第一章 聖なる夜に幸せを5
「それで? 珍しいじゃない、いつもは土曜日に来るのに――――もしかして、また瞬が何かした……とか」
そういいながらみるみる顔の表情が鬼の形相へと変わっていく先生を見て、慌てて言葉を遮る。
「いやいやいや、そんなことないですって……アイツといたら退屈な学校生活も刺激があって楽しみに変わりますよ」
悪い意味で――――とは続けれそうもないのは表情を見れば一目瞭然で、背中に嫌な汗がにじんでくる。
「そう? なーんか今日は瞬が学校で反省文書かされてそうだなーって思ったのよ」
顎に手を当て、目を細めながら少しづつ顔を近づけてくるのを見て思わず一歩後退する。
――――なんということだろう、少し言葉を濁しただけでここまで完璧に見抜いてしまうとは、全身の血の気が一気に引いていくのを感じる。
やはり精神科の先生、心を読むのに熟知している。自分の知っている人の中では一番的に回したくない。
「あ、あははは……そ、そんなことないでしょー、だって智子先生の立派な長男じゃないですかーあはは」
「そう? 輝君がそういうなら……まぁいいか、帰って聞けばいいだけだし。」
瞬よ――――安らかにに眠れ……と心の中で祈らずにはいられなかった。
この人と話をしているだけで自分の思っていること、悩んでいること、全て打ち明けてみようという気持ちが芽生えてくる。
少しの間を空け、俯いたまま、ゆっくりと重い心の中を言葉に表してゆく。
「じつは――――今日は兄……亮がいなくなった日と似てるんです」
自分でも何故こんなに気になってしまうのか、理由の見当たらない不安がどうしても胸の奥の方で妙なざわつきとなって追い込んでくる。
「そう、ね……もう十年か、長いのか短いのか複雑ね」
さっきまで明るい空気が重々しいものに変わっていく、さすがに普段から明るいこの人も察して静かになる。
「こんな感じは以前にもありました、それが…」
「優香ちゃん、ね」
無言で頷くと先生も短くまとめた髪を触りながら少し寂しそうな表情を浮かべる。
「はい……僕はあの時、妹に何一つしてやれなかった」
ーー大丈夫か?
「自分がやるって、守ってやるって…そう約束したんです」
――約束だぞ。
一つ一つの言葉を話している最中、頭の中であの日の出来事が浮かんで、自然とこぶしを握り締める。
「大丈夫よ」
言葉を遮るように頬を両手で覆われ、柔らかな手の温もりが自分の中に広がっていくのを感じる。
「大丈夫、ここには私もいるし、何より二十四時間セキュリティシステムが管理しているから輝君が考えているようなことはあり得ないわ」
「でも――――」
「それに」
もう一言も喋らさないといわんばかりにもう一段強く頬を包まれる。
「それに――――亮君もきっとどこかで生きてる、だって強い子だからきっと無事に過ごしていると思うの」
そういって頬を離したと思った瞬間思い切り抱きしめられた。
「ちょっ――」
驚きのあまり声が出そうになるが、慌てて抑える。
今までされたことのないことに思考が追い付かない、でも――何故か嫌な気持ちにはならない。
先生からは優しい香水の匂いがして不思議と心が落ち着く。
「だから……もっと肩の力、抜きなさい? あなたは自分でも知らないうちに自分のことを攻め続けてる」
――図星だった。
あの時もっと強さがあったらと何度恨んだことか。
自分では強がっていても、この人にはお見通しなんだと。
「あなたは――――まだ子供なんだから、もっと頼りなさい、打ち明けなさい、色んなこといっぱい話して自分の心を楽にさせなくちゃ」
やがて、ゆっくりと体を離していく先生は今まで見たことないくらい優しく、強い人の顔をしていた。
「いい?」
のぞき込むように見つめる先生の顔を俺は直視することができなかった、恥ずかしいとか、かっこ悪いとかじゃなく、ただ、こんな身近にこんなにも頼れる存在がいることが――――素直に嬉しくて、素直に頷く。
「あ! 優香ちゃんにもしてあげなきゃ、ごめんね~お兄ちゃんだけにギューしちゃって~優香ちゃんもしたいもんね~」
そうして元に戻った先生は、どうみても酔っぱらった中年がセクハラをしに行くような感じで妹の元へ駆け寄っていく。
違う意味での心配事は増えたが、大丈夫だろうと先生に頭を下げる。
「じゃあ、僕はこの辺で失礼します――――妹をお願いします」
相変わらず妹に話しかけていた先生はこちらを振り向き一度見せた笑顔をもう一度見せ、優しい言葉をかけてくれる。
「うん、何かあったらすぐにおいで、電話でもいいから」
もう一度妹を見るが、窓の外を眺める姿は変わらず、逆に長い黒髪を三つ編みにされていた。
「はい、頼りにしてますから」
そして軽くなった体を連れて病院を後にした。
最近天気が悪くて憂鬱な気持ちになりますよね
でも、こんな雨の日にしかできないこともあるので一概に悪いとも思えなくて少し複雑です。