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鬼灯堂奇譚 「魔月の巻」  作者: あべせつ
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和蝋燭氏・鬼灯輝夜

第二夜  魔月の巻 前編



《プロローグ 新月 亥の刻・ 鬼灯堂》


月のない夜。鬼灯堂に珍客が現れた。白髪白髭のその老人は、店に入るなり深々と一礼をした。

「輝夜殿、長らくご無沙汰つかまつった。お元気そうで何より」

客人の名は(ほう)(づき)幽玄(ゆうげん)。輝夜の祖父の弟であり、師匠でもあった。

「これは、叔父上。よくおいで下さいました。どうぞ、こちらへ」


輝夜は奥座敷へといざなうと、白い満月が描かれた茶碗に、薄茶をたてて幽玄の前に置いた。

「おお、これは望月(もちづき)の天目茶碗。(かん)(づき)家の家宝ではないか。わしごときに、この茶碗を使われるとはもったいない」

「叔父上、その輝夜殿というのをおやめいただけませんか。わたしが一人前の蝋燭師(ろうそくし)になれましたのは、ひとえに叔父上のご尽力のおかげ。わたしこそ師匠とお呼びせねばなりませぬのに、それを叔父上はお許しにならない。せめて、輝夜と呼び捨てにしていただきたいのですが」

「いやいや輝夜殿。いずれ当主になられるお方を呼び捨てには出来ませぬ。叔父とはいえ、わしは分家筋。輝夜殿は歴とした本家直系のご長男、しかも母上様は由緒正しき出自の(さえ)様にあらせられる。血筋といい、技量といい、輝夜殿をおいて次の当主は考えられぬのですじゃ」


「叔父上、その話はおやめください。今のわたしは、鬼灯(ほおずき)(てる)()。もう十何年も前に宝月の名も家も捨てたのですから」

「そこなのじゃ。今宵はその話をしに来た。輝夜殿、そろそろ本家に戻って来てはくれまいか。来月には、いよいよ(えい)(げん)が二十歳になる。そうなれば正式に宝月家の当主を決めねばならん」

「当主はもう(かげ)()に決まっておりましょうに。そのために影夜も、影玄という幼名から既に改名もしているのです。今更わたしが戻れば、いさかいが起こるだけです」

「そもそも、影夜と改名させたのは(せん)の策略じゃ。どこかで宝月の当主の名には代々〈夜〉の字が付くと聞き及んだのであろう。いつの間にやら、勝手に改名をしておったのじゃ。影玄もたしかに玄夜殿の子供にはちがいなかろうが、母親が茜というのがいただけない。あのような身分の者が産んだ子が、当主になれるはずもあるまいに。わきまえを知らぬ女じゃ。やはりそのような女の子どもであるせいか、影玄も近頃はさっぱりだめじゃ。あれの性根は腐っておる」

幽玄は、顔をしかめ吐き捨てるように言った。


「叔父上、お言葉を返すようですが、茜さんは気立てのよい優しい方でありました。影夜も茜さんに似て、素直で利発な子であったはずですが」

「あやつは、変わってしまったのじゃよ。最近ではわしの教えた(おもて)(わざ)を疎んじ、魔道に走り始めておる。おそらくは玄夜殿の遺品から〈宝月奥義の裏の書〉を見つけ出したのであろう」

「〈裏〉をですか。あれは代々当主にしか引き継がれない一子相伝の技法。わたしも父の生前にほんの一端を習っただけですが、とても危険な技です」

「そうじゃ、心してかからねば使い手にも危害が及ぶ、逆打ちの技じゃからな。残念ながら、分家筋のわしには裏の書を目にする機会すらなかったが、わしの兄の(ゆう)()、そなたの祖父じゃがな、幽夜ですら恐れて生涯使うことはなかった技なのじゃ。その魔道を使われたらもう、わしには影玄を押さえる力はない。宝月の奥義は表裏一体でこそ正しい力となる。影玄のように魔道にのみ走るものは当主には相応しくないのじゃ」


部屋の四隅に灯された白蝋が、ため息をつくように黒い煙を吐き出すと、幽玄は突然がばりと輝夜の前に土下座をした。

「輝夜殿、このおいぼれの最後の頼みを聞いていただきたい。輝夜殿が家を出られたのちは、ずっと本家を見守って参ったが、わしももう歳じゃ。いつお迎えが来るとも限らん。千とて、もうかつてのような力はない。このまま影玄が当主になれば、押さえる者がなく宝月家の没落を招こうというもの。どうか輝夜殿、来月の新月祭に一度お戻りくださいませ。われら宝月だけではなく、月読の一族全員が輝夜殿のご帰還を心からお待ち申し上げておりますのじゃ。新月祭にて技比べを致し、どちらが当主としてふさわしいか、皆の前で影玄に思い知らせてやっていただきたい。どうか輝夜殿。この通りお願い申し上げまする」

 

幽玄は畳に頭をすりつけんばかりにして、ひれ伏している。

「叔父上、わかりました。必ずやお伺いいたしますから、どうか頭をお上げください」

「そうか、おいで下さるか、輝夜殿。心から感謝いたしますぞ」

幽玄は来た時とはうってかわって、小躍りするように帰って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで見送った輝夜は、暗い座敷に戻ると、なにやら考え事を始めた。


《輝夜 十二歳・宝月家》


部屋付きの濡れ縁から中庭に下りると、はらはらと散り急ぐ桜の花吹雪の中に、輝夜はその小さい体をあずけた。見上げると木々の間からのぞく月は青く澄み、どこまでも上っていけそうな気がして両手を頭上に伸ばした。

「このまま、天国のお母さまのところまで行けたらいいのに」

目を閉じると、昨年亡くなった美しい母・冴の笑顔が浮かんだ。

「輝夜様、また奥方様のお部屋にいらしたのですね。旦那様がお呼びでございますよ。どうぞ、広間においで下さいませ」

侍女の瑠璃に呼びかけられて、輝夜は我に返った。

「わかりました。すぐに行きます」

輝夜は父・玄夜の待つ広間へと、長い廊下を急いだ。


「お父さま、輝夜です。お呼びになりましたか」

「おお、輝夜か。入りなさい」

ふすまを開けると、玄夜が手招きをし、前に座るようにと促した。

「ほかでもないが、輝夜。お前は今年幾つになるのだ」

「はい、中秋の名月の頃、十二歳になります」

「ふむ、十二、まだまだ幼いな。冴が亡くなって一年になる。そこでわたしは考えたのだが、お前に新しい母を迎えようと思うのだ」

「お父さま、わたしは新しい母などはいりません」

「そうは申すが、あれから、お前はずっと、ふさぎこんでいるではないか。亡くなった母上のことばかり考えているのだろう。それが、わたしは心配なのだ。それにな、新しく母になる人は、お前のよく知っている人だから安心するがよい」

「えっ、お父さま、その方はどなたなのですか」

「うむ、今、会わせてやろう。茜、入りなさい」

「茜ですって」

 

おどろく輝夜の前に一人の女が現れ、にっこり微笑んだ。それは母付の侍女・茜であった。

「お父さま、茜がわたしの新しい母になるということなのですか」

「そうだ。お前も小さい頃、茜を姉のように慕っておったではないか。茜ならこの宝月家のしきたりも、お前のこともよく知っている。これほど安心して家を任せられる人はいないぞ」

「でもお父さま、お母さまが亡くなられて、まだ一年。それに明日は一周忌なのですよ。なぜ今、そんなお話をなさるのでしょう」

「わかっておる。しかし、わたしはもう決めたのだ。明日の法事の席で一族に報告するつもりだ。輝夜、お前もそのつもりでいなさい」

(お父さまはもう、お母さまのことをお忘れなのだ)

 輝夜は、無言で広間を後にした。


 翌日、冴の一周忌が宝月本家にて盛大に行われた。式が無事に終わると、大広間では一般の来客たちに膳のふるまいがなされた。

「玄夜殿も、また豪勢な法事をなさいますなあ」

「そりゃあ、冴さまのご実家への見栄もありましょうからな」

「冴さまは、神月家のご出身なのでしょう? なぜまた、格下の宝月に嫁がれたのでしょうね」

「格下といえども、宝月とて月読四天王の中では三位の御家柄。我々などよりははるかに上位でいらっしゃる。ただ、神月は群を抜いて格が高い。ゆえに神月では、冴さまのお相手は二番格の観月(みづき)家のご子息をと望まれていたようなのだが、冴さまが駆け落ち同然に玄夜殿の元へ参られたのだそうだ。しかしな、このようなことになり神月では釣り合わぬ結婚だったから、冴様が早世なされたのだと、今は後悔なされていると聞くがな」

 大人たちの無責任なうわさ話を小耳にはさみながら、輝夜は奥座敷へと急いだ。


奥座敷にはすでに宝月、神月両家の近親者たちが集められていた。

輝夜が入室するのを見るや、玄夜が挨拶を始めた。

「本日はお忙しい中、ご参列くださり深く感謝申し上げます。 お陰様で亡き妻、冴の一周忌もつつがなく終えることが出来ました。今宵はそのお礼を申し上げるとともに皆様にお知らせしておきたいことがありまして、ここにお集まりいただきました。輝夜、こちらにおいで」

輝夜が急いで傍らに立つと、玄夜は話を続けた。

「皆様もご存知の我が息子、輝夜にございます。わたしはこの幼子に新しく母を迎えてやるつもりでおります」

「なんと、まだ一周忌が済んだところだというのに」

「玄夜殿は何を焦っておられるのだ」

「それでは、冴さまがお可哀想そうではないか」

とたんに室内がざわざわと不穏な空気に包まれることとなった。


「待たれよ、玄夜殿、いったいどなたを正室に迎えられるのか」

冴の父親である(かん)(づき)(そう)(えん)が、辺りを制して尋ねた。

「茜を、と考えております」

「はて、茜殿とは? 聞いた名ではあるが、月読の一族の姫であらせられるのか」

義父(ちち)(うえ)殿、茜は、冴の侍女をしておりました女子にございます」

「なんと、冴の侍女とは。そのような下女を何故、正妻になされるのだ。仮に後添えをと申されるなら、輝夜の母に相応しい、それなりの家から迎えるべきではないのか」

「玄夜殿、蒼円殿のおっしゃる通りじゃ。叔父のわしからも意見を言わせてもらえるならば、あまりに性急すぎる話。あえて申せばこのような席で非常識であろう。後日改めてこの話を致すべきではないか。それまでの間、玄夜殿もじっくりと再考なされるがよかろう」

