死にたがりの殺人犯-2-
大樹の下で話すこともありだったが、立ち話もあれで座ってゆっくりと話がしたかったため三人は一旦姉弟の家まで戻った。
念のため、まだ仲間となった訳ではない彼女に斬られることを想定して武器はメルヒオルが持つことになった。
「それで、こいつを生かしているわけだが」
手足を縛らない辺りまだ自分も甘いなと思いつつもリスティはメルヒオルにこれからのことを尋ねる。
「こいつの話を聞いてお前はどうしたいんだ?」
「どうしたいって?」
どうやら当の本人は何も考えていないらしく、その後のことは姉の判断に任せることにしている。
リスティは頭を抱えることをかろうじて堪えながら、床に座っている彼女に視線を送った。彼女はキョトンとした表情を長い前髪の下で作って見つめ返す。
「お前がこいつの知りたいことを知って、その後お前はどうするんだ?」
メルヒオルの知りたいこととはつまり彼女の過去を聞きたいことと同じで、つまりは彼女の力になろうとしているわけではないのか。と言うと彼は呑気に頭を掻いて返した。
「それはまず聞いてからじゃないのか? 聞かなきゃわからないし」
「……それもそうだな」
ため息をついてようやく本題へと移った。
「それで? じゃあお前はなんで死にたがってるんだ?」
話を振られ、今度は彼女が話す番のはずなのだが当の本人は黙ってリスティを見つめながら何も答えようとはしなかった。
不審に思ったリスティは促そうと再び声をかけようとしたら、
「…………わからない」
話すことを忘れていたかのように急に呟いていた。更にその返答は姉弟を深く困惑させるものだった。
「わからないってなんだ。話すことがわからないってことか?」
世話の焼ける弟でいっぱいいっぱいの姉にとって、弟みたいな存在がもう一人増えるということに対して既に頭を抱えたくなる状況である。こいつらはろくに会話できないのかと。
するとリスティの思っていたことよりずっと深刻なことを彼女は口にする。
「…………何も、わからない……覚えて、ない」
しかしその表情は真剣なもので、到底嘘をついていることを言っていない雰囲気を感じた。
それによりリスティも真面目に彼女に訊き返す。
「忘れやすいだけならまだいいが、それとも記憶がないのか?」
「…………多分、記憶がない」
曖昧な返事。これにはさすがに姉弟も顔を合わせることしかできなかった。
そしてポツリポツリと彼女は今に至るまでを話し始めた。
「…………」
意識が戻り、瞼を開くと目の前には青い空があった。太陽の光が眩しくて無理矢理起こされたといっても過言ではないが。
そんな光を見ないように手を使って遮る。これで少しはマシに思えた。
それから自分は今どこにいるのかを考える。考えようとした時、ふと何か疑問を感じた。
自分は一体誰なんだろう、と。
名前はおろか住んでいたところさえ全くといっていいほど何も思い出せなかった。
まるで自分が生まれたての赤ちゃんの心境を体感しているようにも思えた。
赤ちゃんはこうして産まれるのかと呑気なことを考えていると、不意に身体中に鈍い痛みが走っていることに気が付く。
気付かなかったが、どうやら固いところで眠っていたらしい。それなら仕方ないと割り切ったところで今度は耳に入ってくる音が気になった。
あまり聞き慣れないものではあったが心地の良い音。それと同時に鼻にくる塩っぽい刺激。
痛む身体を起こしてみると、今度は視界いっぱいに広がる空とは違った蒼が広がっていた。
海だった。自分は恐らく今まで見たことがないそれを目の当たりにして感動を覚えた。
水面に反射する光など気にならなかった。それくらいこの蒼くて広い海を見続けられる。
しばらくの間眺め続けていて、その景色に気を取られている内にようやく自分が今倒れていた場所がわかった。
木で作られた簡易的な船舟の上にいた。
それは航海しているわけではなく、砂浜に打ち上げられられているもので、簡単に降りることはできる。
一体全体どうしてこんなところにいるのだろうかという始めに考えることをようやく彼女は謎解こうとした。
すると、今度は左手に何か持っている感触があることに気付く。それを見るために顔を動かすと、そこにはカタナがあった。
これまでの記憶、この景色にはまるで覚えがなかったのだが、このカタナだけには妙な感覚に陥った。
そして同時に、ある事を思い出してしまった。
「…………死ななきゃ」
自分は死ななければならないことを。
この景色を堪能している場合ではないと思い、自分のことを全く知らないまま彼女は舟から降りて歩き出した。
