敵
騎士団団長と酒を交わしたスクラビンはその足で部屋に戻った。
部屋に入るとメルヒオルが既に目を覚ましており、まだ少し苦しそうに眠っている姉の看病をしていた。
「おかえり」
入ってくる音で妹の帰宅を察したメルヒオルはそちらに顔を向けて出迎える。彼女もぺこりと軽く会釈をしてリスティのことを見る。
「…………治る?」
「いつもなら起きたら治ってるから大丈夫だよ」
心配そうにするスクラビンを安心させるように優しくメルヒオルは答える。その割には姉の様態が芳しくないことにはどうツッコもうかと妹は考えてしまう。
それでも長年一緒にいる弟がそう言うのだ、きっと大丈夫と自分に言い聞かせてから彼にある提案をする。
「…………外、歩いたら?」
「いいよ。一応面倒は見てないとねーさん怒るから」
「…………スクラが、見てるから」
珍しく妹が食い下がる様子を見てメルヒオルは仕方ないと言った様子で外へ行く準備をした。
それと同時に、姉から口酸っぱく言われ続けている言葉を思い出して一人で苦笑いをした。
「それにしても」
妹に見送られてメルヒオルは宿屋から出てはみるものの、人と声の多さに若干気分が悪くなっていた。
「落ち着かないなぁ」
やはりここは自分の居場所ではないなと思いつつも仕方なくメルヒオルは街を歩き始めた。
今彼が歩いている所は最初に"ルーラング城"に入ってきた大通りではなく、閑散とした路地裏を進んでいた。路地裏には人がほとんど出歩いていなく、いたとしても座り込んでただボーッとしている人しかいなかった。
生活音もなく、本当に誰かここに住んでいるのか誰もが疑問に思うことであった。
しかし、先ほどと比べればこちらの方が自分に合っていて居心地が悪い気がしなかった。
「…………?」
ふと、道を塞ぐように一人の少年がメルヒオルの前に立ちはだかった。
その目は何かを懇願しているかのように映っていた。
「…………くれよ……」
少年の発した声が小さかったため、メルヒオルは聞き返そうとするがそれをするより早く少年は彼に近づいてきた。
ただ近づくだけならメルヒオルも何もしなかったが、彼のその手には小さなナイフが握られていたため、その手首を掴む。
途端に少年の表情は険しくなり、カッとした瞳でメルヒオルに向ける。
「離せよ! お前の臓器売れば金になるんだから!!」
臓器。今のメルヒオルにはその単語の意味がわからなかったが、ただ今言えることは自分の命が狙われているということなのだ。
襲われたからにはやり返しても問題はない。メルヒオルの中でそう決めて少年の腕をへし折ろうと空いている手を振りかぶろうとした時、
「おっと、止めた方がいいよ」
彼を止めたのはその聞き覚えがある一言だった。声のした方を見てみるとそこには見たことのある人物がいた。見たことがあったとしてもほとんど覚えていないのだが。
その人物は呑気な足取りで拮抗した状況下の彼らに近づき、少年のナイフを慣れた手つきで没収してからメルヒオルの手を離させた。
「なんでも誰しも力量を測らないで襲いかかると痛い目見ることくらいわかってるでしょ?」
そう少年に説教をしてから手に持ってるナイフを人気のない方へ投げる。少年は慌ててそのナイフを取りに走り、二人に向けて罵声を放つ。
「うるさい! もうこんな命なんて惜しくない!」
捨てセリフとも言えることを告げて少年は薄暗い路地裏へと消えていった。
残った二人は横目で少年のことを見てはいたが、やがて興味の対象を目の前にいる人物へと移した。
「久しぶり。って言ってもあの人にしかわからないかな」
バンダナを巻いてぷっくらと膨らんだ亜麻色のポニーテールで露出度高めな服装。メルヒオルより幼いはずなのに自信に満ちた表情。
時間はかかったが、そこでようやくあの"休憩所"で出会った少女、スーニャだとわかることができた。
「あー……えーっと」
「お互い名乗ってないから覚えていなくても当然かな。まぁそれも踏まえてお茶でもする?」