幽玄があわてて両者の間に入り、玄夜をたしなめた。

「蒼円殿、幽玄殿、もう決めたことなのです。本日はご報告を申し上げたまで。ご相談申し上げている訳ではないのです」


「なんと、無礼な。気分が悪い。幽玄殿、我らはこれにて失礼いたす。玄夜殿のお考えが変わられたら、またお知らせいただきたい。それまでは神月一同、玄夜殿とは絶縁を申し上げる。輝夜よ、そなたは別じゃ。そなたは私にとっては可愛い孫、冴の大切な忘れ形見じゃ。どうじゃ、輝夜、このような家は出て、このまま我らと神月へ来ぬか」

「何を仰せか、義父上殿、輝夜はこの宝月にとりましては大事な跡取り。一人息子を連れて行くなど許せるはずがございません」

「はたして、そうであろうか。新しい嫁に次の子が授かれば、輝夜が疎んじられることは目に見えておる。冴のようにな」

「義父上殿。言っていいことと、悪いことがございますぞ」

 一触即発。険悪な空気が張り詰め、思わず輝夜は蒼円の前に走り出た。

「おじいさま、ありがとうございます。輝夜はここに残ります。そしてお母さまのお墓を守りとうございます」

「うむ、そうか。冴の墓を守ってくれるのか。よくぞ言ってくれた、輝夜。お前は本当に賢い子だ。何事かあれば、いつでも神月に参られよ。喜んでお迎えいたすぞ。では一同引き上げるぞ」

神月一族は憤然と席を立ち、宝月を後に去って行った。


「神月と仲たがいとは困ったことになったのう」

「こうなっては輝夜さまだけが一族の(かなめ)だ」

広間のざわつきをものともせず、玄夜は茜を呼ぶと、皆の前に立たせた。

茜は下女の姿ではなく、すでに正妻の証である〈残月〉の家紋の装束を身につけている。

(あ、あの衣装はお母さまの……)

新しく作らせる時間がなかったのか、茜は冴の着物を身に着けていた。


「皆さんに紹介しておこう。我が妻、茜です。今後ともよろしくお頼み申します」

「茜と申します。どうかよろしくお願い申し上げます」

深々とお辞儀する茜を皆、苦虫を噛み潰したような顔で見ていたが、当主の決定を公の場で反対するものはいなかった。重い空気が広間に満ちると、それにあてられたのか、茜の顔色がみるみるうちに青くなり、口をたもとで抑え始めた。脂汗をかき、見るからに具合が悪そうである。

「茜、大丈夫か」

 玄夜が心配そうに、茜の丸く縮こまった背をなでさすった。

「はい、大丈夫です。申し訳ございません」

「無理せずともよい。瑠璃、医者を呼びなさい。さ、茜、もう奥の間へ行って休みなさい」

「茜様、さ、参りましょう」

瑠璃が支えると、茜はよろよろと歩きながら広間を退席した。

「皆さまには申し訳ないが、わたしもこれにて失礼します」


 玄夜がそそくさと退席すると、広間には白けた雰囲気が立ち込めた。

「茜殿は、どうなされたのじゃ」

「緊張のあまり、卒倒なされたのではないのか」

「それはまあ、針のむしろだろうからな」

「いや、あれは悪阻(つわり)ではないのか」

「なんと、冴さまが亡くなられてまだ一年、それではあまりにお手つきが早すぎるのではないか」

「いや、しかし、冴さまのときも」

「なるほど、それでこのようにお披露目を急がれておられるのだな」

 柱の陰で輝夜が聞いているとも知らず、親戚たちはひそひそとうわさ話をしながら三々五々に帰っていった。こうして母の一周忌が終わった。


 翌朝、輝夜は早々に父の部屋に呼ばれた。

「輝夜、昨日はご苦労であったな。立派にお勤めを果たしたお前に、冴も喜んでいることだろう」

(あんな法事で、お母さまが喜ばれるはずがないのに)

輝夜は内心そう思ったが、黙って玄夜の話を聞いていた。

「輝夜、他でもないのだが、今日は茜を見舞ってやってくれないか。昨日の騒ぎで、茜はお前が気分を害したのではないかと心配をしているのだ。顔を見せて安心させてやってほしい」

 

 父にうながされ、輝夜はしぶしぶ茜の見舞いに部屋へと行った。茜は昨夜より、冴の部屋を陣取って伏せっていた。

「あら、輝夜様。茜様、輝夜様がいらっしゃいましたわ」

ちょうど部屋から出てきた瑠璃が、輝夜を見つけると障子越しに茜に声をかけた。

瑠璃も昨夜より輝夜の元を離れ、茜付きの侍女となっていた。

(茜は、わたしから何もかもを奪っていく)

「まあ、輝夜さまが? うれしい。どうぞお入りくださいませ」

戸を開けると、布団の上で半身起こそうとしている茜の姿が目に入った。

「まあ、茜さま、そのようにご無理をなさいましては」

瑠璃があわてて茜を支えて座らせた。

「輝夜さま、わざわざのお越しありがとうございます」

急いで部屋替えをしたせいで、調度の類は母のいた時のままであった。

「お加減はいかがでございますか 」

「輝夜様、お気遣いありがとうございます。今朝はだいぶよろしゅうございますのよ」

にっこり微笑んだ茜の顔は、むかし輝夜が姉と慕った頃と同じ、優しく暖かい笑顔をしていた。



《臨月》


 あれから半年が過ぎた。一日中、『蝋月房』にいる玄夜は気づいていないようであったが、輝夜は、屋敷の中にピリピリした空気を感じずにはいられなかった。

「最近、めっきりご来客が減ったわよね」

「そりゃあ、皆さん、冴様に会いに来られていたんですもの。茜じゃあ、来る気にもならないんじゃない」

「どうして玄夜様は、茜なんかをお選びになられたんだろう。いまだに理解できないわ」

「そうよねえ、あんな何の取り柄もない女、私たちのほうが器量も家柄もずっとマシだと思うのだけれど」

「玄夜様のように凛々しい美男子には、冴様のように美しくて気高い方がお似合いなのよ。冴様だからこそ、私たちもお仕えしていたけれど、茜に使われるなんて我慢できないわ」

「そうよ。不謹慎だけれども私、冴様が亡くなられた時には、玄夜様に見初められないかしらと、ちょっと夢見ていたのよ」

「わたしもよ。玄夜様の後添えになれたらと、皆が心の中では考えていたはずよ」

「それをあんな茜ごときに奪われたなんて、実際面白くないわ」

「それにね、冴様亡きあと、お茶もお華も教えていただいてないのよ。これじゃあただの下働きの奉公人だわ」

そうした不満を持つ侍女たちが次々と辞めていき、かろうじて残った者たちも、茜の前では慇懃無礼な態度を取りながら、陰では呼び捨てにして軽んじていた。中には茜をねたむあまりに、流産を願う呪詛の言葉を吐くものすらいた。

(お母さまがいらした頃には、この家に笑い声が絶えなかったのに、茜のせいで黒い物の怪の巣食う屋敷になってしまった)

輝夜は、自らの居室を離れに移し、母屋には極力近寄らないようにした。

そんな冷ややかな家の中で、茜は臨月を迎えていた。


        *


「輝夜様、旦那様がお呼びです。急ぎ母屋までおいでくださいませ」

 瑠璃の声が弾んでいる。

(いよいよか)

 茜の部屋の前まで来ると、輝夜は障子に手をかけるでもなく立ちつくした。

「旦那様、輝夜様がお見えになりました」

ためらいを見て取ったのか、瑠璃が室内に声をかける。

「ああ、輝夜、来たか。入りなさい」

瑠璃が戸を開けると、胸に赤子を抱いている茜と、その赤子を愛おしそうにあやしている父の姿が目に飛び込んできた。父は、赤子に夢中で、振り向きもしない。

輝夜は、きびすを返して部屋を出た。


「輝夜、なんだ、その態度は」

「玄夜様、そのような大声を出されては赤子が驚きますわ」

父の怒号と、それをなだめる茜の声を背に、輝夜は一目散に離れへと戻って行った。

玄夜は扱いの難しくなった息子に手を焼き、瑠璃を再び輝夜付きに戻すことにした。そして茜には、実母の(せん)を呼び寄せた。



《お七夜》


 赤子は玄夜によって〈影玄〉と名付けられ、お七夜の儀を行う旨の招待状が親族一同に送られた。

「お七夜の儀には、わたしも出ないとならないのだろうか」

「まあ、輝夜様、弟君のお七夜なのですよ。兄上様がご出席なさらない訳には参りませんでしょう」

ぐずる輝夜を瑠璃が明るく諭した。

「また、お祖父さまもいらしてくださるのだろうか。お母さまの法事の日以来、お会いしていないのだけれど」

「それが、輝夜様」

瑠璃が言いにくそうに声をひそめた。

「この度のお七夜の儀は、このお屋敷の者たちだけで執り行われるそうです。ですからお祖父様はお見えには」

「そうなのですか。いつもなら、盛大にお祭り事をするお父さまにしては、珍しいことですね」

「ええ、何でもご招待したご親戚の方々が皆さま、ご欠席だそうで。致し方ございませんわ。だからこそお兄様の輝夜様がお祝いして差し上げなければ、影玄様もおかわいそうです」

(誰一人来ないなんて、そんなことがあるのだろうか)

輝夜は、寂しげな茜の顏を思い描いた。


 お七夜当日の朝、影玄に祝いの挨拶を延べようと部屋の前まで来た輝夜の耳に、千の憤る声が聞こえてきた。

「いったいこれはどういうことなの。本家の男児のお七夜だというのに、誰一人として来ないだなんて。それにこの祝いの品を見てごらんなさい。たったこれっぽっちなのよ。全く人をバカにしているわ」

「お母さん、仕方ないのよ。宝月には、もう歴としたご長男の輝夜様がおいでなのですもの。影玄はおまけのようなものですわ。私は玄夜様のお子を産めたのですもの。それだけでもう」

「茜、あんたがそんなだから、皆から軽んじられるのだよ。あんたはお妾さんじゃない。正妻なのだからね。輝夜一人が跡継ぎと決まっているなんて、まったくおかしな話しだよ」

