みんなでお出かけ!
レネは珍しく、乗合馬車に揺られていた。
乗合馬車といっても隣街で市が立つ日だけ稼働するルネル村所有のもので、狭いし老朽化も著しい。
普段は村人しか乗らないため気にしたこともなかったが、板敷きなので腰もお尻も痛くなる。
なぜ急に気になりだしたのかというと、もちろん王都からの賓客も同乗しているからだ。
村人総出で掻き集めたクッションにほとんど埋もれかけているのは、このクローディアヌス王国の第三王女フルール。さらに副騎士団長様と、筆頭魔法使い殿、ついでに勇者様も乗り合わせている。
ちなみに馬車の運転はなぜかデュカスが泣きながら引き受けていた。本当になぜだろうか。
隣街の市へ行こうと提案したのは三日前のこと。
レネはグラグラ揺れる車窓から、ピカピカ明るい青空を見上げながら、その時のことを思い返した。
『市は二週間に一度開催されるんです。これを逃すとまた先になっちゃうから、行ってみませんか?』
パン屋の店先にたむろしていた勇者一行が、聞こえているのか分からない顔でレネを見上げる。
ずいぶんと手持ち無沙汰に見えるのは気のせいじゃないはずだ。
最近の勇者一行は、この村での休息を前向きに楽しんでいるように見える。
魔王討伐という重い使命。束の間でも肩の力を抜けるのなら、彼らにとってもいいことだろうと思うのだが……いかんせんルネル村はのどかすぎた。
パン屋も一つしかなければ、宿屋も雑貨屋も喫茶店も一つしかない。しかも農業が主な収入源であるため、見どころもほとんどなかった。あえていうなら、畑がどこまでも広がっていく田舎の平野部ならではの開放感が見どころだろうか。
用もないのにパン屋に遊びに来る彼らを見ている内に、レネはどんどん居たたまれなくなっていった。何とかして楽しませてあげたい。
『珍しいものとか、この村では手に入らないものとか、きっとありますよ』
この村にはない武器屋があるはずだと言えば、セーヴィンは乗り気になった。
ガラス工芸が盛んな隣領と接しているだけあり、扱う店も多いと言えば、フルールが目を輝かせた。
『他にどんな見どころがあるのぉ? 人体解剖の見世物とか、この村にはない歓楽街とかぁ?』
物騒なことを言い出すヴェルヌには口にパンを突っ込み、この村に出回っている畜産品や魚の干物は全部隣街から仕入れたものだと説明する。
他にもルネル村にない食材があるはずだと囁けば、最近食い意地の出てきた彼は誘惑に屈した。
クラウスは言わずもがな、いつもの輝かんばかりの笑顔で『レネの側を離れるつもりはない』と豪語したので、晴れて隣街行きが決定したのだった。
楽しんでもらえたら嬉しいが、心配ごともある。
お忍びで行ったとしても、勇者一行など目立つに決まっている。
変装をすることも考えたのだが、ばれた時に厄介なので却下となった。なぜ正体を隠す必要があったのかといらぬ詮索をされるのは、レネとしても本意ではない。
つまり、彼らは彼らとして街の人達に歓迎される必要があるのだ。
フルールは公私をきっちり分けているし、セーヴィンは普段から温和で誠実なので全く問題ない。問題なのは、自由すぎる残りの二人だ。
「ねぇクラウス、隣街にも歓楽街くらいあるんでしょ? 娼館だって何種類かは欲しいよねぇ。女性とか男性とかだけじゃなく、痛いのが好きな人向けとか設定になりきるのが好きな人向けとかさぁ」
「レネ以外に性欲が湧かないから知らない」
「じゃあ、レネになりきってもらうのはどう? 意外と倒錯的ではまるかもよぉ」
「口調や仕草や体臭や蹴りの威力まで再現できるのか? 不可能だからこそ、レネは唯一無二なんだ」
「――いかにも格好いいこと言ってるみたいにどや顔するなぁーーーー!!」
普段なら体ごと吹き飛ばす突きを繰り出すところだが、老朽化した馬車の中ということで威力は最小限に抑えてある。
せっかくの攻撃も無傷で笑うクラウスを見ていると腹立たしくなってきた。
「あらかじめ言っておくけど、楽しいお出かけのために人前では絶対に変態行為に走らないでよね! 街の人達の心の平穏のためにも、勇者らしく振る舞うこと!」
次にレネは、だらけて背もたれに伸びきるヴェルヌと向き合った。
「ヴェルヌさんも、下ネタは封印してください!」
「娼館は下ネタじゃないよぉ。行ったことないって男の方が逆に少ないと思うしぃ」
「行きたいなら単独行動でも何でもどうぞお好きに。私は止めません」
「あぁ、急にそんな他人行儀にならないでよぉ。寂しいでしょー」
