謎の少女
昔、この世界には大陸が二つ存在していた。
"死体の森"を歩き初めて一日。本来普通の人なら迷い続けて一生出られないはずなのだが十年以上我が庭のように散歩し続けたメルヒオルはその時間だけで森を出た。
「流石。暇だから歩いていただけはある」
「ねーさん担ぎながらだから少し遅くなったけどね」
「……メルヒ、恐ろしい子」
森から出てみるとそこには二人の知らない世界が広がっていた。
まず直射日光に二人は驚いた。全く受けていないというわけではないが、ほとんどそれを見ることはなかったため、森を出て直後、その眩しさに目を痛めてしまう程だった。
目がようやく慣れて正面を見たところ、いつもなら視界には木が必ずといっていいほど存在しているはずだが今彼らの目の前にあるものにはそれが一切なく、太陽の光に照らされて生き生きとしている草原地帯が地平線の向こうまで続いていた。その草原地帯に一本、ここを通るように言われているかの如く草が生えていない道が果てなく伸びている。
雲一つない晴天の空に羽ばたく小型で鳥型の魔物たちもまた、見たことがない景色の一つに成りえていた。
風が吹き、草は一斉に音を鳴らす。心地の良いそれは森から出てきた二人を歓迎するかのように捉えることができた。
「…………」
思わず見蕩れてしまったメルヒオルはその場から動けずにいた。自分の知らないほんの少しの世界を垣間見ただけで足を動かすことができなかった。
「まだまだ世界は広いぞ。こんなんでどうする」
背中にいる姉はそう言うものの、彼までとは言わないが十分に驚いている。
しばらくの間、二人はこの景色に圧倒されて立ち尽くしていた。
自分たちの視野の狭さ。反対にこの世界の広大さにただただ思い知らされてしまった。
「…………おい。あれを見てみろ」
ふとリスティが何かに気付いたらしく弟に知らせる。指をさしてその方向に彼を誘導してみるとあまり彼はこの光景よりは興味を示さなかった。
彼女が見つけたそれは一つの馬車だった。一本敷かれた道を丁寧に通って来ており、側には甲冑を纏った騎士が数人従っていた。
ここからだと馬車から見て右側になっており、距離も遠かったため向こうはこちらに気付いている様子はなかった。
「あれがどうかした?」
「一応隠れるぞ。木陰に行け」
正直もっとこの景色を堪能していたかったメルヒオルは不満そうにしながらもしぶしぶ姉の言うことに従った。
折角出た"死体の森"に戻り、馬車を観察し始める。
馬車はこの"死体の森"が目的地らしく真っ直ぐに向かってきている。このまま進めば鉢合わせになることはないため、とりあえず安心して見ることができた。
「何人か出てきたな」
リスティの言葉通りに馬車の中から四、五人現れた。彼らは先日メルヒオルが殺した男の格好とよく似ており、側にいた騎士たちに先に進むよう乱暴にされていた。
彼らを"死体の森"入口に行かせ、申し訳程度に剣を人数分投げて渡した。
ここからでは何を言っているかまでは聞こえないが、大体は見当がつくものだった。
「国のやつらの仕業なのは本当だったな」
「へー」
「…………」
さすがにリスティはツッコミを入れようとはしなかった。既に諦めていることだからだ。
そんなことより、彼らは騎士たちに脅され、"死体の森"へと入っていった。しびらくは騎士たちの罵声が続き、逃げられないようにしている感じがでていた。
それがしばらく続いていたが彼らが森の深くまで行って見えなくなったのか、騎士たちは馬車を連れて元来た道を引き返した。
その後ろ姿を見送った後、二人は木陰から姿を見せた。
「で、どうするの?」
「まぁ、私たちには関係のないことだ。歩こう」
"死体の森"に入らされた彼らのことなど関わる気もない二人は今改めて旅立ちを再開した。
先ほどの馬車の後を追うようにして進むことになってしまったが、それは別に気にしない二人だった。あの光景を見られていないことからもし会っても何も起きないとリスティは思ったからだ。
草むらを歩き、そして歩くために作られた道に足を踏み入れる。
