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解明 

 分からないなら調べればいい。

 ヴェルヌの本分は研究すること。

 どうせ誰もちやほやしてくれなくて暇だし、この機会に徹底的に張り付きレネの秘密を探ってみることにした。あそこまで好かれる要因が、必ずどこかにあるはずだ。

 戦闘力には目を見張るものがあるけれど、それ以外はいたって平凡。ヴェルヌからすれば気にするに値しない少女だ。

 まずは一日目。

 実家のパン屋の手伝いがあるため、朝は早いようだ。夜型のヴェルヌはこの時点でくじけそうになったが、調べると決めたからには努力する。

 どっかんどっかん、パン屋にあるまじき音が厨房から聞こえてきた。レネはパン生地をこねているようだが、力が強すぎる。案の定、父親らしき人物に止められていた。パン屋を継ぐにも、もう少し技術が伴わなければ難しいだろう。

 次に、アカネの森へパンの材料を採りに行くらしい。当然尾行する。

 なぜか何度も立ち止まるが、こちらに気付いた様子はないので尾行がばれたわけではないだろう。

 森に分け入ると、彼女に襲い掛かる魔物がいた。

 瞬殺するあたりはさすがとしか言いようがないけれど、まだヴェルヌの目にはそれ以外の魅力が見えてこない。

 平凡。パン作りの才能はない。戦闘力特化。今のところその程度の評価だ。

 レネは家に戻ると、焼き立てのパンを店頭に並べはじめた。合間に訪ねてきた客を、慣れた様子でさばいていく。狭い村内、当然常連客しかいないので世間話に興じる場面が幾度も見られた。

 勤務態度は不真面目。あとパンの匂いを嗅いでいると単純にヴェルヌのお腹が空く。

 朝は忙しいらしく交代で食事をとる光景が見られたが、客足が落ち着いてくると店番をするレネがうとうとと頭を揺らしはじめた。朝が早かったとはいえ怠慢ではないだろうか。

 つまらない。どこまでも普通だ。

 そこにクラウスがやって来て、ヴェルヌはやや身を乗り出した。

 平凡な一日に興味はないのだ。レネにある秘密を解き明かすためには、事態が動く方が望ましい。そういった意味でクラウスは格好の材料といえた。

「レ……」

「クラウス!! あんた昨日の夜、私が持ってる靴を全部綺麗に磨いたでしょ! 深夜に部屋に忍び込むなとかそんな暇があったらちゃんと寝なさいとか色々言いたいことはあるけど、そもそも行動が意味不明で気持ち悪いのよ、この変態――――!!」