奇抜な格好をしていてもこの男はすぐに忘れられるのだ。それを思い知ったスーニャは少しだけ呆れながらも近くにいる喫茶店へと歩を進めた。
その喫茶店はやはりあの大通り近くにあるが、そこよりかはまだ人も少なく、うるさいと思わずにメルヒオルは過ごすことができた。
カフェテラスの一角を陣取り、二人は向かい合って座った。
「それより、なんであんなところにいたの?」
注文を頼み終えて自己紹介をせずにスーニャはそう切り出した。普通あんなところを通らないはずと街の中では暗黙の了解のはずで、街の人ではないにしても自然と近寄りがたい雰囲気を感じるものだった。
それなのにあえてその道を進むのは好奇心なのか怖いもの知らずなのか。まだスクラビンのことをわかっていないスーニャはそう疑問に思った。
「なんでって、静かだから」
「……え」
あまりに当たり前のように言うメルヒオルのその表情に、思わず素の声をあげて反応してしまうスーニャ。
そしてしばらくの間メルヒオルの言った言葉を考えてから、あぁこういう人物かと評価をつけた。
「大体なんとなくわかったよ。オニーサンはそういう人なんだね」
そう言われたのだが深く考えずにメルヒオルは逆に何故スーニャがそこにいたのか訊いてみようとするが、名前をまだ聞いていなかったことに気付いた。
「じゃあ、えーっと……」
「スーニャ。そう言えば名前言ってなかったね」
「スーニャ、はなんでいたんだ?」
「なんで、かぁ……まぁあそこにちょっと用事があったからかな」
珍しく歯切れの悪い返事をするが、特に気にした様子もなくメルヒオルは注文した飲み物を飲む。
彼女の奢りとはいえ、こうもあっさりと飲む彼の姿に姉より酷いんだなと認識を改めた。
「そう言えばオネーサンは元気かい?」
「ねーさん? 今は苦しそうだけどいつものことだから」
「苦しいって、病気か何かなの?」
リスティのことに対して食いついてきたスーニャに、メルヒオルは隠すことなく素直に答え続けた。
「うん。ただの風邪だからいつものことだけど」
心配なさそうにメルヒオルは言うが、スーニャの方は全然そんな気持ちを持たなかった。
寧ろ妹であるスクラビンよりもリスティを心配しているのではないかと思われるほどの反応を示した。
「風邪っていっても甘くみてたらダメだよ。ちゃんと治さないといつか死ぬ可能性だってあるんだから」
「へー。風邪ってそうなることになるんだ」
風邪の重大さがあまりよくわかっていないメルヒオルに、仕方ないかと割り切りつつあるスーニャはある提案をした。
「それじゃあさ、ちょっとアタシに付き合ってよ。代わりに風邪薬を分けてあげるから」
その提案は両者共に利益を得るもので、正直あまりここにいたくないメルヒオルには逆にもってこいの話であった。
なので、それにはほぼ即答といった形で乗った。
「いいよ。何するの?」
「話が早くて助かるけど、まぁいいや。えっとね、ここから少し歩いたところに騎士団の演習場として使ってる洞窟があるんだけど」
スーニャの提案したものは、"ルーラング城"から数時間ほどの距離にある"洞窟"の奥にある鉱石を採ってくるもので、道中は彼女と一緒で所謂助っ人のようなものとしてメルヒオルを誘ったのだ。
その鉱石は騎士団がよく使っている範囲よりも深いところにあり、ほぼ最深部付近にそれはあるため、少し長い道のりになる。
そんなところに勝手に入っていいのか、などといった理由を普通なら浮かべるはずなのだが相手はメルヒオルである、そんなこと考えもしなかった。
「そうと決まれば今から行こう! ほら、何か準備するものある?」
「時間もあまりかからないと思うし、大丈夫」
「よし! それじゃあしゅっ、ぱーつ!」
ちょっとした旅路への景気付けに、スーニャは残っていたお茶を一気に飲んだ。
その二人を遠目で監視している一人の存在には気付かず。
その"洞窟"は数時間もかからずに辿り着くことができた。