「これが私たちの第一歩だな」
「ねーさんは歩いてないけどね」
それでもこの第一歩は偉大な一歩なことには変わりなかった。
「それじゃあ、行くぞ」
相変わらず背中でおぶってもらっているリスティにそんなこと言われる筋合いはないのだが、そんなに気にしていないメルヒオルはそのまま地平線へと続いている道を歩き出した。
「こうして歩いているわけだが、何か感じるものはあるか?」
「特にいつもと変わらないけど」
「まぁそう言うと思ってたさ」
「なら聞かなくてもよくない?」
「テンプレというやつだ。やらねばならないことだ」
「たまにねーさんの言ってることがわからない」
「とりあえず、これから改めて旅をすることになったがお前はどう思う?」
「どうって?」
「旅することに対して大切な事はなんだと思う?」
「んー……わからない」
「考えないお前じゃわからないわな」
「じゃあ何が大切な事なんだ?」
「ズバリ、情報だ」
「情報」
「私たちは何も知らない。こんな状態では旅なんてできるはずもないんだ」
「うん」
「だから色々と知る必要がある。勿論両親のことは尚更だが、それよりもまずは世界のことを知ろう」
「なんか難しいな」
「難しいんだよ、旅ってものは」
「ねーさんしたことないのになんでわかってるんだ?」
「それはお前が知らないからだ」
「はいはいそうですか」
「そう不貞腐れるな。何も知らないからこそ見えるものがあるんだぞ」
「そういうものなのかなあ」
「そういうものだ」
二人は緊張感の欠片も持たないまま、一本道をただ会話しながら歩き続けた。
歩き続けること数時間。地平線からひょっこりと何かが飛び出してきた。
「あれは……建物か」
それは円柱状の建物で三角錐の屋根がついているものだった。他には申し訳程度の柵が建物の周りに立てられていることだけだ。
ひとまずそれを目指してメルヒオルは歩き出した。
距離的にはあまり遠くはなく、すぐに着くことができた。
近くで見てみると建物は三階ほどの高さしかなく、敷地内も広いといったわけでもなかった。
「家、というわけでもなさそうだな」
その証拠に何組か共通点のない人達が外にある簡易的な椅子に座って話をしていた。そのお陰でこうしてメルヒオルたちも簡単に敷地内に入ることができた。そもそも柵が立てられていない場所、すなわち入口に看板が刺さっており、"休息所"と表記されていることを確認したからとも言える。
リスティを背負いながら歩いているせいか若干視線がこちらに向くものの、二人は気にせずに建物内に入った。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりとお過ごし下さい」
中に入れば丸まった空間に簡単なバーみたいなものがあり、テーブルと椅子が並べて置かれてあった。二階へと登る階段も壁際にあった。
さすがにリスティは弟の背中にいるべきではないと察し、降りて床に足を着くことにした。
「なな、オネーサンたち」
外と同じく数組が休んでいる最中、一人の少女が姉弟に声をかけてきた。
少女はテーブルに山ほどの荷物を置いて休んでおり、格好はバンダナにぷっくらとしたポニーテールを作っていて、袖なしの上着で指抜きグローブにホットパンツといったやや露出度が高めの服装をしていた。その上何故か足だけは黒のハイニーソといった形で肌を見せていなかった。
そんな姉弟より幼い少女が急に話しかけてきたため、やや警戒しながらもその少女の所へ向かった。
「なんだ?」
「そんなに警戒しないでよ。アタシは人助けをしたいだけなんだから」
敵意はないと表明するかのように両手を姉弟に向けてヒラヒラする。むしろその行動がより姉弟の警戒心を高めることになった。
はぁ、とため息をついて少女はやれやれと呟いて肩を降ろした。
「まぁそれが普通なんだけどね。警戒するなって言われても仕方ないよ」
「じゃあ私たちに何かするのか?」
「襲ったりしないから大丈夫大丈夫。とりあえず裸の付き合いをしよ」
