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一話 「ワタシヲヤトッテクダサイ?」

 ——これは人生最大の選択と言えるだろう。


 純白の薄化粧をされた森の中。しんしんと降る雪は真冬の到来を感じさせ、薄着のためか体の震えが止まらない。ただでさえ過酷な状況下だ。それでいて、問題が尽きることはない。


「助けて……」


 かすれた声の方に視線を送れば、少女が地面にへたり込んでいた。繊細な輝きを放っていたはずの赤髪は別種の赤に塗りつぶされ、異様な雰囲気を醸し出している。


 その彼女の周りには無数のゴブリンがいた——と言っても一匹を除けば全てが死体だ。魔物的な緑色の肌は少女と同じく赤色に染め上げられ、死体の山を築き上げていた。


「助けて、ミズキ……」


 死屍累々(ししるいるい)の中で今一度、少女は助けを乞う。唯一生き残ったゴブリンに命を刈り取られそうになって、髪を(ほの)かに温かみの残る血で染めてなお、涙を流さないという強い意志を漂わせながら。


「俺は……」


「ミズキ、どうしたの?」


 ふと新たな声に目を向けると、オッドアイの小さな女の子が自分を見つめていた。彼女から伸びる幼い腕を辿れば、傷だらけの自分の腕につながっていて、それでようやく手をつないでいたことを思い出した。


 冷え切った体に手の先から温かみが染み渡っていく。その温かみは全身に伝播し、徐々に思考を作っていった。


「いや、俺は……」


 葛藤を続ける。しかしその間にも、赤髪の少女は確実に命をすり減らされている。必死に抵抗する彼女も、狡猾なゴブリンの攻撃は防ぎきれない。傷は着実に数を増やし、いずれ致命傷を受けることは避けられない。


 しかし少女は最後の力を振り絞り、手の平をゴブリンに突きつけた。やがて彼女の手の周囲に、魔法を行使するための超常的な力——マナが空気中から集まっていく。最初は形を成していなかったマナも、次第に収束して赤色の光を発する。圧倒的な力は空気を震わせ、世界から音を奪い——、


「あぁ……」


 少女の呻きと共に姿を消した。魔法の行使は達成されず、みるみるうちに少女の身体から力が失われていく。力強く伸びていた腕は重力に任せて垂れ下がり、強固な意志を秘めていた表情は絶望に崩れた。


 ——彼女を助けるか、否か。死と隣り合わせの少女と、死とは全く無縁の幼い女の子。答えは二つに一つだった。


「ごめん、俺にはどうすることも、できないっ……!」


 反省することすら躊躇(ためら)われる言い訳だった。自分可愛さが本当の理由なのに、無力のせいだと言い聞かせて血まみれの少女から目を逸らした。そうして、つないでいた手を引き寄せて走り出す。


「————ッ!!」


 背後で断末魔が響いたことは意識的に無視をして。胸で抱きかかえられている幼女の憂いげな視線はぎこちない笑顔で受け流して。大切な人を見殺しにしたという罪悪感は——どうしても消えなくて。


「くそっ、くそっ……!」


 しゃくしゃくと雪を踏みしめる音と、自らを戒める声しか聞こえない。声とともに吐き出される白い吐息が顔にかかり、生暖かくて気持ちが悪い。同じ過ちを繰り返した自分が気色悪い。


 そういうあらゆる嫌悪感すらも投げ捨てて、とにかく走った。走って走って走って、逃げて逃げて逃げて——、


「あぁぁ……」


 ついに森が開けた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 額を伝う汗と、腹上に感じる軽い重みで彼の意識は覚醒した。暖かい羽毛布団に包まれ、手元には枕が置いてある。


 何か嫌な夢を見ていた——しかし、内容は全くと言っていいほど思い出せない。そんな風に思案している彼に、ハツラツとした声がかけられる。


「おはよーミズキ!」


「ルーナか、今日も元気だな」


 彼——ミズキの上に小さな女の子が乗っていた。左右で赤と青の違う色の瞳を輝かせ、ミズキが起きたことを両手を上げて心から喜んでいた。


「お腹空いたんだろ? ちょっと待っててな」


「うんっ!」


 ミズキは体にのしかかっているルーナをベッドに降ろして、体を起こす。そうして日課になっているラジオ体操を一通り終えて、陽が差し込んでいる窓に向かって大きく伸びをした。いつもと変わらない、清々しい朝だ。


