城下町-2-
ルーラング姉弟が揃って眠ってしまった頃。
丁度スクラビンが風呂からあがり、久しぶりの温かい湯に身体がポカポカになって満足していた。
「…………」
服を着て戻ってみたら二人とも眠っている状況で、いつものように自分は眠くないということ。
このまま二人が起きるまでここにいてもよかったのだが、せっかく街に入れたので先に堪能しようと珍しくスクラビンが行動に移した。
お金を少し入れた袋をカタナにぶら下げて宿屋から出て、相変わらず賑やかな声が響き渡る街の中を一人で歩き出した。
静寂な外の世界しかしらないスクラビンにとってはこの喧騒はなかなか慣れなく、人の多い中を渡る自分の姿がまるで異端なものだと更に思わせてしまった。
溢れ出る声。流れる人々。それとは対照的な今の自分。
なんとなく自分の居場所はここではないと判断してしまった彼女は戻ろうと宿屋へと歩を進めようとしたら、
「た、助けて下さい!」
不意に彼女の背中に悲鳴に似た声がかけられた。
どこかの弟とは違い、ちゃんと声のした方を向いてみるとそこには一人の女性が数人の男に追われていた光景があった。
女性はこの街の娘のようで、綺麗な顔たちにオレンジ色の髪の毛を後ろで三つ編みにしており、白いワンピースを着てこちらに走ってきていた。
一方男らはそれぞれガタイがよく、どう考えたらこんな男たちと喧嘩を売るようなことをするのかがわからなかった。
女性は立ち止まっているスクラビンの背中に隠れ、彼女を男らから壁のように身を守らせた。
「嬢ちゃん、そこをどけ」
一応無関係なスクラビンに暴力を振るうつもりはなく、後ろにいる女性を引き渡すように声をかける。
スクラビンも関わるつもりはなく、素直にそのことに従おうとするが腰マントを掴む女性の手は僅かに震えていたことにも気付いてしまった。
街に広がっていた喧騒もなくなり、緊張した感じで彼らを見つめていた。
「…………何、したの?」
とりあえず話を訊いてみようと女性に優しく声をかけてみる。
すると女性は瞳に涙を溜めて嗚咽混じりに男らを空いている方の手で指さした。
「……あの人たちが、無理矢理自分を路地裏に行かせようとするんです」
路地裏に行って何するんだろう、と純粋なスクラビンはそこで行われる行為のことを知らないのでそこまで悲しむ彼女のことがわからなかった。リスティならすぐにわかることなのだが。
しかし悲しむ女性を尻目に男らの一人が声を荒らげた。
「金持ってねえって言うから払わせようとしただけだろ! それくらいお前なら簡単なことじゃねぇか!」
「い、今はたまたま持ち合わせてないだけですぐ払えます!」
どうやら女性はここではちょっとした有名な人らしい。今お金を持っていなく後で払おうとしたところ、今じゃなきゃダメだと男らが言って揉め事となっていることなのだろう。
なら有名人であれば知り合いもこの中にいるはずだろうと横目で街の人々を見渡してみるが、この間に入りたくても入れない状況なのだろう、悔しそうな表情を浮かべている者がチラホラといた。
ならばとスクラビンは男らに値段を聞いてみた。
「…………それはいくらなの?」
「あぁ? 五千だが」
五千。確か自分が今お金を持っている金額と同じで、ならばと今度は男らにその商品を持ってくるように言った。
何を仕出かすんだ? と男らと街の人々は疑問に思いながらも男の一人がそれをここに持ってくるために戻っていった。
一触即発の空気がまだなくならないまま、商品をとって来た男がスクラビンの前に立つ。
「これがどうした」
それはボトル二つ分の赤ワインだった。見るからに高級感が漂っている一品なのだが、スクラビンにはこれがお酒だということも知らずにカタナにぶら下げているお金を袋ごとその男に渡した。
「…………これで、いいよね?」
驚きながらも渡された袋にちゃんと赤ワインの金額通り入っていることを確認した男はボトルをスクラビンに渡す。男らは少しだけ納得のいかない顔をしながらも、毎度ありといって去っていった。
そして男らから渡されたボトルを今度は後ろの女性に手渡す。
「…………はい」
「え? で、でも悪いです」
「…………いい」
申し訳なさそうに受け取り、何か礼をしたがる女性だったが、事件が丸く収まりよかったとスクラビンは何も言わず男ら同様に去った。
その彼女の男らより男らしい態度に街の人々も歓喜の声をあげる。女性はただ黙って歩くスクラビンの背中をみつめていた。
「…………疲れた」
