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七話 「アカリの愚行」

 アカリが郵便屋に雇われてから、一週間ほど経った頃だった。朝の十時過ぎ。開業を待っていた客を全員さばき、ルーナをケンジードと遊ばせて、暇を持て余していたときだった。


「あの子、さっきから一人でいるんだけど……」


 隣で、暇そうに宿屋を訪れる客を眺めていたアカリがふと声を漏らした。彼女の視線を辿ると、グルード像の横——よく待ち合わせに使われる場所に、健康的な小麦色の肌をした少年が一人で立ち尽くしていた。


「誰かと待ち合わせしてるんだろ」


 お互いに目も合わせずに、会話を交わす。たった一週間で随分と慣れたもので、アカリの毒は勢いをなくし、それに呼応してミズキのからかいも頻度を減っていた。


「それにしても長いわよ。もう一時間くらい経つのよ?」


「……約束破られたんだろ」


 連日の予想外の繁盛で、完全に疲労困憊のミズキは気の抜けた返事をする。カウンターに肘をつき、頭の重みを全て手に預けているせいで眠気がミズキを取り巻く。


「大丈夫かしら……」


 眠い。その感情だけがミズキを支配しようとしているのに、すぐ近くに座っているアカリの唸り声がそれを許さない。そのどっちつかずの状況にミズキは痺れを切らして——よりも先に、アカリが我慢の限界に達した。


「ちょっと声かけてくる。ちゃんと店番してなさいよ」


「それはこっちの台詞だ……っておい。わざわざ関わらなくてもいいって」


 ルーナと二大看板娘として名乗りを上げ始めたアカリに店番について指摘され、力ない反論をしているうちに彼女は少年の元へ歩み寄っていった。急いで制止の声をかけるが、彼女の動きを止めるには至らない。


「本当、難儀な性格してるよな」


 口では強気で——それどころか喧嘩腰で話すというのに、根は困っている人を見捨てられないお人好しなのだ。ドントの件も、今だっていい例だ。昨日だって、遠くの席で水をこぼした人の片付けを手伝っていたりした。超がつくほどのお人好しである。


 アカリは少年の正面にしゃがみ込んで、何かを話し始めた。客足はほとんどなく、雑音など微々たるものだったが、しかし広間の中央に祀られているグルード像の位置からでは、隅にある郵便屋に声が届くことはなかった。


「————」


「——————、——」


 二人の表情、雰囲気。——どうやら穏和な会話のようだ。子どもなのだから、物騒な話題が上がることなどあり得ないだろうけど。そうやって安心しきったミズキは目を閉じて、睡眠に入ろうとした——が、どうも違和感が拭えない。機能を停止しようとした視覚を再起動して、アカリと少年の会話風景に目を凝らす。


 何がおかしいのだろうか。微笑ましい光景のはずだ。少年の目を見て笑顔で話すアカリと、ミズキの目を見て笑顔で話す少年。


「見てる……のか?」


 その表現が正しいのか、ミズキには分からなかった。確かに視線はミズキに向けられていて、少なくとも意識はされているはずだ。ただ見ているというよりは——、


「監視されてるよな」


 何にせよ、興味があるから見ている、というような目ではない。何か悪巧みをしているような、そんな表情だ。


「あっ」


 少年の心中を探っているちょうどそのときだ。瞬く間に悪巧みは実行された。アカリに何かを耳打ちして、目を閉じさせたかと思うと、身軽な動きでアカリの背後に回り込み全身を沈み込ませる。そうして次の瞬間にはアカリの着物の裾が捲り上げられていた。


「——きゃあっ!!」


 少年の思わぬ行動に、コンマ数秒を経てアカリの悲鳴が上がった。アカリが振り返るのと、少年が走り出したのはほぼ同時。結果、自らの痴態を隠すことに専念していたアカリは下手人を逃してしまった。