 窓に映る自分の顔は調子のいい時の顔で、薄めの眉毛に親譲りの奥二重から優しい印象がにじみ出ている。さらに日本人にしては高めの鼻と薄い唇が整った顔にしてくれる——いわゆる、塩顔というやつだ。ただ、無造作に伸びた髪がせっかくの顔を台無しにしているのだけれど。


 そんな風に自己評価を終えた後、手元のゴムで後ろ髪をまとめる。今では慣れたもので、手早く侍風に整えることができる。そうしていつもの癖で時計を確認して、午前八時すぎ——開業一時間前であることを認識。それと同時にミズキとルーナのお腹の音が重なる。


「いっしょー! ミズキといっしょだった!」


「そうだな、俺もお腹空いてるみたいだ」


 お腹を押さえて大げさに肩を落とすミズキに対して、ルーナは大きく笑ってくれる。こういう一つ一つの仕草がルーナの可愛さを助長して、ミズキの甘やかしは加速されていく——憎たらしいやつだ。


 雑談もほどほどに、寝巻きから仕事着に着替える。仕事着、と言っても街で手に入れた女物の黒色の着物だ。動くのには適さないし、あくまで女性用の着物ではあるが、色合いと日本らしさに愛着がわいてしまって今でも着ているのだ。これもやはり慣れた手つきで着替える。


「ルーナのきものはー?」


「ああそうだった。今着させてやるからな」


 ルーナの指摘に頷いて、押入れから不恰好(ぶかっこう)な着物を取り出し、ルーナに着せてやる。何度見てもルーナを包む赤い無地の着物と白色の帯に職人の魂、なんていう気高い何かは感じられない。——ミズキが作ったのだから、当たり前ではあるけれど。


 それでもルーナの綺麗な金髪で作られたお団子ヘアと、日焼けのしていない透明感あふれる肌のおかげで最高の可愛さを誇っていた。


「バイキンにばいばいするー」


 自分の裁縫のスキルの低さ——と言っても着物ではない他の洋服を作るぶんには問題はないのだが——に嘆息しながら、ルーナの掛け声で二人揃って洗面台へ。少しくすんだ鏡を見ながらお手製の歯ブラシで歯を磨いて、仕上げに顔を洗えば朝の支度は完了だ。


「よし、朝飯食いに行くか」


「はーい」


 可愛らしく手を挙げて、同意するルーナに心を癒されながら部屋を後にする。左を向けば突き当たりの壁。右を向けば長く続く廊下と、下へ続く階段だ。宿屋の二階の一番奥の左手の部屋。そこがミズキの自室だった。


「あ、ケンさんおはようございます」


「おう、今日も朝早くご苦労さんなこった」


「仕事ですんで」


「よく言うぜ、まだガキンチョのくせによ」


 恒例のやり取りとも言えるような挨拶を交わしたのは宿屋の主人のケンジードだ。ミズキの隣の部屋を寝床としていて、こうやって朝の廊下で出会うことが多く、よく世間話をしている。気さくだと評判の主人だ。そしてもう一つ——、


「それにしてもお前も驚かなくなったってぇのは、時の流れを感じるな」


「もうケンさんの見た目に驚きなんてしませんよ」


 今では珍しい竜人としても評判だった。鈍く光る緑色の鱗と、黄色の目玉に黒の細い縦線が入った凶悪な目つきが特徴的だ。しかしそれでもこの宿屋の客足が途絶えないのは、主人の人柄のおかげと言えるだろう。


「それじゃ、食堂の奴らによろしく言っといてくれ」


「了解です」


 自室に消えるケンジードを見送り、ミズキは空腹を訴える引き締まったお腹に手を当てて、階段を下る。前方でルーナが「ほっ、ほっ」と声を出しながら階段を一段ずつ丁寧に下りているのが可愛らしかった。そうしてやっと一階に到達したと同時に世界がミズキを歓迎した。


