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六話 「女っぽさと男らしさ」

 昼食を終え、ルーナを自室へ送り届けたミズキに声がかけられた。少し中性的でいて、魅力のある声だ。何度も聞いたその声は、もちろんカートだった。美形としかいえないカートの顔は天窓から射す光に照らされ、ミズキに格の違いを見せつけていた。


「ちょっと手伝ってくれない?」


「あぁ、そういえば昨日は約束破っちゃったからな」


 ミズキはカートの言葉で昨日の約束を思い出した。午前の仕事が終われば昼に手伝う、という約束だ。しかし、それは結局果たされることはなかった。ということで、


「よし。今日から平常運転といきますか」


「いっつも悪いね。ミズキだって郵便屋あるのに」


「いいんだよ。今日はアカリもいるし」


 言いながら、アカリを一瞥して、ミズキは席から立ち上がった。


「ちょっと店番しててくれるか? 引き出しの中に紙とインクとペンは入ってるから。あとは手紙一枚につき銅貨一枚な。それとお客さんに、送りたい人の家を想像しながら名前を書いてもらってくれ」


「そんなにいっぱい言われてもわかんないわよ」


 アカリは必死に覚えようと腕を組んでミズキの話を聞くが、どうも覚えきれないらしい。仕方なく任せてやることにする。


「よし、頑張ってな」


「ちょっと……!」


 背面で抗議を訴えるアカリの声に気づかないふりをして、ミズキは定食屋の厨房に向かう。


「いいのかい?」


 カートはアカリが郵便屋のカウンター業務に入ったのを見計らって、不安の声をあげた。任せても良かったのか、ということだろう。


「大丈夫だよ。アカリがいない時だってこうやって手伝ってたわけだから」


「まぁたしかにそうだね」


 ミズキの少し薄情な答えに、カートは苦笑いして肯定する。もう一年の付き合い。カートはミズキの性格を理解している。


「さてと、もうそろそろ調理に入るかな。僕は向こうにいるから何かあったら声かけるんだよ」


「わかってる——そういえば」


 ミズキは忘れていた、というように頭をおさえてカートに伝言を伝えた。


「昨日、ケンさんが頑張れって言ってたわ」


 昼に定食屋を手伝う時に済ませようと思っていた伝言だった。しかし、それは手伝いもろとも果たせず、ミズキの中で消えるところだったのだが、なんとかカートに伝えることができた。


「ふふっ、今それを言ったってしょうがないでしょ」


「まぁそれもそうだな。でも、言わないってのもモヤモヤするだろ?」


「たしかに」


 二人はそこで会話を終わらせ、調理に取り掛かった。カート定食屋の従業員はカートを含めて十人程度。そのうち三人は注文を聞きに行く担当なので、実質、厨房担当は七人だ。となると、昼時の混雑時には人手が足りなくなることがしばしばある。そこで猫の手——ならぬミズキの手を借りるわけだ。


「ゴブリン定食二つー!」


「はいよ!」


 ミズキは元気のいい返事をして、貯蔵庫からゴブリンの肉を取り出す。適切に血抜き処理がされた上等な肉だ——ゴブリンの肉、ということで上等ではないのかもしれないけれど。


 たとえ下等でもゴブリンの肉は美味い。見ているだけでよだれが垂れそうなほどではあるが、今ミズキがするべくは食事ではなく調理だ。


 ミズキは用意されたエプロンの腰紐を締め直して、気合いを入れて調理に取り掛かった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「ミズキって案外料理できるのね……」


 非常勤コックを終え、郵便屋に戻ったミズキがアカリに最初に言われた言葉はそれだった。業務を投げっぱなしにしたことを罵倒されると想定していたミズキにとっては予想外だ。


「まあこれでも一人暮らし歴は長いからな」


「ふーん……」


 自分で聞いておいて、アカリはどこか上の空だ。そんな彼女をからかいたくてミズキは根も葉もない言いがかりをつける。


「アカリって料理できないんだろ」


 思いつきで言ったことだった。いつもと違ってしおれているアカリを見て、そう邪推しただけだった。それなのに、


「な、なによ! そんなわけないでしょっ! 私が、料理が下手、なんて……」


「へー、図星か」


 本当にわかりやすいなと、ミズキは思わず笑った。自分ではいつもの毒舌で返しているつもりなのだろうが、いつものようなキレなんてものは全くない。そのことに気づくことはなく、アカリは弁明を続ける。


