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九話 「アカリの愚考」

「ミズキはー?」


「遅いわね……。カートさんが言うにはどこかに出かけたみたいだけど……」


 酒飲みの客が増える頃——夜の八時過ぎ。アカリの膝の上に乗っているルーナが不満げにミズキの名前を呟いた。いつもならルーナは、今のようにしてミズキの膝の上に座っているか、早めに仕事を終えて部屋でミズキと遊んでいるかのどちらかだ。それなのに今日はミズキがいなかった。


「いっつもならかえってくるのに……」


 ルーナの不満は爆発寸前だ。アカリの膝では物足りないらしく、頻りに入り口に目を向けている。どうしたものかと、アカリは頭を悩ませた。


 探しに行く——どこに行ったのかもわからないというのに、その行動はあまりにも愚かだ。ただただ待つ——この調子ならルーナの不満が限界に達する方が先だろう。打つ手なし、それがアカリの結論だった。


「帰ってくるまで私と遊んでよっか?」


「アカリンと?」


「そう。お客さんも少ないみたいだから」


「うんっ!」


 アカリは明るく遊びを提案して、ひとまずルーナの問題は解決した。残る問題はアカリの心の中を渦巻くもやもやだけだ。これもミズキに起因しているせいで、彼が帰ってくるまで解消されることはないだろう。


「早く帰ってきなさいよ……」


 怒りと寂しさが混ざった、複雑な独白だった。それでも帰ってきてほしいという気持ちに嘘はなくて。


 結局、ルーナが眠りにつくまでにミズキが帰ってくることはなかった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 木製の車輪が回る音と、二頭馬の鳴き声。それと頬を撫でる冷たい風が、ミズキの意識と肉体の結合を促した。


「ん……」


 数回、瞬きを繰り返して空から降り注ぐ微弱な光に目を慣らす。直視しても少しの影響も出ない青白い光——月光だ。


「夜……か?」


 ミズキは視界が闇に覆われていることと、松明を持った衛兵が中央通りを歩いていることでそれを悟った。どうやら路地裏で気絶していたらしい。


 最後の記憶は少年の不気味な笑みだ。そこから断絶した記憶が今に繋がる。その間を何かが補完していたような感覚を覚えるが、その何かを掴み取ることはできなかった。そこまで逡巡して、家でルーナが待っていることを思い出した。


「帰らないと——って、今、通りに出て行ったら完全に不審者扱いされるな……」


 夜中に女物の着物を着た男が路地裏から現れる。それも異世界人離れした顔立ちだ。いくら中央地区に顔が広いミズキとて、衛兵に顔見知りはいない。打つ手なし、それがミズキの結論だったのだが——、


「大丈夫かにゃ?」


「うおっ……! びっくりした……」


 背後から掛けられた猫なで声に、ミズキは思わず体を竦めた。暗闇に溶け込むように立っている少女は、招き猫のポーズをとってミズキを見つめている。猫目と小さな鼻と口、それと起伏に乏しい体型がアカリを彷彿とさせた。しかし、頭部でヒクヒク動いている猫耳が決定的な違いではあるが。


「名前はノナっていうからよろしくね。ところでおうちに帰れにゃくて困ってるみたいだね?」


「そうだけど……。君——ノナがどうかしてくれるのか? 今の状況だとノナも俺と同じくらい不審者だけど」


「そうだね。ノナも変にゃ時間に返しちゃったにゃって思って。それでミズキちゃんの教育係として助けに来たってわけ」


 話が微妙に噛み合わなかった。初対面だというのに、ノナの口調は顔見知りのそれだ。それを言えばミズキも初対面とは思えないほど馴れ馴れしい口調ではあるのだけれど、ノナはそれとはどうも違う。——まるでミズキが知らないところで知り合ったような、そんな雰囲気を感じさせた。


「その教育係っていうのがわかんないけど、うろついてる衛兵はどうすんの? このまま通りに出て行っても、不審者として捕まるのが関の山なんだけど」


「ノナこそミズキちゃんの言ってることがよくわかんにゃいけど大丈夫だよ」


 ノナはそう言ってミズキの後ろに回り込んだ。その素早さと言ったら、さすが猫型の獣人としか言えない身のこなしだった。そして話が進むのも素早かった。


「それじゃあ、目を閉じといて。気絶したくにゃかったらね」


「あ、うん」


 ぎこちない返事をして、ミズキはゆっくりと目を閉じた。素直に命令に従ったのは、猫語的なものが混ざった話し方だというのに、ノナの言葉には何処となく脅迫が込められているように感じたからだろう。