「ええ、でも宝月家では、代々ご長男が跡継ぎと決まっているのです」

「いったい、いつの時代の話をしているんだい。この家にいると平安時代に戻ったような気になるけど、時代遅れもはなはだしいよ。茜、よくお聞き、あんたが、そんなんじゃ、影玄はこの家では、日陰者の扱いを受けて育つんだよ。まずこの名前からして気に入らないね。影だの玄だの、はなから輝夜の陰だという名じゃないか」

「お母さん、それは違いますわ。この家では新月の夜に生まれた子供には皆、玄の字を付けるのです。玄夜様も大叔父の幽玄様も同じですわ」

「それにしたって、気に入らないね。ともかく、わたしが来たからには、あんたたちに片身の狭い思いはさせないよ。輝夜など押さえ込んで、今にとって返してやるわ」


 千の言葉を聞き、輝夜はそっと離れに引き返した。

『新しい嫁に次の子が授かれば、輝夜が疎んじられることもあるであろう。冴のようにな』

かつて冴の父・蒼円が残した言葉が、呪詛のように頭を巡り始めた。

(自分はもう、この家には不要の者なのだろうか)

暗く沈んだ輝夜はその後、父に呼ばれても二度と影玄の部屋には行かず、その理由も誰にも話さなかった。それが後々の遺恨につながるとは、この時、幼い輝夜はまだ知らなかった。




《蝋月房》


 六年の月日が過ぎ、輝夜は十八歳、影玄は六歳になろうかという秋を迎えていた。

その夜、ろうそく作りの工房である蝋月房の窓という窓は開け放たれ、そこから差し込む満月の光で房内は満たされていた。その月の光を浴びて輝く父子の姿があった。

「輝夜、いよいよお前も十八歳になった。今宵から宝月の家に代々伝わる奥義を授ける」

「はい、お父上、よろしくお願い申し上げます」

十五歳の時、家訓に従い、輝夜は工房での修行が許されるようになった。そうなると、やはりそこは血を分けた親子、それまでの間ギクシャクしていた二人の間柄も一気に元の仲の良い親子へと戻った。その後三年の修行を経て通常の和ろうそく作りを一通り学んだ輝夜に、今宵玄夜は宝月の書の奥義を伝授しようとしていた。

「お父さま、これが宝月の書にございますか」

千年は受け継がれてきたという古い書物であるはずなのに、その表紙は冴え冴えと白く、一点の曇りさえない清らかな光を放っていた。

「そうだ。これは表の書。表裏の一対ですべての技を得るが、若いお前にはまだ裏は早すぎる。まずは表の技からだ」

「はい」

古来、月には不思議な力があるとされてきた。宝月ではその霊力を蝋燭に封じ込める儀式が代々伝授されてきていた。〈表〉は健康増進、病魔退散、恋愛成就、子宝祈願など人が生きていくための悩みに応える技であるが、〈裏〉は死人願いや亡者参り、怨念晴らしなど冥界や呪詛に繋がる魔道の技であった。表は宝月一族のものであれば、誰にでも伝授されるものであったが 裏は一子相伝。代々当主から次の当主への直伝の技であった。

今、裏を扱えるのは唯一人、玄夜だけであった。


さらに一年が過ぎた。輝夜の修行も順調に進み、〈表〉については一通りの技を身につけるようになっていた。

「お父さま、輝兄さま、おはようございます」

影玄が元気よく蝋月房に駆け込んで来た。

「こら影玄、房には入るなと言っただろう。熱い蝋があるのだから危ないぞ。お母様のところに行きなさい」

玄夜が叱るも、いたずら盛りの影玄は少しも言うことを聞かない。

「ええ、だって僕も見たいんだもの」

「ほら、影玄、お父様の言うことを聞かないといけないよ。わたしと一緒に母屋へ帰ろう」

「はあい」

不満げながらも、義兄を大好きな影玄は素直に輝夜に従った。

「輝兄さま、輝兄さまはどうして母屋には遊びに来てくださらないのですか」

「そうだな、仕事が忙しいからかな」

千にうとまれているからだと幼子に本当の理由も言えず、輝夜はそうごまかした。

「僕も一緒に房で仕事がしたいです」

「ほう、影玄はろうそく作りが好きなのかい」

「ろうそく作りって言うか。房にいればお父さまやお兄さまとご一緒に居られるではありませんか」

「なんだ、影玄、寂しいのか。母屋にはお母様やおばあ様がいらっしゃるではないか」

「寂しくなんかないです。でも僕は男ですよ。それにもう七つにもなるんです。男はやっぱり男同士ですよ。お母さまもおばあ様も女だからだめなんです」

鼻をふくらませて、一生懸命に話す義弟が輝夜は可愛くて仕方なかった。

影玄が生まれてからの数年間は、この小さな義弟が自分を脅かす存在になると思い、遠ざけてきたのであるが、修行に入り玄夜との関係も修復されるとその脅威も近頃は薄れつつあった。さらには少年となり房に顔を出しては自分になついてくる義弟の様子に、輝夜のわだかまりも無くなり実の兄弟のように仲良くなっていった。

「さあ、着いたぞ。わたしはここで戻るから、このまま家に入るんだよ。黙って出かけたりして母上に心配かけるんじゃないぞ」

母屋に繋がる中庭の枝折り戸を開け、輝夜は影玄を中に入れた。

「お兄さまも一緒に来てください。今日は美味しいお菓子があるんですって」

「いや、わたしはまだ作業の途中だから、これで帰るよ」

「影玄、どこに行っていたのですか。こちらに来なさい」

目ざとく見つけた千の厳しい声が飛んできた。

「早く行きなさい。おばあ様がお怒りだよ」

そう言うと千にまた嫌味を言われるのが嫌さに、輝夜は後ろを振り返らず歩き始めた。

「影玄、また房に行ったんだね。輝夜には会いに行くなと言ったでしょ」

千の叱る声が輝夜の背中に突き刺さった。



〈隠れ月〉


 その日、珍しく家を空ける玄夜を見送るため、皆が総出で屋敷門前に並んでいた。

「では行ってくるよ。輝夜、二、三日留守を頼んだぞ。何かあれば幽玄殿を頼りなさい」

「はい、お父様。こちらはご心配なく。お父様こそつつがなく大役を終えられますように」

「うむ、わかっている」

先祖代々の宝月家と付き合いのある古刹で七十年に一度の秘仏御開帳が行われることになった。本殿お浄めのため、怨霊退散の大蝋燭の依頼を受けた玄夜は、その際の式典の招待も受け、当主直々にお納めに行くこととなったのだ。この大蝋燭作りのために、玄夜は初めて輝夜の前で〈裏の書〉を開いた。裏の書は〈表〉の白く輝く装丁とは相反する黒くぬめりのある深い闇の様をしており、その表紙を見たとたん、禍々しさに輝夜は背筋がぞくりとした。 玄夜は興味津々な輝夜に少しだけ裏技の手ほどきをしてみせた。しかしいよいよ本作業に入ると輝夜を遠ざけ、単身七日七晩、蝋月房に籠りこの大蝋燭を見事仕上げたのであった。


「お父さま、いってらっしゃいませ。早く帰ってきてね」

「ああ、お土産をいっぱい買って帰るからな、影玄、いい子にしてるんだぞ」

「千殿、茜、家のことはよろしく頼む」

「はい、旦那様、お任せください」

「あなた、お気をつけて」

「うむ」

意気揚々と出かける、若く美しい当主の姿。それが輝夜が見た父の最後の姿であった。



「輝夜様、輝夜様、た、大変でございます」

いつもはおしとやかな瑠璃が血相を変えて蝋月房に飛び込んできた。

「どうしたのですか、瑠璃さん」

「だ、旦那様、旦那様が事故にあわれて」

「なに」

輝夜はとるものもとりあえず母屋へと走った。

「茜さん、どういうことですか。父はいったい」

「わたしにも何が何やら」

「輝夜さん、茜、落ち着きなさい。今、幽玄さまがお戻りになりますから」

千の落ち着き払った声に輝夜は妙に苛立ちを感じた

「幽玄様がお戻りになりました」

門番のあわてた声が届いた。

幽玄は、父の亡骸を連れ帰っていた。

「あなた、あなた」

「お父さまぁ」

「お父様」

「旦那さま」

その場にいた者が皆、口々に父の名を呼び、その亡骸に駆け寄った。

玄夜の体にすがりつき、泣くことも忘れて呼び続けていた茜は、もうこの世の人ではないのだと知れるとショックのあまり倒れて、そのまま寝付いてしまった。

突然の当主の訃報にかけつけた親族たちも何が起こったのかを幽玄に尋ねたが、詳しくはその口からは語られず、ただ事故とのみ知らされただけであった。

そして翌日、何か忌むものを遠ざけるように、あわただしく葬儀が営まれた後、玄夜の体は荼毘に付された。親戚たちの間からは〈裏の書〉にまつわる黒いうわさがささやかれた。

そして七日の後、玄夜を追うように茜も亡くなってしまった。


 茜の葬儀の後、若い当主とその妻を一度に亡くし、子供二人が残された宝月の家の危機に、急遽親族の会議が行われた。

「輝夜、お前が今日から当主だ。心しておきなさい」

「幽玄殿、それはおかしゅうございます。輝夜殿はまだ十八歳。宝月の家法では二十歳になられた者が継ぐということになっているはず。それにまだ輝夜殿は修行中の身ではありませぬか。当主になられるのは時期尚早というもの」

 幽玄の言葉に、千は真っ向から反対した。

「では千殿は明日からのこの宝月をどのようにすればよいとお考えか」

「工房の方は、作業頭にお任せすれば当面の仕事はこなせましょう。表の技ならば多少は輝夜殿も扱えるはず。その技で作業頭のお手伝いをなさればよいことです。どのみち裏の技は玄夜様以外には誰もできないのですから、今、若い輝夜殿に当主のご負担をおかけすることもないでしょう。屋敷と帳場の方はこれまで通り、わたくしが一切をお預かりさせていただきますから、幽玄殿もご安心くださいな」

「それならば、わしが工房に入ると致そう。表の技ならば輝夜に伝授もできる」

「幽玄殿は既にご隠居の身であらせられますもの。そのようなご無理をなさいませんように。どうしてもとおっしゃるのでしたら、ご自分の工房に輝夜殿を預かられてはいかがですか」

