婚約破棄?ええ、構いませんよ。でも、その代わり・・・
「この私、シュタインゲート国第二王子シェリド・ブライングはここに宣言する!ジャスリーン・リュベレントとの婚約を破棄し、新たにノーマリーン・ギュスタブと婚姻関係を結ぶ!」
シュタインゲート国立学院の卒業式・・・その、国王陛下から祝いの言葉を賜るまさにその瞬間だった。
壇上に上がろうとした国王を押し退けるかのようにやって来た第二王子であるシェリドは、周囲の者を見渡しそう宣言した。
その場の空気が凍っている事にも気付かず・・・。
よくあるテンプレ的展開だったのだ。
政略的な目的のために結ばれた、第二王子のシェリドと公爵令嬢たるジャスリーンは、周囲の目から見てもあまり仲睦まじいとは言えなかった。
甘やかされてばかりのシェリドにとって王妃教育に勤しむジャスリーンという令嬢は不快な存在でしかなく、常に邪険に扱っていた。
それでも、ジャスリーンがシェリドを支えようとする態度を変えることはなく、そんなジャスリーンに周囲は同情的だった。
いつか、シェリドも気付いてくれるはず・・・。
そんな期待も空しく、学院での生活も残り一年となった時だった。
ギュスタブ男爵が自身の妾に産ませた娘を引き取り、学院に入学する事になったのだが、その娘・・・ノーマリーンは問題児だった。
シェリドを始めとした地位の高い者に媚びへつらい、貴族という立場を考えることもなく無礼な数々の行動。
そんな彼女に、シェリド達は何故か惹かれていった。
ノーマリーンを中心に群がるシェリド達。
周囲の生徒達はそれを遠巻きに見ていた。
婚約者としてジャスリーンも一言注意をしたのだがそれを聞き入れられる事も無く。
とうとう、この宣言に至ってしまった、という訳だ。
「貴様はノーマリーンに暴言を吐き、彼女の持ち物を傷付け、あまつさえ階段から突き落とした!この様な罪人はこの国には必要ない!国外へと追放する!」
どうだ、と言わんばかりのシェリド。
ジャスリーンの方を見ると、目を丸くしていた。
ここまで言ってやったのだ。
もっと表情を崩すかと思ったシェリドだったが、あまりにも突然の事だったのでいまいち理解していないのだろうと考えた。
と、ジャスリーンがチラリと国王の方へと向いた。
「陛下、リュベレント公爵家の名誉のため、発言させていただきたく・・・」
「よかろう」
壇上に上がろうとした途中でシェリドに阻まれた国王は、いつの間にか用意された席へと戻っていた。
その目に怒りが宿っていることに、シェリドは気付かなかった。
「まず、婚約破棄の件につきましては承りました。私と貴方様は一切の他人でございます」
何の感情も籠っていない、平坦な声色でジャスリーンが言った。
シェリドはノーマリーンを見る。
涙を堪え、シェリドに向かって頷いてくれた。
「しかし、先程貴方様が述べられた、ノーマリーン様への一連の行為についてですが、私は全くの無罪であると主張します」
「何!?貴様・・・言い逃れをしようと言うのか!ノーマリーンが教えてくれたぞ!貴様がノーマリーンに、平民のくせにもっと立場を考えろと言ったりしたと!」
「そうです!私、ジャスリーン様に言われました。貴族というのは貴女には務まらないとか、シェリド様に近付くなとか・・・。それに、私が階段から突き落とされた時、ジャスリーン様の後ろ姿を見ました!」
ここで、ノーマリーンも口を挿んできた。
しかも、シェリドのいる壇上へと移動しながら。
二人並んでジャスリーンを見下ろす形になっている。
そんな二人に、ジャスリーンはやれやれ、といったように溜息をつき、再び口を開いた。
「私、学院に入学して一度も一人きりになったことはございませんの」
「は?」
シェリドからそんな言葉が漏れる。
「将来、国王になるかもしれない貴方と並ぶため、余計な醜聞は避けるようにと言われておりましたの。その一環として、私、学院での生活を送る間、常に人が多い場所で行動しておりました。例えば教室、移動教室の場合生徒が多い時間に、図書室などは人がある程度いて、なお且つ外からも見えるような場所で過ごしていましたの。放課後は速やかに王妃教育の為城へと赴き、その際も下校する方に認識されるよう努めておりました」
「う、嘘よ!そんな事出来るわけないじゃない!」
ノーマリーンが叫ぶ。
しかし、生徒達のざわめきがちらほらと聞こえてきた。
