三人旅-2-
朝。
いつもの時間帯でメルヒオルが起きるとスクラビンの隣には寝落ちしたと思われるリスティの姿があった。横になってスヤスヤと眠っている。
一方スクラビンは体育座りでどこか虚ろな目をしてボーッとしていた。
「おはよう」
「…………おはよ」
メルヒオルが声をかけると彼女は焦点を合わせてその方へ顔を向ける。寝ているわけではなくあの様子でも起きているらしい。
変わった子だな、と密かに思いながらメルヒオルは朝ご飯の支度をし始める。というが乾パンを荷物から取り出すだけだが。
「…………何、それ」
「これ? 乾パンっていうらしいけど。たまに誰かが持ってるんだよ」
"死体の森"で襲いかかってきた人を斬り、たまに姉がその持ち主の荷物を漁るのだ。その時に何故か食料が入っていたりする。その多くがこの乾パンだという。
「肉の方が美味しいけど、食べてみる?」
「…………うん」
乾パンを二人一緒に食べてる最中にリスティも起きて、一通り食事や準備を済ませてから三人は橋へと向かった。
「スクラはお前みたいになんでも知らないわけではなかったぞ」
橋へと向かう途中、おぶらせてもらっている弟に姉が告げる。昨晩スクラビンと二人きりの女子会でわかったことだった。
「一般常識くらいは覚えていた。まぁ一人で旅をしててその時聴いた話もあるんだがな」
「へー。でもねーさんだってその、イッパンジョウシキをよく知ってるわけじゃないでしょ?」
メルヒオルと共にずっと世間から孤立していたリスティも自分同様何も知らないと思っているわけだが、どうしてそんな自分より知っているのかがわからなかった。
「まぁそれはそうだが、お前よりは知りたい姿勢があるからな。というより忘れやすいお前もお前だ」
何事にも興味を持たない姿勢のメルヒオルとの差がこれである。反論の余地もなかった。
「じゃあいもーとに何を教えてもらったんだ?」
「歴史だ」
「れきし?」
聞いたことがあるような無いような曖昧な返事を弟はする。二人で暮らしていた時にたまに話したことだったのだが、見事にこのザマである。
話してもまたこうなるだろうと割り切っている姉は詳細を説明せずに目的地へと進むように催促した。
橋まではあまり遠くなく、数時間程度でたどり着けた。
そこは二人が想像していたものよりも大きなものが架けられており、先は見えるもののあまりに小さかった。幅は馬車二つ並んでも余裕があり、橋の入口には二人の騎士が立っていた。
三人はその騎士たちを素通りして橋を渡ろうとしたら、
「通行証を見せてもらおうか」
その二人が三人に立ち塞がるように手に持ってる槍を交差させた。
通行証? とメルヒオルが知らない単語を頭に反芻させてる間に姉が適当なことをでっち上げていた。
「すまない。道中で失くしてしまった」
「なら、国に戻って再発行してもらうんだな。無ければ通さん」
本物を見せない限りここは通れないと判断したリスティは二人に引き返すように耳打ちする。それに従い、二人は元来た道を引き返した。
「変装は完璧だったな」
橋から十分離れて自分のセンスにうんうんと何度もリスティは頷いた。スクラビンのことに気付いた様子を見せなかったことからこの作戦は成功とも言えた。
「それじゃあ昨日言った通りスクラが通った道へと向かうか。案内を頼んだぞ」
「…………うん」
そう返事をしてスクラビンを先頭に舗装されているこの道から外れ、三人は橋から下るようにして先を進んだ。
隣に川が見え、それをメルヒオルは物珍しそうな視線で見ていた。
「そんなに気になるのか?」
「うん。見たことないし」
「これからそこを歩くんだ。嫌というほど見ることになるぞ」
それはそうなんだけどね、と確認をしてから前を歩くスクラビンの背中の方へと目線を動かした。
それから歩くこと一時間過ぎ。既に橋は見えなくなって川の中に入っても渡れる場所へと着いた。
「…………ここ」
そこは先ほどとは打って変わって架けられている橋がなく、代わりに大小様々な岩が転がってる所だった。更に川が広くなっており、ギリギリ見えた端も見えなくなってしまっていた。
「なるほど。ここを通るのか」
川の流れも比較的穏やかで、岩と岩の間の急な流れと滑って転ぶことに気をつければ十分通れる場所ではあった。
