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三話 「ルーナの嫉妬」

 薄い眉毛に奥二重。母親の特徴を色濃く受け継いだ美貌が路地裏に消えていった。


「花!」


 瑞樹は見知らぬ人に連れていかれる妹の名を叫んだ。数秒前までは隣で笑っていた花が暗闇に吸い込まれていく。


 警鐘を鳴らす心臓を意識的に抑え込んで、必死に足を動かす。右足と左手を前に振り出して、次に左足と右手を振り出す簡単な動作。それなのに不安と怒りのせいか四肢は言うことを聞かない。


「はぁ……! はぁ……!」


 向こうは軽くはないはずの女の子一人を抱えて走っているはずなのに、距離を詰めることはできない。こちらの息が上がるばかりで、瑞樹は焦燥感を覚えた。


 ——やばい。


 十三年間生きてきた経験と、現在の心臓の高鳴りが瑞樹に危険を知らせていた。左胸——ちょうど心臓のある位置——に手を当て、瑞樹はまだやれると言い聞かせた。先天性の病気でもともと心臓が弱かった。過度の運動は禁止で、全力で走るなどもってのほかだ。それでも、


「今助けるからな……!」


 花のために命を懸けずして、いつ命を懸けるというのか。つい最近テレビでやっていたニュースが脳裏をよぎった。小学生の女の子ばかりを狙う誘拐事件。犯人はまだ捕まっていない。頭の中で全てが繋がる。


 目を瞑ってはいけない。そのはずなのに視界は明滅を始め、瑞樹から意識を奪おうとする。まだダメだ、犯人はまだ視界に捉えている。


 止まってはいけない。そのはずなのに全身から力が抜け、地面が近づいてくる。まだダメだ、犯人にはまだ追いつける。


「まだ……まだ、やれる」


 自分に言い聞かせ、とにかく走って走って走って、追いかけて追いかけて追いかけて——、


「——っ」


 ついに心臓が限界に達した。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 額を伝う汗と、手のひらに感じる温もりでミズキは目を覚ました。暖かい羽毛ぶとんに包まれ、枕はしっかりと頭の下に潜り込んでいた。何がどうなっているのか。自分の状況が全く掴めない。


「ミズキ……」


 心配を伝える声がミズキにかけられた。声の主はベッドに腰をかけていたアカリで、彼女から伸びる真白の手はミズキの手に続いていた。


「俺……」


「いきなり倒れたのよ」


 記憶の断片を手繰り寄せていたミズキのつぶやきに割り込み、アカリが説明を始めた。


「覚えてる? ミズキが部屋を出ようとしたら突然胸を押さえて倒れて。それで私がベッドに寝かせたのよ」


 そこまで説明されて、ようやく今の状況を飲み込むことができた。——前日の疲労とアカリとの口論で心臓が限界に達したのだ。胸に残る手術痕を指でなぞって時計を確認した。すでに短針は六時を少し過ぎた位置を指しており、郵便屋の営業が終わったことを知らせていた。


「どうしたの?」


 胸を押さえ、憂いげにため息をついたミズキを心配したのだろう。アカリは心配そうにミズキの顔を覗き込む。


「いや、なんでもない。それよりアカリから手を繋いでくれるだなんて嬉しいね。惚れちゃった?」


「——ッ! 誰がミズキになんか!」


 心からの憂慮をからかいで跳ね除けて、ミズキは大きく息を吸った。心臓のことがバレてはいけない。もちろんアカリにも——そしてルーナにだけは知られてはいけない。あれでいて案外人のことを気遣うことのできる子だ。自分のことで心配をかけたくはない。幸い、ケンジードの部屋で寝ているのかルーナの姿は見当たらなかった。


「よしっ。ちょっと寝不足だったけど回復したから飯でも作るかな」


 ミズキはベッドから起き上がり努めて明るく振舞って、ケンジードに特例で部屋に備え付けてもらった台所に立った。


 先週買った食材がまだ貯蔵庫に残っていたはずだと、貯蔵庫を開けて中を覗くが、どうも三人前の晩飯を作れるような量は残っていなかった。どうしたものか。また食堂の定食で済ます、というのも悪くはない。ただそれでは金銭面の心配がどうも拭えない。ルーナと二人きりならまだしも、アカリへの給料も発生するとなると——、


「ミズキー!」


 ミズキが先行きを心配していたことを知ってか知らずか、ルーナが部屋に飛び込んできた。ルーナから視線を上げればケンジードが立っていて、口の動きだけで「大丈夫か」と問われた。


「————」


 それに無言で頷くと、ケンジードは満足そうな顔で自室へ戻っていった。


 ——心配かけてばっかりだな。


 ミズキは改めて自分の不甲斐なさを実感した。一年間お世話になった人にさらに気遣いをさせて、会ったばかりの人にまで看病をさせて。


「どうしたのー?」


「いや、俺って愛されてるなと思って」


「ルーナはミズキのこと大好きー!」


 そう言って満面の笑みを浮かべるルーナにつられてミズキも笑った。手を広げてミズキを見つめるルーナを抱え上げ、ご褒美と言わんばかりに抱きしめる。そうして数秒、癒しを注入した後ルーナを床におろし、アカリに顔を向ける。