それからというと、彼女は歩いて歩いて歩き続けた。
どうしたら自分は死ぬことができるのだろうと考えながら足を動かし続けた。
いつの日なのかは今となっては覚えていないが、ある日ちゃんと舗装されてある森の中の道を一人歩いていると突然前後を数人の輩に囲まれた。
みんな顔を隠してはいるが全員屈強な男で、彼女を見てはニヤニヤと笑っていた。
「おいねーちゃん。死にたくなかったら大人しく言うことを聞いてもらおうか」
どうやら人攫いをして金を手に入れることが生業の輩らしく、彼女の身体目当てで襲いかかろうとしていた。そんなこと今の彼女にはわからない事情だったが。
だが彼女は、死にたくなかったら大人しく言うことを聞くという言葉を鵜呑みにし、つまり大人しくしなく抵抗したら殺してくれる、という曲解をしてしまい手に持ってるカタナに手を添えた。
その行動で輩たちは無傷で捕らえることを止め、自分たちも武器を彼女に向けた。
そして輩が武器を振るおうとした時、輩にいる一人の男の頭が飛んでいた。
輩たちはその残虐な光景に戸惑いを隠しきれていなかった。何故こいつの首がいつの間にか斬られていたのかわからなかった。
戸惑っていたのは彼女も同じで、カタナに手を添えるだけで何もする気はなかったはずだが、こうして既に抜刀してある血のついた自分の武器をただただ見つめることしかできなかった。
あまりの速さに思わず輩も彼女に恐怖し、そのまま逃げ出す輩もいれば自暴自棄になってこのまま襲いかかろうとする男と二手に分かれてしまった。
結局、襲いかかってきた輩は全員一撃で斬り殺してしまい、逃げた輩は追いかけずに放置した。
無意識の行動であったため、何が起きているかは地面に広がる血だまりを見てからやっと理解できた。
誰か自分を殺してはくれないのか。
無抵抗が出来ずに反撃してしまう自分に嫌気がさした。何故素直に斬り殺されたくないのか。全くわからなかった。
それからというものの、何度かこういった輩に襲われたが全て返り討ちにしてしまい、殺されることが出来ずにいた。
人を斬りすぎて時には鎧を身にまとった騎士たちに、自分の首には価値があると言われて襲撃されたが関係なかった。
骨の髄まで染み込んでいる人斬りの技術に彼女は飽き飽きしていた。少しくらい自分を超える強者がいれば死ねるはずなのに逢えない。
何日も何ヶ月も歩いては斬り、歩いては斬って歩き続け、長い時間をかけて"死体の森"へと辿りついた。
地図も持っていないためどこにいるかはわからないが、結構な距離を歩いたことだけはわかった。
森を抜けようとする前に、大樹が前に阻んでいたためここで休んでからまた終わりのない旅へと戻ろうとした。
その時に、この姉弟に出逢えた。
彼女の経緯を聞いて姉弟はどう返したらいいか分からなかった。
記憶喪失ということで彼女自身がわかっていることが少なく、何をしようにも何も出来ない状態だった。
「じゃあその剣がボロボロなのは手入れをしてないからか?」
「…………手入れ? 斬れなくなったから……新しいのを、拾った」
「拾ったというか、斬ったやつのを盗ったんだろ」
血糊がべっとりと付いていたあのカタナではもう斬れないらしく、新しい剣が必要だったためあの軽い剣を使っていたという。
「目の色が違うのは?」
「…………わからない」
頭を横に振って否定する彼女。結局のところわかったことは本当に人斬りの指名手配犯だったことだけであった。
こんな少ない情報を得てメルヒオルはどう思っているのかとリスティがチラッと見てみれば、どうにも何も考えてなさそうな表情を浮かべていた。
「で? 納得したか?」
「納得も何もこれから一緒に旅をするんだろ?」
全然わかってはいなかった。頭が痛くなり始めてきた姉はこれからのことについて改めて話し出す。
「じゃあ一人増えるわけだが、その分の金と食べ物はどうするんだ?」
「一人増えたところで変わらなくない?」
一人や二人同じだろと弟は楽観視しているが、現実的な姉はそんな甘ったれた弟に喝を入れた。
「変わるだろ。色々と問題があるしそもそも私達の分ですら今ないんだぞ」
それを言われると何も返す言葉が思い浮かばないメルヒオルはそれもそうかとあっさり主張を変えた。
と、ここで黙っていた彼女がポツリと重要なことを呟いた。
「…………お金なら、ある」
「何?」
その言葉が本当ならこれほど助かることはなかった。彼女の持っている量によっては姉弟の分ももしかしたらあるかもしれない。