「よし。では行こうか」
「はいはい」
水の中に足を入れ、膝下までの深さの水に足を取られないようにゆっくり歩いて先を進んだ。
「しかしまぁ言っちゃあなんだが私を背負ってのこの道は疲れそうだな」
「じゃあ歩く?」
「風邪引くだろ」
「俺が風邪引いたらどうするの?」
「心配するな。バカは風邪を引かないらしいからな。その証拠にお前は一度も引いたことないだろ?」
「確かにそうだけど、なんかその言い方はやだ」
「事実だろ。スクラはどうだ?」
「…………引いたことない」
「まぁスクラは忘れてるだけかもしれないからな」
「なんでいもーとにだけ優しいんだよ」
「お前にもちゃんと愛をあげてるぞ」
「ねーさんの愛なんかいらないし嫌だ」
「ほぅ。それはあれか、こんな弟想いの私に喧嘩を売ってるのか?」
「逆にねーさんは俺がいなくなったら誰におんぶとかされてもらうの?」
「………………その時はスクラに頼むさ」
「…………おんぶ、できるかな」
「じゃあ今から練習するか? 付き合うぞ」
「いもーとにおんぶされることに大丈夫なの?」
「そんな安いプライドなんてお前におぶってもらう頃には捨ててたさ」
「なんかかっこ悪いよ」
「なんと言われようがこうでもしないと本当にこの旅は果てしなく長い旅になるぞ。きっとここまで来るのに一ヶ月以上はかかるな」
「だったらまず体力をつければいいのに」
「人間最低限の体力さえあれば誰かを頼って生きていけるさ。私が良い例だ」
「いもーとみたいに一人で旅できるようになってほしいよ」
「自立くらいはできるさ。ただどうしても足だけはなんともならん」
「じゃあ一人で暮らせばいいのに」
「……この話はもう止めよう。無性に悲しくなってくる」
「はいはい」
歩き始めて一時間。
靴の中には既に水が染み込んできていて気持ちの悪い感触が続く中、ようやく反対側が見えてきた。
「やっと地面が見えてきた」
弟の背中で呑気に呟くリスティだったが、歩いているメルヒオルにとっては早くここから上がりたい気分でいた。靴のこともあるが、やはり疲れの溜り具合が尋常ではないのだ。
そのことを表情に表さないで姉の発言に肯定しようとすると、隣を歩いているはずのスクラビンがいつの間にか立ち止まっていた。
「どうした?」
心配になって二人が彼女の方を向くと本人は上流を黙って見つめていた。
「…………来る」
一言呟いてスッと静かに細身の剣の柄に手をかける。と同時に勢い良く何かが水中から飛び出してきた。
それは大きな蟹型の魔物で、一体その全身をどうやって隠していたのか疑問に思う程の巨大な姿をしていた。
出てきた衝撃で水飛沫が飛び散り、魔物と三人には距離があったものの十分届いていた。
「おいおい。こんなのがいるのか」
「ごめんねーさん邪魔」
スクラビンが蟹型の魔物に仕掛けるあとに続こうとメルヒオルも背中にある荷物を雑に捨てた。しっかりと確認せずに姉を下ろしたため、彼女は尻もちをつくようにお尻から水に入ってしまった。
「冷たっ!? メルヒ覚えてろ!!」
まるで捨てセリフのように弟の背中に怒鳴りつけるが彼は全然気にする素振りなど見せなかった。
先ほどのゆったりと歩いていた速度とは真逆のダッシュにメルヒオルは若干水に足を取られたものの転ばずに済んだ。
一方スクラビンは一度も足を取られることもなく蟹型の魔物に近付いて抜刀を仕掛けようとした時、その魔物の側に小さく同じ魔物らが道を塞ぐように水中から現れて攻撃してきた。
「…………ッ」
突然の強襲に一瞬戸惑いをしたがすぐに走るのを止めて急停止し、その勢いを殺して後ろを見ずにバックステップをする。そして空中にいながら突撃してきた小型の魔物を数匹巻き込むようにして一撃で葬った。
攻撃し終えて着地をし、そのまますぐさま右へ飛んだ。大型の魔物が右腕の鋏を振り下ろしてきたからだ。
無事にそれを避けきったスクラビンは一歩遅れてきたメルヒオルにチラッと視線を送り、すぐに敵を睨みつける。
「…………何体も、いる」
「うん。さすがにこの距離ならわかる」
川の中での戦闘には慣れていなかったメルヒオルでも、敵が正面にいればその周囲のことくらいは察知できた。
両者臨戦態勢で睨み合いが続き、先に動いたのはメルヒオルとスクラビンだった。