「すげぇ……」


 ここまでのやり取り、実に十秒ほどのことである。少年のしたことが悪事とは言えど、洗練された動きとしか言いようがない。実際、無駄な動きなど一つもないように見えた。——アカリの興味を引くところから、逃げるところまで。


 目を閉じて、一部始終を想像しながらミズキはぽろっと独り言を漏らした。


「惜しむらくは、あいつにしか見えなかったってことか」


 それは無意識のうちに発せられた感想だった。少年の背丈は目測百四十センチ程度。彼がしゃがみ込んだとなれば、椅子に座っていたミズキよりも随分と目線が低くなる。その彼が彼自身のために犯行に及んだのだから、高い位置から見下ろしていたミズキからは「中」を拝むことは叶わなかったわけだ。


「なんで助けてくれないのよ」


 ふと不可視の一撃が、苛立った様子の声とともに頭部に放たれる。声と拳の主はもちろんアカリで、頬にとどまらず顔全体を朱色に染めていた。


「あれは早すぎるし、速すぎるだろ。俺が立ち上がろうとした時にはもういなくなってたよ」


「その格好が立ち上がろうとしてた格好?」


 反論はできない。カウンターに肘をつき、思いっきりリラックスモード。おまけに目を閉じていたのだから、立ち上がるどころか動く気すらなかったことは一目瞭然だ。急いで姿勢を正して取り繕うが、アカリの冷たい視線は変わらない。


「……ところで昼も近くなってきたけど、どうする? 俺は今日もゴブリン定食でいいんだけど」


「そうね、私もそれでいいわよ……って、話をそらさないで。それより——」


 ミズキの露骨な話題転換につっこんで、アカリは指を絡めながら話を続けようとした。だが、アカリの言葉は一人の少年に遮られた。


「すいません」


 見覚えのある顔だ。それどころか、忘れられない顔だ。——先ほどアカリに破廉恥を働いた変態少年である。


「あ」


 郵便屋の二人の声が重なった。少年のにこやかな幼顔が、カウンターの下からひょこっと飛び出していた。


「謝ろうとしても遅いわよ。私は甘くないんだから、覚悟しなさ——待ちなさい!」


 アカリの怒りに満ちた宣言が言い終わる前に、少年は駆け出した。先刻同様に眼を見張るほどの逃げ足の速さだ。追いかけようとするアカリも着物の運動性の低さも相まってか、すぐに追跡を断念する。


「はぁ……本当になんなのよ。まるで私のことをバカにしてるみたいに……」


「俺にはそういう風にしか見えなかったけどな」


 捕まるかもしれないという危険を冒してまで顔を出しに来たのだ。それに加えあの満面の笑みである。少なくとも、謝るために再訪したのではないことだけは確かだった。


「ん? あの変態くんの手紙か?」


 カウンターの上に、二つに折られた茶色の紙が置いてあった。そこはミズキが肘をついていた場所で、少年が来て姿勢を正す前までは何もなかった。となれば、手紙の主は少年だろう。


 手紙を手に取り、中身を開いてミズキは困惑した。内容がとても手紙と言えるようなものではなかったからだ。


『グルード様より

 せきちゅうせんぐおうぐんちくのきくすきりんや、べりせんいとぐきすのせんやそうぐへこきせい』


「あの子が置いていったの?」


「たぶんな」


 横から手紙を覗き込んでいたアカリが、訝しげな表情で聞いて来た。あくまで推測でしかないが、状況から言ってほぼ確定と言ってもいいだろう。しかし問題は手紙の意味である。ただの嫌がらせ、というには少々手が込みすぎている気がする。なぜなら、


「あの子が書いたわけじゃないよな」


 字体や、紙の中でも高級なアダント紙を使っていることから大人が書いたものとみて間違いないはずだ。この手紙が悪戯だとするなら、それに加勢した大人がいたということである。——可能性としては極めて低い。