「今日も大繁盛みたいだ」


 大きな広間のど真ん中に祀られている英雄グルードの像を中心に設けられている木製の机と椅子。規則正しく並べられたそれに多種多様な人が座っている。


 頭部に可愛らしい猫耳がついている女性。

 猛々しい雰囲気を漂わせている毛むくじゃらの狼姿の男。

 背中に盾を背負い、朝から酒を(あお)る騎士。


 老若男女、獣人亜人。見た目こそバラバラでも、そのほとんどが手紙を手にしている。そして誰もがミズキの登場を心待ちにしていた。


「よし」


 ミズキは大広間の隅——定食屋とは真反対の位置にあるカウンターの中へ体を滑り込ませる。そうして使い古された引き出しを開け、大量の紙とインクとペンを取り出す。


「こちら異世界郵便屋、お手紙承っております!」


 開業時間より早いけれど、少しだけ仕事を片そう。そんな意気込みを胸に大きな声を張り上げた。


 ——もう一年か。


 気がつけば、異世界に来てから一年近くが経っていた。高校の帰り道、空が光ったと思った瞬間の出来事だった。目を開ければ見たことのない生き物が行き交い、剣と魔法が当たり前に存在する世界に転移していた。そうして偶然にもケンジードに保護され、薬屋が去った跡地を借りて郵便屋を開店。約半年の宣伝期間を経て、今日(こんにち)の大繁盛に至るわけだ。


「はやくー」


 回想するミズキのすぐそばでルーナがご飯はまだなのかと、ふてくされている。だがそこは我慢してもらうしかない。——もう広間中の客が集まってしまったのだから。


「この手紙を出したいのですが……」


 この日の列の先頭に立っていたのは猫耳が生えた可愛らしい女性だった。長い睫毛が優しげな垂れ目を縁取り、高い鼻と薄い唇が薄幸さを感じさせる顔立ちだ。庶民御用達とも言える綿素材の白色のドレスで着飾った女性は、懐から手紙を取り出した。


「承りました。それではこちらにお名前をお書きください。ただし送り主の家を想像しながら書いてください」


 猫耳の女性に決まり文句を投げかけて、ミズキは紙とペンを差し出した。それと引き換えに手紙とお金を受け取る。そうしてたった十秒ほどで手続きは終了だ。女性の名前が書かれた紙とペンを受け取って、次の人へ——と滞りなく進むわけではない。


「本当に届くんですか? 私、今日が初めてで……」


 女性は不安げに俯いた。それも当然のことだ。もともとこの世界に庶民同士での文通の概念などなかったのだから。手紙を送り合うのは貴族同士、それも政治的な内容がほとんどで、さらに言えばお互い使者を使っての郵便だった。それを変えたのがミズキだ。


 宿屋を訪れる客に地道に宣伝を繰り返し、次第に口コミでアダント公国の中央地区に広まったのだ。目の前の女性も口コミを聞いたのだろう。


「それでは今、送るところをお見せしましょう」


 自慢げに、自信満々に。ミズキは左手に名前が書かれた紙をこっそり握り、右手で手紙を高々と掲げた。異世界に来て手に入れた能力。異世界ファンタジーではあるまじき非戦闘系能力。


「————」


 数秒だけ目をつぶって手紙に念を込める。頭の中で思い描くのは手紙の送り主の家だ。思考は徐々に輪郭を確定させ、鮮明な世界を描き出す。


 加工されていない自然の木で構成された小さな一軒家がある。空では謎の生物が飛び交っていて、そいつらの鳴き声がけたたましく響いている。この匂いはアダントベリーだろうか。長く生えた雑草が足首の辺りを攻撃している。そんな風に自らの五感がその場所にあるとさえ感じるようになったとき、指先から紙の感触が消えた。


「これで終了です。信じられないかもしれませんが……」


 ミズキはゆっくりと息を吐き、手紙の転送を終えた。


 異世界で手に入れた能力は想像した場所に物をテレポートさせる能力だった。しかし、使い所は未だに郵便屋以外には思いつかない。——テレポートさせる物が紙に限られているのだから。


「いいえ……。どうやら本当だったみたいですね。グルード様の——いえ、ここまで人気だということが何よりの証明です」


 女性は口に手を当てながら信用を示し、軽く礼をして去っていった。それから後ろに並んだ十人ほどの客を二十分ほどかけて捌いて、朝飯前の業務は終了だ。


「ミズキー、もういいー?」


「ああいいよ。俺ももう限界だ」


 ミズキの足元に座って、指遊びをしていたルーナが頃合いを見計らって声をかける。子どもらしからぬ気遣いに感謝して、ミズキはルーナの手を引っ張り、定食屋へ向かった。グルード像の横を通り過ぎ、行きつけの定食屋へ到着。