宿屋に着いてふぅ、と一息つくスクラビン。
まさかちょっとした事件に自分が巻き込まれるとは思ってもいなかったため、観光ができなかったのは仕方ないと割り切った。
と、宿屋の扉から誰かが入ってきたため音が鳴った。まだ一階にスクラビンはいたため、チラッとその方を見てみる。
そこにいたのは一人の男で、短い橙色の髪で若くて爽やかな青年。格好はラフな感じなのだが手元にある物を見てスクラビンは無表情ながらもやや驚きを隠せずにいた。
「やぁ。眼帯ちゃん」
彼の手元には先ほど女性に渡したはずのボトルが二つあったからだ。
「ここならあまりバレないよ」
ここは宿屋の屋上。
二人で話しがしたいとのことで彼は宿屋の店員に特別に入ることを許してくれた。ここの屋上は立ち入り禁止とのことらしい。
落下防止用の柵があり、そして屋上の真ん中にポツンと一組のテーブル席があった。恐らく秘密の会話をする時にたまに使われるのであろう。周りはここより高い建物もない。
そんな場所に彼のたった一言で入れることに対してスクラビンの警戒心は高まりつつあった。
「そう警戒しないでほしいな。自分はたださっきのお礼がしたいだけなんだ」
先に椅子に座り、店員が用意してくれた二つのグラスにここで開けた一本のボトルに入っている赤ワインを注いだ。
信用を得るために彼が先に飲んで毒は入ってないと証明してから初めてスクラビンは席に座った。
入れられたグラスに少し口をつけてみると意外にも美味しい味だったことにも驚いた。
「美味しいだろ? あいつが好きな赤ワインなんだ」
口に合ってよかったと彼はまた一口飲む。釣られてスクラビンもグラスを傾ける。
「おっと自己紹介がまだだったね。自分はここの城の第一騎士団団長を務めているユーリス=ノルトー。眼帯ちゃんは?」
騎士団団長。その単語に一瞬だけスクラビンは戸惑いを見せてしまった。騎士に追われている立場として自分のことがバレてしまったら一大事であるからだ。
同時に、この男の位の高さに気付いた。どうりで口約束でこんなところに入れるわけだと遅くなって理解した。
そんな彼にバレないようにあくまであの姉弟の妹であるスクラビンとして、彼女は彼に名乗った。
「…………スクラビン。スクラビン=ルーラング」
ルーラングとファミリーネームを偽ってしまったが、あの姉弟にとって自分は家族なのだ。何も間違っていないと言ってから自分を納得させた。
スクラビンちゃんね、と彼ーーーユーリスは名前を口に出した。
「で、あいつの名前はノルー=アトワイト。あいつは下町の間じゃあお酒好きな有名人なんだ」
「…………なんの、関係?」
彼と会ってからの疑問を問うてみると、ちょっと待っててと手に持ってたグラスをテーブルに置き、目を瞑って意識を集中させていた。
すると、そこにいたはずのユーリスの姿が一変してあの道端で助けを求められた彼女ーーーノルーの姿に変わった。
その異様な光景に目が点となって言葉を出せずにいると、ノルーはその反応にくすりと笑って答えた。
「驚いた? 自分とあの人は二心違体なの」
言葉にするとそれはもう他人なのではないのかと思わずにはいられなかったが、服装も髪の毛も声すらも全てが別人となって変わったため、やはり一つの心に二つの魂が宿っているのだろう。
頭を冷静にさせようとするもののインパクトが強すぎてまだスクラビンは話せそうではなかった。
そんな彼女にノルーはこのことについて説明をした。
「"力"、"双力"。幼い頃強い自分を妄想をしていたあの人が具現化したの」
「…………"力"」
「そう。記憶は共有して頭の中でもあの人と会話できて更にいつでも入れ替われる。便利な"力"」
また"力"という単語が出てきた。リスティの時もそうだったがそれは一体なんなのか、リスティの知らない真実を知りたいと彼女は思った。
「…………"力"って、何?」
「そうだね。自分の処女守ってくれたお礼に自分が知ってることを話そうかな」
処女という言葉もわからなかったがこの際後回しで、今は"力"について教えてもらおう。スクラビンは赤ワインを口につけて話を聞く姿勢に移った。
「"力"を知らないからきっとあの事件もわからないと思うからそこから説明しようかな」
「ーーーというわけだよ」
二人で飲んでいたボトルが一本空になり、長い勉強会も終わりを告げた。
スクラビンもようやくずっと抱いていた疑問が解消され、スッキリとした表情へと変わった。
「…………ありがとう。わかった」