「料理が下手っていうか、やったことがないだけだし……。やればできるかもしれないし……」


「じゃあ、手伝ってくる?」


「……遠慮しておく」


 アカリはミズキに顔を背け、カウンター業務に戻った。その姿は様になっていて、なるほどミズキが帰ってくるなり言いがかりをつけなかったのは彼女に適性があったかららしい。


「それよりも——」


 怒りを声ににじませ、アカリはミズキに白く細い指を突きつけた。続く言葉はミズキの予想通りのものだった。


「なんでこんなに戻ってくるのが遅いのよっ!」


 ——時計はすでに夜の七時を知らせていた。


「いやー、ちょっとカートと盛り上がっちゃって」


「盛り上がっちゃって、じゃないわよ! 私がどれだけ苦労したことか……」


 楽しげにカートとの昔話をしたことを話すが、アカリはどうも納得していない様子だ。それもそうだろう、今日は久しぶりの大繁盛だったのだから。ただし、


「すごいお客さんの数だし、不慣れな私を責める人もたくさんいて、それに手紙もどんどん溜まってく一方だし……」


「そりゃ今日は商人の休養日だからな。それも一ヶ月に一度の。客が増えることは予想済みだ」


 ミズキにとって大繁盛は想定内だったのだけれど。


「まさか、だから私に……」


 アカリは一本取られたと言わんばかりに肩を落として手元の手紙を視線で示した。


「これ。ミズキがいない間に頼まれた手紙よ」


「すごいな。頑張った頑張った」


 白々しく褒めて、頭を撫でようとしたミズキだったがアカリは予想外の速度の反応でミズキの手をかわした。どうやらまだ受け入れられてないらしい。


「さてと、これを片付けたら今日の仕事も終わりか」


 そう思ったその時だった。


「おいっ! 俺は奴隷じゃねぇ!」


「ふっ、貴様のその格好が奴隷でないというならなんだ? わしには奴隷のそれにしか見えんがな」


 年季を感じさせる怒声が部屋中に響いた。それに応じる声音はとても遠慮なんてものは感じられない罵声で、それだけで性根が腐っていることがわかるほどだった。


「ねえミズキ。あの人たち止めに行った方が……」


「ほっとけほっとけ。ああいうのに関わるだけ時間の無駄だ」


 ミズキのその触らぬ神に祟りなしの精神は元の世界で形成されたものだった。来たるべき時のための省エネ生活——これがミズキの考えであり、行動原理だった。今ではその影は薄れつつあるが、根本的な部分では変わってないと言えるだろう。だからこそ、放置しようとアカリに提案したのだが——、


「男なのに情けないわね。困ってる人がいたら助けないと……!」


 言いながら、アカリは歩き始めた。貴族と言わんばかりに金色に染められた長髪をなびかせる貴族風の男と、禿頭と強面が相まって威圧感を演出している貧民街出身であることは明らかな男の元へ。


 その勇姿を見届けながら、アカリの思う困っている人がどちらを指すのかを考えるが、ミズキには見当もつかなかった——そもそも見当違いなのだが。


「やめなさい! 周りの人たちが困っているでしょう!」


 男性二人の睨み合い。今すぐにでも暴力沙汰の喧嘩になりそうだというのに、アカリは物怖じなど知らぬ風に間に割り込んでいった。遠目から見ていたミズキにもわかるほど、二人の男は狼狽している。


