間話 「アカリの苦悶」
「何よこれ……!」
朝の八時。アカリにとって初めての仕事が始まる、という日の朝に彼女は顔を歪めて身をよじっていた。まだ開業一時間前で、朝支度を急ぐほどの時間ではない。それが新人のアカリであっても同じことが言える——はずだった。
「これどうやって着ればいいのよ……」
アカリは枕元に置いてあった着物の着付けに、苦戦していた。
なぜそんなものが枕元にあったのか。冬なら「パラパリッタ」からの贈り物だということで話が片付くが、今は夏だ。真っ黒な服を着て、真っ白なヒゲを蓄えた「パラパリッタ」も今はお休みだろう。ならば考えられるのは一つ。
「ミズキが作ってくれたのよね」
独白を漏らし、アカリは姿写しの前でもう一度着付けに挑戦した。未経験——ではない。アカリがまだ十歳だった頃だろうか。父が街で手に入れたと言って、着物が家にやってきたのが始まりだっただろうか。それからというもの、ことあるごとに着物を着せられたわけだ——母の手によって。
「大丈夫、見たことはあるのよ。だから大丈夫……んっ」
帯を一層きつく締めて仮初めの着付けを終了させるが、どうも整っていない。着物自体は白色を基調としていて、ところどころに朱色がちりばめられたお洒落なものだ。その逸品が凡庸に見えるのはアカリの着付けのせいなのだろう。
「あぁもう! そもそもなんでこんなもの着なきゃ……」
とそこまで言いかけて、昨晩のことを思い出した。ふと、ミズキが何をしているのかが気になってこっそり彼の部屋を覗いた時だった。細い隙間から見えるミズキは、縫い物をしていた。あの時こそ何を縫っているのかは分からなかったが、今ならわかる。
「……着ればいいんでしょ! 着れば!」
誰に向けたわけでもない開き直りをして、アカリは帯を緩めて再び着付けを始めるのだった。
——それから二時間後。アカリが初仕事に出向いたのは、実に開業から一時間が過ぎた頃だった。