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【2月2日】

【2015年2月2日:風邪により発熱】


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 およそ中学時代には、誰しもが憧憬を投射した一つの心象を胸に抱いているものだ。彼の場合も例外ではなく、子供じみた夢を持っていた。大人からすれば、いや高校生から見たところでもせせら笑われてしまうような夢ではあったが、彼がそれに執着していた時の心情たるや真剣なもので、ようやっと大人になってそれが実現する今日まで、大切に懐に仕舞っていたのである。


 今私が乗っている高速鉄道は数日かけて大陸を縦断する。鉄路こそ十年以上前に敷かれたものだが、その上を走る高速列車は新たに導入されたばかりでICEやTGVにも負けぬ。内装は列車というにはいささか豪華すぎるものであり、床は青い化繊の絨毯敷きで座席は広々として皆進行方向を向いてる。先頭車両の操縦室には常に三人の操縦士がいる。食堂車やラウンジもある。時々大手航空会社のキャビンアテンダントめいた乗務員がワゴンを押して来る。窓の外には相変わらず西部劇のような荒れ地が流れ行くばかりである。それでもあと2時間ほど走れば森林地帯に入るという。


 我々一行――彼と彼の家族、監督、写真家、現地案内人、通訳、美容師、他にも衣装担当、照明担当、雑用数名、さらには私を始めとした彼の知り合い大勢、もとい野次馬――でほとんどの車両を貸しきっている。私は少々ひねくれた気持ちでもってこの一行に加わっていた。全くの只で外国を見られるこの機会は何としても逃したくないと思う一方で、同行する野次馬の群れの中には因縁浅からぬ者、普段私が苦々しく思い避けている者などがかなりの数含まれていたからである。不貞腐れて車両の隅でうとうとしている内に、列車は森に着いた。


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 現場の下見もそこそこに早速彼と妻、双子の息子の衣装合せと化粧が始まった。彼は純粋な東洋人であるが妻は半分東欧の人である。それ故か、子どもたちは妖精物語の絵本から現れたと言っても差し支えない容姿であった。


 美容師が子どもらの犬歯に義歯を被せる。それから顔を青白く塗る。ヴァンパイアである。私の記憶では彼が特別ゴシック・ホラー好きだとか、その手の漫画が好きだとか聞いた覚えはないが、中学時代の彼の夢というのは、憧れの女の子と一緒に吸血鬼になって暮らすというものであったのだ。当時彼が熱い眼差しを送っていた帰国子女こそ今の妻というのだから人生は皆目わからないものである。妻と子どもたちはそのまま映画に出ても可笑しくないくらいに、中世東欧風の衣装を着こなしていた。彼自身については言わぬが花ということにでもしておこうか。しかし後々写真を見せてもらうとなかなか上手く撮れているもので、やはり本職が集まれば相応の結果になるものだ。


 野次馬連中は早々に見物に飽きて、三々五々、撮影現場から離れて森を見ている。変種かと思しき樹皮の白い大セコイアが森を成し、地面もこれまた白く、肌の綺麗な石ばかりである。その上を所々に苔が覆っている。この濃緑と白の対比の妙が現実感を奪い、この世ならぬ場所に迷い込んだような心地さえする。渓流は石灰岩の間を縫っているためか群青色を湛えている。掬って舐めてみると仄かに甘い。気がつけば、いつの間にやら誰も彼もが馬鹿みたいに川の水ばかり飲んでいた。水面に顔を突っ込んでいる者おり、ついには適当な容器に水を詰めて列車まで運ぶ者も現れた。しかし何だかんだで滞在許可時間もすぐに過ぎた。帰りたくないと駄々をこねる者はそののまま置いてゆくことにし、列車は出発した。

 

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 帰路の一日目、私は熱を出した。体温は四十度にも達し前後不覚のまま二日ほど寝込んでいた。三日目に食欲を感じて起き上がり寝台から抜けだした時、異変に気がついた。誰もおらぬのである。私の寝台は八両目であったから、一両一両確かめながら進んだがやはり誰もおらぬ。食堂車の床に粥がぶち撒けられていた。ラウンジには煙草の吸い殻ばかり山とあった。


 二両目に入る扉を引くと異臭がした。皆が皆、床の上に布団を敷いて寝込んでいた。死んでいる者もいた。話を聞けば、謎の熱病が流行っているようである。操縦席に座ったまま、操縦士三名はすでに腐り始めていた。ここで私は得も言われぬ、嗜虐的な愉悦を感じた。私はもうこの熱病に打ち勝って免疫がついたのであろう、すると今この列車の中で良く動けるものは自分のみ。嫌いな奴らを散々なぶって日頃からの恨みを晴らせるというものである。私は彼らに嘘を教えた。塩水を飲めば良いなどと言ったり、息も絶え絶えなところに腹筋運動をさせた。いじめるのに飽きるとTVを見た。淡水に住むアメーバの一種が脳炎の原因になるそうである。しかしその日の内に本部の基地から無線が入った。一旦遠隔操作で速度を落として徐行し、救援隊が乗り込むそうである。かくして私の短い天下は終わる。私は列車から飛び降りて、荒野の保安官として生きることにした。名前を変え、寂れた村に住み着くのである。


 その七十七日後、村の掲示板に一枚の注意が貼り付けられた。砂埃舞い上げる風に踊るその注意書きには「近々住み着きたる余所者一名謎の脳炎にて死す飲水に注意されたし」とあった。


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