普段の二人
青年は一人、森の中を歩いていた。
森は木々が視界一杯にそびえ立っており、地面も無造作に生えている長い草で見えない量だった。更にひんやりとした空気で薄暗く、恐ろしいほどの静けさに包まれており、そんな森に一人で歩くことは余程の怖いもの知らずか何も知らない愚か者にしかできないことだった。
しかしこれは彼にとっては日課のようなもので、この森のことを誰よりもよく知っている。歩き慣れた足取りで雑草を踏みながらどんどん先へ進んで行く。
鼻に感じる酷い汚臭も、彼にとっては慣れた匂いだった。
雲ひとつない空からの太陽の光さえも身体に受けられないほど生い茂った木々の間を通り、目的のモノを見つけて拾う。彼が森を歩きながら探していたのは食べられるキノコや果実だった。
彼は食事を摂るためにこうしてこんな森の中に入っている。
片手にはそれらを入れるための籠を持っており、空いている手でそれらを拾い集めている。
集めている内に籠の中が一杯になり、そろそろ帰ろうと思った青年だったがふととある大樹を見る。
その大樹は他の木々とは違い、太さや大きさが倍以上で存在感が段違いなものだった。それにより大樹の周りに木はなく、小さな何もない空間が出来上がっている。それは周りの植物にあまり当たらない太陽光がさらに当たらなくなって枯れてしまっただけなのだが。
そんな大樹の周りに、何かがゴロゴロと倒れていた。
それを見た青年は眉一つ動かさずに淡々とした態度で呟いた。
「また増えてる」
根本を見てみればいくつかのそれが寝転がっており、上を見てみるとそれが吊るされてあった。
既に原型を留めていないものも地面に多く転がっていて、魔物に食い荒らされた痕跡も見て取れた。地面や大樹にどす黒く変色して染まっているものの量も増えていた。
二日三日来なかっただけでも青年の記憶が正しければ全て事実なことである。
それでも青年は何も考えずに、最初から見てなかったかのように名残惜しさも感じずその場から離れた。
青年は知らないことだが、ここの森は"死体の森"と世間から伝えられており、自殺志願者や死体遺棄として有名な場所である。魔物も多く住み着いていて冒険者たちもバカではない限り近付くことすらしない危険な場所でもある。
目印は遠くからでもわかる一本の大樹。それがこの森の象徴でもあり死神とも言える存在である。
青年は"死体の森"から出ようともせず、むしろ森の奥へと進んで行った。
辺りは先ほどとは打って変わって薄く靄がかかり暗闇となり、視界は全く使えないものになった。
初めて来た人では必ず彷徨い、飢えか魔物の餌食となって朽ち果てることが決定されているのだが、青年はそんなことなくまるで普通の道を歩いているかのような足取りで進んで行く。
しばらく同じペースで歩いていくと、青年の目的地が見えてきた。あの大樹よりは狭いものの空いた空間がそこにあり、木で建築された小屋がポツンと建てられていた。大きさは小さくもなくましてや大きすぎることのない丁度いいサイズで、木の痛み具合で長年建ち続けていることがわかる。
その小屋に青年は入り、ふぅと息をついた。
「戻ったか、メルヒ」
小屋に帰ってきた途端に中から声をかけられた。青年ーーーメルヒオル=ルーラングと呼ばれる青年は華奢でスラッとした体格で男らしさをあまり感じず、更にはアホ毛を立たせている灰色の髪の毛も伸びていて、その長さは腰を越える程となり一本の黒いゴムで結っており余計に男らしさがなくなってしまっている。目付きも優しげで、一見何も考えていないような顔付きでもある。
そんな青年が名を呼ばれたその方に顔を向ける。
そこにはベッドに横になっていて上半身だけ身体を起こして壁に寄りかかっている女性がいた。
「ただいま。ねーさん」
メルヒオルにそう呼ばれた彼女ーーーリスティは彼の三歳年上の姉にあたる者だ。彼女はメルヒオルよりも身体全体が細く、少し力を入れただけですぐに壊れてしまいそうなほどのか弱さがあった。
弟と同じ灰色の髪の毛で長く、彼女は二つの白いゴムを使っておさげのようにして結っている。弟と違う点では、逆に目付きは鋭くツリ目で相手を威嚇しているかのようにも見える瞳と、弟と頭一つ分低い身長くらいだ。
「今日はそれだけか」
リスティはメルヒオルの背中に背負っている得物を確認してそう訊いてくる。それには何も付いていないため、戦闘をした形跡がないことを証明している。
魔物の肉を求めていたのか、手ぶらの彼に少しガッカリしていた。
「別にこれだけで大丈夫だよ。ねーさんが取りに行ってもいいんだけど」
その得物を壁に立たせ、籠を持ってリスティの前を通り過ぎる。奥にある台所へと向かうからだ。
「そんなことをしたら途中で野垂れ死ぬがそれでもいいなら」
そうふざけたように彼女は言うが、嘘偽りのない事実なことには変わらないのである。
リスティは身体が弱く、一人でこの森を歩くことはおろか少し歩いただけで疲労が目に見えてわかるほどに体力がない。
栄養を不十分に摂っているのも原因の一つだが、それ以外にも小さい頃から病気を患っていることが最大の要因でもある。今も尚それは進行中であり闘病生活中なのだ。
「はいはい。次から頑張ってみるよ」
適当に流してメルヒオルは台所にある綺麗な水が入った木のバケツに採ってきた食材を入れて汚れを落とし始めた。この水は小屋近くにある自然に出来た湖から取ってきているもので、こうして水洗いや水分補給のために使っている。
