第二章 約束の証6
あれほど明るかった日の光は姿を隠して夕暮れ時とともに景色は暗闇へと一転する。
普段ならば第二の太陽とも思えるネオンの光が人々に輝きを見せるのだが、あいにくここには存在しない。
ここまで光を失うだけでなんと寂しいのかと、初めて電気のありがたみに気付く。
「ほら、見えてきたわよ」
「うん?」
「あそこよ、ほら」
そう指差す先、寂しくもけなげに光をともす炎が出迎えているのが見えてくる。
「あれがサクラの言っていた村か」
「そ、リムという小さな村だけどみんな優しくていい村よ」
そういって村の玄関ともいえる門に近づき外観を眺める。
――――高さは三メートルほどあるだろうか、細い幹を何本も並べてその中心から上下三か所を木の板で打ち付けており、それは重々しくも凛々しく見えてくる。
そして村の周囲、多分村全体を囲っていると思われる木柵も、門同様に同じ材料を使用されており、獣を防ぐというより、その風貌は敵から身を守るために作られた弥生時代の集落を連想させる。
「前来た時はこんなに大きくなかったんだけどね……」
サクラはそっと門に手を当て、ため息のように小さくつぶやく。
それは悲しいこの世界に向けられた皮肉のように聞こえるのは俺だけなのだろうか。
「ちょっと待っててね」
そういって門の正面に足を止めたサクラはその横に置いている金属の棒を掴み、正面よりやや右下のところをリズムよく二、三回叩いてその場を離れる。
すると扉はきしむ音を響かせながらその重い体を引きずるようにゆっくりと引き上げられ、その中に一人、たくましい体つきをした男性が姿を現す。
「おぉ! サクラちゃんじゃねぇか! いやぁー久しぶりだねぇ元気してたかい」
「おかげさまで、おじさんこそ元気そうでなによりです! あ、お腹少し増えたんじゃないですか?」
「いや~こちとら年くっても食うモンは減らなくてなぁ、もっと働けってぇことなのかねえ」
――――ガハハハハ、と大きく口を広げ笑う男性、見た感じ年齢は六十歳は超えているだろうか、その割にはごつごつとした腕に、年齢を感じさせないほどの堂々とした背筋は頼れるおやっさんのような風貌を感じさせる。
「ハハハ――――っと、んん? 見ねえツラだな……ははーん、さてはサクラちゃん、コレか?」
そういっておやっさんは左手で輪っかを作り、それを右手の人差し指で出し入れしながらニヤニヤと黒い笑みを浮かべる。
――――終わった。
なんという勇者なのか、このご時世――――いや、それはこちらの世界の……しかし、明らかにセクハラまがいの行動をとるとは、やはりこの年の人たちは全世界共通なのかと思うと残念で仕方がない。
いや、一番心配なのはおやっさんの命だ、危険すぎる。
こちらからではサクラの後ろ姿しか見えないが、俺には微かにどす黒いオーラをまとっているのが見え、思わず目を激しく擦ってしまう。
「もーいやだぁ、またあの時みたいにしてほしいですかぁ?」
するとおやっさんは大きく肩を跳ね上げ、明らかに動揺したように肩を震わす。
「うっ……そ、そりゃあ……おっかねぇや」
――――一体何があったのかは聞かないようにしておこう。
余程怖いことでもされたのだろうか、体中から汗を噴き出してたじろぐおやっさんに最早最初の面影はどこにも見当たらない。
「ま、まぁ! 今夜は家に泊まっていけや、しばらくいるつもりなんだろ?」
「うん、そのつもり…あ、メアリさんも元気かな?」
「おお、顔を見せたらきっと喜ぶぞ」
一通りのやり取りは済んだのか、何故か今度はこちらを見て何を納得しているのか、大きく頷いている。
「ヒカル、いこっか」
「あ、あぁ……」
おやっさんの近くを通り過ぎようとした瞬間――――鈍い振動と鋭い痛みが一気に全身を流れる。
気づけば体を強引に百八十度回転させられていて、なおかつ両肩をがっちりとホールドされ身動きがとれない。
「おい坊主……」
「な、なんでしょうか……?」
おやっさんは顔を下に向けていて表情は見えないが、まだ恐怖心が抜けていないのか、怒っているのか、腕が小刻みに震えているところを見ると、何がしたいのか見当も付かない。
「さ、サクラちゃんは真面目だからよ……し、心配は……してねぇが」
「は、はぁ……」
「だがっ! 万が一……ということもある」
「はぁ、」
「だ、だから! その……避妊具は、つけろよ?」
「はぁ?」
さっきから何を言っているんだコイツは。
先ほどの効力は全く意味をなさなかったみたいで、この人はどうも品という概念をどこかへ捨ててきたらしい。
「――――!」
「…………」
そして満面の笑みとともにぐっと親指を立て、見事なサムズアップを見せる。
その顔のなんと腹立たしいことか、殴りたくなる衝動を必死に抑えながらおやっさんに背中を向け、急ぎ足でサクラのところへ戻る。
「おい……あの人はいつもあんな感じなのか?」
「まあ、悪い人ではないんだけどね……面白いでしょ?」
「いや、一ミリも笑えない」
「たしかにね」
