生
※この作品はフィクションであり、作者及び近親者、友人にこういった方はいないことを明記しておきます。
数秒前、僕は首を吊った。
起きると知らない天井だった。天国には天井はないだろうし、そうするとここは地獄なのだろうか。いや、合理的に考えてここは病院で間違いないだろう。心電図の音や靴の音が周囲を飛び交っている。
天井の白が何かによって遮られる。ピントが徐々に合ってきて、ようやく母親の顔だと分かった。声は聞き取りづらかったが、何かを涙ながらに言っているのは分かった。次いで、医者と思しき人が視界に入ってきた。何かを言っている。逆らいがたい何かに引っ張られるように瞼が下りてくる。
起きると夜だった。周囲に人の気配は無かった。病院にいるのに不思議と痛いところも気にかかることもなかった。外の空気を吸いたい。起き上がろうとしてようやく気付いた。身体が動かない。身体の感覚もない。腕も、足も、頭も動かない。ものも言えない。自分の状態を自覚すると、存在しない血の気が引いていく感覚が身体を走った。なぜ自分が生きているのか、なぜこの状態なのか、考えるほどに思考は澱んでいった。
起きると目に映ったのはまた母親の顔だった。いや、今度は父親もいた。母親が駆け足に部屋の外へ出ていくのが分かった。数分後に母親が医者を連れてくるまで、父親は心にも思っていないことを矢継ぎ早に言っていた。
看護師がベッドが起こす。目の前のボードにいくつかの紙を張り付けながら、医者がどうでもいい事を言い始めた。首を吊ってから少ししてひもが切れて僕の命はなんとか助かったが、頸椎を損傷した後遺症で身体は動かないらしい。話せはするはずだと医者は言ったが、声は出なかった。医者は首を傾げていた。
どうやら僕が自分で動かせるのは眼球だけらしい。母親が視界の隅でリンゴを切っているのが見える。母親、僕が一番嫌いなものの一つだ。もう一つはその隣に座ってる人間。僕が口を動かすことが出来ないので、切られたリンゴはベッドサイドの机の上の皿に置かれただけだった。
母親はなぜこんな母親然とした行動をしているのだろうか。勉強机の上の遺書は読まなかったのだろうか。はっきりと両親が原因で自殺すると書いたのに、冗談だと受け取ったのだろうか。それとも僕は遺書なんて書いていないんだろうか。記憶ははっきりとしない。無性に眠たい。医者の説明が大学の講義みたいに冗長だったからだろうか。
起きると第一に聞こえたのは母親のノイズだった。同時に、聞き覚えのある声が聞こえた。大学の同じサークルのTの声だ。素行のあまりよくない僕の大学での数少ない友人と言える人物だった。いい子ちゃんばかりのうちの大学には珍しい悪友だった。ベッドサイドに座ったそいつは、心配するような目でこちらを見てきた。
「自転車で転んで頸椎やったんだって?学校数日来なかったから心配したんだぜ?俺に出来ることがあったら何でもするからな!」
一瞬思考が停止する。しかしそんな僕の内面の機微は周りの人間に分かるはずもなく、Tは言葉を紡ぎ続けている。少し後、ようやく理解できた。いや、分かった。2人は自分達の地位のために、僕の遺書を、自殺をもみ消そうとしているのだ!医者と口裏を合わせて僕の自殺をただの事故にしようとしているのだ!逆のベッドサイドに座った2人の口の端が上がったように見えた。僕はTに真実を話そうと喉に力を込めた。微かに嗚咽だけが漏れる。Tは何も知らない様子で母親からカットされたリンゴを受け取り、口に運んだ。それからTの話したことは一切覚えていない。Tが帰ってからしばらくして、僕は無意識のうちに眠りに落ちた。
起きると僕は身体ごと横を向いていた。母親が僕の背中を拭いているらしかった。なぜコイツがこんなことをしているのかは分かりきっていた。僕が自然に死ぬまで賢母のように振舞って、自分が立派な人間だと周りにアピールするためだ。最も屈辱的なのはコイツの自慰行為に付き合っていることではなく、今コイツに逆らうことも出来なければ表情に出すことも暴言を吐くことも出来ないことだった。
