楽しもう!
トリエッテの顔役は本当に気遣いのできる人で、勇者一行の行動が制限されないよう街の人達に周知徹底してくれた。
これにより大抵の者が気遣ってくれたので、人が押し寄せて歩けない、という事態にはならなかった。呼びかけを守らない者も一定数いたが。
レネ達が移動しても、ずっとついてきている者が若干名。
その中には、街に入った時からレネに敵意をぶつけてくる者もいた。手入れの行き届いた亜麻色の髪が美しい、同年代の少女だ。
顔立ちも整っているのだが、眦をつり上げているせいできつい印象を受ける。
赤い髪の少女や金髪の女性などもいるが、他にひげを生やした男性や、恰幅のいい男性まで交じっている。今回はクラウスのみならず、フルール達もいるせいだろうか。
顔だけはしっかり覚えておいて、レネは勇者一行を振り返った。
今は気にせず楽しむことに集中しよう。
「まずはどこから行きましょうか。武器屋と雑貨屋は絶対行きたいですし、まずは一番近い武器屋から回ってみましょうか」
トリエッテは街ごと整備されているので、とても分かりやすい構造をしている。顔役など富裕層が多く区画から港までを繋ぐ大きな道があり、二週間に一度の市が立つ日には、その通り沿いに数えきれないほどの屋台や路上店が並ぶのだ。
武器屋は生活に関わる金物も広く取り扱っているので、レネも何度か足を運んだことがあった。家庭用の包丁を新調したのもその店だった。
レネの提案に、セーヴィンは気まずそうだ。
「嬉しいが、私より王女殿下のご意見を優先した方がいいだろう」
「でも、今日一日しか時間はないですし、効率よく回らないと。もし向かってる途中に雑貨屋があれば寄り道をするって感じじゃ駄目ですか?」
「駄目かと言われると……」
セーヴィンが困ったように視線を向けると、フルールは笑顔で頷いた。
「いいと思うわ。せっかくですから、今日は堅苦しく考えず楽しみましょう」
「賛成ー。ってことで、僕はあそこのいい匂いがする屋台に寄ってみたいんだけどぉ」
「ヴェルヌ殿、勝手な行動は……」
賛意を表明したヴェルヌが、早速磯焼きを扱う屋台に足を向ける。
その肩を咄嗟に掴んで引き留めたセーヴィンは、我に返って驚愕した。
「はっ、私は一体何を……今日は堅苦しく考えず楽しもうと言いつかっているのに、ヴェルヌ殿の自由な振る舞いに、つい反射的に……」
「これまでの苦労がしのばれますね……」
自由奔放な仲間をまとめ上げて旅をしなければならなかったのだ。
以前セーヴィンから聞かされた奮闘の日々を思い出し、レネは遠い目になった。戦う相手が魔物でないところがまたもの悲しい。
フルールは笑みに呆れを込めながら嘆息した。
「セーヴィン、休息なのよ。今日は使命を忘れて楽しんでいいの。責任感もいらないわ。たとえ誰がどこで問題行動を起こそうと、あなたはあなたの好きなことをなさい」
王女の一声に促されるように、セーヴィンは肩から力を抜いた。普段は引き締めている表情も、ふわりと自然な笑みになる。
「問題行動を放っておけないのはもはや性分なのですが……でも、そうですね。尻拭いのことばかり考えていても、何も楽しめませんし」
「あら。尻拭いなんて下品な言葉を、わたくしの前でいい度胸ね」
「あ、いや、すみません」
セーヴィンが頭を掻くと、フルールも冗談だったようで笑い出す。
幼馴染みとは違うけれど、彼らにも積み重ねてきた年月があるのだと分かった。主従でありながら確かな信頼が窺える。
レネ達はまず、磯焼きの屋台に寄ることにした。
港があるだけに種類も豊富で、ヴェルヌだけでなく全員が串焼きを購入する。
「お姉さん、私はエビで!」
「僕もエビとホタテとカニとサザエとー……」
「ちょっと、ヴェルヌさん! そんなに頼んだらお昼ごはんが食べれなくなりますよ!」
「誰のせいで食に目覚めちゃったと思ってるのぉ? あとハマグリ追加でー」
これは武器屋に行くまで時間がかかりそうだと判断したセーヴィンが、笑って自分の注文をした。
「もしヴェルヌ殿が食べきれなくなったら、安心して私に任せてくれればいい。では私は、タコとツブガイとウツボをいただこうか」
レネは再びぎょっとした。
「セーヴィン様!? そんなに頼んでたら、全然安心して任せられませんけど!?」
「心配いらない。朝の鍛錬をしてきたから、腹が減っていてな」
「すみません。お忙しいでしょうが、わたくしはカニをお願いいたします」