曰く、そういえばジャスリーンが一人で居る所を見た事が無い。
曰く、常に誰か・・・それこそ自身と仲の良い者以外の第三者を交えていた。
曰く、ノーマリーンに注意した時も周りに人が居る状態だった。
しかもその注意はもっともなことで、婚約者の居る男性にそこまで近付くのはどうか、というもの・・・。
「・・・でしたら、その最も重大な事件。貴女が階段から突き落とされたのは何時です?」
ジャスリーンがノーマリーンに尋ねた。
「三週間前の放課後よ!シェリド様の所へ行こうと階段に差し掛かった時に貴方に押されたのよ!!」
「調度私が通り掛からなければ、ノーマリーンは大怪我をしていたんだぞ!」
そう言うと、シェリドはギリッとジャスリーンに憎しみの眼差しを向けた。
その瞬間を思い出したのだろう。
まるで今にも斬りかかって来そうな表情だった。
しかし、そんなシェリド達の様子にもジャスリーンは動揺することは無かった。
「三週間前・・・ですか。その時でしたら確か突発的勉強会に参加しておりましたわ。数日後が修了試験という事で、皆様最後の追い込みをしていたのです。最後の授業がベンジャミン先生の授業、という事もあって、各々解らなかった問題を教え合っていたんです。それがいつの間にかクラス中の皆さんでの勉強会に発展しまして・・・。その勉強会が終わった最終下校時刻まで、私教室からは出ておりません」
術式学教師、ベンジャミン・ヴェヨネットの授業は難しい。
教科書をきちんと読み込んでおかなければならないのはもちろん、応用問題も沢山解いて理解を深めておかなければ、いきなりベンジャミンから問われる質問に答える事は出来ない。
しかも、この質問に答えられなければ基礎問題の書き取りと、ベンジャミン特製の大量の課題が待っているのだ。
この課題というのも基礎部分を理解していないと解けないため、ベンジャミンの授業は難しいながらも学力が上がる、と人気があった。
この日、迫りくる終了試験に向けていくつかの課題を出し、残ったものは宿題とされたベンジャミンの授業。
時間内にほとんどの生徒は終わらせられたようだが、いくつか引っ掛かる問題があった。
それを、ジャスリーンに聞きに来た生徒が居た。
ジャスリーンが成績上位者であることは知れ渡っているし、ジャスリーンは用事などが無い限りはこうした質問に答えてくれる、という事でよく聞かれるのだ。
そうして解説しながら解き方のヒントを話していると、他の生徒も周りに集まって来た。
それがいつの間にか勉強会にまで発展した、という訳だ。
もちろん、その間ジャスリーンが教室から出たという目撃情報は無い。
ずっと、他の生徒と勉強をしていたのだから。
「そ、そんなのどうとでもなるじゃない!私を突き落としたのは貴女よ!」
もはや断言しだしたノーマリーン。
周囲の・・・特にジャスリーンと同じクラスの人間は白けた目でその様子を見ていた。
「まぁ。クラス全員と勉強会の監督を務めて下さったベンジャミン先生の事も侮辱なさるの」
ジャスリーンは心底残念そうにノーマリーンを見る。
このままジャスリーンがいくら自身の無実を証言しても、ノーマリーンとシェリドは喚き続けるのだろうか。
ふぅ、と溜息をついたがこれだけは聞いておこうとジャスリーンは思い、口を開いた。
「そういえばですけど・・・なぜシェリド様とノーマリーン様はこの場にいらっしゃるの?」
その言葉が、この卒業式が行われている講堂に響いた。
「どういう事だ!」
「シェリド様もノーマリーン様も卒業資格をお持ちでないのに、なぜ卒業式に参加していらっしゃるのですか?」
「卒業資格が無い!?そんなはずないわ!」
「いいえ。貴女もシェリド様も、卒業資格の基準を満たしておりません。留年決定です。だってそうでしょう?テストで毎回ビリとビリから二番目の成績では・・・ねぇ?」
ノーマリーンがシェリド達を侍らす様になり、その成績は如実に下がっていった。
授業にも碌に出ていないためテストの時に問題が解らず、補修を受ける事すらしない。
課題の提出をすることもしなければ、追試すら受けない。
そんな生徒を、なぜ卒業させなければならないのか。
いくらシェリドが第二王子とはいえ、そのような特別扱いは出来ない。
しかも、この学院は生徒達に自分の苦手な所を知ってもらう為、テストの順位を張り出し、名前と共に何が間違っていたのかを発表するのだ。