そんな期待した目で彼女に視線を送るリスティだったが、彼女は大樹のある方へ向いて、
「…………多分、あそこに置いたまま」
そう言えば戦闘が起こる前に何か地面に置いていたなと今更ながらリスティは気付き、すぐそれを取ってこいと弟に命じた。
弟も断る義理はないが、めんどくさそうにして小屋から出て行った。
「……さて」
メルヒオルが十分にここから離れたところでリスティは改めて彼女に向き直った。
何かするのかと彼女は淡い期待をしたが、突然リスティの手にどこから取り出したのかわからないナイフが握られていた。
「動くな」
鋭い一言と同時にそのナイフを彼女に向け、一歩、また一歩と近付く。
彼女な武器はリスティの後ろに置いてあったため、斬られることはないもののナイフを奪われたらそれこそリスティの命はなかった。
が、彼女は身体を動かず目を瞑り、その瞬間を待った。
「あったよ」
呑気に彼女が落とした袋を見つけて意外と早く持って帰ってきたメルヒオルは二人がしている光景にはてなマークを浮かべる。
「何してんの?」
「見てわからないのか? 髪切りだが」
そう。リスティは彼女の鬱陶しい髪の毛をナイフで丁寧に捌いていた。
てっきり殺してくれると思い込んでいた彼女の顔は本気で不貞腐れている様子だった。
「でもナイフで切るのって痛くない?」
「まぁこれしかないから仕方ない」
実際それが理由で姉弟は髪を切らなくなったのだが。
彼女は以前の伸ばし放題のボサボサ髪だったことが嘘のように綺麗に整っており、襟足は首元まで届かないほど短くし、逆にもみあげはあまり切らずに胸元まで届く程度に。そして長すぎる前髪を思いきってばっさり切ってしまい、両目はおろか眉より上の位置までの長さにしてしまった。
随分とイメージが変わった彼女にメルヒオルも関心していた。
「次は服だが、とりあえずこれを着てくれ」
そう言って彼女に差し出した衣服はどれも黒色で、ところどころに白が混じっているだけのものだった。
わけのわからないまま彼女は今着ている服を男のメルヒオルがいるにも関わらず脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になってからその服を下着から着け始めた。メルヒオルも彼女の裸を見てもなんとも思っていなかった。いつも姉の裸体を見ているせいという可能性もあるが、元々女の裸に興味ないということもあった。
着替えることにはあまり手こずらずに彼女はリスティな用意した服を着こなしていた。動きやすさ重視の身体にピッタリと付く上下黒の衣装。ヘソと肩、そして太股の肌を露出させており、肘まであるロンググローブに膝丈まで長いソックス。
そしてこれが一番の見せ場というように腰にはマントのようにヒラヒラと白のラインが入っている黒い布を巻いているという、一見殺し屋にも見えなくもない彼女のその姿に、それを贈ったリスティは上出来だと言わんばかりに首を上下に動かしていた。
「あれ、これって」
「思い出してなさそうだがまぁ一応言っておこう。私の若い日の偶像だ」
正直まだ弟は思い出していないが姉の方は懐かしそうな目つきでどこか遠い場所を見ていた。
そんな二人に完全においてけぼりになりつつある彼女は自身の今の格好をマジマジと眺めた。
「あぁ忘れてた。あとこれだ」
あと一つだけまだ彼女に与えていないものがあったらしく、それをリスティは彼女に手渡す。
手渡されたそれは救護に使われる眼帯だった。
「とりあえず左目にかけてみたらどうだ?」
リスティの言われるがままに彼女はその眼帯で左目を塞ぐように着けた。
俗に言う痛い人というイメージが強くついてしまった。
「完璧だ」
先ほどよりも強く頷くリスティだったが、他二人はこの衣装について全くわからないといった感じだった。
「そしてお前には名前をやろう」
唐突に今度はわけのわからないことを言い出したリスティに、さすがにメルヒオルがツッコミを入れた。
「名前って、どういうこと?」
「考えてみろ。こいつは死にたがってた。そして今までのこいつは死んで今生まれ変わったんだ」
弟の頭ではそれだけだと理解できずにただ間抜けな声をあげるだけだった。それは彼女も同じで前まで隠れていた前髪がなくなってようやく鳩が豆鉄砲を喰らった表情が姉弟にも見えた。
自分の言ったことがわかっていないと察したリスティは、察しの悪い二人にわかるように説明した。
「女の髪は命、というらしいからな」
しかしそれでも理解した顔ではなかった二人だった。