自衛策
ルネル村の隣にある街、トリエッテ。
当然レネは、仕入れや友人らとのお出かけを合わせれば数えきれないほど来ているけれど……今日のトリエッテはいつもと異なる賑わいを見せていた。
どこからともなく舞い散る紙吹雪に、色とりどりの花、大仰な楽団。ひしめき合う人々からの笑顔と拍手喝采。
あちこちに掲げられている立て看板には様々な文字が躍っている。『歓迎』『ようこそ、勇者一行様!』『勇者様格好いい』『王女殿下最高』『世界一美しい魔法使い様』『副騎士団長様愛してる結婚して』……などなど。
「……えぇー……?」
レネは異様すぎる盛り上がりを前に、戸惑いしかなかった。
特に理解できなかったのは、『世界一美しい魔法使い様』という文言。
恐るおそる振り返ると、月の光を紡いだような銀髪をきらめかせるヴェルヌがいた。
ローブからこぼれ落ちているのは髪だけでなく、その麗しい顔も隠しきれるものではない。そういえば中性的な美貌という設定だった。
理解の限界を超え絶句するレネに、セーヴィンが苦笑いをした。
「いや、レネ殿……これが勇者一行を迎える普通の街の対応で、逆にあっさりと受け入れたルネル村の方が珍しいのであってな……」
「おそらくルネル村の村長が気を回して、昨日の内に知らせていたのでしょうね」
小声でため息と共にこぼしたのはフルールだ。
心遣いはありがたいが、こうも歓待されては気の向くまま街を歩くわけにはいかない。
それでも余計なお世話と口が裂けても言わないあたり、さすがだ。
勇者一行に羨望と憧れの視線が集まる一方、レネに向けられるのは困惑だった。
「あれは……?」
「荷物持ちをお雇いになったとか……」
「雑用係か侍女では?」
ルネル村の中では、レネと勇者一行の付き合いは温かく見守られていたけれど、それは当たり前のことではない。
レネは冷静に周囲を観察するが、むしろフルール達の方がうまく呑み込めていないようだ。
眉をひそめる彼らに、そっと説明する。
「私のことは気にせず、そのまま笑って手を振っていてください。こういうの、クラウスの幼馴染みをしているので慣れてますから」
この街には、クラウスとも来たことがある。
あまりに特別な存在感を放つ彼とレネとでは、傍から見てもちぐはぐな組み合わせらしい。
敵意を向けられるならいい方で、面と向かって離れるべきだと言われたこともある。羨望や嫉妬から出た言葉でも、相手にとっては善意の指摘のつもりだったのだろう。
……それに怒り狂うクラウスを止めることに疲れて、この街から足が遠のいていたのだが。
勇者一行の一番後ろに回り、気配を消して進む。
そうしながらも、不穏なほど敵意をぶつけてくる者の顔はしっかり頭に入れておく。
「こういう時は、喧嘩を売ってきそうな相手を覚えておくんです。そうすれば、おかしな言いがかりをつけられないよう適切な距離がとれますから」
レネの言葉に、すぐ前を歩いていたヴェルヌがかすかに反応した。
「何そのしょうもない対策ー。僕が全員に『この先目玉焼きを焼くと必ず固焼きになっちゃう呪い』をかけとこうかぁ?」
こんなにもげんなりとした声を、果たして彼は笑顔のまま出せているのだろうか。
確かめることもできないので、レネは小声で断るしかない。
「ちょっとその呪い自体は興味あるし見てみたいけど、駄目ですよ」
「じゃあ、『エールを飲んだら必ず一口目で激しくむせる呪い』にしようかなぁ」
「どっちも面白いけど駄目ですって。というか二つ目の方は、楽しくお酒を飲んでる周囲にまでご迷惑をおかけしちゃうじゃないですか」
「それが呪いだもん。仕事の付き合いでもむせて、社会的に迷惑がられたらいいのさぁ」
ヴェルヌとのくだらないやり取りを聞いていたらしく、セーヴィンが口を挟む。
「何もできなくてすまない、レネ殿。事件性がなければ、騎士団は動かせないのだ……」
「お願いですから、団で出動するのだけはやめてくださいね」