入学当初はそれなりに上位にあったシェリドの名前も、ノーマリーンと過ごすようになるとどんどん下がった。
一応ジャスリーンも注意はしたのだが、シェリドはそれを聞くこともなく、ついに留年、という結末になったのだ。
「嘘よ、そんなの!!」
「この私にそのような戯言を・・・。見下げ果てた女だ!!」
しかし、二人はただ反発するだけ。
ジャスリーンに大声で喚き、周囲の呆れ返る視線に気付くことはなかった。
すると、スッと国王が立ち上がり壇上の二人に向かって言った。
「・・・さて、シェリドよ。そこから下がれ」
国王がそう言うと、幾人かの騎士が現れシェリドとノーマリーンを壇上から引き摺り下ろした。
「な、父上!?」
「何よ!放して!!」
騒ぐ二人を冷めた目で見ながら国王は言った。
「実はな、既にお前とジャスリーンとの婚約は破棄・・・いや、解消されていたのだ。数日前、お前の留年が決定した時から」
「は?」
シェリドの目が見開かれる。
ジャスリーンとの政略的な婚約が気に入らず、学院に入学してもじっと耐えていた日々。
しかし、最終学年になった年、シェリドに運命の出会いが訪れる。
ギュスタブ男爵に最近引き取られた、ノーマリーンとの出会いだ。
彼女はジャスリーンとは違い、シェリドの苦悩を理解し、助言して悩みを解決してくれる。
元は庶民という事で、貴族特有の腹芸など関係ないとシェリドに接してくれる彼女に、シェリドは恋をした。
ジャスリーンとは違う、その愛らしい顔立ちもシェリドの心を射止めた。
すっかりジャスリーンの事など頭から消え失せ、ノーマリーン一色になったシェリド。
いつしかジャスリーンと繋がるもの全てが煩わしく感じたシェリドは、ノーマリーンが階段から突き落とされた事件を機に、ジャスリーンとの婚約関係を解消する事を決意する。
自分が、ノーマリーンを守るのだと考えながら。
ところが、すでにジャスリーンとの婚約関係は無くなっていると言う。
シェリドは今、上手く考えが纏らない。
父である国王の口からも出てきた“留年”という言葉が、シェリドにようやく圧し掛かって来た。
「お前が王位を継ぐに当たり、条件を二つ出したのは覚えているか?」
そういえば、入学式の前に何かを言われたような・・・。
「まず、側室から生まれたお前に後ろ盾を与える意味合いでジャスリーン・リュベレントとの婚約は絶対だという事」
側室の・・・しかも身分の低い母を持つシェリド。
本来ならば、第一王子が病弱という事を抜きにしても王位を継ぐなどありえないことなのだが、古くから王家を支えるリュベレント公爵家のと繋がりを深くする意味もあるジャスリーンとの婚約によって、シェリドは王位に一番近くなったのだった。
シェリドは、それをどうとでもなる事だと思っていたが・・・。
「そして、学院で最終学年となった一年、上位の成績を収め続ける事・・・。この二つだ。どうやら忘れていたようだが」
元々、あまり学問に関しては得意では無かったシェリド。
王となる者が並の成績では国が立ち行かないと考える国王は、最初の数年は成績が揮わなくても良しとし、しかし最終学年という期間だけは勉学に励むよう言い付けた。
結局、学院に在籍している間シェリドの名前がトップテンに入ることは無かったが。
「国王たるもの、馬鹿では務まらん。もちろん勉学だけが全てではないが、ある程度の知識が無ければ民に危険が及んだ時、助けてやる事は出来ん。それを、何度も言ったはずだ。お前はいつも大丈夫と言っていたが、何が大丈夫だ。国王が留年経験があるなど、民の血税を無駄にする行為。そこの女との婚約は認めてやるが、もはやお前は王族ではない。次期国王は、第一王子のケルンとする。さあ、連れていけ。元々ここに居る資格は無い者なのだから」
「嘘ですよね、父上!!」
「ちょっと、放しなさいよ!」
抵抗する二人に、生徒達のヒソヒソ話が聞こえてきた。
(留年するような王子って・・・)
(隣国とかに知られたくないわ)
(ほんと、恥ずかしい人達)
自分達を蔑むような眼差しにようやく気付く。
病気や大怪我など、どうしようもない理由があるのならばまだしも、二人には正当な理由が無かった。
好き勝手に行動しての結果がこれだ。
シェリドは今更自分の犯した事の大きさを知る。
しかし、もはや遅すぎた。
講堂から追い出され、ただただ呆然とするしかなかった。