唐突な提案にリスティは間の抜けた声を出した。裸の付き合いという意味がわからないメルヒオルは頭上にはてなブックマークを浮かべていた。
「ここ、露天風呂があるんだよね。それが観光スポットとなってるんだけど。あれ、知らないの?」
「そんなことじゃない。いきなり知らないやつと風呂なんてなんだお前は」
ここでメルヒオルは先ほどの意味を知り、一人で勝手に納得していた。
そんな弟のことなどおいておいて姉は完全に相手にペースを掴まされてしまい、いつもの調子が出ずにいた。
「まぁまぁ。女は裸の付き合いをすれば友情が生まれるってもんだよ。それに、ワケありっぽいしね」
わかってると何度も頷きながら少女は席から立ち上がった。リスティはそんな自分より幼い少女の迫力にただ圧倒されるしかなかった。
「あ、店員さん。一応荷物見張っておいてください」
ボケっとしてるメルヒオルを見て盗みはしないとは思うが念の為といった様子でバーにいる店員に釘を刺しておいた。
店員もよく客に言われることなのか、戸惑った様子もなく笑顔で返事をした。
「それじゃあ行こっか。お金も出してあげるから」
リスティのか細い腕を掴み、引きずるようにして少女は外に行ってしまった。弟に助けを求める姉だったが、事の重要さに気付いていない弟はそのまま姉を行かせてしまった。
「それでは僭越ながら私めとお話になられますか?」
一人残って手に余っている様子のメルヒオルに店員がグラスを二つ、両手で持って歩いて来た。氷がグラス一杯に入っており、薄い小麦色をした飲み物だった。
断ることも疑うことも知らないメルヒオルは適当に返事をして隣に座ることを了承した。
店員は頭を下げて少女の荷物が置かれているテーブルの隣にある席に彼を誘った。
メルヒオルも椅子に座り、早速店員が持ってきた片方のグラスに手を伸ばしてそれを口にした。
「美味しいな、この水」
「有難うございます」
あまりに美味しそうに飲むため、店員も嬉しくなって自分も口につけた。
「そうですね。私めの勝手な想像で誠に申し訳ございませんが、貴方様は世間に疎い様子で御座いますね」
「せけん? うとい?」
「ははは……それではあまり慣れていませんが、砕けて話しますね」
今時珍しいと思い店員はくすりと笑った。何故笑われたのか理解していないメルヒオルは疑問に思っていた。
「ひとまず知っておくべきことをあの二人が帰って来る前に話しましょう。まずお金と呼ばれる物ですね。先ほどのお方が言っていたことです」
「うん」
「お金は大切なものです。お金がなければ生きていけません」
「食べ物か何かなのか?」
「……記憶喪失として扱った方がよろしいですね」
本当に何も知らないメルヒオルのことを店員は優しくこの世界のことについて教え始めた。
手始めにポケットに入っていた財布を取り出し、中から小銭や札をテーブルの上に用意した。
「こちら全てがお金というものです。左から順に一、十、百。それからこちらからが千、一万です」
「へー。で、こんなのがどうして大切なものなんだ?」
「このお金に見合った食べ物や物を買ったり、この施設のようにお金を使って遊ぶ時に使います」
「ふーん……あ」
何気無しに店員の説明を受けていたメルヒオルだったが、ふとある事を思い出した。
とりあえず何事にも少しは興味を持て。
姉の口酸っぱく言い続けたその言葉だった。今思い出したことが奇跡に近いことなのだが、彼はそのことを実行しようとなんとなく思った。
「じゃあここに入るのにもそれがいるのか?」
「その点に関しては大丈夫です。ここでお金が必要なのはあそこのバーで何か頼む時とお風呂を利用する時です」
「へー」
訊いたはいいものの、関心を持つことが出来ずに先ほどと同じ返答をしていた。
これは強敵ですね、と内心店員はそう感じた。彼はまるで右耳から聞いたものをそのまま直進して左耳から出しているように思えていたからだ。
とりあえず固有名詞は出さないようにして店員はメルヒオルに二人が帰ってくるまでの時間、色々と説明した。本人が覚えているかはどうか別として。