 魔物同様、クラウスも瞬殺されてしまった。

 面白いことが起きる前に地面に沈んでしまった勇者は全く役に立たなかったけれど、名前すら呼ばせてもらえなかった点は少し不憫だと思う。

 その後も、買いものに行けば友人らしき少女と立ち話をしたり。畑の収穫物を運ぶ手伝いをしたり、そのお礼にお裾分けをもらったり。

 時折クラウスが猛攻をかけては返り討ちにされる以外、どれほど見張っても、何も起こらなかった。

「つまんないなぁ……」

 ローブの陰でひっそり呟くと、たまたま背後を通りかかっていた村人が肩を揺らした。ちらりと視線を送れば、青ざめて逃げていく。

 ヴェルヌは舌打ちをこぼした。

 遠巻きにしている複数の村人に気付く。元々不審者と認識されている向きはあったから、レネをつけ回すヴェルヌはさぞ挙動不審に映っただろう。

 何もかもがつまらない。

 退屈で平凡、普通しか生み出さない場所。……普通しか受け入れない場所。

 ヴェルヌは二日目にして既に飽きていた。

 まだ明けきらない空に向けて、ぷかりとあくびを噛み殺す。

 相変わらずびったんびったん、生地を調理台に打ち付ける音が聞こえてくる。焼成中のパンの匂いが空腹を刺激した。

 早起きをする苦痛を考えれば、レネを知ることに魅力を感じなくなっていた。どうせ、平凡な村人達と同じく平凡でしかないのだから。

 馬鹿馬鹿しい。何を期待していたのだろう。

 セーヴィンやフルールのように、彼女に惹かれるとでも思っていたのか。魔法以外の何かに思いを傾けるようになるとでも――……。

「おはようございます、ヴェルヌさん」

 突然声をかけてきたのは、厨房から顔を出したレネだった。集中力を欠いていたためかあっさり見つかってしまった。

「最近は早起きですね、はい」

 窓枠に手をかけて笑っていたレネが、口に何かを押し付けてきた。

 反射的に咀嚼すると、小麦とバターの香りが口いっぱいに広がる。

 それは、焼きたてのパンだった。

 まだ熱いと言っていいほどの温度で、ヴェルヌはたちまち口内に集中する羽目になった。

 はふはふと熱さを逃がしながら、横目でじろりと睨みつける。

 こちらは火傷をしかけたというのに、彼女は頬杖をつき面白そうにヴェルヌを眺めている。

 それなのに、パンを飲み込んでから口にしたのは文句ではなかった。

「……なにこれうま」

 咄嗟に称賛がこぼれるくらい、おいしかった。

 カリカリの表面、バターの香ばしさ。噛めばしっとりとした食感と共に小麦の甘みが強くなり、体中を幸せで満たしていくようだった。

 これほどおいしいパンは、王都にもない。

 いいや。そもそも研究漬けの日々で、食事はいつも二の次だった。熱々のものを食べるなど初めての経験かもしれない。

 レネは誇らしげに笑っていた。

「焼きたてを食べるって、最高ですよね。うちの自慢のパンですよ」

「……君にはパンを作る才能がないじゃない」

「あ、昨日も観察してたんだし、そりゃばれますよね。安心してください、それはちゃんと職人の父が焼いたパンですから」

 どうやら彼女は、とっくにヴェルヌの監視に気付いていたらしい。

 知らぬふりをしてくれていたと分かれば居たたまれず、ヴェルヌは意地になってそっぽを向いた。

 彼女は全く構わない様子で続ける。

「何で尾行してるのか分かりませんけど、ちゃんと食べてくださいね。いくらすごい魔法を思い付いたって、体を壊したら元も子もないんですから」

 魔術塔に集う魔法使いの体調を気遣う者などいない。むしろ小言を言われるのが煩わしいからこそ、塔に引き籠もっているのだ。

 それなのに、当然のように心配されたことを、なぜか不快に感じなかった。

 ヴェルヌは呆然としたまま、怯えたり顔をしかめたりする村人達を思い出していた。比べてレネの、なんと普通なことか。

「おーい、レネ……!」

「あ、やば」

 厨房の奥から彼女を呼ぶ声が聞こえてくる。

 切羽詰まった声は父親のものだろうか、レネは慌ただしく厨房に戻ろうとする。その途中で、ふとヴェルヌを振り返った。

「そうだ。何かややこしいことになる予感しかしないから、他のみなさんには内緒ですよ」

 笑顔を残して今度こそ厨房に引っ込んだ背中を、かじりかけのパンを持ったまま見送る。

「……そっかぁ。誰が相手でも普通でいられることが、すごいことなんだ」

 彼女の『普通』が『特別』であることに、ヴェルヌもようやく気付いた。

 セーヴィンとフルールはそれを十分に理解しているから、余計彼女が好ましかったのだろう。おそらく真っ先に見出したクラウスも。

 レネの前では誰もが普通であり、平等。

 それは当たり前のようでいて、特別なこと。

 もちろん初対面の頃は礼儀にそった態度だったけれど、それだって今思い返してみれば、はじめから眼差しには温もりがあった。同じ人間として扱われていることが分かる、明確な温度。

 白い目で見ることも、憧憬を向けることも、意味合いは違っても根本的な部分は一緒。

 相手を自分とは違う生きものだと捉え、線引きをする行為。偶像として祀り上げ、ただそこに当てはめたいだけ。

 レネは良くも悪くも普通だから、ヴェルヌが卑猥な発言をしても注意するだけ。見限ることなく、体の心配までする。

 平凡。パン作りの才能はない。戦闘力特化。不真面目な勤務態度。

 田舎者らしい素朴さ。そして……とんでもないほどのお人好し。

 最後に彼女が浮かべた笑顔を何度も思い返しながら、ヴェルヌは残りのパンを食べきった。胸がほのかに温かいのは焼き立ての名残だろうか。

 強い強い充足感。

 今まで魔術の研究をしていても、行きずりの相手と体を重ねても、これほど満ち足りたことはなかった気がする。

 不思議。けれど不快じゃない。

 むしろもっと欲しいと、体が貪欲に訴えるから。


   ◇ ◆ ◇


「ちょっとぉ、まだなのー?」

 厨房の片隅にある休憩用の小さなテーブルで、ヴェルヌは頬杖をついて不満を漏らす。

 さも当然のごとくパン待ちをするようになったから、レネは困惑しているようだ。

「いや、餌付けをしたつもりはなくてですね……」

「だってこの平凡な村で僕が楽しめるのって、唯一おいしいものくらいだしぃ」

「概ね事実なので反論できませんけどね。逆に都会に比べたら食事だって質素でしょうに」

「ここのパンは、毎日食べに来てもいいくらい気に入ったのー」

 文句を言う暇さえないようで、レネは忙しそうに働いている。眺めているだけでも楽しくて、ヴェルヌはゆったりと目を細めた。

 朝が嫌いなのに、ヴェルヌは毎日早起きをするようになった。

 おいしい焼き立てパンと、レネと二人きりの時間を味わうために。



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