「どういう意味なのかしら。グルード様っていったらあそこに建ってる像が、グルード様なんだけど……」


「関係あるのかもな」


 どことなく楽しそうに話すアカリに、ミズキは一応乗っておいた。どうやら探偵ごっこのような気分なのかもしれない。わざわざそんなことをするまでもないと思いつつも、ミズキは手紙を懐にしまってアカリの謎解きの手伝いをすることになった。


「何か手がかりとかあるのかしら……」


 幸い——と言い切れないが——郵便屋を利用する客の姿は見当たらないため、グルード像を調査することになった。


 後ろに撫で付けられた長髪の男が、右手に両刃剣を左手に本を持っている像だ。鎧を重厚に着込んだ姿は英雄そのものだ。この姿が一般的なのだろう、ミズキが街で時々見かけるグルード像も同じ姿をしていた。


「アカリ」


「何? 何か見つかったの?」


 ミズキの声に調子よく反応したアカリが、像の反対側からミズキの元へ駆け寄って来た。


「いや、このグルードさんって何したのかなって」


「——え?」


「だから、グルードさんって何したの?」


「…………」


 どうやら声が小さかったらしいと、ミズキは同じ内容を繰り返すが、アカリからの反応は得られない。やはり聞こえなかったのかと、三度目の質問を口にしようとしたところでアカリが口に手を当てて、あり得ないという風に反応を見せた。


「英雄グルードよ?」


「知ってるよ、よく名前は聞く」


「それなのに何をしたかも知らないの? あり得ないわ……この国に住んでたら誰でも知ってるのに……」


 目を細め、冷徹な視線を浴びせてくるアカリに対して、ミズキは自らのこの世界での生い立ちを説明を始めることにした。


「そういえばアカリには言ってなかったな。俺の故郷はここから遠いところにあって、この国に来て一年しか経ってないんだよ」


「——異国の人ってこと?」


「そういうことだ」


 正確に言えば異世界の人、になるのだが、そこは黙秘権を行使させていただくことにする。話がややこしくなるだけで、利益など何一つないからだ。実際、あの時も不利益しか被らなかった。


「ますますグルード様に縁があるとしか思えないわ……。長髪で出身が異国。——それなのにグルード様のことを知らないって本当なの?」


「本当だって」


 迂遠すぎるアカリに少しだけ苛立ちながら、ミズキは肯定を続ける。


「……俺は本も読まないし、積極的に外に出るわけじゃないからそういうことには疎いんだよ」


 言葉に少し詰まったが、嘘は言っていない。正しくは、こちらの世界の本は読まない、だ。元いた世界ではむしろ読書家だと言えるくらいには本を読んでいた——友達がいなくて暇だったからという悲しい理由ではあるけれど。


「仕方ないわね……。グルード様はね——」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 


 昔々、アダント公国にグルードという男がやって来ました。彼はとても貧しいようで、着ていた服はボロボロ、顔もやつれてしまっていました。そんなときです。アダント公国に大量の赤軍が攻め入ってきました。


「イフリート様の復活だ!」そんな怒号が公国の壁に近づいてきます。もし壁を突破されてしまえば、国民が住んでいるところまで簡単に攻め込まれてしまいます。それに、ちょうどその頃は飢饉のせいで兵士たちの士気も下がっていました。


「もうだめだ」「もうこの国は終わりだ」国民の悲しみに暮れる声がそこら中から聞こえます。赤軍を迎え撃つために集められた兵士もどこか諦めたような顔をしていました。ギルダンテ帝国のある方からどんどん近づいてくる赤軍。兵士の誰もが負けを確信した——はずでした。


「下がってな」力強い声とともに、ボロボロの服を着た男が兵士の前に立ちました——のちに英雄と呼ばれるグルードでした。その後のことはあまりの速さで、誰も覚えてません。グルードを先頭にした兵士達の前には、もう赤軍の姿はありませんでした。


「もう大丈夫だ。——こっちに来て初めていいことしたな」グルードはそう言ったと言い伝えられています。


 こうして私たちが知る、英雄グルードは生まれたのです。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「へぇー……。それがグルードさんの英雄譚ってわけか」