「——また今度」


 暗闇の向こうから最後の挨拶が切り出されたと同時に、辺りが眩い光に包まれた。少しの兆候もなく訪れた閃光に、ミズキは思わず手の甲で目を覆った。やがて光は過ぎ去り、緩慢とした動きで双眸を開けるミズキの目の前に世界が姿を現して——、


「あっ」


 二階建ての建物。落ち着いた茶色で統一されたその外装は、中央地区の賑やかさからは少しだけ逸脱していて、地味という評価は避けられない外見だ。それでも客足が絶えないのにはイケメン店員がいる定食屋と、世にも珍しい郵便屋の存在が大きいだろう。


 掲げられた看板。そこには『竜の宿』と書かれている。ケンジードが営んでいる宿屋だ。


「瞬間移動魔法的なやつか?」


 ミズキは周囲を見回してノナの姿がないことを確認すると、そう呟いた。悪ガキに追いついた場所と、竜の宿とでは距離が離れすぎている。体感で約五秒、瞬間移動と言うには遅すぎるが、そう言う系統の魔法であることは明らかだ——あくまで、魔法のことをほとんど知らないミズキから見て、明らかだというだけではあるが。


「ミズキッ!」


「おー、アカリ。ちゃんと仕事してたか?」


 タイミングよく外に出てきたアカリがミズキの名前を呼んだ。それに対して、ミズキはあくまでいつも通りに接する。


「仕事してたか、じゃないわよ。こんな遅い時間に……。すごい心配だったんだからっ!」


 アカリの瞳が潤んでいるように見えたのは、暗闇のせいで視界が悪いからなのか、それとも夜が遅くて欠伸をしていたからなのかはわからない。


「ごめんごめん、ちょっと道に迷って……」


 完全なる嘘だ。道に迷ったのはミズキではなく、ミズキの意識だったのだから。何がきっかけか路地裏で何処かへ飛び立って、日が沈むまで帰ってこなかった。——そう考えれば道に迷ったと言えのもあながち嘘とは言えないのかもしれない。


「ルーナは?」


「私の部屋で遊び疲れて寝てるわよ」


「そうか……」


 アカリには感謝しないといけない、ミズキは切実にそう思った。ミズキのいない間にアカリがどれだけ忙しかったかは、想像に及ばない。


「早く戻るわよ。ミズキがいなかった間にたくさん手紙溜まったんだから」


 アカリのぶっきらぼうな言い方にミズキは嘆息して、褐色の扉を開けて酒飲みたちの喧騒に包まれた竜の宿に帰ってきた。時計は夜中の一時を指し示していて、実に十二時間ぶりに帰って来たことを知らせていた。


「どこ行ってたのよ。カートさんに聞いてもこんな夜遅くまで外に出かけるのは珍しいって言うし……」


「——散歩だよ。それでぼーっと歩いてたら帰ってこれなくなった」


「ほんっとに間抜けなのね」


 久しぶりに聞くアカリの辛辣な物言いに、ミズキは少しだけ安心感を覚えて郵便屋に足を踏み入れた。事前に知らせを受けていたが、カウンターに山積みになっている手紙の量は予想以上に多くて、仕事をやる前からやる気を削がれてしまう。


 それでもミズキの能力の存在意義はそこにあるから。


「アカリは部屋に戻ってていいぞ。あとは俺が片付けるから」


「——わかったわ」


 袖を軽くまくって、気合いを入れ直す。これくらいで挫けてどうする。そうやって自分を鼓舞して一枚目の手紙と名前の書かれた紙を掴んで目を閉じた。


 ——それから一時間。ミズキが仕事を片付け終わった時には、すでに午前二時を過ぎていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「ミズキ」


 この日の目覚めは、少女の呼び声によるものだった。前日の路地裏でのことと、夜中まで続いた能力の酷使のせいか、体の疲れは抜けきっていなかった。だからこそ、少女の一回目の呼びかけに反応することはできなくて——、