 ひとときの静寂。しかし、それは驚きと戸惑いによるもので根本的なものは何も解決してはいない。やがて、


「なんだお前! 注意すんならこいつにしろ! 俺はただ飯を食ってただけだ。それなのにこいつが俺のことを睨んで来て、奴隷だなんて言い始めたんだよ!」


「何を言うんだ貴様は。わしはただ貴様を哀れんでいただけだろう」


「おめぇに哀れんでもらうほど切羽詰まってねぇ!」


 アカリの制止など意に介せず、二人は口論を続けた。いや、悪い方向ではアカリの制止は意に介したと言ってもいいのかもしれない。


「どうしてくれるんだ? お嬢さんのせいでわしが悪者扱いされているのだが」


「知らないわよ。あなたも悪者なんだから当たり前じゃない」


 意地悪な顔でアカリに責任を問う貴族風の男の指輪が嫌に光る。それにアカリが反論を始めたところで、ミズキは「おい」と窘めながら三人の間に割り込んだ。


「アカリ、もういいだろ。お前が話に入ってもややこしくなるだけだ」


「何よ。私は何も間違ったことなんて……」


「間違ってないことがいつでも正しいわけじゃないんだよ。戻るぞ」


 ミズキは理想論を説くアカリを引き連れて、郵便屋に戻ろうとする。できるだけ穏便に事を済ませるために、貴族風の男に声をかけられないように。しかし、その目論見は肩にかけられた毛むくじゃらの手によって引き裂かれた。


「——わしを辱めてただで済むと思っているのか? もしそう思っているのなら愚考だ。この指輪も目に入らんとはな」


 男が見せつけるのは右手の親指に嵌められた濃緑色の指輪。繊細なレリーフが施され、中央には緋色の宝石があしらわれたいかにも高級な指輪だ。それが何を意味しているのか。世界の情勢に疎く、自分の住んでいる国のことすらほとんど知らないミズキですら、その意味を理解した。


「イートン商会、だな」


「そうだ。ということはわしが誰かもわかっているようだな」


「もちろん。我らがアダント公国の一番の金持ち、ドント・イートン様、だろ?」


 ミズキはいつもと変わらない風を装って、言葉を選んでドントの質問に答えた。それが功を奏したのか、ドントも特段機嫌を損ねたような様子はない。


「ふん。表現が陳腐で、口は悪いが、あながち間違ってはいない。貴様の方は少しは理解があるようだな。——そこの小娘とは違って」


「口が悪いわね。あなた」


「おい……!」


 依然、悪態が止まらないアカリをミズキは肘で強めに小突く。いくら世間知らずのアカリといえど、イートン商会は知っているとは思ったのだが。それは見当違いだったようだ。


「貴様こそ口がなっていないというものだ。まさか顔と性格だけでなく、口も悪いとはな。貴様の存在価値が計り知れるわ」


「何を……」


「要は貴様はそこの男のお荷物ということだ。折角わしを怒らせることが危険だということをわかっていたというのに貴様のせいでこの男は……。かわいそうだ」


 三人の男と一人の女を取り巻く群衆に不穏な空気が漂い始める。何かが起こるわけではないが、ドントの人格否定がその場にいた全員の心に怒りを募らせていった。——例外なく、ミズキにも。


「すみませんが、アカリは荷物なんかじゃありません。正真正銘の仕事仲間です」


 悪意に満ちた顔でアカリを睨むドントの目の前で、ミズキは仁王立ちした。言い訳のできない、紛れもない反抗だった。


「ほう、貴様はわしの言っていることが間違っているというのか?」


「そうです」


 揺るぎない肯定がミズキの口から放たれた。先ほどよりは柔らかい声音。しかしそれは表面だけの柔らかさだ。


「そこまで言うのならわしも優しいままでは……」


「そこらへんでやめてくれや」


 ドントが懐から光沢のある鋭利なものを取り出そうとしたと同時に、聞き慣れた声が割り込んで来た。荒い印象を受けるが、実際はその真逆でお人好し。皆に愛されている宿屋の主人だ——しかし、今ばかりは優しさの片鱗も見られない。


「あんただって今代で商会を終わらせたくはないだろ?」


「……何を言いたい」


 先ほどまでのドントとミズキの対立は一転、ケンジードが場の主導権を握る。一見いつも通りに見えて、あくまで強気な姿勢だ。それも国の大商人に対して。理由があるのかどうかはわからないが、ケンジードの言葉にドントがうろたえているのは確かだ。


