村人達との関係
「あっ、やっぱりクラウスだ!」
「久しぶりじゃのう、元気な顔をよく見せとくれ」
「お前帰ってくんの早くね?」
「やだー、ちょっと見ない間にまた格好よくなったんじゃない?」
「都会に行って洗練された感じー」
ルネル村において、クラウスの変態ぶりはよく知られたものだ。
しかし、変態とはいえ勇者。そして村で育った可愛い子ども。
三ヶ月ぶりに帰ってきたクラウスを、村中の人々が手放しで歓迎した。
たくさんの村人に囲まれもてはやされる幼馴染みを、レネは遠巻きに見つめる。
――分かるけどね……変態ぶりにさえ目をつぶれば、穏やか好青年だもんね……。
その被害を一身に受けるレネとしては釈然としないものがあるけれど、鑑賞に値する端整さは認めざるを得ない。
ちやほやする人の輪の中には、同年代の娘達も混じっていた。
狭い村内のことなので当然彼女達も顔見知りだが、夫や子どもは放っておいていいのかと言いたい。まぁ、老若男女が仕事を放り出して駆け付けているところではあるけれど。
腕を組んでむくれているレネに、クラウスと同じく幼馴染みである友人二人が近付いてきた。
「レネ、おかえりー。アカネの森からかすり傷一つなく帰るなんてさすがねー」
「クラウスが帰ってるっぽいから、大丈夫だろうとは思ってたけどさ」
ソニアとアンはそれぞれ十八歳と十七歳で、二人共既婚者だ。
この村は、結婚適齢期というものが早い。
独身主義で仕事に打ち込む女性が少しずつ増えているという話は聞くが、それは都会に限ったこと。王都から遠く離れた人口の少ない閉鎖的な村においては、十六歳にもなって婚約者もいないレネの方が圧倒的に少数派なのだ。
変わり者だと眉をひそめたり、白い目で見たりするような村人がいないことだけが救いだ。これも、勇者に付きまとわれているという特殊性ゆえだとしたら、素直に喜べないが。
明言しておくが、レネとクラウスは断じて恋愛関係にない。恋仲だったという過去もなければ、『好き』だと言われたこともなかった。
好意を明確に伝えられてもいないのに、変態じみた発言をする時だけはやたらと饒舌になるのだから、ついこちらも手が出てしまうというものだ。
浮かれ騒ぐ村人が、今から宴会だと笑っている。
あの天災に等しい付きまとい行為を味わったことがないから、帰還を素直に喜べるのだ。
「……この、勇者への忖度があからさまな感じが、すんごく嫌」
ぼやくレネに笑ったのは、おっとりしつつも二歳児を片手で軽々と抱えるソニアだった。
「当然の反応だと思うわよ。どれほど変態だろうと勇者だもの」
「変態なのに?」
「変態なのに」
変態と断言することに躊躇いがないあたり、やはりソニアは強い。
クラウスともよく一緒に遊んだ気安さからかもしれないが、あくまでにこやかなのに声だけがやけに低かった。
三人の中では一番さっぱりとした気質のアンが、レネを肘で小突いた。
「みんながあんな嬉しそうにしてるのは、勇者だからじゃないってことくらい、あんただって分かってるでしょ。忖度ってより、村の名物じれじれカップルをにやにや見守ってるんだって」
「なっ!?」
カップルじゃない。カップルって何だ。
しかもじれじれって、くっつくのは時間の問題みたいな表現じゃないか。
レネは頬に熱が集まるのを感じた。
村の誰一人として結婚を急かさないことに、そんな生温かい理由があったとは。
親友二人の手が、硬直するレネの両肩を叩く。
「それに何だかんだ言っても、あなたの元気な声、久しぶりに聞いたわよ」
「生まれた時から一緒にいたし、三か月も離れてるのはレネだって寂しかったんじゃん?」
ごく身近なところからも、生温かい眼差しが注がれはじめた。
居たたまれなくなったレネは、さらに顔を赤くしながら否定する。
「べっ、別にクラウスに会えて喜んでるとかじゃないから! あいつがいない間に婚活しようと隣街まで行ったりしてるし……!」
「――婚活?」
ひんやりした声が、背後からレネを襲った。
恨みを抱えたまま死んだ怨霊より粘着質でありながら、絶対的強者の覇気をまとう声。
振り返らなくても分かる。クラウスだ。
ほとんど闇落ちしている勇者の迫力に、親友二人がさっと離れていく。さすがの付き合いの長さで回避の間合いを熟知している。
ほんの僅か見ない間にげっそりと痩せこけた風情のクラウスが、震えながらか細い声を出す。当然目からも光が失われていた。