「僕はレネと同じエビを」
セーヴィンの向こう、クラウス達は我関せずで注文を通している。フルールは店主への気遣いを口にしているが、たぶん仲間達の食い意地にも気を配った方がいい。
健康的に日に焼けた女性店主は、調理の手は休めず豪快に笑っていた。
「勇者ご一行様ってのはよく食べるんだねぇ! いいじゃないか!」
焼くのに少し時間がかかるといったわりに、店主は手際よく串を用意していく。熱々のエビ串もすぐに焼き上がった。
小エビではないので、一口で食べるには難しい。レネは豪快にかぶりつくことにした。
ほくほくの身はプリッとした歯応えがあった。凝縮されたエビの甘みと旨み、磯の香りが噛むたびに溢れていく。絶妙な塩気も最高で、口の中の幸せに全神経が集中していく。
「ほっ、ほひしぃ……」
「そうだろう、うちのは穫れたて鮮度抜群だからね! 殻まで丸ごといっちゃいな!」
「は、はいっ、最高です!」
慌てて我に返ったレネは答えながら、ふとフルールに目を留めた。
彼女は頼んだカニをうまく食べられなかったようで、セーヴィンが甲斐甲斐しく脚身の殻を剥いている。レネはこっそりほんわかした。
ヴェルヌも心配をよそにぺろりと全て平らげたので、今度こそ一行は武器屋に向かった。
セーヴィンは静かに興奮しているようで、なぜかやたらと饒舌だった。
「やはり柄の装飾は、地方ごとに特色が出るな。細工が繊細なのはこの辺りの地域性だろう。トリエッテはガラス製品の一大産地である隣領ハルトーブに接しているから、職人も多く集まったに違いない。金属加工や彫金技術が優れているのは……」
熱を入れて売り込む店主とセーヴィンを遠巻きに見つめながら、レネとフルールは密かに囁き合う。
「いつものセーヴィン様じゃない……」
「セーヴィンはああ見えて、意外とこだわりが強いのよ。これは長くなりそうね」
その後、店主の息子の気遣いで休憩席と紅茶を用意してもらい、レネ達はすっかりくつろぎだしていたのだが、手持ち無沙汰に気付いたセーヴィンは慌てて店から離れた。
彼もその頃には既に数振りの剣を購入していたし、かなり待った方だと思う。
次に向かった雑貨屋では、フルールが全く同じ状態に陥った。
「あら、ガラス製品を特産品としている隣領と近いだけあって、どれも質がいいわね。これはまだ熱い内に形状を歪める独特の技法だし、ここまで鮮やかな発色のものもなかなかお目にかかれないわ。それに何よりこの繊細なカットの技術のおかげで日に透かすとまるで宝石のような輝きを……」
王室御用達の肩書きを求め圧倒的な熱量で接客する店主と、なぜかやたらと早口になっているフルールを遠巻きに見つめる。
「殿下はああ見えて、意外とこだわりが強くていらっしゃるから……」
「お二人は主従なんだなぁって、今ものすごく納得してますよ」
どこか恥ずかしそうな申し訳なさそうな表情まで一緒で、レネは半眼になって笑った。
隣で堂々と欠伸をしていたヴェルヌが、向かいにある焼きトウモロコシの店に視線を向けた。先ほどからちらちらと見ていたことをレネは知っている。
「あれ、さっきからすごくいい匂いだよねぇ。見たことない料理で気になるなぁ。僕、暇だし行ってこようかなぁ」
「ヴェルヌさん、もうすぐお昼ごはんですからね。さすがに入りませんって」
「えー。レネってば、さっきからやけに昼食に張り切ってない?」
不満そうにしながらも、ヴェルヌは静かになる。
全員、気持ちがいいほど欲望に一直線だ。
遊びに来てよかったと思う一方で、隣で忠実に大人しくしているクラウスも気になった。彼にはむしろ普段より我慢をさせてしまっている。
「……さっきから何にも主張しないけど、あんたはどこか行きたいところとかないの?」
レネにしては珍しい、幼馴染みへの気遣い。
ちらりとクラウスを窺うと、彼はとろけんばかりの笑みを返した。
「すごく嬉しいけど、僕のことは気にしないでいいよ。せっかく蹴られも殴られもせずにレネの隣にいられるんだから」
レネも、ついでにばっちり聞いていたヴェルヌも絶句した。
曇りなき眼で何を言っているのか。
というか、クラウスが変態行為をしなければいつだって平和に過ごせるのに、レネが一方的に悪いようにも取れる言い方はやめてもらいたい。うっかり健気に見える。
静まり返った空気の中、やがてヴェルヌが遠くへと視線を逃がした。
「楽しみ方は人それぞれ……」
「やめてください」
雑なまとめなど最後まで言わせない。