彼の一日の初めは森で二人分の食料調達をして朝ご飯を作り、その後散歩がてら得物を担いで振り回し、飽きたら小屋に帰り眠るという生活をしている。
一方彼女は一日中横になっており、気が向いたら小屋の周りをうろうろとしているだけで一日が終わってしまう。
そんな非生産的な毎日の繰り返しを飽きずにずっと二人きりで繰り返していたはずなのだが、リスティのちょっとした一言で全てが変わろうとした。
「そう言えば、お前はもう二十歳になるのか」
何気ないその一言だったが、普段聞かない切り出し方にメルヒオルは意外なことだと思い、動かしていた手を止めた。
「そうだっけ? 誕生日なんて覚えてないし、そうなのかな」
メルヒオルは相手のことに興味を示さない他、自分のことにも関心を持たない。なので自分の誕生日や更には自分の年齢など覚えている訳がなかった。
そんな彼の無頓着っぷりに慣れているリスティは不満だと思わずに話を続けた。
「だいたいこの時期だろう。まぁそんなことはどうでもいいさ」
これもまた珍しくリスティがベッドからゆっくり立ち上がり、メルヒオルのいる台所へとマイペースで歩いた。
「そろそろこの話を持ち出してもいい頃合いだろう」
メルヒオルが台所へと向かった時間よりも倍近く長くかけてたどり着き、向き合った彼の瞳を真っ直ぐ見つめながらリスティは提案してみようとした。
が、それは突然の来訪者により妨げられた。
ドンドンと強く扉を叩く音が小さな小屋中に響く。
「メルヒ、あれ着け忘れるなよ」
「わかった」
普通なら来訪者を客人として丁重に迎え入れる準備をするはずだが、何故かメルヒオルは床に無造作に置かれていた傷だらけのガントレットを拾い、自分の腕に着け始めた。
着けている間も扉は叩かれており、壊れてしまうのではないかと心配されている。
ようやく着け終わったメルヒオルは鍵を解いてそのまま扉に手をかけて開こうとした。
「ーーーッ」
瞬間、扉の隙間から鋼鉄の剣がメルヒオルに襲い掛かってきた。
確実に悪意のある攻撃は何も知らないならタダでは済まない一撃だったが、ある程度予測済みだった彼は自分を突き刺そうとする剣を着けたばかりのガントレットで滑らせて防ぎ、空いている手は勢いよく扉を開ける。
完全に滑りきって真っ直ぐに伸ばされている腕を躱した方の手で掴み、扉を開けた方は相手をじっくりと見ずに胸に向けて掌底突きを繰り出した。
その一連の流れに相手は困惑しか覚えず、なすがままに掌底を受けた。
「ガハッ!?」
急に胸を圧迫されたため溜まっていた空気が全て口から出たような感覚に襲われながら掌底の反動で後ろに下がるはずだが、しっかりと相手の腕を掴んでいたためにそれはかなわなかった。
そしてそのままクの字気味に曲がっている相手の身体に向けてメルヒオルは相手の腕を離した拳で鼻を目掛けて顔面に一発食らわせた。
ドスッと鈍い音をして相手は後ろによろける。見事に鼻へと拳が届いたため、鼻の骨を折り両穴から血を流した。
相手が怯んでいる間、冷静にメルヒオルは壁に立ててあった得物を持ち、肩に置きながら外に出て鼻を押さえている相手と向き合う。
胸と鼻に感じる痛みに耐えながら相手はメルヒオルに剣を向けようとする。が、彼の担いでいるそれを見て今度は恐怖を覚えた。
それは禍々しくも凶悪で、ゆうにメルヒオルの身長を超える長さを持っているほどの大きさである大鎌だったからだ。
「ま、待て! ご、誤解だ、聞いてくれ!」
相手はガクガクと震えながら剣先を下げて許しを乞おうとした。ここでメルヒオルはようやく相手のことを見た。
相手は男で体全体がボロボロ。男性と思われる年で武闘に取り組んでいるとは思われないひょろっとした身体。それどころか貧相な体付きのようだった。
そんな男性が剣を捨てずに両手を挙げて白旗を表していた。
「お、俺だってこんなことしたくなかったんだ! くく、国のやつがこうしないと、家族を殺すって言われたから!」
理由をつらつらと並べてメルヒオルに大鎌を仕舞うように懇願する。しかしメルヒオルは聞く耳を持たずに一歩、また一歩と男性に近付く。
その姿は男性にとって死神のように映った。
「う……うわぁあああああああああああああああああ…………」
再び剣をメルヒオルに向けようとしたが、既にその身体は怖がっていた大鎌の一撃を浴びていた。身体を斜めに切り裂く一閃は男性を絶命するには簡単なことだった。
血が飛び散り、小屋の前に一つの死体と真っ赤な池を作り出した。
「……終わったよ、ねーさん」
動かなくなったことを目視し、僅かに返り血を浴びたメルヒオルは小屋にいるリスティに声をかける。死体を作ったことなど意に返さない様子だった。
すると、ゆっくりとした足取りでリスティは小屋から出てきた。
「今回は呆気なかったな」
「うん」
このような出来事は珍しくもないことだった。月に四、五回の頻度で襲われるのだが全て返り討ちにしている。もはや作業に近いことであった。
メルヒオルが散歩に出ている時にそのまま遭遇することが多く、稀にリスティが一人で留守番をしている時にもやってきた。が、結果は全て同じだった。
彼らが何故このようなことをするのかは正しくは知らないものの、大体は理解していた。
中には自殺の手伝いをされたりしたが、ほとんどが血の気の荒い男性であったことから本当に国から何か言われているのかと思えてきている。
「さて、血の臭いに魔物がやってくるだろう」
死体をなんとも思わず一蹴した後、リスティは軽く伸びをして小屋へと帰っていった。
メルヒオルもまたさほどそれに興味を示さずに姉の後を追った。