「僕というものがありながら……もうこの身も心も、レネのものなのに……」
彼の言葉を受け、ソニアとアンからたった今聞かされた村人達の見守り体制について、嫌でも思い出してしまう。
このやり取りすら痴話喧嘩と解釈されるのだろうと思えば、レネの全身が燃えるように熱くなった。
羞恥もあるが、これには怒りの方が大きい。
よく考えなくても、村公認カップルみたいな扱いの原因はこれだ。
レネは両手でクラウスの顔をがっしり鷲掴み、逃げられないよう固定する。
いつもの変態ぶりはどこへやら、彼はなぜか頬を染めて恥じらい出した。
「えっ、何なに? 君からのキスなんて嬉しいに決まってるけど、ちょっと挟む力が強すぎない? 面白い顔になっていたら雰囲気が台無しだから、少し緩めてもらって……」
「誤解を招く言い方をするなーー!!」
もちろん最後まで言わせない。
レネは腕力だけでクラウスの全体重を持ち上げると、えび反りの体勢をとった。首を固定されたままのクラウスは、振り子のように勢いがついた状態で頭から地面に刺さる。
ドッガンッッッ
地獄落とし。
普通ならば技をかけられた相手が地面に刺さることはないし、無事で済むはずもない。
けれどレネは立ち上がると、振り返ることなく歩いていく。
蜘蛛の巣状にひび割れる乾いた地面、激しい戦闘を物語る土煙。腕の動きでかろうじて生きていることが分かる、刺さりっぱなしの勇者。
のしのしと歩き去る勇者の幼馴染み様に、声をかけられる者は誰一人いなかった。
……それほどの強者でも、敵わない相手はいる。
「もうっ。地面を抉ってクラウス君を生き埋めにした犯人がレネちゃんって聞いた時、私恥ずかしくてミルクを値切るのも忘れちゃったんだから!」
レネは夕食の間中ずっと続く、母親の小言に辟易としていた。
昼の騒ぎもいずれ母の耳に入るだろうとは予想していたが、思った以上に早い。それもこれも、クラウスの話題で村が持ちきりのせいだ。
「生き埋めとか犯人とか、話が大げさになってるだけでしょ……」
「少しの尾ひれもない事実じゃない! クラウス君ほど体を鍛えてる子だからこそ、救出されるまでの長い時間を三点倒立で耐えられるんだからね!」
「三点倒立も面白いけど、まずは窒息しなかったことに驚きよ……」
父も久しぶりにクラウスが帰還したことを喜んでいるが、やはり母の方がより熱い。昔から一途な溺愛に弱く、全面的にクラウス推しなのだ。
あれはただの変態で全て犯罪行為なのだと訴えても、母の脳内では全てがロマンチックな妄想に変換されてしまう。
とはいえ、武力行使をしたのは事実だし、こうなっては旗色が悪い。
存在感を消している父からの援護も望めないようなので、レネは夕食の最後の一口を頬張ってから自室に避難することにした。
「ごちそうさまでしたっ」
「あっ、コラ! 次にクラウス君に会った時、『ごめんねツンデレのツンがひどすぎたね☆』って、ちゃんと可愛く謝るのよー!?」
慌てて逃げ去る背中に、さらなる追撃。
レネは疲れきってため息を落とす。
突然クラウスが帰ってきたせいで今日は疲れているのに、親すら気遣ってくれない。
「味方が一人もいない。これも勇者への忖度ってやつかしら……?」
「僕は永遠に君だけの味方だよ」
ドアを開けながらの独り言に、まさか返事があるとは思わなかった。
レネは自分の目を疑った。
見慣れた自室にクラウスがいる。しかもベッドに寝転び、すっかりくつろいだ様子で。
「何で……ていうかどうやって潜り込んで!?」
「おばさんにはいつもお世話になってます」
「あの人は……!」
手引きをした犯人なんて考えるまでもなかった。
思わず天を仰ぐレネに、クラウスは上目遣いをしながら小首を傾げた。
「久しぶりにレネに会えたから嬉しくて……子どもの時みたいに、一緒に寝よ?」
あざといおねだり攻撃が繰り出され、レネは少し赤くなる。
だが、お見通しなのだ。
「……って、どうせ上掛けの下で全裸なんでしょうがこのド変態ーー!!」
「ありがとうございますぅぅ!!」
上掛けを剥がさずとも、的確に鳩尾を抉る肘打ち。クラウスは血しぶきを吐き散らしつつも、終始ご満悦だった。
底板の抜けたベッドを修理するクラウスを、厳しく監視するレネだったが……物音で駆け付けた母親に懇々と説教をされたのは、言うまでもない。