十四之巻:今が泰平の世であれば某を呼ぶ意味があるまい?
「おいしそう・じろう。先程、女神様の言われた名前だね。何か言っておくことがある?」
そう殿下は口になされた。なぜ皆そこで名前を切るのか。
殿下はじっとこちらを見つめる。
「……猊下の言う通りにござる。あー……、殿下は某を『面白い女』と気に入っていただけたが、この魂はいつか消え去ってしまうやもしれぬ。
その際、シルヴィアがどうなるかは気になるでござる」
「聖女シルヴィアも『面白い女』には違いない。まさか異界より魂を呼び寄せるとは思わなかったからね。婚約者として大切にするさ」
某は安堵の溜め息をつき、クレナウッドに向き直る。
「そう言うことにござるよ、猊下」
「……それは祝福させていただきましょう」
不快げな表情を浮かべるもそれを隠して言う。ふん、狸め。
「ならばなぜ某に毒を飼ったにござるか?」
隣の殿下も驚いた様子。
「舞踏会で毒を盛られたと聞いたが、魔族からではなかったのか!」
「うむ、毒が効かぬことを訝しんでおったのはこやつの手のものよ」
某は肘でこつりと殿下に合図を出す。これだけ事前に伝えておいたのだ。
「この場でのことは全て不問とし、口外しない事を誓おう」
その言葉に猊下は大きく溜め息をついた。
「わが配下が毒を盛ったのを認めよう」
「うむ。何故?」
猊下は立ち上がり、額に青筋を立てて叫ぶ。茶が溢れて机の上に染みを作った。
「お前が!聖女の力を自宅で垂れ流してるから!病人は出ないわ憑依とか呪いは全部解除されているのだ!」
「ああ、最近朝になると屋敷の門のあたりに病人が集まって、昼に拝んで帰ると言うのはそれでござるか」
成る程、そんな話を家の者が言っていた。殿下が言う。
「神殿の権威と既得権益を侵していると言いたいか」
金か。この猊下が生臭であるのは間違いないが、金無くして権威が保てぬのも道理。まあ前世の寺社に比べると豪奢に過ぎるが……。
「承知した。であれば問題あるまい。某はじきにこの都を去るのでな」
「なにぃ?」「なぜだ!?」
「魔王討伐に行かねばならんであろう?シルヴィアはこれがために某を呼んだのよ」
「そう、なのか?」
殿下が尋ねる。
「今が泰平の世であれば某を呼ぶ意味があるまい?」
某は立ち上がり、猊下の顎と腹に一発ずつ拳を見舞った。
重たい身体がふらりと椅子に崩れ落ちる。
「こんなことをして許されると……」
「ここでのことは不問と殿下が言われたであろう?毒の件はこれで手打ちにしてしんぜよう」
某はにやりと笑って見せた。