メルヒオルの荷物は少なく、いつもより早い速度で歩くことができたということもある。しかしスーニャの方はジャラジャラと身体中に色々な物を下げており邪魔にならないのかと疑問視されるが、そんなことはなく彼と変わらずに歩幅を揃えた。
"洞窟"はある丘の岸壁に作られており、地中へと進んでいく形のものだった。
早速二人は中へと入っていく。中はライトが一定間隔で置かれており、更に人の手が加えられて補強されているため、歩くことに不備は生じなかった。
「いろんな武器使うんだね」
「まぁね。手数は多く武器は消耗品。それがアタシの戦い方だから」
魔物もたまには出るものの、二人の敵ではないためこうして喋りながら奥へと進んでいる。
「そう言えばあの時、なんで止めたの?」
先を歩いているスーニャの背中にそう呼びかける。あの時、でスーニャは少しだけ考えて少年のことかとすぐに理解した。
「あー。もしあの時少年を倒してたりしたら色々と面倒なことになるからよ」
「面倒?」
「少年が騎士たちに殴られたところを見せてアナタを捕まえさせる。そしてアナタに金を請求するの」
「……えーっと」
どうして騎士に捕まると少年に金を払わなければいけないのかを自分なりに考えはしたものの、やはり知識が乏しすぎるため答えはでなかった。
それを見たスーニャは苦笑いをして、面倒でしょ、と言う。
「まぁとにかくあそこで争い事はやめた方がいいってこと」
「そういうことなんだ」
あまり納得はできなかったが、説明するとなると一からになってしまうのだろうとスーニャの顔を見て思った。
さすがにそこまで教えられても覚えていられるかわからなかったため、この話はここで終わりとなった。
ほぼ一本道の中、しばらく奥へと進んで行くと今までより広い空間へと出てきた。
ここが最深部なのだろうとメルヒオルが辺りを見渡しながら確認していると、スーニャはその先へとまだ足を動かした。
「あともう少しだよ。それとも休憩する?」
「大丈夫。意外と疲れてないから」
もしかしたら日々姉という荷物を背負っているからなのだろうか、ここにきて自分の体力の増加に驚いていた。知らぬうちに鍛錬していたことになっていた。
ここにきて姉を背負い続けたことが得となった瞬間を彼は密かに感じた。
広い空間の奥は先ほどまでの灯りがなく、更に補強もされていないため視界や足場が極端に悪くなり始めた。
このことがわかっていたスーニャは手持ちのライトを二つ分用意しており、そのうちの一つはメルヒオルに渡した。
そのライトだけが視界をマシにする中、二人の速度は相変わらず早かった。
「キミ、こういうの慣れてるの?」
「わかんない。森をよく歩いてたからかな」
「それなら納得かな」
またもや日頃のことで役に立つことができた。あんなことでもいつかは役に立つんだなと彼はまた感じていた。
どんどん奥へと進んで行き、先ほどではないがまたもや広い空間に出てきた。
どうやらここが目的地らしく、スーニャは目当ての物を見つけようと四方の壁に向けてライトを照らしていた。
「おっ、見つけた!」
スーニャが照らしたその鉱石は拳一個分の大きさで、エメラルドの色をしているものだった。
それを採ろうと手を伸ばしたその時、ビクッとその鉱石が動いた。
え、と二人してこのことに驚いていたのも束の間、突如としてその場から魔物が地響きと共に地中から姿を現した。
その魔物はここに来るまで戦っていた岩型の魔物のボスのようで、人の形で全身に岩を纏っていた。全長は二人よりも高く、威圧感もまた今までの魔物とは比べ物にもならないものだった。
「さ、さすがにデカすぎかな……」
距離を取って岩型の魔物をライトで照らしながら自分たちの武器を構える二人だったが、このような暗くて足場の悪い中という場所での戦闘はこちらが不利とわかっていた。
「どうする?」
「どうするもこうするも、まずは広い所まで逃げる!」
そう言って彼女を先頭に先ほどの最深部まで急いで走り出した。