「なんと申される。千殿は時期当主をこの宝月から追い出すようなことを申されるのか。そもそもは千殿こそ赤の他人。茜殿が亡くなられた今、宝月から出ていくはそなたのほうではないのか」

「幽玄殿。私は玄夜殿の御子、影玄の祖母にございます。赤の他人ではございません。それに、輝夜殿と茜の葬儀を立派に果たしましたのも私の手配によるもの、さらに申せば冴様亡き後、荒れ放題であったこの家をここまで立て直したのもこの私でございます。あなた方ご親戚が何をなされたというのでしょう。褒められこそすれ、けなされる云われは微塵もございませんわ」

 ぴしゃりと千に言われ、幽玄は怒りに身を震わせながらも押し黙った。結局は千の言うとおりにしかならないことを知った親族たちは暗い面持ちのまま、宝月の家を後にした。



《下弦の月》


「お母さま、お父さま」

葬儀の日から、影玄は毎日泣いてばかりいた。輝夜自身も十二の時に母を失った。その悲しみ、喪失感は言い知れぬほど深いものであった。それがまだ七歳の子供がいきなり両親を失ったのだ。輝夜は義弟が不憫でならなかった。

かく言う輝夜も保護者である父を失い、途方にくれていた。

「これから先、たくさんの職人や侍女たち、千や影玄を食べさせていかねばならない。わたしはまだ修行中の身だというのに」

深夜、蝋月房にこもり輝夜はひとり悩んでいた。

その時、月の光が一筋窓から差し込むと房の片隅を照らし出した。

「あれは」

月の光が壁を照らすと隠し扉があるのが見えた。月が教えなければ決して見つけることの出来ぬ、月隠れの扉。輝夜はその扉を開けてみた。中には玄夜の作りおいたらしい鬼灯の花の絵付けがなされたろうそくが一本入っていた。

「これは、〈鬼灯の蝋燭〉にちがいない」

輝夜が時計を見ると、午前一時を回っているところだった。

「今からなら、また間に合う」

輝夜はそのろうそくを手に取ると、母屋へと走った。

「影玄、影玄、起きてくれ」

輝夜は影玄の部屋の窓を、千に気付かれぬようにそっと叩いた。

「輝兄さま、こんな夜中にどうしたのですか」

「影玄、これからお父さまとお母さまに会いに行こう」

「えっ、輝兄さま?」

「しっ、これを見つけたんだ」

輝夜は鬼灯の蝋燭を見せた。

「とにかく出ておいで。千に見つかったらうるさい。行く道々で話すから」

「うん、わかった」

影玄は靴を取り出すと窓から意図もたやすく外へ出た。

「お前、いつもそうやって抜け出しているのか」

「だって、玄関から出入りすると、すぐばれるのですもの。見つかるとどこに行くのかと、おばあ様がうるさくて。で、輝兄さま、どこへ行くのですか」

「栄螺堂だ」



《栄螺堂》


 栄螺堂は宝月の広大な敷地のはずれ、鬼門を守るために建てられた御堂である。その特殊な構造は冥界に通じさせるためとも言われていた。

「輝兄さま、なんだか暗いですね」

輝夜の袖口にしがみつき、影玄が不安げな声を出した。

「今宵は二十三夜。まだ月明かりはあるほうだぞ。影玄は暗闇が怖いのか」

「こ、怖くなんてありませんよ。僕は男の子ですから。でも本当にお父さまやお母さまにお会いできるのですか」

「うん、これで間違いがなければ」

輝夜は手にしたろうそくを影玄に見せた。

「以前、父上に聞いたことがあるのだよ。〈鬼灯の蝋燭〉の話を」

「ほおずきのろうそく?」

「そうだよ。鬼灯の蝋燭を丑三つ時、栄螺堂で灯せば冥界と道が繋がり死者に会えると。

上りと下りが交差する太鼓橋、そこが現世と冥界の境目になるらしい。ほら、影玄、着いたぞ、ここが栄螺堂だ」

月明かりに浮かぶ栄螺堂は、その名の通り栄螺のような不思議な形をした御堂であった。

「ここに入るの?」

「そうだよ、影玄は入ったことがあるかい」

「ううん、ここに来るの、初めてだよ。こんなのがあるなんて知らなかった」

「では入ろう」

ギキィ。長年人が出入りしていなかったと見え、扉は重くきしんだ音を立てて渋々開いた。

「真っ暗だ。何にも見えないですね」

「ちょっと待てよ。あと少し・・・・・・。よし二時になった。今、ろうそくを点けるから」

輝夜が持ってきたろうそくを灯すと、その強い光にお堂の内部が照らし出された。

「あっ、輝兄さま、上り坂がありますよ。階段ではないのですね」

狭い入口を入るとすぐ正面の左右それぞれに上階に登る坂が見えた。

「では行くよ。急がねば。あまり時間がない」

輝夜は左側の坂を選ぶと影玄を連れて上がっていった。時計回りにぐるぐる上がっていくと、何週目かでようやく最上階にたどり着いた。続いて順路はそのまま下り坂となり出口に向かうようになるのであるが、ちょうどその上りと下りの中心に渡り廊下のような太鼓橋があるのが見えた。

「あれがお父さまの言われた太鼓橋ですか」

「そうだよ。あそこだよ」

朱い欄干の太鼓橋を渡り、ちょうど半月の真ん中あたりで輝夜は歩みを止めた。ろうそくを掲げ、目を閉じ何やら呪文のようなものをつぶやいた。すると、突然二人の目の前に父の姿が現れた。

「輝夜、影玄、元気そうだな」

「お父様」

「お父さま、ほんとにお父さまだ」

「輝夜、鬼灯の蝋燭のこと、よく覚えていてくれたな」

「はい、あの時、お父様が教えてくださったのは、このことだとわかりました。ろうそくの隠し場所は月が教えてくれました」

「お父さま、お父さまはなぜ亡くなられたのですか」

「影玄、これは宿命なのだ。わたしの力が及ばなかった。影玄も大きくなればわかるようになる」

「お父様、わたしはこれから、どうすればよいのでしょう。家も仕事も問題が山積です。わたしはまだ十八歳で当主にはなれないそうです。このまま千殿にお任せしてよいものでしょうか」

「輝夜、お前はまだ若い。あの家に縛られることはないのだよ。わたしも生前は長男が跡を継がねばならぬという家法に縛られて自分にもお前にも、何一つ自由を与えていなかった。しかしこうなった今は思うのだ。自分らしい人生を生きればよかったと。お前たちには何物にも縛られず、生きたいように生きて欲しいのだ。当主の件はお前が二十歳になった時に考えればよい。継ぎたければ継ぎ、いやならば他の血族にまかせなさい。それまでは千殿や幽玄の叔父上に頼ればいい」

「はい、お父さま」

ろうそくの炎が大きくなり、黒い煙を吐き出し始めた。

「もう時間がない。わたしは行かねばならない。輝夜も影玄も達者で暮らせよ」

玄夜の姿が薄くなり、陽炎のように揺らぎはじめた

「あっ、お父様、最後にお聞きしたいことが。裏の書は、裏は何処にありますか」

「お父さま、お母さまは?」

二人はあわてて問いかけるが、ろうそくは最後の揺らぎを見せてふっと消え、それと共に玄夜の姿も闇に消えてしまった。

「輝兄さま、ろうそくを、またろうそくを点けてください」

輝夜は悲しげに首を振った。

「影玄、お父さまが残されたろうそくは一本きり。もう他に無いのだよ」

「じゃあ、お父さまにもお母さまにも、もう会えないのですか」

「影玄、さ、夜も更けた。もう帰ろう」

「お母さまにお会いしたかった」

涙声を抑えてつぶやく影玄の気持ちを考えると、輝夜は何と答えてやればよいかわからなかった。二人は押し黙ったまま闇夜よりも暗い気持ちのまま、家路についた。


翌日、輝夜は影玄のことが気になって仕方なかった。昨夜はあのまま無言で別れてしまったが、落ち込んではいないだろうか。

夕方、作業を終え離れに戻った輝夜は夕餉を運んできた瑠璃に尋ねた。

「瑠璃さん、影玄はどうしていますか。今朝は学校にはちゃんと行っているのでしょうか」

「輝夜様が心配なさるといけないから黙っていて欲しいと、影玄様から口止めされていたのですけれど」

配膳の手を止め、輝夜に向き直って神妙に話し始めた。

「影玄様は今朝方より伏せっておられるのですよ。千様がお医者さまを呼ばれたのですが、身体はどこも悪くないとおっしゃられて。どうも精神的なものだから、しばらく休ませるようにとのことでした」

「そうか、具合が悪いのか」

「色々なことが一度に起こりましたもの。影玄様もお疲れが出たのですわ。むしろ今まで我慢なさっておられたのではないでしょうか」

「そうだね。影玄はよく頑張ったよ」

「輝夜様。輝夜さまもお疲れが出ませんように、お体を大切になさってくださいね」

「ありがとう、瑠璃さん」

(そうか、良かれと思って連れて行ったのだが。昨夜のことでむしろ影玄の心の傷を深めてしまったのだろうか)

「お母様にお会いしたかった」

そうつぶやいた影玄の姿を思い出した輝夜は、夕餉もとらぬまま蝋月房へ戻った。


房に入るなり、輝夜は父の〈裏の書〉を探し始めた。

「あれに鬼灯の蝋燭の作り方が書いてあるはずなんだ」

鬼灯の蝋燭は〈死に人返し〉という裏の技により作られていた。

死に人返しとは死んだ人間の魂を呼び返せる技の総称で、蝋燭師の場合、霊があの世とこの世を行き来するときに提灯代わりに持つという鬼灯の花と、冥界に道を繋げる月の光を封じ込める月読の技法として取り入れられていた。表の技法を知る輝夜にも薄々、材料の類は予測できたのであるが、問題はその月齢がわからないことであった。月はその満ち欠けにより効力が変わってしまう。何月何日何時の月光をどれだけ、何を用いて封じ込めるのか。それは奥義書を見なければわからないことであった。

父は性分として、仕事のものは家には持ち帰らなかった。ましてや禍々しい裏の書は、その存在だけでどのような禍をもたらすか知れず、そのようなものを家族のいる母屋に持ち込むはずがなかった。おそらくはあの形見の鬼灯蝋燭のように人目につかない隠し場所に魔除けとともに封印しているはずと輝夜は考えていた。輝夜は何としても鬼灯蝋燭を手に入れ、影玄に亡き母と会わせてやりたいと思っていた。