次に声を上げたのはフルールだった。
「正面きって意見する気概もないくせに、主張だけは一人前。そもそもレネさんが相手をする必要もない方々だわ」
「こらこらお姫様、どこぞの悪役令嬢みたいになってますよ」
レネとしてはむしろ、彼らがこの喧騒の中で、どうやって会話を成立させているのかが気になる。
特にフルールは先頭を歩くクラウスのすぐ後ろにいるので、レネとは結構離れているのに。きっと可憐な微笑を浮かべたままなのだろうと、見なくても想像はつくが。
こっそり視線を上げると、一番距離のあるクラウスと目が合った。
彼は横顔で微笑み、力強く頷いた。
「心配しないで。僕はレネの言いつけ通り、騒ぎを起こさないから」
確かに乗合馬車の中で、楽しいお出かけのために人前では絶対に変態行為をしないこと、勇者らしく振る舞うことを要求した。
レネ自身はクラウスに勇者らしさを求めないと決めているが、街の人達に同じ考えを強要しようとは思わない。それで幼馴染みが批判されるのも不本意なので、仕方のない措置ではあるのだけど。
クラウスが浮かべた笑みに、街の人達が釘付けになっている。
太陽のように輝く笑みは魅力的で、まさしくレネが求めた勇者らしさを体現している。それに対する街の人達の反応も思い描いた通りなのだが……レネは彼の普段の姿を知っているから、正直不安にしかならない。
――心配しないでって言われても、心配……。
あの笑顔の下に、どのような感情を隠しているのか。完璧に取り繕っているからこそ予想ができなくて一番怖い。
誰もが不安になったのだろう、代表してフルールが忠告する。
「クラウスさん、決して騒ぎを起こしませんように。せっかくお出かけを楽しもうとしているのに、あなたの行動で台無しになりますよ」
クラウスは周囲に愛敬を振りまきながら、小さく嘆息した。
「人聞きの悪い。まだ何もしていないのに、疑ってかかられては迷惑です」
「まだ、とおっしゃられて、疑わない方がいるのでしょうか?」
「僕はレネとの約束は必ず守る。ただし……このあと勇者一行を出迎えるであろう、街の顔役の言動次第ということになりますが」
発言の意図が分からず、全員が無言で考え込む。
答えは、彼の輝かしい笑みと共にもたらされた。
「つまらない接待でレネとの楽しいお出かけを台無しにされたら……もう手加減は必要ないよね?」
クラウスが許可を求めているのはレネだ。この問いは、レネだけに向けられている。
楽しいお出かけ。そうだ、そのために人前では絶対に変態行為をしないこと、勇者らしく振る舞うことを要求したのだ。
もしも第三者によって楽しいお出かけをふいにされたら……この男は間違いなく実行する。世にも恐ろしい何かを。
悟った瞬間、ぶわっと冷や汗が噴き出した。
レネの脳裏に、もっときちんと言って聞かせるべきだったという後悔がよぎる。いや、そもそも無理やり抜け道を掻い潜ってまで街を滅ぼそうとしないでほしいところだが。
勇者一行の意識が、自分に集中しているのが分かった。平和的解決を望む者達が、固唾を呑んで見守っている。
次の一言で運命が決まる。
レネはごくりと喉を鳴らした。
「私は……たとえ接待をされたとしても、一緒なら楽しいと思うよ」
クラウスと、と明言しなかったのは、レネの最後の意地だった。
けれどそれだけで十分だったようだ。
クラウスの笑顔がさらに目映さを増していく。もはや光源の域だった。
「――レネがそう思ってくれるなら、嬉しい」
「う、うん……」
幼馴染みが珍しく無邪気に笑うから、レネはつられて頷いていた。
今の発言が本音だったのか建前だったのか、もはや自分でも分からなくなっていた。
ちなみに、街を案内するという顔役のご厚意からの申し出は、『視察も兼ねて普段の様子を見たい』とフルールが固辞したことで回避された。
こうして完全に、トリエッテの平和は守られた。
本当によかった。