「ミズキってば!」


 苛立ちを交えた声が、ミズキの意識を完全に覚醒させた。視界が数回の明滅を経て世界を確認する頃には、少女の可愛らしい顔がミズキの眼前にまで迫っていた。


「ん……もうそんな時間……」


 と言いながら時計を確認するふりをして、不満げな顔をする少女——アカリから顔をそらす。しかし、残酷にも首を回した方向は時計と真逆だったのだけれど。


「そっちに時計なんてないわよ、まだ七時半。でも——ちょっと話したいことがあったから……」


 先ほどの強めの語気は何処へやら。珍しく萎れた風に話すアカリは、ミズキから顔を遠ざけて、ベッドのすぐそばの床に座り込んだ。何が始まるのか、ミズキには見当もつかなかった。そして、数秒後、アカリの口からとんでもない単語が飛び出した。


「し、し、下着を履いてなかったのは……理由が、あ、あったのよ……」


 ——下着?


 ミズキにとって、久しぶりの青天の霹靂であった。なぜ今この状況で、朝の七時半に下着という単語が出てくるのか。それもアカリの口からなど、夢と疑いたいほどだ。無論、聞き間違いなんかではなく、飛び起きてアカリの横顔を見つめるとアカリの頬は羞恥の色に染まっていた。


「ちょっと意味がわかんないんだけど……」


「昨日のことよ!」


 ミズキが理解していないことを伝えると、アカリは怒り気味に昨日の出来事についてだと答えた。どうやらそれだけで察しろということらしいが、それだけの情報でアカリと下着を繋げるなど——、


「あっ」


 プライドの高いアカリと、下品の代表とも言える下着という単語。その対義語のような関係の二つを繋げる非現実的な状況が、つい最近あった。ミズキが路地裏で気絶する原因になった少年——彼がアカリに破廉恥を働いた時だ。


「……思い出した?」


「ん、あ、ああ」


 上目遣いで問いかけてくるアカリが予想以上に色気を放っていて、ミズキはぎこちない返事をする。——アカリの妖艶さだけが原因ではないのだが。


 思い出した、とは言ってもミズキは「中」を見ていない。角度的な問題であったり、少年の身長のせいであったりしたからだ。そのことは残念でならないが、衝撃の真実を知った今、見えなくてよかったのかもしれない。そう思えるほどには邪な妄想だけで興奮していたからだ。


「私のお母さんが、履かない方がいいって、言ってて……。私も、まさかあんなことになるとは思ってなかったから……」


 拷問である。お姫様のようなプライドの持ち主が、自分がノーパンであったことの弁明をするなど、屈辱の限りだろう。それも相手は、いつもいがみ合っている仕事仲間。これほどの苦しみはない。それに加えて、アカリが真実を知ったなら。


「アカリ、ごめん」


 ミズキは胸を締め付ける罪悪感に耐えきれなくなって、謝罪の言葉を漏らした。もちろん、アカリに謝るのはミズキの仕事ではなく褐色肌の少年の責務だ。しかし、ミズキの謝罪はそのことに対してではない。昨日のことではなく、もっと目先のこと——、


「俺、アカリがパンツ履いてなかったなんて知らなかった」


「……え?」


 その言葉はアカリにとって、どれほどの衝撃だったのだろうか。アカリが朝早くからミズキを起こしたことも、パンツを履いていなかった事実を告白したことも、恥ずかしがりながらもその理由を説明したことも。全てはミズキが「中」を見たことが前提だったのだ。


「あ、いや……忘れて、さっきのことは忘れて……」


「アカリ」


 前提も前提、大前提が崩れて頭を抱えるアカリに、ミズキは優しく声をかける。別にアカリに感謝していないわけではない。むしろ助けられていることも多いし、恩は感じている。それでも、あたふたしているアカリが可愛くて、どうしてもからかいたくなったから——、


「そのことは俺とアカリ『だけ』の秘密にしような」


 最低な皮肉を最高の笑顔で。秘密がすでに一人の少年に漏れていることにはあえて触れずに、ミズキはアカリの恥辱を忘れないことを約束した。


「——っ!」


 アカリの声にならない叫びが部屋に響いて、かくして褐色肌の少年が発端として起きた騒動は終息を迎えた。


 ——あくまで、表面上は。

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