お昼ごはん
色々あって疲れたけれど、ようやくレネが楽しみにしていた時間がやって来た。
ついに昼食。
市で遊ぶと決まった日から行こうと思っていた食事店に、勇者一行を案内する。
新鮮な魚介を気軽に楽しめる屋台もいいが、味わい尽くすためには食事店にも行っておきたかった。ルネル村には海がないからこそ、ここぞとばかりに食いだめをしておこうというレネの決意は固い。
案内された席に着き、メニューを受け取る前に注文を済ませる。何度か来店したことがあるので、彼らに食べてもらいたい料理も決まっていた。
「僕のこと食に執着してるっていうけど、レネも相当だよねぇ」
ヴェルヌのからかいを、レネは鼻で笑って退ける。彼は、この執着が何を対象にしたものなのか知らないのだ。
レネは深刻な顔でテーブルに両肘をつく。
「執着してますとも……米にね!」
かっと目を見開けば、フルールが迫力に負けて少々びくついた。
「米というと……あのお米? ブドウの葉で包んで蒸したりする?」
「そうですよね、王宮でも出ますよね。パンが主食とはいえ、たまに食べたくなりますし」
レネはこぶしを握り締め、苦しみを吐いた。
「うちは実家がパン屋だから、米がほとんど食卓に上がらないんです。パスタもオートミールも何もない、選択肢はただパンのみ!」
パンは大好きだし、実家のパン屋を誇りにも思っている。
それでも毎日パンばかり食べていると、時々無性に違うものが食べたくなる。しかも小麦や大麦を原料としない、全く別の穀物を。
クラウスが、なぜか心苦しそうに口を開く。
「ごめんね、レネ。僕は君の家に婿入りするから、毎日米を食べさせてあげるなんて、簡単に約束してあげられないんだ……」
「何から怒ればいいのか分からないからとりあえず黙ってくれる?」
求婚どころか付き合ってもいないのに婿入りとか聞きたくない。嬉々として受け入れる母があっさり想像できる分、余計に。
「それに、これももう職業病というのか、どうしたって他の店のパンが気になってしまうんですよね。料理店で出されたパンのおいしさに一喜一憂していると、疲れちゃって……」
純粋に食事に集中できるといった意味でも、レネは米が大好物なのだ。
訴えを聞いていたセーヴィンが、気遣いののった笑みを浮かべた。
「そ、そうか。つまりこれから出てくるのは、米の料理なのだな」
「その通りです!」
レネは前のめりになって頷いた。
先ほどから店内には、食欲をそそるニンニクの匂いが漂っている。
まずは白ワインと、スライスされたパンとディップソースが供される。
「ちょっと時間がかかる料理なので、先に乾杯しちゃいましょうか」
「レネさん、飲めるの?」
「村では飲みませんが、今日はせっかくですから」
みんなで乾杯をすれば、自然に笑顔になった。
パンが嫌いなわけではないので、付け合わせとして運ばれてきたものをおいしくいただく。ディップソースはオリーブオイル、アンチョビ、トマトの三種類だった。
久しぶりに酒を口にしたせいか、すぐにふわふわとした心地になる。
フルールとセーヴィンは白ワインの端麗な味わいを褒め、水のように飲むヴェルヌを注意している。怒ったり呆れたりしているのに、口許には絶えず笑みがあった。
「……いい天気で、おいしいものがあって、みんながいて。何かすごく幸せだなぁ」
楽しそうな彼らを眺め、レネは微笑んだ。
当初はどうなることかと思ったが、友人になれてよかったと心から思う。フルール達からすれば予期せぬ道草だし、喜ばしいことではないかもしれないけれど。
こればかりは、出会うきっかけをくれたクラウスに感謝してもいいかもしれない。
今日は珍しいことの大盤振る舞いだ。
レネはクラウスに、普段なら決して見せない満面の笑みを向けた。
「みんなにはこんなこと言えないけど、クラウスのおかげね。あんたが馬鹿みたいに変態じゃなきゃ、きっと一生出会うことすらなかった人達だもん」
虚を突かれたクラウスから、表情が抜け落ちる。
彼が動揺をあらわにするのも極めてまれで、いつものそつのない笑顔が返ってくるとばかり思っていたレネは目を瞬かせた。
「どうしたのよ?」
「……感謝なんてしないで、レネ」
彼も酔っているのだろうか、目が潤んでいるように見える。
そのせいでくっきりと澄んだ青色の瞳が、いつもより深い色を帯びていた。
「クラウス……?」
問いかけようとした時、折り悪く食事が運ばれてきた。フルール達の意識がそちらに集中する。
クラウスもまた目を逸らしてしまったために、レネはそれ以上追及することができなくなった。待ち遠しかった料理なのに少し恨めしく思う。
テーブルの中央にでんと置かれたのは、大きくて平たい造りの鍋だ。
有頭エビにイカ、ムール貝などこれでもかと載せられた魚介だけでなく、鳥のもも肉、パプリカ、玉ねぎなども彩りを添えている。
そして何よりの特徴は、具材の下に敷き詰められたほかほかの米。魚介の旨みをたっぷりと吸い込んだ、鮮やかな黄色のサフランライスだ。
「これは……わたくし、初めて見るわ」
「トリエッテの家庭料理、パエリアです」
鍋を囲んで大人数で食べる、あくまで庶民向けの料理。新鮮な魚介を揃えることが必須でもあるし、内陸に位置する王宮で出されることはないだろう。
出来立ての内に取り分けて食べると、王都組はもれなく目を輝かせた。
喋る暇も惜しいとばかり、忙しく口に運ぶ姿を見ていると、連れてきてよかったと感じる。
レネは、ちらりと幼馴染みを窺った。
彼はもういつも通りで、口許に穏やかな笑みをたたえている。
ようやくレネもパエリアを一口。
待望の味。トマトとニンニクの風味、魚介の旨み、どれも期待していたものなのに。
飲み込もうにもほんの少し、喉につかえた。
食事を終えると、満腹になった面々が笑顔で店を出ていく。
そこに続こうとした背中を引き留める。
「――クラウス」
幼馴染みは、やけにゆっくりと振り返った。
まるで足を止めることが、ひどく億劫とでもいうかのように。
「どうしたの? レネの方から二人きりになろうとしてくれるなんて」
レネは答えない。
茶化してうやむやにしたいのだと分かるから、黙って彼を見つめた。
我慢比べに耐えられなかったのはクラウスの方。
やがて、彼の笑みが歪に引きつった。笑顔を作り損なったような、激情を懸命にこらえるような、泣きそうな顔。
「……僕は、僕のためだけに行動してるから」
クラウスの瞳は、もうレネを映さない。
彼はゆるゆると首を振った。
「いいんだ、もう。お願いだから、君は感謝なんてしないで。――こんな身勝手で卑怯で、君には相応しくない人間に……」
クラウスの背中が逃げるように店を出ていく。
急いで追いかけようと足を踏み出したレネは、彼が仲間に合流する声に立ち止まる。
厄介なことになった。
面倒でひねくれている彼は、頑なになると始末に悪いのだ。
こちらが話し合いの場を設けようとしても、しばらくはレネを避け続けるだろう。二人きりならないよう、徹底的に。
勇者の能力のせいでそれが簡単に叶ってしまうから厄介なのだ。
「言いたいことだけ言って放置とか……」
こっちの話を聞きもしないで、これだから手がかかるのだ。
レネは苛立ち紛れに髪の毛を掻き混ぜながら、大きな大きなため息をついた。