「おうカート、今日も頑張ってるな」


 カウンターの向こうでせわしなく食器の片付けをしている男に声をかける。顔見知り、というよりは友達と言った方が正確だろう。


「またゴブリン定食か?」


「当たり前だ。安い、うまい、多い。コスパにおいてゴブリン定食に勝るものはないからな」


 金髪をなびかせ、いつもの流れで注文をとるカートに、ミズキは両手を挙げておどけて見せた。ゴブリン定食は名の通り、白米とゴブリンの肉のステーキと付け合わせの野菜で構成されるメニューだ。ゴブリン自体は忌み嫌われるものでも、その肉は例外だ。奴らの隆々とした体から取れる肉は歯ごたえと脂のり共に絶妙で、変な臭みもなく食べやすい。そして、


「ルーナの好きなやつー!」


 ルーナの大好物でもあった。子どもにすすんで食べさせるべき食材かと聞かれれば、素直に頷くことはできない。それでもこうして喜んでくれるなら食べさせてやってもいいだろう。——安上がりだから、というのもあるけれど。


「今日も昼頼むぜ」


「わかってるよ。郵便屋の仕事が片付いたらな」


 意味深にウィンクをするカートに軽く手を振って、しばしの間、定食屋の前で立ち往生。数分経って、つい最近雇われた若い男がゴブリン定食二つを運んできた。それと懐に入れていたお金を交換して、空いている席——郵便屋にほど近い席に座る。注文してからものの数分しか経っていないというのに、肉汁が滴るステーキが出来上がっていた。前言撤回だ。安い、うまい、多い、早いだった。


「いただきます」


 ミズキとルーナの声が重なり、少し遅め——午前八時半の朝食が始まった。タマネグをベースにしたタレが肉と絡まって食欲をそそる匂いを漂わせている。さらにまだ熱の残る鉄板の上で、肉からこぼれ落ちた肉汁が音を立てながら飛び回っている。


「やっぱりこれだ」


 肉をナイフで切って白米に乗せる。その間に鉄板の上の肉を切り分けておいて、タレが米に染み込んだ頃に一息に口に放り込む。至高だ。


「日本人たるもの白米だよな」


 ミズキの呟きにいつもは反応するはずのルーナも、ステーキに夢中だ。結局、独り言になってしまったミズキの言葉は、彼の中で消化される。


 そうして全ての食器を空にし終えたところで、ミズキは郵便屋の前で右往左往している女性を見つけた。過度に華美なドレスを着こなした赤いセミロングの髪の女性——いや、少女と言うべきだろうか。彼女はしきりに宿屋の出口を気にして、乱れた呼吸を整えていた。


「ルーナ、ちょっと待っててな。仕事みたいだ」


「わはっはー!」


 まだステーキを半分ほど残しているルーナは口に肉を入れたまま返事をする。その姿を微笑ましく見送った後、不審な少女に声をかける。


「どうかしましたか? 郵便屋に用があるならどうぞ」


 話しながらカウンターの内側に入り、接客モードに変更。どうも少女は郵便屋を訪れるのは初めてのようでせわしなく首を動かしている。


「少しいいかしら」


「なんでしょうか?」


 顔を上げ、指を突きつけてきた少女の目を見つめ笑顔で対応する。二重で可愛らしい目ではあるが、その目力には有無を言わせない何かがあり、威厳すら感じさせる。そんな風に彼女を評価しているミズキに予想外の言葉が投げかけられた。


「私を雇いなさい。住み込みで、今すぐに」


 お願いと言うには不躾すぎる要望。驚きに目を丸くして少女の顔を再確認するが、彼女の赤眼が冗談ではないことを物語っていた。


「……へ?」


 思考が停止する。ワタシヲヤトイナサイ? 彼女の発した言葉は、ただの文字の羅列として頭の中に浸透していく。少女は悠然として赤髪を肩越しに揺らすだけで意見を変える様子はない。


 ここで彼女を追い返さなかったことがきっかけだったのだろう。


 ——このとき、ミズキの世界を救う物語が動き始めた。

ご読了ありがとうございます。ほのぼのを書きながら、ところどころシリアスも入ってくるかな、と。そんな感じで書いていくので、ぜひこのまま二話、三話と読み進んでください。


タマネグはこっちの世界でいう玉ねぎです。ただしミズキたちの世界のタマネグは木に生っています。

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