高まる尊敬①
ルネル村の早朝。
まだ朝もやが立ち込めている時間帯に、セーヴィンの一日ははじまる。
今は最後の休息ということになっているが、鍛錬を欠かすわけにはいかない。
セーヴィンは勇者一行の一員ではあるが、王族の護衛という任も帯びている。こうして体を鍛えるのは仕事であり、義務でもあった。
日課となった素振りから、締めの瞑想まで。いつも通りこなしていけば、すっかり日が昇っていた。
鍛錬を終えると、セーヴィンはフルールが滞在している村長宅へと向かう。
けれどその途中で見かけた背中に、少し考えてから進路を変更することにした。
「――レネ殿」
呼びかけると、籠を両脇に抱えて歩いていた少女が振り返る。彼女はすぐに笑顔になった。
「セーヴィン様、こんにちは」
「こんにちは。今は何をしているところだ?」
「暇じゃないですよ! 私はこれっぽっちも暇じゃないですからね!」
まだ何も言っていないのに、レネが強調するように牽制した。
暇じゃないのは本当らしく、今は足の悪い老人の家にパンを届けた帰りだという。セーヴィンはさりげなく籠を一つ預かった。
レネはそれでも疑心暗鬼になってこちらの挙動を窺っている。
これほど警戒されているのは、先日彼女に手合わせをお願いしたせいだった。
レネは強い。
副騎士団長として、武を極める者として、ぜひ試合をしてみたいのだが、今のところ丁重に断られてばかりだ。
「パンの配達が終わったなら……」
「両親が店を空けるので私は店番をする予定です。というか私はただの村娘ですから。副騎士団長様にコテンパンにされるのが分かりきってますから」
具体的な言葉は出していないのに、再びすかさず断られる。さすがだ。
レネは強い上に謙虚だ。
驕ることなく強さを磨き、さらなる高みを目指している。だからこそ勇者に匹敵する力を手に入れることができたのだろう。本人は本気になったクラウスの足元にも及ばないと否定するが、それこそが彼女の強みであると確信している。
セーヴィンは、レネを心から尊敬していた。
しばらく道なりに歩いていると、彼女は気まずげに息を吐きだした。
「すみません……この村には何もないから、きっと暇なんですよね……」
無言でいる内に、精いっぱい気を回したのだろう。やることがないからパンの配達のあと片付けを手伝っているのだと解釈したらしい。
セーヴィンは苦笑を漏らした。
「安心してほしい。私はこの休息を、十分に満喫しているつもりだ」
「そうですか? でもセーヴィン様、いつも村の誰かを助けてくださってるじゃないですか。私達もいつも頼ってばかりだし……」
「もしそれを気にするようなら、手合わせをしてくれれば問題ないが」
「あ、ついに言っちゃいましたね。言わせないようにしてたのに……」
それでも真剣に悩む素振りを見せるから、声を上げて笑ってしまった。
「ハハッ。すまない、今のは冗談だ。手合わせをしたいのは本心だが、恩に着せるようなかたちで実現させたいとは微塵も思っていない」
正午前の、忙しくする者も多い時間帯。
けれどこのルネル村では、働いている者達もどこかのんびりとした印象だった。
のどかとしか表現のしようがない景色を眺め、セーヴィンは相好を崩した。
「この村に滞在できたことは、私にとっても幸運だった。常々、自分は勇者一行に相応しくないと思っていたから」
「……えっ? 勇者一行に相応しくないのは、もっと他にいません?」
レネが驚愕の眼差しでこちらを見上げる。
こうして言葉を交わすだけなら、本当に普通の少女にしか見えない。
けれどセーヴィンは、この小柄な体がどれほど敏捷か、どれほど精密に相手の弱点を突くかを知っている。自然体で人を惹きつける、素朴な性格も。
正直、あの気難しいフルールに、ここまで気を許せる相手ができるとは思わなかった。それも彼女の飾らない美点ゆえだろう。
だからこそセーヴィンも、ずっと年下の少女を相手に、弱音をこぼしてしまうのかもしれなかった。
「選ばれた時は光栄だと思ったし、国を救うという大役に身の引き締まる思いだった。だが実際に勇者一行として旅をして……私にまとめることは難しいと、実感する毎日だった」
「あぁ……心からお察しします」
苦労が伝わったのか、レネまで遠い目になる。
ここまで共感してくれる相手は他にいない。
勇者クラウスに、魔法使いヴェルヌ。そして治癒師フルール。
魔王討伐という大義など簡単に消し飛んでしまいそうなほど……彼らは個性的だった。
たとえば、大きな街にたどり着いた途端にクラウスがため息をつくのだ。
『はぁ……今猛烈にレネに会いたい。あの小さな可愛い膝がスカートの裾からちらちら覗くところが見たい。あぁ、僕の密かな楽しみが他の男に堪能されていないか心配。……あ、想像しただけでも殺意湧いた。ちょっと行って来る』
それを聞いて行かせられるかと言いたい。
しかし、もっと自由に振る舞うのはヴェルヌだ。
『あ、待って今の子すっごい可愛くなかったぁ? しかも僕のこと見てたよねぇ。どうしよう、声かけちゃおうかなぁ』
『行かせるか! お前待ちで一晩足止めを食らうのはもうこりごり……って消えた!?』
『えへへ、すごいー? 昨日開発した、光の錯覚で透明に見える魔法だよぉ。じゃあねぇ』
『天才の無駄遣いをするなー!!』
こうなってくると一番怖いのはフルールだった。
『……仕方がありません。今日はこの街で英気を養いましょう』
周囲に大勢の人がいるから花のような微笑を浮かべてはいたが、【今日もまた全然進めなかった本当に何なの変態勇者にクズ魔法使いにろくな人材がいないじゃない勇者一行なんて名ばかりで中身スカスカよ】といった、怨念のこもった太字が背後に見えたものだ。
無言の圧に耐えきれず謝ってしまうのも、仕方のないことだと思う。
『す、すみません……』
『あら、なぜあなたが謝るの? セーヴィンは何一つ悪くないでしょう』
『ひっ』
勇者一行が街に入るとなれば、もろ手を挙げて歓迎される。
街を挙げて喜んでくれているのに、内情はいつもこの有り様だったのだ。
ヴェルヌのように消えることができたらと、セーヴィンは何度願ったことか。