そう言うとサクラはクスクスと静かに笑いをこぼす。
初めて見る表情だが、やはり同世代の女子同様、ふつうの笑顔を見せることもあるのだと改めて知れたのはいいことかもしれない。
「ついたっと、ここよ」
「おいおい……」
目の前にあるのは石積みの上に立派に建てられた木造式の一軒の家、ざっと村を見渡しただけだがここより広い建物は無かった気がする。
「広いな」
「だって村長の家だからね」
「なに?」
思わず二度見してしまい、先ほどの顔を思い浮かべるが、すぐに脳内からかき消す。
「あ、ああ……アイツの親父さんが?」
「なわけないでしょ……さっきの人こそリムの村長よ」
「…………」
まさか――――あの変態がこの村の頭とは……人は胸に何かしら抱えるというが余程大変だったのだろう、哀れを通り越して感動すら感じて目頭が熱くなる。
「なにボケッと立ってるの?」
「いや……気にしないでくれ、こっちの問題だ」
「なによそれ……」
「サクラ……俺はあの人のことをよく知らないが、この胸にしっかりと刻んでおこうと思う」
「何言ってんの? アンタ」
――――いいから、と背中を押されて強引に玄関まで連れていかれる。
石段を上がり、近くで見るとやはり立派な家だ、木造建築は普段見かけない分現代のコンクリート社会において貴重な存在ともいえるし、何よりも独特の雰囲気に気分が和む。
木造の扉の小さな窓からは光が漏れて、外の煙突からは白い煙がゆっくりと立ち上る。
田舎が好きという訳ではないが、こういう雰囲気の場所はどうしても心が躍ってしまう。
気が付けばサクラはすでに扉を叩いていたらしく、中から三人の子供が団子のように重なって顔を覗かせている。
「おねえちゃんだれ?」
「おねえちゃんだれぇ?」
「だれぇ?」
近づいてみれば皆女の子と見えるが、一部に違和感を感じる。
瞳は緑、髪の毛は茶色の頭頂部の途中から金色に変わり、なにより耳が長い。
一瞬んで人間とは違う生物と判断できるが、何故こんなところに。
そんなことを考えていれば、家の奥の方から何やらバタバタと騒がしい音が聞こえてくる。
「こらー! また勝手に出てっ! お父さんに見つかっておひげジョリジョリされても知らないよーって…………あれっ? もしかしてサクラちゃん!?」
余程びっくりしたのだろうか、目を丸くしてあたふたと動き回る。
「ひさしぶり! すっかりお姉さんだね!」
「うわー、サクラちゃんだ! ママー! サクラちゃんが来てくれたよ!」
――――えぇ!? とこれまた家の奥でドタバタと足音が響いてくる。
ここまで一家を驚かせるとは……一体何があったのか非常に気になるところだが、それを詮索するのは野暮というものだろう、もうしばらく待つことになりそうだ。
そして顔を覗かせたママと呼ばれた存在が玄関に姿を見せる。
肩まで伸ばした長くて艶やかな髪、そして暗闇でも分かるくらい透き通った白い肌、モデルと呼ばれても見分けがつかない体型に整った顔立ち、それは――――誰がどう見ても綺麗な女の人だった。
「あらあら、本当にサクラちゃんだわ……元気にしてた?」
「うん、メアリさんも元気そうで安心しました」
前言撤回――――サクラとの出会いの話ではなく、あの男との出会いについて、そしてどこに惹かれたのか、ぜひ詳しく聞きたいところだ。
「あら? そちらの方は?」
思わず聞かれて、俺は無言で頭を下げる。
「えぇっと、これを話すには少し時間がかかるというか……」
するとメアリさんは目から星がこぼれそうなくらい輝かせ、興奮しながらサクラの方へ近づいていく。
「まあまあまあ! そうね、サクラちゃんもお年頃よね――――おめでとう!」
『――――え?』
これには俺自身も驚きを隠せずに声を出してしまったが、どうやらあちらも同じようで困惑しているらしい。
「あのー……メアリさん?」
「いいのよ…女の子は恋をしていくことで強くなっていくの、隠さなくても私にはちゃんとわかっているから……」
「いや、そうじゃなくて」
「でも……万が一ってこともあるから……」
「聞いてますか? 私の話?」
「ちゃんと、その…………避妊具はつけるのよ?」
「………………」
――――この時、俺は悟った。
女はどこまで行ってもその本質は獣なのだと。
類は友を呼ぶと言っていたが、これは友なのではなく、同類が同類を読んだ証拠だろう。
天は二物を与えず――――何とも皮肉な言葉だ。
「さあ、中に入って? 疲れているでしょう、先にお風呂に入ってゆっくりとお話し聞かせて頂戴」
そういって満面の笑みを浮かべて奥へと消えていくメアリさんとその子供たち、あの一言さえなければ天使のような人なのにと後悔するのはもう遅いだろう。
「お、おい……とりあえず中に入った方がいいんじゃないか?」
「…………」
この後、俺が全力で誤解を解く間の一時間半、サクラは一言も話すことは無かった。
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