「わからないか?」


「……くそっ! 今日は帰ってやるが、次会った時は命はないものと思え!」


「そうか。またのご来店をお待ちしています」


 ケンジードの会心の皮肉がドントに突き刺さり、ドントは顔を赤く染め上げて荒々しく宿屋を出て行った。一仕事終えたと言うようにため息をつくケンジードに、野次馬の惜しみない拍手が送られる。


「ありがとうございます。ケンさんが来てくれてなかったら……」


「俺が来てなかったらミズキがどうにかしてただろうよ。——みんな! 飲みに戻れ戻れ! まだ夜は長いぞぉ!」


 ケンジードは過大評価とも言える言葉をミズキに伝えて、群衆に叫びかけた。それに一同は大きく雄叫びやら指笛やらで応えて、再び酒盛りが始まる。


「すまねぇな。おめぇさんに迷惑かけたな」


「いや、大丈夫ですよ」


 群衆から抜け出て、ミズキに頭を下げたのは禿頭の男——ドントともめていた男だった。


「俺も別におめぇさんらに迷惑かけるわけじゃなかったんだがよ。どうもあいつの目線にイラついちまってな」


 予想外の誠実さに驚いて、ミズキも遅れて頭を下げた。謝ることなんて一つもないのに、そうさせられたのは禿頭の男の威圧感のせいだろうか。


「——ありがとな。この恩は忘れねぇぜ」


 男はそれだけ言って、宿屋を出て行った。嵐のような二人が去ったところで、カートが困り顔でミズキに話しかけてくる。


「逃がしちゃったか……」


「どうした? ——あっ」


 言葉の意味がわからず、ミズキは何があったのか説明を促す。しかし、そのすぐ後に自分の愚かな行いを思い出し、罪悪感に苛まれた。


「お金払ってないってことか、ドント・イートンも禿げたおじさんも」


「まあ、そんなに高いものを食べてたわけじゃないんだけどさ。ミズキがやってくれてるみたいに、料理を渡す時にお金を貰った方がいいのかな……」


 そんな風に定食屋の会計システムに不安を感じながら、カートは厨房に呼ばれ、「じゃあね」と、颯爽と戻って行ってしまった。


 やっと一件落着。改めて自分のしたことが、どれだけ危険だったかを思い出し、次こそは絶対に無視すると反省しながら郵便屋に戻ると、



「……大丈夫だったか?」


 一足先に郵便屋に戻っていたアカリが俯き加減で椅子に座っていた。彼女は艶のある赤髪を指に巻きつけながら、大きく息を吸った。どうやら苛ついているらしい。この調子では「大丈夫も何もないわよ。ミズキのせいでこうなったんでしょ」なんて返事が来るのだろう。そう思っていた。


「ごめん」


「いや、俺のせいじゃない……え?」


「だから、ごめんって言ってるの」


 何があったというのか。今までとは比べ物にならないほど誠実な顔つきでアカリは謝罪を述べた。本当に何があったのだろうか。


「もしかして毒でも……」


「飲んでないわよ! ……ただ悪いなって思っただけ」


「いや、別に何も……」


「ミズキのこと女々しいなって思ったの! 料理が上手だったり、着物だってこんなに綺麗に作れるし、ルーナちゃんにも好かれてるし……」


 アカリは突然、罵り調子でミズキを褒め始めた。どうやら何かしらの毒を飲んでしまったことは疑いようがなかった。そうでなければおかしい。


「だけど、今のでやっぱり男らしいなって。——助けてくれてありがとう」


 最後に小さく聴こえた一言。ミズキは再び先を越されてしまったことを後悔する。一回目どころか、二回目までも先に言われるとは。お礼をするべきなのはミズキの方なのに。


「ほら、手紙届けに行かないと」


 後悔をアカリの言葉で塗りつぶして、胸の中にしまい込んだ。どうやらその言葉をアカリに伝えるのは今ではないらしい。


「そうだな」


 ミズキはそう言って積み上がっている手紙の中から一枚を取り出し、それに対応する名前が書かれた紙を手に取り、目を閉じた。


 赤い屋根に茶色の壁。四つに区切られたガラスが嵌められた扉に掛けられた看板は、店の名前だろうか。建物の前に植えられた暖色系の色の花たちが綺麗だ。匂いは——混ざっても嫌になっていない。