真顔になって返す隣で、クラウスが物騒な気配をまとって身を乗り出す。
「他人だ。あんたとレネは紛うことなく他人。他人以外の何ものでもない」
「それをいったらクラウスだって明確な定義のない関係じゃない? レネには他にも幼馴染みがいるんでしょ? 村の中の同年代は家が近所なら大体幼馴染み。それってその他大勢と何が違うのぉ?」
「フッ、くだらないな。レネと僕は心も体も深い絆で結ばれているから他の幼馴染みとは一線を画しているといっても過言では……」
「――過言だよ!!」
再びクラウスに威力を弱めたこぶしをお見舞いしてから、席に戻る。
レネはそこでふと、ヴェルヌに言った通りだと気付いた。よく考えれば本当に、団体行動をする理由などないのだ。
クラウスもヴェルヌも問題行動は多いが、小さな子どもではないのだから引率などいらない。落ち合う場所と時間さえ決まっていれば、誰がどこで何をしていようと自由だ。
セーヴィンだって好きなだけ武器屋を回ってもいい。フルールにいたっては街の顔役が直々に名所を案内するかもしれない。
当然みんなで遊べると思っていたレネの方こそ、子どもっぽいではないか。
恥ずかしくて顔を上げられずにいると、頭にクッションを押し付けられる。ささやかな衝撃は、向かいの席に座るフルールの仕業だ。
レネの羞恥などお見通しとばかり、彼女は花のような笑みを浮かべている。
「わたくしは、常にあなたの側にいますからね」
「……そんな、クラウスみたいな」
力なく憎まれ口を返すも、フルールの微笑は崩れない。むしろいつもより機嫌がよさそうに見える。
「よく考えたら、幼稚な提案だったかもしれません。私、みなさんに楽しんでもらいたいと、それしか考えてなかったです。村人には珍しくても、地方の街にあるものなんて王都でも見られるのに」
「レネさんと一緒というだけで、わたくしには十分楽しいのよ」
あやすような声音につられ、レネの落ち込んだ気分も晴れていく。やはり治癒師だからか、彼女の笑みには人を安らがせる力があるのかもしれない。
揺れる馬車の中、フルールの伸ばした手がレネに触れた。
「慰めるために言っているわけではないのよ。本当に楽しみなの。だってクラウスさんもヴェルヌさんもいないのなら、あなたを独り占めできるもの」
「フルールさん……」
「……いや、私もいるのですが……」
すっかり存在感をなくしていたセーヴィンの呟きも耳に入らず、レネとフルールは互いをじっと見つめ合う。
そこに割り込んできたのは、いつものごとく光を失った目のクラウスだ。
「レネの側を離れるつもりはないと宣言した僕の前で、よくも堂々と……」
フルールは全く気圧されることなく、腕を組みながら言い返す。
「あら、失礼いたしました。レネさんを放っているから、ヴェルヌさんを構っている方が楽しいのかしらと、てっきり」
「てっきり? 事あるごとにレネと二人きりになろうとしてますよね?」
「友人と二人で遊ぶことは、そこまで神経を尖らせるほど悪いことなのかしら? あまりレネさんを困らせるようなら、わたくしにも考えがあります」
「へぇ……」
どんどん険悪になっていく空気に、レネは引いていた。よくぞここまで真剣に、ただの村人を取り合えるものだ。
彼らは一度冷静になって自分達の言動を顧みた方がいい。論争の中心にいるレネですら、意味の分からなさに止める気が起こらないのだから。
「――ちょっとぉ、レネ。僕だってさっきのやつ、全部冗談に決まってるからねー? 何のために一緒に来たと思ってるのさぁ」
そっと目を逸らしていると、視界を占領するようにヴェルヌが顔を寄せてきた。
子どものようにむくれているが、勇者と王女の諍いから現実逃避したいというレネの切実な願望に気付いてのことだろう。
彼らしく屈折した気遣いに思わず噴き出した。
「……嬉しいです。私も、みんなで一緒に遊べたらいいなって、楽しみにしてたから」
レネは、心底楽しそうな笑み浮かべた。
この時ばかりはクラウスとフルールも言い合いをやめ、笑顔を返す。
セーヴィンが総括をするように深く頷いた。
「うむ、青春だな」
したり顔をする彼以外が、すんと真顔になった。
予想外の反応に、セーヴィンが驚き狼狽える。
「なっ、なぜだ!?」
「今、初めてセーヴィン様のこと、おじさんだなって実感しました……」
「なぜだ!?」
相変わらず、隣街に向かう道中も大騒ぎ。
レネは終始笑っていた。
お尻の痛くなる乗合馬車を、こんなに楽しく感じるのは初めてだった。