《傷月》


あれから二週間、輝夜は毎夜、蝋月房に籠もって鬼灯蝋燭の試作品を作っていた。

房の中をすみずみまで探してみたが裏の書は、おいそれと見つかるものではなかった。

そこで輝夜はとりあえず色々思いつくままに配合を施し、それを日毎の月の光で試しながら一日も早く影玄を喜ばせてやりたいと時間を惜しんで励んでいた。

そんなある夜、輝夜はいつものように、ろうそくの原料となる櫨の実の木蝋を湯煎にかけ、溶かす作業をしていた。この溶けた蝋を特殊な和紙と灯心草から作った灯心にかけては乾かし、かけては乾かしを何度も繰り返して作る生掛けをするのであるが、ここまでは通常の和ろうそく作りと同じ技法であった。慣れた作業であったためか、日頃の疲れが出たためであったためなのか、乾くのを待つ間に輝夜はついうたた寝をしてしまった。


「うわあ」

ガラガラと何かが崩れ落ちる音と火のついたような子供の泣き声で輝夜は目を覚ました。

見れば熱いろうが入った鍋をひっくり返し、火傷をおった影玄が泣き叫んでいた。床には乾かしかけのろうそくが折れて、辺り一面に散らばっていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

肩腕を真っ赤に腫らしながら影玄が謝っていた。

「影玄、大丈夫か !早く水で冷やすんだ」

「輝兄さま、ごめんなさい。ぼくお手伝いしようと思って。ろうそくを全部ダメにしてしまいました」

「ろうそくなんか、どうでもいい。痛いか。早く医者に」

輝夜は影玄を背中におぶると一目散に母屋に走った。

「誰か、誰か医者を呼んでください。影玄が火傷を」

寝静まっていた母屋に次々に灯りがつくと、たちまち慌ただしさに包まれた。

「何事ですか」

ぐったりした影玄を見て千は血相を変えた。

「早く先生に連絡を。病院の手配をしてもらいなさい。それから運転手を呼んでちょうだい。すぐに影玄を運びます」

千はテキパキと指示を出し、影玄を連れて病院へと走った。

一人残された輝夜はいたたまれず、蝋月房へと戻った。

「わたしの不注意だ。居眠りなんかしてしまって。作業中は房に施錠しておくべきだった。 影玄は大丈夫だろうか。火傷の具合がひどいと命にも関わることがあると聞いたことがある。傷跡も残らなければいいのだが」

輝夜は自責の念にかられ、まんじりともせず夜を明かした。



《別れ月》


意識のない影玄に付き添い、三日三晩、千は病院から戻らなかった。

何の連絡も寄越さない事にじれた輝夜は矢も立てもたまらず見舞いに行こうとした矢先、使いの者から「来ないで欲しい」という千の伝言が預けられ、仕方なく家で悶々と待機していた。


五日後、病院から戻った千に輝夜は呼びつけられた。

「千さん、影玄は、影玄は無事でしょうか」

「よくもまあ」

千は白目を向いて輝夜を睨みつけた。

「よくも白々しく私に聞けたものですね。影玄を殺そうとしたくせに」

「なんですって、わたしが影玄を殺す? 自分の弟にそんなことをする訳がないではありませんか。あれはわたしの不注意で」

「いいえ、あなたは影玄を事故に見せかけて殺そうとした。私はそう考えています」

「そんな馬鹿な。なぜわたしが弟を殺さねばならないのですか」

「あなたにとって影玄は目の上の瘤、自らの地位を脅かす相手であり、もっと言うならば亡き父親の愛情を独占した憎き茜の子供だからです」

「・・・・・・」

あまりの言葉に輝夜は絶句した。その沈黙を自らの勝利と受け取った千は言葉を続けた。

「だから影玄には、あなたには近づくなと言いつけておいたのに。あなたの義兄は危険な男だと、もっときつく忠告しておくべきでした。わたしも迂闊でした。近頃のあなたは大人しくしていたから。その殊勝な顔に油断していました」

輝夜はどうしたら千の誤解が解けるのか、必死に考えていた。しかし何を言えば信じてもらえるかがわからなかった。

「千さん、影玄は無事なのでしょうか。それだけは教えてください」

輝夜を仰視し、しばらく何かを考えていた千が口を開いた。

「ともかく峠は越えました。しかしまだ予断はならず、しばらくは入院せねばならないでしょう。そこで輝夜さんには、影玄の退院までにこの家から出て行ってもらいたいのです」

「えっ、わたしに出ていけとおっしゃるのですか」

「そうです。今回は運よく影玄の命は助かりました。しかし、あなたがそばにいれば、また何が起こるかわかったものではありません。あなたは信用がならない。家名に傷がつかないよう今回のことは不運な事故としておきます。ことを荒立てないかわりに輝夜さん、あなたは明日にでもこの家から出て行ってください」

「わたしに、どこへ行けとおっしゃるのですか。ここしかわたしの家はないのです」

「神月の家があるではありませんか。あちらなら不自由はありませんわ」

「神月のお祖父様も昨年お亡くなりになり、叔父の代に代わっております。今更わたしがお世話になることはできません」

「では幽玄様のところに行かれるとよろしかろう。幽玄様なら輝夜さんも続いて修行も出来るというものです」

「叔父上はとうにご隠居の身でいらっしゃいます。工房も閉じられていて」

「ええい、もう、どうのこうのと口達者な。控えめに申し上げている内にお聞きなさい。

あなたは影玄にひどい仕打ちをしたのですよ。どれほどの大きな傷が一生残るかおわかりですか。体の傷もですが、心の傷もあるのです。信頼していた兄に、ひどい目にあわされた。あの子の気持ちを考えると私はもうつらくて悔しくて。ありていに申せばあなたの顔など二度と見たくはないのです。あなたがどう言おうと明日、幽玄様にお越しいただき、この話を進めます。幽玄様の工房再開のための費用は出しましょう。そこで修行した後、あなたがご自分の工房を開くというなら、それも援助いたしましょう。

しかし宝月との関係はそこまでです。二度とこの屋敷の敷居をまたがないでいただきます。影玄にも二度とお会いくださいませんように」

それだけ言い放つと、千はまた病院に戻って行った。


翌日、輝夜は千に抗議をする幽玄を説き伏せ、大叔父の家で世話になることにした。

家からは神月の祖父の形見の望月の天目茶碗と、父から授かった宝刀、母の一弦琴だけを持ち出した。蝋月房にあるものは〈表裏の書〉あわせてすべて置いて出た。後に影玄が当主となった時に、父の道具を引き継げるようにという配慮だった。

 その後、四年の間を幽玄の元で修行をし、二十二歳のとき、自らの工房〈鬼灯堂〉を開いた。

 それから十年の月日が流れた。この間、一度も影玄に会うことは叶わなかった。



〈魔月の巻 後編〉



《現在 新月祭前夜・宝月家》


新月祭の前夜、幽玄を伴い輝夜は久方ぶりに実家の門をくぐった。

「どうじゃ、輝夜殿、懐かしいであろう。いったい何年離れておられたのじゃ」

「はい、叔父上、十四年になります」

「もう、そんなになるか」

「ところで叔父上、門番がおりませんが」

かつては屈強な番人が門の左右を陣取りいかめしい顔をして立っていたものだった。その門番がいないことを怪訝に思った輝夜に、幽玄は声を潜めて答えた。

「うむ、そなたが心配してはいけないと思って言わなかったがな。宝月の家計、今は逼迫しておるのだ」

「それは、いったいどうしたことでしょう」

門から荒れた前庭を抜け、屋敷にたどり着くと、ちょうど玄関前を掃除していた瑠璃が輝夜に気づいて歓声を上げた。

「輝夜様、輝夜様ではありませんか」

十四年の月日を経ても瑠璃は相変わらずその優しい面のままであった。

「瑠璃さん。お元気そうで良かった。今もまだ宝月においでなのですね」

「はい、今も変わらずお世話になっておりますのよ。輝夜様が今日お越しだと幽玄様から聞いておりましたので、あの離れを掃除しておきました。まずはあちらでご一服なさってくださいませ」

「瑠璃殿、それはありがたいが、まだ輝夜殿は母屋には上がらせてもらえんのか」

「あの、それは」

「いいんですよ、叔父上。わたしも慣れた離れのほうが気を使わずにありがたいのです。

さ、瑠璃さん、参りましょう」

しどろもどろの瑠璃が気の毒になり、輝夜は瑠璃をせかして離れへと急いだ。実際のところ、輝夜もまだ千とは会いたくなかった。


幽玄と共に離れの座敷に上がると、早速瑠璃がお茶を運んできてくれた。

「ああ、瑠璃さん。ありがとう。ところで影玄、あ、いや影夜はどうしていますか」

「影夜様はお元気でいらっしゃいますよ。最近は蝋月房に籠もられていることが多いですわ」

「そうですか。ろうそく作りに励んでいるのですね」

「いえ、それが」

言いよどむ瑠璃に幽玄が話を継いだ。

「それじゃて。宝月の経済が逼迫しておるのは、影玄が蝋燭師の仕事を果たしておらんせいなのだ」

「では影夜は蝋月房では何をしているのでしょう」

「〈裏〉じゃよ。裏の書を見つけ出してからは、その技ばかり試しておる。顧客からの依頼は表技のほうがほとんどだからな。表をせねば経済は立ちゆかん」

「あれほど大勢いた職人たちはどうしたのです。作業頭もいなくなったのですか」

「影玄が皆を辞めさせたのだ。蝋月房に自分一人が籠もるためにな」

「収入がなくては困るだろうに。今はどのようにして暮らしているのですか」

「玄夜殿の貯えを食いつぶしておるわ。玄夜殿亡き後、輝夜殿は遺産を放棄なされて家を出られたが、影玄も未成年、千は血族ではないゆえ相続は出来ず、宝月の資産は一時預かりとなっておった。しかし影玄が来月成人を迎えれば正式に家督を継げるようになる。

