贋を確認する必要があると、セーヴィンに続いての離脱を表明した。
確認のためには魔法使いが必要なのだという。
王室御用達の品には魔力を帯びた印が押されており、鑑定魔法というものを使えばすぐに真偽がはっきりするという。
そういった理由から、ヴェルヌもやんわりと強引に連れて行かれた。
あっという間に望んでいた二人きりだが、逆に誰かの策略のようで不安になる。
まるでぽろぽろと、櫛の歯が欠けていくよう。
何とも言えない違和感はありつつも、レネは横目でクラウスを盗み見た。
彼は勇者らしく振る舞っているのか、それともレネと話したくないのか、決して目を合わせようとはせず木彫りの面を手に取ったりしている。欲しいと言ったら正気を疑うような笑う老人の意匠で、色彩もまがまがしい。
クラウスは横顔のまま笑った。
「どこかの国の災い除けなんだって。父と母へのお土産に買って帰ろうかな」
「……それは嫌がらせと思われるわよ」
レネも彼に顔を向けずに言葉を返す。
雑踏の賑わいがやけに大きく聞こえた。
レネ達の一挙手一投足を観察している迷惑な者達もいるので、いっそこのまま会話をする方が都合もいいだろう。
老人の面と対になった、歯を剥き出しにして怒る女性の面を眺めながら、レネは続けた。
「あんた今、かんしゃく起こした子どもみたいよ」
「それなりに自覚はあるから、こうして表面だけでも取り繕ってる」
「取り繕えてないから言ってるんだけど」
「取り繕えてるのに、レネだから見抜いちゃってるだけでしょ」
「ほーう。だから私が悪いって?」
不満げな減らず口といい、彼は喧嘩を売っているのか。今にも溢れそうな怒りをギリギリのところで抑え、何とか引きつりつつも笑顔で振り返る。
クラウスは、思いのほか静かな横顔をしていた。
「違う。そういう君だから特別で……厄介なんだ」
レネは意表を突かれて目を丸くした。
まさか、彼の方も厄介と思っていたとは。
「私が? あんたに比べたら平凡もいいところよ、色んな意味で」
「そうやって自分のこと平凡だと思ってるところも、本当は結構厄介だよ。レネって普通じゃないからね、色んな意味で」
やはりクラウスは喧嘩を売っているようだ。
そろそろ目が据わっている頃だろうと懸念し、レネは丹念に顔の筋肉を揉みほぐす。
彼はしばらく黙り込んだあと、引き結んだ唇の隙間から声を押し出した。
「こんな子、どこにもいない。特別だって自覚してほしい。……けど、知らないままでいてほしいとも思うんだ。他の誰にも気付かれたくない。本当は、あいつらにだって」
子どものように拙く紡がれていく思いを、レネは言葉をなくして聞いた。
あいつらとは勇者一行のことだろう。
彼の思いも知らず出会えてよかったなどと告げたのは、配慮に欠けていたかもしれない。言ってくれなきゃ分かるはずもないが。
けれどそこで、レネはふと疑問に突き当たった。
それならばなぜ彼は帰ってきたのだろう。
散々嫌がって駄々をこねて、それでも勇者の役目を全うするため、クラウスはルネル村を旅立ったのだ。村にいても、勇者の紋章に偽りなしと王家に認められたこと、聖剣に選ばれたことも伝わってきた。実力十分ということですぐに旅に出たことも。
レネは彼の活躍を聞くたび、安堵していたのだ。
あれほど嫌がっていても、クラウスは勇者の役割をきちんと果たそうとしている。魔王を討伐し世界を救うために動いていると。
三ヶ月で彼が帰ってきた時、もちろん驚いたけれど違和感もあった。
レネのいない生活に耐えられなかった。
いかにもクラウスが言いそうなことではあるけれど……三ヶ月我慢したのに?
全て納得した上で旅に出たはずだし、中途半端に責任を投げ出すような性格じゃない。まして、世界の命運がかかっているのだ。
むしろ、意図的に仲間が追いかけてくるよう仕向けたという方がしっくりくる――……。
考え込んでいると、二人の間に突然誰かが割り込んできた。
手入れの行き届いた亜麻色の髪が美しい、整った顔立ちの少女。
レネを睨むきつい表情を覚えている。ずっと敵意を向けてきていた、あの少女だ。彼女は大胆にもクラウスの腕にしがみついた。
「勇者様ぁ、お仲間の方達がいなくって、お暇じゃありません? よろしければ私がこの街を案内いたしましょうか?」
媚びを含んでいても、可愛いものは可愛い。
レネは他人事のように心の中で頷いた。
馴れ馴れしい態度に不愉快を示そうとしたのはクラウスだ。
けれどレネはそれを視線で制止する。せっかく今まで勇者らしく対応し問題を起こさないで来たのだから、最後までやり抜いた方がいい。
すると先を争うように他の者達も、一気にクラウスに群がった。
「あのっ、それなら私の方が絶対適任です! 静かに海を眺められる穴場を知ってるので……」
「ひと気のないところに案内して何しようって魂胆!? 勇者様、どうか私の実家の料理店に来てくださいませ。王都で腕を振るっていた料理人が作り出す最高のお食事を、ぜひ勇者様に味わっていただきたく存じますわ!」
「何よ上品ぶっちゃって、実家の農家直営の料理店ならさぞかし野菜も新鮮でしょうね!」
「ちょっ……農家の何がいけないわけ!? そっちだって何よ、漁師の娘じゃない! 普段は親父さんと汗だくになって網引いてるくせに、そんな可愛い格好しちゃってさ!」
「親父さんって言ってる時点でもう露骨にお育ちが出てますわね!」
ものすごい熱気に圧され、レネは人だかりの外に放り出されてしまった。
火花を散らす人の群れの中心にいる、クラウスと目が合う。
彼が一瞬見せた表情は複雑なものだった。
周囲の無遠慮さに苛立っているような、レネを心配するような。
それでいてどこか苦しげでもあり、気まずげでもあり、傷付いているようでもあった。親に置いて行かれた子どもの、泣き出す寸前の表情にも見える。
その複雑さは、まるでクラウス自身を体現しているかのようだった。
多様な面が見せる彼の強さ、脆さ。
それら全てを一瞬で消し去って、クラウスは勇者らしい顔で対応していく。
端に寄って邪魔にならないよう見守っていたレネは、ふと向こうに、不安そうな子どもを見つけた。
迷子だろうか。周囲に少年を気にする者はなく、彼は今にも泣きだしそうだ。
ちらりとクラウスを確認すれば、なかなか手こずっているようだった。抜け出すのに時間がかかるだろうと結論づける。
レネは身振りで少し離れることを伝えると、迷子らしき少年の下へ駆け出した。