「そうよ。グルード様がいなかったら、この国は滅んでいたかもしれなくて……」


 アカリの歴史の説明——もとい、何かの絵本の受け売りだと思われる物語を聞いて、ミズキはグルードが英雄と呼ばれる所以を知った。どこか腑に落ちないのは、ぼやけた部分が多いからだろうか。


「で、そのあとグルードさんはどうなったの?」


「それは諸説あり、なのよ! この国で死んだっていう話もあれば、どこか他の国へ旅立ってしまったという話もあるし……」


 どこの世界でも歴史は曖昧なところが多いらしい、とミズキは納得して、アカリのどこか浮ついたような態度に疑問を抱いた。


「なんでそんなに興奮してんの?」


「——ッ! 誰が興奮なんか……」


「いや、明らかに楽しそうなんだけど」


 いつもは人を蔑んでばかりのアカリがグルードだけはべた褒め——異常だった。


「……小さい頃に、マルシア——お手伝いさんからグルード様のお話をよく聞いてたのよっ! だからグルード様のことはよく知ってて、それで尊敬してて……」


 話せば話すほど顔がピンク色に近づいていることを言うのは野暮だろう。そのことは必死に両手で顔を覆っているアカリが一番わかっているはずだから。


「それで歴史上のグルード様を好きになった、と」


 結局、ミズキは別の野暮なことを言って先ほどの気遣いを無にした。少し話すようになったら馴れ馴れしい、という元の世界でのクラスメイトからの評価を思い出す。


「なっ……! す、好きとかじゃ……それに今ならミズキの方がっ!」


「ん?」


「ミズキの方がぁ……」


 アカリは声を初めて出したかのように小さく呟いて、宿屋の客室に続く階段を駆け上がっていった。


「調子狂うな……」


 ミズキはアカリよりも小さく独白を漏らした。ミズキにとってアカリのような女性——どころか、同じくらいの歳の女性と話すことはとても珍しいことだった。元の世界でのミズキの学校での立場はよくて物静かな男の子、悪くてただの一人ぼっちの人だ。そんな彼に女性に対する免疫はゼロに等しかった。


「どうしたんだい? そんなに悩んで。僕でいいなら相談に乗るけど」


 いつにも増してキザな台詞を口にしながら近づいて来たカートに、ミズキは軽く手をあげる。それに合わせてカートも手をあげて反応して、


「さっきアカリちゃんがすごい勢いで走ってたけど」


「あぁーっとさ。ほんと女子って難しいよな」


「それは誰かさんのことだと思っていいのかな?」


「大方予想通りだ」


 答えにならない返答をしても、カートはその裏の意味を理解してくれる。だからこそ、少しも気兼ねすることなく、こうやって悩みを打ち明けられるのだろう。


「難しくてもいいんじゃない? 僕はミズキの雰囲気とか好きだけど」


「カートに言われても嬉しくないけどな」


 ミズキは、カートに知っているかと言いたくなった。カート定食屋を訪れる女性客の半分はカートと会うことを目当てにやって来ていることを。


「それより仕事はいいのか?」


「もう十二時になるからね。休憩時間だよ」


 カートの言葉で、ミズキは入り口に入ってすぐの場所にある大時計に目を向けた。アンティークな時計盤の中で、短針は十一と十二の間、長針は十の位置を指していた。


 早くも一日の半分が過ぎてしまっていたことに気がついて、懐から手紙を取り出した。そうして数秒の時間をおいて、


「——ちょっと出かけてくるわ。もしアカリかルーナが降りてきたら、俺は出かけたって伝えておいてくれ」


「わかったよ」


 そう言って、ミズキは手紙を強く握りしめた。数日ぶりの外出だ。両開きの褐色の扉を開いて、ファンタジー世界へ——、


「あっ」


 飛び込んで来た映像は亜人獣人が行き交うあからさまな異世界ではなく、褐色の少年がニヤついた顔で立っている光景だった。

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