そうなれば近いうちにこの屋敷も何もかも手放すようになるだろう。影玄が当主になれば宝月が没落すると言ったのはこういうことなのだ」

「しかし影玄のそのような勝手なふるまいを、あの千さんが放って置くとは思えないのですが。千さんはどうされているのですか」

「輝夜様、千様はここ数年、お体の具合がよろしくないのです。このところは床に臥せったままで」

「そうじゃ、それで他の者たちは全員解雇したのだが、それでは家内のことが立ちゆかん。そこで千は瑠璃さんだけを手元に残したんじゃ。瑠璃さんは今、雀の涙ほどの給金で働かされておる。本来ならば妙齢のご婦人は良家に嫁がせてあげねばならんのに、あの鬼婆は優しい瑠璃さんにつけこんで、ここに留め置いてこき使うておるのじゃ」

「幽玄様、身よりもなく行く所もなかったわたしを玄夜様、冴様は快く置いて可愛がってくださいました。そのご恩を忘れてはおりません。 この宝月の家をお守りするのがわたしの役目と思っておりますから」

「ありがとう、瑠璃さん。あなたがここにいてくれて本当に感謝しています」

「いえ、そんな、ではお食事の用意をして参ります。どうぞごゆっくりなさってくださいませ」

瑠璃は空になった茶器を下げると、離れを出て行った。

「叔父上、わたしは蝋月房へ行って参ります。影夜に会って久々に話がしたい」

「ではわしも一緒に参ろう」

「いえ叔父上、申し訳ないのですが、しばらく二人にさせていただけませんか。積もる話もありますので」

「うむ、しかし輝夜、昔の影玄とは」

「わかっております。だからこそ二人だけで会いたいのです。他に誰かいれば影玄も本音を語れますまい。では叔父上、失礼します」

輝夜は幽玄を離れに残し、ひとり蝋月房に向かった。



《蝋月房》


かつては数十人の職人が出入りし、ろうそく作りに励んだ活気ある工房が、今は静寂に包まれていた。

「影玄、中にいるのか」

 扉に手をかけると施錠がなされていたため、輝夜は中に呼びかけた。中でカサリと音がしたが、扉を開ける様子はなかった。

「影玄、中にいるのだろう。輝夜だ。今日はお前に会いに来た。顔を見せてはくれないだろうか」

 がらりと扉が開くと、見目麗しい青年が顔を見せた。

「影玄か?」

 輝夜と別れたとき、まだ七歳の少年だった影玄は凛々しい青年になっていた。幼い頃は母の茜によく似ていたが、今は父・玄夜の面差しを色濃く残している。

「今の名は影夜です。何の御用でしょうか」

見知らぬ他人を見るような冷ややかな目つきに、輝夜は幽玄の言ったことを身を以て感じていた。

「いや、特に用ではないのだよ。お前が元気かと思って顔を見に来ただけだ」

「心にもないことを。何をいまさら、のこのことこの家に戻ってきたのですか。あなたはもう十何年も前にこの家を捨てたではありませんか。大きな顔をして敷居をまたげる立場ではないでしょう」

「影夜、誤解しないでほしい。わたしは戻ってきたわけではない。明日の新月祭に呼ばれてきただけだ」

「新月祭、それを聞いてあわてて戻って来られたわけですね。明日になれば、わたしは二十歳になる。いよいよ正式に宝月の当主になる資格を得ます。そうなればあなたは、すべてを失うことになる。今になって欲がでましたか。今の今までわたしたちを放っておいて、権利だけは得ようなんて、それは卑怯ですよ」

「卑怯?」

「そうです。あなたはいつも卑怯なんだ。あの時もわたしが入院している間に逃げ出して、ただの一度も見舞いには来てはくれなかった。わたしのことなど、どうでもよかったのでしょう。あの後、うちがどうなったのかご存じですか。この家が没落しかかっているのは、あなたのせいなんだ」

「わたしの? それはどういうことなのだ」

「もういい。話は済みました。お帰り下さい。わたしは明日の準備で忙しいのです。

明日の新月祭に見ていらっしゃい。どちらが宝月の当主としてふさわしいか、目にもの見せてあげますよ」

 そういうと影夜は扉をぴしゃりと閉めてしまった。


「おお、輝夜殿、いかがであった、影玄は」

離れでは既に瑠璃が夕餉の支度を整え、配膳をしているところであった。輝夜を心配し待ちわびていた幽玄が、姿をみるなり声をかけた。

「ええ、影夜が大層立派になっていたので驚きました。あんなに小さかった子供が、大きくなって。お父様に似てきましたね」

「いやそのような外見の話ではなく、何かこう、こちらを敵外視するような態度をとるであろうが。千が何を吹き込んだかは知れぬが、わしらを嫌っておることは間違いないわい」

「叔父上はともかく、わたしは影夜に嫌われても仕方がないのです。影夜が瀕していた時に何もしてあげなかった。一度も見舞いに行かず、ようやく退院して帰ってみればわたしは家を出たあと。その後もなしのつぶての義兄に愛想を尽かしても当然なのです」

「まあ、輝夜様、そのようなことを」

瑠璃は配膳の手を止めると輝夜に向き直った。

「わたしがこのようなことを申しますのは差し出がましいのですが、輝夜様。

影夜様は輝夜様を嫌っておいでではなかったのですよ。退院された後、自宅療養になられたときも安静にしていなければなりませんのに『輝兄さまはどこにおられるのか』と毎日のように皆に聞いて回られておいででした。千様にその名前を二度と家の中で出してはいけないと厳しく言われて、とてもお寂しそうでしたわ。ちょうど屋敷の中に迷い込んできた野良猫にテルと名付けて、それはもう可愛がっておいでだったのですよ」

「しかし瑠璃殿、それは影玄が小さい頃の話でありましょう。今は、あやつも変わってしまった」

「それは、影夜様にも色々なことがおありだったのです」

「瑠璃さん、よろしければ、わたしの出た後の話をしていただけませんか」

「わたしも詳しくは存じませんけれど承知していますことだけ、。影夜様は回復なされてからまた学校に通われるようになったのですが、だいぶ苛めにあわれたようです」

「火傷のせいなのですね」

瑠璃はこくりと頷いた。

「片腕に残った傷を隠すために、夏でも長袖を着ていらっしゃいました。水泳などの授業もお休みになられていましたので目立ちましたのでしょう。それから影夜様は以前の活発なご様子ではなくなられてしまって。それでも頑張ってご卒業されましてからは、まだ十二のお年で蝋月房に通われては、職人頭からろうそく作りを教わろうとしておいででした」

「その頃はまだ宝月も繁盛しておったからな」

「はい、しかしその繁栄も三年ほどしか続きませんでした。その後は客足がめっきり遠のいたのです」

「客足が・・・・・・何があったのでしょうか」

「原因は、輝夜様が独立されてご自分の工房を持たれたことです。それまでのお得意様は皆、輝夜様に注文をお出しになるようになってしまいました。」

「あっ」

思い当たる節があった。輝夜が鬼灯堂を開業するとすぐ、かつての父の顧客たちが取引を申し出てくれていたのである。それから十年、鬼灯堂の経営が安定し続けているのは、ひとえにそのお陰であった。有り難いことだと思っていたが、それが本家をそして影夜を苦しめていたとは考えもしなかったのだ。

「そうか、影夜にすればわたしは宝月の裏切り者というわけなのですね」

「ううむ、話を聞けば、影夜も不憫よの。だからと言って本業を捨て、裏の技にのめり込むのは言語道断。まさか輝夜を呪ってのことではなかろうな」

「叔父上、影夜にも何か考えがあるのかもしれません。明日の新月祭を待ちましょう。技比べをしてみれば何かわかるかもしれません」

夕餉を済ませ、幽玄と瑠璃が部屋を出て行くと輝夜は一人明日の準備を始めた。



《新月祭 当日》


 その日、珍しく宝月の家はにぎわいを見せていた。輝夜が戻っていると聞き及んだ親類縁者たちが、喜んであいさつに訪れたのである。みな一様に屋敷の荒れように驚いた。

「なんだ、この草木の繁り様は。野中のあばら家でもあるまいに」

「そりゃ仕方ないさ、使用人は瑠璃さん一人なのだから、この広い屋敷ぜんぶには手が回るまい」

「千殿も加減がよくないらしいな」

「それならば影玄、あ、いや、影夜殿がしっかりせねばならぬのに」

「まあ、まだ二十歳にもならぬお方だ。この家を背負うのは荷が重かろう」

「やはり、家の再興には輝夜殿の復帰が待たれるな」

「そのために今宵、新月祭で技比べが行われるのであろう」

「技比べなどするまでもない。輝夜殿のほうがお血筋も良いし、技量も実績もおありだろうに」

「その技比べに、我ら親戚だけでなく一般の客人も呼ばれたと聞いたが」

「なぜ親戚以外の方々も呼ばれるのであろうか。身内の当主を決める技比べであるのに」

「さて、それはわからぬが、そのように客人をお招きするのであれば、この荒れようは宝月一族の恥じゃよ」

「では早速、一族総出で急ぎ片付けようではないか」

 親族たちは一丸となって今宵の新月祭を成功させるべく、屋敷内の大掃除や来賓のための膳を整え始めた。


 その騒ぎが離れにいる輝夜にも届いてきた。

「瑠璃さん、これは何事ですか」

「輝夜様、久しぶりに皆様がお顔を揃えておられますわ。今宵の新月祭のご成功を望まれて皆様でご準備なされておいでなのです」

「輝夜殿、輝夜殿はやはり大したお方じゃ。ばらばらになっておった一族をわずか一日でおまとめになられた。みな輝夜殿にお家再興の期待をかけておりますのじゃぞ」

「では、わたしも皆様のお手伝いをさせていただきましょう」

「いやいや輝夜殿、それには及びませぬ。輝夜殿は技比べのご準備をなされてくだされ」

 幽玄はまたあわただしく母屋へと戻って行った。



《技比べ》


 日が落ちると、秋の夜はひんやりとした空気におおわれ始めた。新月のこととて空に月はなく、その分星々は空を埋め尽くすかのように輝いていた。その夜空の下、技比べが行われる中庭の舞台には背の高い燭台が数本並び、既に準備は整えられていた。

 中庭に面した大広間では今宵の技比べを見届けようと数十人の人々が今や遅しと二人の登場を待ちかねていた。その中には多くの親戚に混じり、かつての顧客たちや初見の客人の姿があった。