「すまなかったな、ジャスリーンよ。これまで尽くしてきてくれたそなたにあの様な冤罪を被せようとするとは・・・」
国王がジャスリーンの方を向き、謝罪する。
実際はすでに婚約解消の知らせが届いていたため、シェリドがいずれジャスリーンに婚約破棄を言い出しても良い様に心の準備は出来ていたのだ。
まぁ、まさか卒業資格すらない事に気付かず卒業式に参加し、国王を押し退けてまで断罪しようとするとは思わなかったが。
「いえ、陛下の責任ではありません。ただ、私ではあの方をお諫めする事が叶わなかった、というだけです」
元々、シェリドにジャスリーンの言葉を受け取る下地すら無かったのだ。
今回の件についても、相手が聞き入れる事を拒絶したのでどうにもならなかった。
「そなたならばその様に申すと思って居った。・・・して、ジャスリーンよ」
「はい、陛下」
「これまで王妃教育に励み、国に尽くしてきたそなたに詫びたい。シェリドとあの女に対し、罰でも何でも与えてかまわんぞ?まあ、流石に命は無理だが・・・」
幼い頃からずっと、ジャスリーンはシェリドの婚約者として歩んで来た。
それは並大抵の事ではなく、傍目から見てもジャスリーンはそれらを熟そうと努力していた。
それを、たいして努力をしていないシェリドが全て台無しにしたのだ。
国王は、可能な限りは叶えてやろうと考えていた。
「でしたら陛下、シェリド様とノーマリーン様のお二人に、私の十数年を体験していただきたいと思います」
「そなたの十数年・・・と?」
もっと、難しいものを想像していた国王は、ジャスリーンの言葉に首を傾げる。
「はい。王妃としての教育を受けてきたこれまでの私の時間は取り戻せないもの・・・。ですから、シェリド様とノーマリーン様には是非知っておいて欲しいのです。私が何の努力も無しにここまで過ごしてきた訳では無い、という事を」
国王は、ジャスリーンのこれまでの努力を間近で見てきたし、自身も国王となるべく幼少期から並々ならぬ努力を重ねてきた。
だからこそ、ジャスリーンの言葉の持つ意味に気付く。
「・・・それは、そなたが歩んできた全て、という解釈で良いのか?」
「・・・はい。その様に捉えていただければ」
そう、微笑みながらジャスリーンは国王の問いに答えた。
己の息子は、なんと恐ろしい敵を作り出してしまったのか・・・国王は頭を抱えたくなった。
しかし、ジャスリーンに“何でも良い”と言ってしまった手前、叶えるしかない。
少しの間沈黙が続いたが、国王は腹を括った。
「わかった。そなたの思う通りにしよう」
自分の望みが了承されると思っていなかったのか、ジャスリーンは一瞬ハッとしたが、すぐ礼の姿勢を取った。
「ありがとうございます、陛下」
こうして、シェリドとノーマリーンはジャスリーンの十数年を経験する、という罰を受けることになったのだが・・・・。
国王は、ジャスリーンから詳しい説明を受けた時、自身の読みが甘かった事に気付かされる。
「ちょっと、どういう事なの?このスケジュール、ほとんど休みが無いじゃない!それに、何でこの年になって今更初等科で習う様な事を勉強しなきゃいけない訳?」
罰の初日、これからのスケジュールを渡されたノーマリーンが目の前に現れた教師を名乗る初老の男性に噛み付いた。
それもそのはず、渡されたスケジュールというのがほとんど休みの無いもので、しかも熟さなければならない内容というのが、初等科に通う様な年齢の子供が勉強する内容となっていたのだ。
文句を言い出したノーマリーンに、教師の男性・・・ジャスリーンが王妃教育の際師事した人物はこう言った。
「ジャスリーン様は、シェリド元殿下との婚約が決まった3歳の時から、このスケジュールを熟してきた。貴女方は、当時のジャスリーン様よりずっと年を重ねている。この程度、楽勝でしょう?」
そう言って、ノーマリーンの抗議に耳を貸すことは無かった。
一方、シェリドも、当時の記録を元にジャスリーンとの婚約当時のスケジュールを熟すよう言い付けられた。
当時から真面目に勉強していなかったシェリド。
とはいえ、今の段階程度の問題は楽勝だった。
一応はスケジュールを熟せば後は部屋に軟禁されるくらいで、牢屋に入れられることもなく過ごせているのでまだ我慢出来ているのだか、ノーマリーンもシェリドもまだ気付いていなかった。
ジャスリーンの出した条件の真の恐ろしさに。