 そこまで鮮明に世界が映し出されたところで、指先から紙の感触が消える。


「アカリは戻ってていいぞ。俺一人でできるから——って、どうした?」


「それ……何よ……」


 アカリの化け物を見るような目で、自分の能力の説明をしていなかったことに気がついた。彼女は自分のことを何も知らなくて、自分自身も彼女のことを知らない。まだ二日しか一緒にいないのだから当たり前ではあるけれど。だから、


「これはな——」


 教えて、知ってもらおう。そうしてアカリのことも知ろう。そんな気持ちが無意識に芽生えていることに、ミズキは気がつかなかった。


「——そんなこともできるのね……グルード様みたい」


 手紙を送りながら、自らの使いどころが限定される能力を説明し終えたところで、アカリはそんな感想を漏らした。他人事のような感想。実際、他人なのだから当たり前ではあるが、それを加味してもアカリの言い方には突き放すような冷たさがあった。


「なんだよ」


「やることないじゃない。料理もできて、仕事もできて、私がここで働く意味って……」


「それは最初に言ったと思うけど」


 冷ややかな物言いの理由がわかった。劣等感、そこからくる反抗だったのだ。しかし劣等感なんてものはミズキもアカリに感じている。美形も然り、何事にも物怖じしない態度然りだ。ドントと向かい合った時なんて、全身の感覚が心臓に集まったような錯覚を起こしたものだ。


「いや、まさか本当だなんて思わなかったのよ。ミズキなんて、見たからに何もできない風に見えたし、強がって言ってるだけなのかなって思ったの」


「初対面からそんなこと思ってた、と。本当、口の悪さには頭が上がらないわ」


「なんでもできちゃうミズキが悪いの!」


「言いがかりがひどいな……」


 いつもの悪口に磨きがかかるアカリに、ミズキは嘆息して、彼女の艶のある赤髪に手を乗せた。


「ルーナとも仲良いみたいだし、今日だって手紙の整理してくれただろ? まだ一日しか働いてもらってないけど、案外助かってるよ」


 どうしてキザな台詞がこうも次から次へ放つことができるのか、自分にも分からなかった。異世界に来て、同じくらいの歳の人との接し方と距離感を失ってしまったからだろうか。それとも元来の自分の性格なのだろうか。どちらにせよ、気色が悪い。


 そんな風に自己嫌悪に陥っていたミズキを、アカリは——頬を朱に染めて見上げていた。


「……よし! 部屋に戻るか! ルーナも待ってるからな」


「そ、そうね。私も今日は疲れたわ!」


 お互いに白々しく、それぞれの部屋に戻ること——つまり顔を合わせないことを提案して、そそくさと歩き始めた。ミズキは最短距離で部屋の扉の前に到着し、最速で部屋に体を滑り込ませた。


 呼吸が乱れている。ドントの目の前に立った時とは比べ物にならないくらい、心臓が暴れまわっている。


「あーくそ……」


 まだ指の間を透き通っていった髪の感触が残っている。もう一度手を掲げるが、乗せる相手もいなくて——、


「どうしたのー?」


 手の下にルーナが潜り込んで来た。ミズキが帰って来て嬉しいのだろう、屈託のない笑顔を顔に貼り付け、両手を掲げてミズキに抱擁を要求して来た。


「よーし、後で一緒にお風呂入るか」


「うんー!」


 ルーナを抱き上げて、ミズキはアカリの恥じらう表情を思い出す。少し困ったように下がった眉と、ピンク色に染まった白い頬。長い睫毛に囲われた上目遣いの赤眼が、いつもとは違っていて。


「なんで笑ってるの?」


 ミズキはルーナの無邪気な問いかけで、自分が笑っていることに初めて気がついた。それと同時に、アカリの存在がルーナの半分ほどの大きさにまで膨らみ上がっていることにも気がついてしまったのだった。

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