二十三之巻:その程度では死なんでござるよ
大海鼠はすすすーっと筏の方へと向かう。某は殿下やカチューシャの乗る船へと飛び移った。
「魔族ハルパリシア討ち取ったにござる」
そう言うと、殿下は着ていた上着を某の肩にかけて包み、某を腕の内に入れた。上着はすっぽりと某の膝あたりまでを覆う。
むむ?
「無事でよかった。水に落ちた時は死んでしまうんじゃないかと」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。むう、殿下め。胸板を押し付けおって。
「その程度では死なんでござるよ」
「普通の令嬢は泳がないし泳げないからね」
なるほど。それはそうやも知れぬな。
筏船の端ではカチューシャが馬車から降り、大海鼠から某の服や靴、水中に落とした手裏剣などを受け取っている。
彼女はこちらに頭を下げて言った。
「恐れながらハルトビッヒ殿下。先に馬車へと戻り、我が主人を召し替えさせても宜しいでしょうか」
「ああ、この姿では風邪を引いてしまうし目の毒だ。私は外で待っているとしよう。兵に指示も出さねばならんしな」
「殿下にご不便をお掛けし、申し訳ございません。さあ、お嬢様こちらへ」
御者が馬車の扉を開けると、中にはすでに身体を拭う布と替えのドレスが覗いていた。流石に有能なメイドである。
殿下が手を取って某を馬車の上に押し上げ、手が離れたところで殺気!
「ちょっ、でん……!」
言い終わる前に某の口が押さえられ、無情にも扉がばたりと閉められる。
スパァン!
某の後頭部が!
「おーじょーうーさーまー?」
「ひぃ」
「なぜまたー下着でー立ち回るのでーすーかー?」
「い、いや」
スパァン!
「痴女?聖女ではなく痴女なのですか?」
スパァン!
某は延々叩かれ、文句を言われながらも下着が脱がされ、全身を大きな布で拭われ、熱く甘い茶を渡される。ほぅ……。
「美味い茶にござるな」
「茶ではなく、ココアという飲み物です」
「ここあ……」
「温まるでしょう。お気に召したようで良かったです」
カチューシャは某の髪に布を当てながら言い、某はこくりと頷いた。
結局死者は出る事なく渡河できた。糧食や装備など失われたため、一部の兵は戻らねばならんという事になるようだ。
次の領地はどうにも薄暗い気がする。
進んでいくと農地があるはずだが……。
「これは酷いな」
殿下が呟く。
うむ、農地が荒廃している。麦は痩せ細り、立ち枯れしかけているようだ。
隣の領地は問題無かったし、川を見ても水は豊かなはずだが。
畑に呆然と立ちすくむ農夫に声をかけた。
「そこの者、これはどうしたことか」