二人が動いたのと遅れて小型の魔物たちが一斉に飛びかかってきた。が、二人はそいつらを相手にせずに大将の元へ走った。
大型の魔物は彼らを挟み込もうと再び右腕の鋏を振りかざし、メルヒオルに向けて切り裂こうとする。
対する彼は相手の鋏を逆に狩ってやろうとその鋏目掛けて大鎌を振るった。
ガン! と硬いもの同士がぶつかる音が川に響いただけで両者共に傷一つ相手の得物につけることができなかった。
「硬い……」
どうやらみくびっていたのはメルヒオルの方で、ジリジリと相手の力に押され始めた。
メルヒオルがやりあっているその隙に、スクラビンが懐に飛び込んで一撃を入れようとしたら今度は空いている左腕の鋏が彼女に襲いかかる。しかしその鋏は彼女を捉えることなく川の中へと喰い込んでいった。
その隙だらけの鋏にスクラビンもメルヒオルと同じく一撃を加えようとして細身の剣で横に斬った。手応えを感じたが彼同様硬い音が鳴っただけでヒビ割れも起こすこともなかった。
「…………」
さすがのスクラビンでも苦渋の表情を浮かべ、体勢を整えるべく一旦距離をとった。メルヒオルもそれに続き魔物の攻撃範囲から逃げる。
どうやってこの魔物を倒そうかと作戦を練ろうとした時、彼の後ろの方から、ふっふっふと笑い声が聞こえてきた。
「私の出番か」
その方に向いてみると仁王立ちをしてドヤ顔をしている姉の姿があった。
リスティの戦った姿を見たことがないスクラビンには何故ドヤ顔をしているのかが理解できなかった。
しかし弟のメルヒオルは姉の戦闘を見たことがあるため、この参戦には嬉しいことこの上なかった。
「メルヒ。こっち来い」
後ろ腰に差してある刀を逆手で引き抜き、そして取り出した得物を空中で回して順手持ちに直す。そうしている間にメルヒオルはリスティの側に戻ってくる。
そしてやることがわかっている彼は姉の前に大鎌の峰を下ろす。それの上に彼女は両足を乗せ、姉を乗せたまま大鎌を振ってぶん投げることによりその体は宙に浮いた。
メルヒオルの力量通り飛んだリスティはそのまま大型の魔物へと目指して行き、刀を振る構えに入る。
彼女の襲来に気付いた魔物はすかさず右側の鋏で迎撃しようと突き出す。空中では避けることもできないため、当たることは必然だった。
あの鋏の硬さを知っているスクラビンはリスティの助けに入ろうとするがメルヒオルに止められた。
「大丈夫。ねーさんは負けないから」
いまいち信用ならないセリフだったが弟のメルヒオルがそこまで言うのなら仕方ないとスクラビンは思ったが、すぐに考えを改める必要ができた。
彼女の刀と魔物の鋏がいざかち合う時が来て、その光景にスクラビンは驚きを隠せないでいた。
斬れていたのだ。メルヒオルの大鎌でもスクラビンの細身の剣でも斬れなかったあの鋏が。
スゥー、と硬い金属同士がぶつかる音なんて立てずにただその場で素振りをしたかのように一刀両断した。
そして遅れてその断面から人間の血にあたる黄緑色の液体が溢れ出した。
あまりの出来事に大型の魔物はワンテンポ遅れてからその痛みが全身に響き渡り、声にならない奇声を放ちながら斬られた腕を振り回した。
一方斬ったリスティは魔物の背後に飛んで行きそのまま川へと着地をし、弟に目で合図を送った。
元々姉のことを知っていたメルヒオルは合図を送らなくても行動に移していた。片側がガラ空きとなった大型の魔物へ走って行く。小型の魔物が邪魔をしてくるがそんなのお構い無しだった。
痛みに悶えている蟹の背中に簡単に飛び乗り、大鎌を上段に振り上げてその刃を顔面に突き刺した。
鋏を斬られた痛みに加えて顔面も貫かれ、とうとう蟹型の魔物は最期の抵抗も力なく、やがて崩れ落ちた。
大将が倒されたことによって小型の蟹たちはどうしたらいいかわからず、全員敵前逃亡を計った。そいつらをメルヒオルたちは追いかけて止めをさそうとはしなかった。
「お疲れねーさん」
既に動かなくなった蟹型の魔物を刺している大鎌を引き抜き、姉が降り立ったと思われる場所にその背中に乗りながら顔を向ける。そこには魔物が倒れた時に出たと思われる水飛沫を全身に浴びているリスティが怒りで体を震わせて立ち尽くしていた。
「……メルヒ、覚えてろよ……くしゅん!」
果たして怒りだけで震えていたかどうかは弟と妹の目でもさすがにわかった。