「これは蓮華聖人様、今宵はお忙しい中、当家まで足をお運び頂き誠にありがとうございます。いつも輝夜がお世話になっております」

「これは、これは幽玄殿。今宵はお招きありがとうございます。輝夜殿にはいつも素晴らしい蝋燭を入れていただき、こちらこそ感謝しておりますぞ。その輝夜殿が技比べをなさるとお聞きしましたので早速駆けつけた次第です。どのような四座をご披露なさるのか楽しみにしております」

「はてさて、つかぬことをお聞きいたしますが、今宵のことは誰からお聞きなさいましたですかな」

「影夜殿から丁寧な招待状を賜りましたぞ。他のご来客もそうではないかと思われますが、それが何か」

「いやいや、何でもございません。ではごゆるりとお楽しみくださいませ」

(影夜め、いったい何をたくらんでおるのだ。わしらは何も聞かされてはおらなかったぞ。あの見知らぬ輩たちは何者なのだ。それに輝夜の顧客まで招待して、どうしようというのだろう)

 幽玄は影夜の考えがわからず、何やらいやな予感を覚えながら中庭の舞台へと向かった。


いよいよ、その時を迎えた。それぞれ儀式用の装束をまとった輝夜と影夜が中庭に姿を現した。手にはそれぞれ、ろうそくの入った木箱をたずさえている。近くの寺の戌の刻を知らせる鐘の音を合図に幽玄は皆に対して一礼をし、新月祭の開始を告げた。

「これより技比べを行う。競う蝋燭は各々三種ずつ。自らが最高と思われるものを見せていただきたい。よろしいかな」

「承知いたしました」

 輝夜が言うと、影玄は深くうなずいて答えた。

「では、どちらから先に参られるか」

「輝夜殿からどうぞ」

 影玄がいどむように言った。

「では、わたくしから」

 輝夜は木箱から銀色に輝くろうそくを一本とりだして燭台に刺し、火を灯した。

しばらくすると、蝋燭の炎からきらめく銀色の光の粒子があたりに飛び散り始めると、満天の星々と呼応し始め、夜空に幾百、幾千と思われる星が流れ始めた。

「おお、これはすごい」

「流星群だ」

「なんと美しい」

「〈宝月銀星流〉の技にございます」

 輝夜が炎を消すと、流れたはずの星は元の天空に戻り、また古からの光を瞬き始めた。

「続いては、〈十三夜〉にございます」

 金色の蝋燭を灯すと、空にぽっかりと丸い月が現れた。

「ややや、今宵は新月のはず。月が空に出ておるぞ」

「これは摩訶不思議」

「月の出も自由にできるとは」

「最後は、〈月虹〉にございます」

 輝夜が〈十三夜〉のとなりに真珠色の蝋燭を灯すと、十三夜の月を背景に夜空に白い虹がかけられた。人々はその幻想的な美しさに、息をのみただただ空をあおいだ。

 輝夜はろうそくを消して深々とお辞儀をすると、舞台を影夜に譲った。


 続いて影夜が中庭の舞台へと上がった。影夜は一礼すると黒い蝋燭を取り出した。

それを灯すと、天空に墨のような黒いものが流れ、みるみる内に星明かりがすべて飲み込まれた。漆黒の闇の中、ただ影夜の灯すろうそくの明かりだけが見えている。

(これは〈暗黒星〉ではないのか)

 輝夜はすぐに気付いた。影夜は暗黒星をそのままに、次のろうそくに火を点けた。

獣くさい匂いがたちこめるとあたりに禍々しい気配が満ちてきた。次の瞬間、ズシーンズシーンと地鳴りがし始め、闇の中を何か巨大なものが近づいて来る音がした。

(これは、もしや)

輝夜がその蝋燭を見ると、恐ろしい形相の鬼の絵付けが炎の中に浮かびあがって見えた。

(〈鬼来迎〉だ! 影夜は今宵、裏の技を披露するつもりなのか)

 影夜は既に鬼来迎の三本目に火を点けているところだった。

「影夜、やり過ぎだ。一度に三本は危険すぎる」

 輝夜は叫んだが、時既に遅く西南北の三方より何か巨大なものが押し寄せてくる地鳴りが響いてきた。灯された四本の蝋燭の光は強く、中庭から大広間の中まですみずみを明るく照らし出すと客人が恐ろしさに皆、浮足立っているのが見えた。

「皆様、大丈夫です。この鬼どもを抑える技、それを最後にお見せしようと思います。

どうか落ち着いてご覧くださいませ」

 自信満々な影夜の態度に、疑心暗鬼ながらも一同腰を下ろした。

ズシーン、ズシーン、バキバキバキッ。

影夜が新たな蝋燭を取り出そうとかがみこんだ時、落雷のような音が響いた。するとその音に驚いたのか、子ネコが影夜のふところから飛び出したのだ。

「あっ! 月目」

月目と呼ばれた子猫は、恐れをなしてめくら滅法にあたりを駆け巡った。

「影夜、危ない!」

子猫を捕まえようとした影夜がバランスを失ってつまずくと、次々に燭台が倒れ蝋燭が地面に転がり火が消えてしまった。漆黒の闇に包まれると、観客たちにも混乱が生じ始めた。

「なんだ、どうしたことだ」

「技は聞かなくなったのではないのか」

「鬼が、鬼がやってくるぞ」

「大丈夫です。輝夜がおりますのじゃ。どうか落ち着いて下され」

 幽玄が必死に観客たちをなだめる声が響いた。

「これはいけない。何とかしなければ」

 蝋燭は使い手が自らの手でその火を消さなければ、技を制することができなくなってしまう。このままでは現れた鬼たちを野に放ち、天空には月も星も太陽も出ぬまま魑魅魍魎跋扈する闇の世界になってしまうのである。

 輝夜は闇の中、手探りで木箱を探すと、中の蝋燭を手に取り匂いを嗅いだ。

「月光草の匂い、まずはこれを」

急いで、ただ薬草を練り込んだだけの害のない蝋燭に火を灯すと、その明かりで木箱の中を探し始めた。

「あった。〈有明の月〉これだ」

その写経を書きつけた蝋燭に火を灯し、天空に掲げた。するとたちまち闇が払われ、星々の光が戻り、二十六夜の有明月が鋭く輝き始めた。

「月だ。月が出たぞ」

客席に落ち着きが戻り、人々はその美しい月に歓声を上げた。

「おお、見よ。阿弥陀三尊の御姿が」

 月の中に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊の御姿が現れると、恐れをなしたのか、突然地響きの音が止んだ。静寂の中、蓮華聖人が数珠を手に読経を始めた。

この隙に輝夜がありったけの手持ちの蝋燭を灯すと、あたりは真昼のように明るくなった。

そして影夜が最後の技の一本を取出して走り来ると、義兄の横に並んで灯した蝋燭を月に掲げた。

「悪鬼退散」

二人の声が一つになり空にこだました。


グオオオオウ、ドーン

何か金属がきしみ、閉まるような大きな音がして、禍々しい気配が忽然と消えた。

「地獄の扉が閉まる音じゃ」

 蓮華聖人が読経を止めて耳を澄ました。

「もう大丈夫じゃ。鬼は去ったぞ」

「おお、よかった、よかった」

「これでもう一安心だな」

緊迫感が解け、場内になごやかな空気が流れた。輝夜が影夜を見ると、影夜もこちらを見あげていた。その柔和なほっとした表情に輝夜は幼い日の兄を頼る影玄の面影が透けて見えた。

「大丈夫か」

「はい」

今なら、お互いのわだかまりを消すことができるかもしれない。輝夜は期待をこめて影夜の次の言葉を待った。

「いやあ、一時はどうなるかと思いましたなあ」

「しかし、さすがは輝夜殿だ。蝋燭師としての腕は一流ですな」

「やはり宝月の当主は輝夜殿以外にはいないでしょう」

来客たちの輝夜への賛辞が中庭にいる二人の耳にも届いた。するとたちまち影夜の顔が曇り、元の頑なな冷たい表情に戻ってしまった。

「影夜、気にするな。この家の当主はお前だよ」

「行こう、月目」

影夜は足元にじゃれつく子猫を拾い上げ、懐に入れると足早にその場を離れた。

「影夜」

輝夜は影夜に呼びかけながら、その背中が深く傷ついていることを感じずにはいられなかった。

影夜の姿が見えなくなってから客席にあいさつに戻ると、皆が拍手の元に輝夜を迎えた。

「輝夜殿、決まりましたな。当主はやはりあなたでなければ。皆も同じ意見だと思いますよ」

幽玄の言葉に、来賓も皆、そうだそうだと口々に答えた。

「いえ、皆さん、お待ちください。この件につきましては今しばらくお時間をいただきたいのです」

「輝夜殿、それはどういうことですかの」

蓮華聖人が静かに問いかけた。

「はい、わたしはこの家の当主は影夜だと考えています」

「なんと、おっしゃられる輝夜殿、それは納得のできぬお話。今の技比べでも影夜の力量のなさは一目瞭然ではありませんか」

「そうだ、そうだ。影夜殿は危うく大参事を招くところでしたぞ」

「まあ、皆さん、お待ちください。輝夜殿の話を最後まで聞こうではありませんか」

幽玄はじめ他の客人たちの異議を、蓮華聖人が抑えた。

「ありがとうございます」

 輝夜は客席に向かって静かに語り始めた。

「皆さん、わたしはこの家を十数年前に捨てた人間です。その間一度も本家をかえりみることはありませんでした。この家を今に至るまで守り続けてきたのは千さんと影夜なのです」

「輝夜殿、この家の凋落ぶりを見たでしょう。到底守ってきたとは言えぬ話ではありませぬか」

「叔父上、幽玄殿も瑠璃さんからお話を聞かれたではありませんか。わたしが、はからずもこの家を貧させてしまっていたのです」

「それは違うぞ、輝夜殿。信頼できる品、人柄を見て顧客様方も店を選ぼうというもの。

お客様が輝夜殿をお選びなさるは至極当然のこと。選ばれたいのならば影夜は自らが精進せねばなりませぬ。それをあのように自らの私怨で裏技だけに固執するのはいかがなものか」

「叔父上、影夜が裏に固執するは私怨ではございませぬ。影夜がこの宝月を守りゆくための最後の手段が裏の技だったのです。影夜は活路を一子相伝の裏技に賭けたのでございます。今宵、輝夜が皆様に招待状をお出ししたのも、本家とまた取引をお願いしたいと言う思いからでしょう」