「ううん。お礼なんて自分がしたい方だから。そんなことよりスクラちゃん、お酒強いんだね」
空いたグラスとスクラビンの変わっていない顔を交互に見て意外そうな反応を示すノルー。スクラビン自身もお酒に強いとは思ってもいなく、首を傾げてはてなマークを浮かべる。
「今度は酒場で飲もうね。お酒強い女の子少ないから楽しそう」
「…………うん」
「あ、あの人もスクラちゃんに話があるんだった。ちょっと待ってね」
そう言って先ほどユーリスがノルーに代わる時と同じように目を閉じる。やがて一瞬の内にノルーがユーリスへと変わった。
「改めて自分からも礼を言わせてくれ。本当に助かった。あいつにはちゃんとお金の管理をしろって自分からも言っておくから」
苦笑いをしながらもあどけない表情を浮かべるユーリスに対してまだ若干の抵抗を感じているスクラビン。こんな会話をしていても一応は自分の命を懸賞金にしている騎士団のトップなのだ、無理はなかった。
「…………ワイン、美味しかった」
正体がバレる前にここから一刻も早く立ち去ろうとするスクラビンをユーリスは止めようともせずむしろ笑顔で送った。
「そう言ってもらえてよかった……あぁそうだ。一つだけ言い忘れた」
栓をしていたもう一つの赤ワインを開け、ノルーが飲んでいたグラスにそれを注ぎながら彼は言った。
「眼帯ちゃんが指名手配犯のうちの女の人斬りだった件についてだけど」
その言葉を聞いてスクラビンの身体はビクッと反応してしまった。いつからバレていたのか、最初からなのか、それとも途中からなのか。あれこれ考えているうちに自然とユーリスに向けて戦闘態勢に入っていた。
いつでも抜刀できるように細身の剣の柄に手を添えて警戒をしているが、それに動じずにユーリスは続けて言葉を口にする。
「眼帯ちゃんは眼帯ちゃん。女の人斬りは誰かに討たれたことにしておくから」
スクラビンが予想もしていなかった言葉をかけられた。思わず、え、と聞き返してしまう程に。
グラス一杯に注ぎ終えたユーリスはボトルをテーブルに置き、そのグラスを手に持って匂いを味わいながら話し続ける。
「どういう経緯で眼帯ちゃんが人斬りをしなくなったのかは聞かない。でもわかることは眼帯ちゃんは生まれ変わったってことなんだろ? 噂に聞く人斬りの格好とは程遠い姿なのだから」
「…………」
「つまり、人斬りは死んだんだ。もう眼帯ちゃんが騎士たちを気にする必要はなくなったよ」
自分が狙われなくなることには兎にも角にも喜ばしいものではある。が、このような口約束が果たして意味あるのかどうかと言われると怪しくもなってくる。
本当に信用してもいいのか、それがわかるまでは戦闘態勢を解くわけにはいかなかった。
「まぁ簡単に信じてくれとは言わない。でもこうしてその指名手配犯と呑気に酒を飲んでることだけでは無理な話かな」
匂いを堪能し終えた彼はゆっくりとワインを口にする。少し飲んで舌で十分味わってから喉を通す。
いいワインだ。それこそ呑気に指名手配犯に背中を向けながら酒を飲んでいる彼に戦闘意欲はないことくらいは今のスクラビンでもわかっていた。
それでも彼女はこれまでのことを踏まえると騙されたことが多かった。それもありこれは彼の演技なのではないかと勘ぐってしまう。
彼女の固い反応にユーリスはこう提案する。
「ならこれでどうだ? 一日二日だけ待ってほしい。その間に事を済ませて眼帯ちゃんはスクラビン=ルーラングとして正式に表舞台に立たせてみせよう。それが出来なかったら、眼帯ちゃんは自分を殺す権利をあげよう。勿論抵抗はしないし殺し方も眼帯ちゃんの好きにすればいい」
彼のその提案はスクラビンにとってはメリットしかないものだった。仮に彼が約束を破り、自分はまだ指名手配犯だとしても今まで通り身を潜めていればいい話だった。更に言えば今の自分の姿を誰か強い輩に教えられ、自分を殺してくれるかもしれないこともできる。
それならばと彼女は戦闘態勢を解き、柄から手を離した。
「わかってくれてよかった。話はこれで終わりだ」
「…………」
彼と別れてから思えば、この提案も口約束程度しかなく、彼にとっては絶対に守ることではないのだ。
しかしそんなことより殺してくれるかもしれないことに執着してしまい、スクラビンはこの屋上から去ってしまった。
一人残ったユーリスはグラスを空けるまで席を立つつもりはなかった。
「次は自分が眼帯ちゃんとこれを飲みたいものだな」
その言葉は彼女には届かず、まだ蒼い空に掻き消えてしまった。