誰も花を手向けない墓場の住人
「何してんの?」
抑揚のない、聞き慣れた声に振り向いた。
手は土に汚れているので、上げることはなく地面に下ろしたまま、腰も上げない。
それでも声を掛けたその人は、黒く長い髪を風に遊ばせながら立っていた。
「隊長」
波打つ黒髪を乱雑に、後頭部で一つにまとめて、黒いパーカーとサイズの大きいズボンを履いた女の人は、俺にとっての隊長だ。
不健康なくらいの白い肌は、どんな所の任務に行っても焼けたことがなかった。
真っ黒な目が俺に向けられている。
普段は敵を射抜くナイフのような目だが、今は硝子玉のような目をしていた。
無害、に見える。
「……墓、作ってました」
隊長の目が俺の手元に向けられる。
そうして、静かに、隣にしゃがみ込まれ、体が一瞬だけ強ばった。
「ちっさ」
「うぐっ!」
言葉のナイフが突き刺さった気がして唸ったが、隊長は視線を落としたまま動かない。
隊長の言う通り、墓は小さかった。
それこそ、金魚やハムスターを埋める程度の大きさで、ほんの少し小高い山が出来ているのみ。
傍らには、木と縄で作った十字架。
「そもそもさ。散々、人殺しして供養も何もないと思わない?敵だろうと味方だろうと、命はそこにある限りどれ一つとして変わらず、同じだ。それを奪う僕達に、悼む権利はあるんだろうか」
隊長の長い前髪が、隊長の顔を隠してしまう。
軍人として、生きてきた、生きている。
それはどうしたって変えようのない事実であり、敵だろうと何だろうと人を殺していることも、事実だった。
長年続く戦争と狂った世の中。
同じく狂うまでに時間はかからずに、自分が生きるためにはどんなことだってするようになる。
殺さなきゃ、生きられない。
軍人じゃなくとも、自衛のために殺すことくらい、殺してしまうくらいある。
土汚れの酷い手の平を見下ろせば、乾いた笑いが漏れて、隊長の視線を感じた。
銃を持ち、ナイフを握る――そうするうちに、手の平の皮は厚くなっている。
手を握れば、ぬらりとした赤の感触を思い出す。
久々に血が気持ち悪いと、死体が怖いと思った。
「まぁ、俺の自己満なんですけどね」
置いてあった十字架を刺す。
ザクリと強めに差し込めば、隣で小さく息が吐き出されるのが聞こえた。
土の匂いがする。
血の匂いも、消炎の匂いも、今はしない。
「他の人はどうでも良かったんですけど。別問題ってあるんですよね」
薄情でしょう、と笑って隊長を見た。
隊長は長い睫毛を伏せるように目を細め、俺の顔を見ている。
心の内まで見透かすような目だ。
「体、持って来れなかったし。これ、しか」
黒いTシャツの襟に腕を突っ込む。
首に引っ掛けた銀の鎖に繋がったそれを引っ張り出せば、金属同士が擦れ合うカチャリという音。
耳馴染みの良いその音も、今日は悲鳴のように聞こえた。
ドッグタグが二枚。
軍に入隊した時に作ってもらえる、オーダーメイド品で、一品物だ。
「十分だ」
ギクリと動いた体を、反射で隊長の方に向けた。
「たいちょ、」
「有難う」
耳に馴染んだ、脳髄にまで染み渡っていた声。
短い言葉には、これまで聞いたことないくらいに感情が詰まっているように思えた。
色々なものが圧縮された、声。
横には、誰もいない。
首にぶら下げた二枚のドッグタグ。
一枚には軍に入隊した時に貰う個別番号と俺の名前。
「たい、ちょう……」
もう一枚には、今の今まで知り得なかった隊長の名前が刻まれている。