「うむ、そうであったか」

「影夜はまだ若い。本日二十歳を迎えたばかりでございます。今からまだまだ修行もせねばなりません。しかしそれは蝋燭師としての話。この家のことを一番考えているのは、影夜です。当主としての器量に不足はございません。影夜を当主とお認め頂けますなら、わたしも今後はこの家の再興に力を貸してまいります。どうか皆様、影夜をよろしくお願い申し上げます」

「輝夜殿、話はよくわかりもうした。あとは御兄弟で話し合われるがよろしかろう。われらはそのご意向に従いますじゃ」

「蓮華聖人、ありがとうございます」


客人たちを丁重に送り出した後、輝夜は一度離れに戻り包みを懐に入れると母屋に向かった。

「瑠璃さん、おられますか」

「はい、ただいま」

千の看病をしていた瑠璃が奥の間から姿を現した。

「瑠璃さん、お忙しいところをすみません。千さんの具合はいかがですか」

「ええ、あまり芳しくは。今はよくお休みになられていますが」

「そうですか。これを千さんの寝室で灯してあげてください。病気がよくなる蝋燭です」

「まあ、お心遣いありがとうございます。輝夜様、技比べはもう御済みですか」

「はい、つつがなく。では影夜はまだここには戻ってきてはいないのですね」

「ええ、まだ。蝋月房におられるのではないでしょうか」

「わかりました。行ってみます。ところで瑠璃さん。あの子猫は」

「ああ、月目ちゃんですか。あの子は捨て猫で、影夜様が何処からか拾われてきたのです。

まだ目も開いていなくて衰弱していましたのを、影夜様が三日三晩寝ずにお世話をなされまして、ようやく元気に。影夜様は目に入れても痛くないほどかわいがっておられますわ。ちょうど昨年にテルが死んでしまって。お寂しかったのだと思います」

「そうですか。やはり影夜はかわってはいなかった。昔のままの優しい気性をしているのですね」

輝夜は母屋を出ると、心軽やかに蝋月房に向かった。



《蝋月房 亥の刻》


「影夜、いるんだろう。開けてくれないか。話があるのだ」

鍵を開ける音がして扉が開いた。

「なんのお話ですか」

影夜は入り口に立ちはだかり身構えた。

「影夜、房に入れてくれないか。中で話そう」

「ここはわたしの場所です。わたしだけの。誰にも入られたくない」

「じゃあ、出ておいで。外で話そう」

輝夜は影夜を誘うとぶらぶら歩き始めた。

「ああ、今夜は夜気が気持ちいいなあ。少し歩こう」

「どこへ行くのですか」

「まあ、おいで。歩きながら話そう」

影夜は扉に鍵をかけると、輝夜の後ろをついて来た。


しばらく二人は無言で歩いた。

「あの夜も、こんな風に二人で暗闇を歩いたよなあ」

「あの、お話は何なのですか。家のことは皆さんでもうお決めになられたのでしょう。あなたがここに戻られるのですか 」

「いや、わたしはここには戻らないよ。 影夜、この家の当主はお前だ。お前がずっとここを守ってきたんだからな」

「でも、もうわたしでは守りきれません。大切な時にあんな失敗をしてしまって。顧客ももう戻らないでしょう」

「そうかな、

「あのような思いも寄らないことになったから、失敗に見えるが技自体は素晴らしいものであったよ。とてもわたしには出来ない技だった」

「でも失敗は失敗です。あなたがいなければ大惨事になるところでした」

影夜は神妙に答えた。

「さあ、着いたぞ」

「ここは、栄螺堂」

「まだ丑三つ時には早いがな。日付が変わる前に着いてよかった。お前に見せたいものがあるのだよ」

輝夜は堂の中に影夜を招き入れた。

「全然変わっていないな。相変わらず埃くさい」

そういって苦笑いすると、蝋燭に火を付け明かりを灯した。

そして影夜に向き直り、包みを差し出した。

「影夜、二十歳のお誕生日おめでとう。これはわたしからの祝いの品だ。開けてみなさい」

「えっ、わたしにですか」

影夜が包みを開けると、蝋燭が数本入っていた。

「これは、〈鬼灯の蝋燭〉ではありませんか」

「そうだ。あれから後も作り続けて、ようやくできた。十数年かかったがな。お父様ほどの立派な品物ではないが、なんとか真似事のような品ができたのだ。これを一番におまえに贈りたかったんだ」

影夜はその美しい鬼灯の花の絵に見入っていた。

「わたしもこれを作ろうと。でも鬼灯の技は裏の中でも一番難しい技で、なかなか上手くいきませんでした」

「影夜、これからのことだがな。明日わたしは鬼灯堂に帰るよ。だが今までのように本家を放っておきはしないから。影夜はもう一度、幽玄の叔父上の弟子に付きなさい。わたしも叔父上に弟子入りして三年で今の店を開けるようになった。蝋月房に人が入るのがいやであるなら、叔父上の工房に通いなさい。そして一本立ちをしたら、また蝋月房を開けばいい。家計のほうは心配せずともいい。影夜が一人前になるまでは、わたしが仕送りをするよ」

「あなたは、わたしを憎んでおいでじゃなかったのですか」

「憎む? なぜ憎むのですか」

「わたしとわたしの母があなたから何もかもを奪ったから。だから、あなたがわたしの不幸を望んでいるのだと、おばあ様から聞いていました。おばあ様はわたしに嘘をついていたのですか」

「それはちがうよ、影夜。色々な不幸が重なって、お互いに誤解したまま数十年の時を迎えてしまっただけなのだよ。でもまだ間に合う。今からまたお互いにわかりあえればいい。

わたしたちは兄弟なのだからね」

「輝兄さま」

「さあ、わたしは離れに帰るとしよう。影夜はどうする」

影夜は鬼灯の蝋燭をじっと見て考えていた。

「お父様、お母様に会って帰るか」

「いえ、今夜はやめておきます。わたしが一人前の蝋燭師になったとき、そのご報告にお二人に会いに来たいと思います」

「そうか、それはお父様もお母様も楽しみになされることだろう。では帰るか」

「はい、輝兄さま」

 新月の夜ではあったが、輝夜の胸には皓皓と明るい光が射して来ていた。



《エピローグ クリスマス 亥の刻・鬼灯堂》


あれから三か月の間、年末年始の儀式用の蝋燭作りに追われていた鬼灯堂にも、ようやくゆるりとした時間が流れ始めた。

「こんばんは」

「瑠璃さんではありませんか。いかがなされました。宝月になにかありましたか」

 珍しい客人に輝夜は驚いた。

「いえいえ、輝夜様。こちらは順調でございますので、どうぞご心配なさらないでくださいませ」

 瑠璃がにっこりとほほ笑んだ。

「今日はご報告かたがた、蝋燭をいただきにあがりました。輝夜様からいただいたあの蝋燭のお陰で、このところ千様の御具合がよろしいのですよ。最近では床を離れるお時間も増えまして、お散歩をなされるまでに回復なさいました。それでこの蝋燭を続けたいと千様がおっしゃいまして」

「そうですか、千様が。それはよかった。影夜も喜んでいるでしょう」

「はい、影夜様もあれから幽玄様の工房へ、毎日修行に通われておりますわ。幽玄様も先日いらして、なかなか筋がいいとお褒めになられておられました」

「そうですか。やはり通いに。蝋月房は閉じたままなのですね」

「ええ、わたしもなぜ蝋月房でなさらないのかと不思議なのですけれど。千様をご心配になられて住込みにはせず、通いになされるぐらいでしたら、房でなさればよろしいのにと思いますが、影夜様は房にはどなたもお入れにはならないのです」

「まあ、影夜には影夜の考えがあるのでしょう。今しばらく好きにさせてやってください。

瑠璃さんには影夜のことといい千さんのことといい、ずいぶん世話になってしまって、本当に申し訳ないと思っています」

「いえ、そんなわたくしなど、何のお役にもたてておりませんわ」

輝夜に真っ向から見つめられ、瑠璃の頬にぽっと赤みがさした。

「瑠璃さん、立ち話もなんですから、どうぞ奥の間へ」

輝夜がそう言いかけた時、パタパタと走り寄る足音がして格子戸がガラリと開けられた。

「輝さん、いてはる? あっ、ごめんなさい。お客様やったんですか」

 その時、いつものように加代が元気よく格子戸を開けて入ってきた。

「ああ、加代さん。いらっしゃい」

「輝さん、またいつものお願いしますわ」

輝夜が用意していたろうそくの箱を加代に手渡した。

「お先にすみませんねえ。ここのろうそくは、すごくええんですよ」

加代が瑠璃に話しかけた。

「まあ、ありがとうございます」

「ありがとうございます?」

「加代さん、こちらは瑠璃さん。 わたしの実家にゆかりのある方なのですよ」

「いや、そうやったんですか。ご親戚か何か」

「いえいえ、ただの使用人ですわ。輝夜様の御幼少の頃からお仕えさせていただいております」

「へえ、そうなんですか。御幼少の頃言いはったかて、まだお若いやありませんか」

「いえいえ、もうおばあちゃんですのよ」

「瑠璃さんが、おばあちゃんなどということはありませんよ」

 真面目な顔で言う輝夜に瑠璃はますます赤くなっていった。

「輝さん、わたしもう行くね」

「ああ、加代さん、いってらっしゃい」

 少し不機嫌になった加代が、いつものように居座らず早々に出て行くのにも気付かず、輝夜はのんきに送り出した。

「あの方、輝夜様のこと」

「はい?」

「あ、いえ何でもありませんわ。あの方はお得意様ですか」

「そうですよ。加代さんは青炎さんという名前で蝋燭占いをされているのです」

「蝋燭占い。そうですか」

「瑠璃さん、さあ、どうぞ奥の間へ」

「ありがとうございます。でもそろそろ帰らなければ。千様がお待ちですから」

「そうですか。では、この蝋燭を千さんにお使いください」

「はい、ありがとうございます」

「それから、こちらは瑠璃さんに」

「まあ、わたくしにも」

「はい、とても香りのよい蝋燭です。よければお使いください」

「はい、是非に」

 瑠璃は大切そうにその包みを受け取ると、格子戸を開けて外に出た。

「瑠璃さん」

「あ、はい」

「本家のこと、どうぞよろしくお願いします」

「はい、また近い内にご報告にあがります。影夜様のことも」

 輝夜は瑠璃の姿が見えなくなるまで見送ると、月を見上げた。




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