生食のパックとシリンジポンプが見えた。こんな奴らと手を組んでいる以上、医者も信用出来ない。僕が舌をうまく動かせないのを見た時アイツは首を傾げたが、あれは演技だったんじゃないか。僕に常時麻酔を入れて舌を動かせないようにしているんじゃないか。もしかしたら頸椎損傷なんてものもなく、ただのでっち上げなんじゃないだろうか。体よく僕をお払い箱にしようとしているんじゃないか。ベッドサイドの機械を壊して身体に刺さってるチューブを抜けば僕は元通りになるんじゃないか。そう思い身体に力を入れるが駄目だった。取り留めのない思考ばかりが僕を支配する。ああ、僕を生かすも殺すもコイツら次第なのか。僕は無力を感じながらまどろみに流された。
起きると久しぶりの夜だった。母親が昼に見ているニュースからして、自殺決行日からもう1ヶ月も経つらしい。僕は依然無力なままだった。1ヶ月はあっという間だった。衝動的にベッドサイドの果物ナイフに手を伸ばす。しかし手は動かなかった。
これまで何度も死のうとした。息をとめ、舌を噛み千切ろうとした。無駄だと分かっていながら、眼球を動かしまくって死ぬ方法を探した。僕に出来ることは、何一つとしてなかった。
僕が寝かされてるのは大きめの個室だということが徐々に分かってきた。たまに記者とカメラマンと思しき人が来て、僕と母の写真を撮ったりしていた。母親は美辞麗句を連ねた。記者は満足げな表情を浮かべていた。
僕の両親は2人とも医者だった。母親は結婚後主婦になったが、たまに医者として仕事をしていた。父親はどこぞの大学病院の部長をしていた。そんな2人の一人息子となれば、医者としての未来を嘱望されるのは明白だった。レールが知らないうちに整備されて、気がついた時には脱線できなくなっていた。
僕は大したことを考えず医大に入り、なんてことなく勉強をしていた。頭が良かったのが幸いして、挫折も苦悩もなく生きてきた。就職が目の前に差し掛かった時、ふと自分のしたいことについて考えた。そこで初めて、自分将来について考えた。僕は医者になりたくて医大に入ったのではないことに気が付いた。アイツらのレールの上をただ走っていただけなのだ。じゃあ自分の夢が何かあるのか?自分自身の意思で、一生を賭してしたいことはあるのか?なかった。やりたいことも、夢も、何もなかった。僕の心を初めて空虚が支配した。僕は親を呪った。自分の恵まれた出自を呪った。何もしたいことがない自分を呪った。自分が生きていることに意味がないのを自覚すると途端に生きているのが馬鹿らしくなった。そして僕は縄に手をかけた。
1ヶ月を無意味に過ごして確認出来た。やはり生きていることが人間にとって一番の毒だ。生まれもしなければ一切の苦しみを味わう必要はない。死ぬまでの日々を辿る必要もない。人生とは、虚無だ。
時間が過ぎるのが最近早く感じてきた。無意味な思考に脳が慣れてきたのかもしれない。思考がどんなに回っても何の意味もない。伝える術が何もない。1ヶ月も経つとTも来なくなっていた。この頃顔を合わせるのは敵だけだった。結局、僕はろくでなし達の商売道具の仲間入りをしただけだった。
起きると自宅の天井だった。あれから3年が経った。自室の天井には僕がロープをかけた鉤がまだ残っている。大方、何も考えずにそのままにしているのだろう。意味もなく勉強していた机が見える。不満足な死体より、あの頃の目的なく勉強して満足していた人間の方がはるかにマシだ。
3年が経っても母親は外から見ると非常に献身的である。最近は僕を自殺に至らしめたことへの償いのようにも思えてきたが、それは、多分僕のエゴだろう。僕が生きていることによってアイツらが受けている恩恵は計り知れない。生かされてる当事者の意思は一切介在せず、自然になんとも素晴らしい美談が出来上がる。声を上げる人間は誰もいない。ああ、なんと素晴らしい世界だろう。
思えば、こうやって考え事をするのもかなり久しぶりだった。何も考えなければ生きているという事実から目をそらせて幸せだった。今の僕は死なないために生きてるに過ぎない。というより、死ぬことも出来ないと言った方が正しい。アイツらにとって、僕は部屋の観葉植物と何ら変わりがないのだろう。手がかかるが、その分金のなる観葉植物だ。
また無駄に考え事をしてしまった。次に考え事をするのはいつになるのだろうか。いや、もう二度と来なければいい。何もかも無駄で、無意味で、無価値だ。
願わくば、二度と目の覚めないことを。