五話 「こちら異世界郵便屋、お手紙承っております!」
「こちらの手紙ですね。確かに受け取りました」
「今日も頑張れよ」
「はい」
開業した時から郵便屋を利用してくれているお得意様の男性の手紙を送り先へ届けて、ミズキの午前の業務は終了した。十時きっかり。いつもと同じ時間にいつも通り——それが問題ではあるのだけれど。
「アカリンはー? お仕事さぼってるの?」
眠たげに椅子に座るミズキの膝の上に、看板娘として乗っているルーナから疑問を投げつけられる。愛称じみた呼び方は昨日、仲良くなったからだろう。そのルーナから発せられる疑問は的を射ていた。
「いや、自分から押しかけて初日からサボりってのはないと思うんだけどな……」
と自分で言いながらミズキは顔をしかめる。昨日のゴブリンの肉然り、ケンジードへの無礼然り、彼女は世間を知らない部分が多々ある。初日の仕事に遅れる粗相を働く可能性も否定しきれない。
「せっかく頑張ったんだけど」
呟き、カウンターの外へ出ようとしたその時だった。二階に続く階段から降りてくる影をミズキの双眸が捉える。赤い髪を揺らして、毅然とした態度で歩く影だ。その姿に見覚えがあるのは彼女の印象が強かったからだろう。しかし、その印象を受けた時とは全くちがう服装だった。
「————」
「何よ。——どう」
見た目の美しさに言葉を詰まらせたミズキに、アカリはぶっきらぼうに服装の良し悪しを聞いた。白色を基調とした着物は所々に散りばめられた朱に彩られ、繊細な美しさを放っている。それはアカリの赤髪でさえ例外ではなく、彼女が着たからこそ、その着物の美しさが映えていた。
「いや」
予想以上に似合っていたことに一拍おいて、ミズキは言葉を紡ぐ。
「似合ってる」
短くて素っ気ない言葉。それでもそれしか思いつかなかったのだから仕方がない。——似合うという言葉がアカリのために作られたとさえ錯覚させるほどに。
「——昨日は、ごめん。いきなりだったし、私のせいでミズキの体調が悪くなったかもしれないし。それに、今日だってこんなに遅くになっちゃったりしてるし——」
アカリは目を伏せて弁明の言葉を繰り返す。昨日の彼女が嘘のようにしおれてしまっている。高圧的な態度は影もなく、今の彼女から感じられるのは心からの罪悪感だけだ。でも、
「そんなことはいいから。その着物はどう?」
ミズキが欲しいのは謝罪なんかじゃない。昨日のことなど、とうにミズキの中では消化されている。ミズキが求めているのは繰り返される「ごめん」よりも、一回の「ありがとう」だ。
眼をこすって必死で作り上げたのだ。全集中力を注ぎ、疲れが溜まることさえ厭わずに。その結果が予想以上の仕上がりだったのだから、これ以上に嬉しいことはない。だからこそ、わがままにも感謝の言葉が欲しいと願うのだ。
「結構綺麗だと思う……」
「そうじゃなくて」
ミズキはわざとらしくアカリを急かす。どうやらアカリもその意味に気づいたようで一瞬だけ眉を寄せるが、すぐに優しげな表情に戻す。そして、
「——ありがとう」
この言葉を聞くのにどれだけの時間がかかったのだろう。思えば、感謝を望んでいたのはアカリと出会った時からだったのかもしれない。やっと同じくらいの歳の人に出会えて、バカを言い合える相手ができて——違う。感謝をされたかったわけではない。むしろ、それをするのはミズキの方で。
「……あーっと、飯でも食うか。腹減ってるだろう? ルーナもアカリも」
出かけた感謝の言葉は意識的にかき消す。
——また今度にしよう。これでおあいこだ。
アカリの着物姿に目を奪われたことへの意趣返し。そんな理不尽な理由をつけて、自分の番は先回しにする。少しずるいかな、なんて思いながらゆっくりと立ち上がって、ミズキは思案顔のアカリに声をかけた。
「ゴブリン定食は嫌か?」
そんなことは聞くまでもない。昨日のアカリの反応を見れば好きになってしまったのは誰でもわかる。それでも聞いたのはアカリのツンデレが欲しかったからで。しかし、反応は予想外のものだった。
「好きになったわ——たぶん」
そうやって答えたアカリの顔が一瞬笑ったように見えて、ミズキの心臓が跳ね上がる。でも、続くルーナの「食べに行こー!」という掛け声で、甘い感情はどこかへ消えていく。
宿屋に夏特有の風が吹き込む。風が頬を撫で、ミズキは本当に異世界に来てから一年が経ったんだな、と深い感慨を覚える。それと同時に新しく異世界郵便屋が始まったのだとも感じた。
——賑やかな宿屋に異世界郵便屋の三人の「いただきます!」が楽しそうに響いた。
これにて第一章『異世界郵便屋の幕開け』は終了となります。第二章は『異世界郵便屋と英雄グルード』、ぜひ楽しんでいただけると幸いです。