「ありがとな。借りも出来たみたいだし仮採用じゃなくて、正式に採用するよ。その代わりしっかり働いてもらうからな」


「わかってるわよ、ミズキに言われなくたって。——それに私の方こそ助かってるから」


「え?」


「なんでもない!」


 最後の部分を聞き取れず聞き返したミズキだったが、アカリの得意のツンデレに阻まれ問いただすことはできなかった。それでも心臓も落ち着き、アカリの件も一件落着。いつもより少し騒がしい毎日がまた始まる——とはならなかった。


「あの人だれ?」


 冷たい声だった。聞き覚えのある声のはずなのに、聞いたことのないような声。それは足元から放たれていた。


「あの人だれ?」


 もう一度同じ言葉が繰り返される。声の方へ顔を向ければ、先ほどまで満面の笑みを浮かべていたはずの少女がいた。


 ——やばい。


 一瞬にしてミズキは悟った。あれはルーナと出会って半年が経ったとき——すなわち異世界に来て半年が経ったときだっただろうか。昼時の食堂の席でたまたま相席になった女性と話していたのだ。それをルーナは間近で見ていて、そして、


「ミズキ、この人のこと好きなの?」


 あの時と似た言葉がミズキの体を貫いた。いつもと同じ口調でいて、失言は許されないことを悟らせる言葉の圧力。苦い思い出が蘇る。


「いや、あのなルーナ。俺は別に……」


 結論を先延ばしにさせながらアカリの方をちらと見るが、彼女は頰を赤く染めてフリーズ中だ。助け舟を期待したが、どうやらその線はないらしい。となればどう答えるべきか。


 好きではない、そう答えればルーナの機嫌は持ち直すだろう。ただあの時と同じく相手の女性は強制退室だ。それだけは避けたい事態であり、最後の手段だろう。ルーナの機嫌を直しつつ、アカリを従業員として留める最高の答えは——、


「好きだよ。アカリのことが」


「…………」


 しばしの無言が続く。同い年くらいの赤髪美少女は郵便ポストのごとく頬を赤に染め、かたや五歳ほど歳下の金髪美少女は無表情でミズキを見つめていた。


 修羅場。


 その言葉が適切だった。あと数秒、沈黙が続けば部屋の中が阿鼻叫喚な状況に陥ったのだろうが、ミズキの言葉がそれを阻止した。


「アカリはルーナの新しいお母さんだ。だから俺はアカリのことが好きだよ」


「えっ?」


 少女と幼女の驚きが重なる。


「なっ、アカリ?」


 ミズキはルーナから顔を背け、アカリに口の動きと表情だけで口裏を合わせろと伝える。それに気づいたのか、ようやく機能していなかった思考回路が復活したようでアカリは力強く頷いた。


「そ、そうよ。だから、きょ、今日からよろしくね」


 アカリはまだ火照りの治らない顔に笑顔を作ってルーナに話しかけた。一か八かの大勝負。最善の選択をしたはずだ。あとはルーナの反応を待つのみ。


「お母さんかー」


 温かい声音が部屋に響く。


「よろしくお願いします!」


「——よろしくね」


 ルーナの突然の心変わりにアカリは一拍遅れて応答した。その反応に気を良くしたのか、ルーナは機嫌がいい時に見せるおきまりのポーズをとった。


「んー」


 両手をバンザイして抱っこをせがむポーズだ。それはルーナに認められた者だけが受けられる癒しだ。かくいうミズキも彼女の愛らしいお願いに何度も癒されてきた。もちろんアカリも例外ではない。


「かわいい……!」


 アカリは口元を全力まで緩ませて、ルーナに抱きついた。そのまま頬と頬を擦り合わせて全力でルーナを堪能しているご様子だ。対してルーナは「髪の毛チクチクするー」と若干不満げな様子だった。これではどちらが子どもかわからない。


「和解も済んだみたいだし、飯を作るか——ってないんだった……」


 忘れていた問題に再び直面し、ミズキは頭を悩ませる。やはりここは甘んじて定食屋に行き、今月の出費をどこかで抑えるしかないな。そんな風に自分の過失を正当化していたときだった。


「ルーナもう寝るね」


「あれ? 晩飯は食べないのか? それにお風呂にだって入ってないだろ」


「ジーにご飯食べさせてもらったよ。それとおふろもー」


「そうだったのか、それじゃ……」


 俺とアカリは定食屋に行ってくる、という前にルーナは布団の中に潜り込んでいた。すでに寝息を立てて夢の中のルーナには声は届かない。


「どうやらルーナは晩飯いらないみたいだから俺らだけで食べるか。ちょうど食材を切らしてたんだ」


「さすがミズキはいつでも間抜けなのね」


「お前正社員になったからって調子に乗るなよ!?」


 アカリの毒舌につっこむミズキを見て、アカリは口に手を当て笑う。その姿が初めて会った時よりもどこか親しげに見えて小さな怒りはどこかへ飛んで行った。

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