第1章 ~ 8 (アイシャ、王都、旅の宿にて)
夕方になって、いよいよ広大な城下町をかかえる、王都の門が見えてきた。アイシャはあわててカバンから化粧道具を取り出し、手鏡で簡単に見た目を整えた。
「さあお嬢ちゃん、もう到着だよ」
馭者の男の人がそう言ったとき、もう暮れかかる太陽は王都のいくつかの高い塔のうしろに、いままさに隠れようとしているころだった。
馬車が城門のまえで止まると、アイシャは馭者の男の人に旅賃の銀貨を払って別れを言い、城下町区画に入っていた。
城門から入るとき、ずどーーんと音がしたのでびっくりした。それは夕方の閉門の時刻を示すもので、アイシャがあと少し遅かったら外で立ち往生していたところであったのだ。
(あぶないわ・・・・。馭者のひとはわりと呑気に旅をしていたけれど・・・・)
アイシャはそんなことを考えながら、重たい荷物をかかえ、夕暮れの王都を歩いた。
アイシャが驚いたことに、こんな時間でも街は活気に満ちていて、街角のショップなどはランプを灯し、これから店開きをするところもあるくらいだった。
彼女は道中、ドレスだと街で浮くかなあと考えていたが、そんなことは無い。
なかにはおかしな格好のひともいたが、とくに街行く女性はだれもかれも、それなりの格好をしていた。
アイシャはきちんと準備をしてきたことで、お母さんに心のなかで感謝をし、おまけにちょっと自信がついた。
(ええと、お宿はと・・・・)
王都からの手紙には、指定の旅のホテル、「蜂の巣」に泊まるように書かれていた。
(うーん、奇妙なネーミングだなあ、大丈夫かなあ・・・・)
口にしただけでもどうにも痛いその名前にアイシャは眉根をひそめたが、いまさら引き返すこともできない。
彼女は手紙に書かれている地図とにらめっこをしながら、覚悟を決めて歩いて行った。
地図に従って500メートルも歩くと、その目指すお宿はあった。アイシャは息を吸い込んで、勢いよくその重々しい玄関を内側に開けた。
「あのお・・・・」
「あん?」
正面のカウンターに立っているいかにも強面そうなおじさんが、アイシャを出迎えた。
髪は短い金髪で、ひげを立派にたくわえ、少しだけ日焼けをしている。
身長はアイシャよりもずいぶんと高い。体格はとても立派だ。服は品がよく、身なりがきちんとしているぶん、いわゆる世に聞く、あっち系の人のようで、余計に怖く見えた。
ええい、アイシャ・クロムウェルはもう、おびえてはいけないのだ。ここはきちんとした挨拶をしよう・・・・。アイシャは気合を入れ直した。
「ええと、おじさんが、ここの旅館のかたですか?」
「おいおい、ただのおじさんではないぞ、ちょっとだけこぎれいなメンズ亭主といえ!」
「め、めんず定食!?」
「ちがう! メンズていしゅだ!」
「え、だってメンズと亭主って、わざわざそんな男勝りな名前にしなくても・・・・」
「なんだって?」
おじさんはじろりとアイシャを見た。
あわわ・・・・。アイシャは王都に入ってからあまりの気合の入れように、いつの間にかここの亭主さんとバトルになろうとするところだった。
もちろんいままで、学校でこんなようになったことはなかった。内心はすごくこわかった。
しまった、下手に出ればよかったんだ・・・・。アイシャは王都に入ってきて一番目の後悔をした。
「お前さん、うまいこと言うじゃねえか。男勝りな名前・・・・。そうだ。まさに男のなかの男、蜂の巣亭の亭主はこのおれだ。さあ泊まるのか泊まらないのか、はっきりしねえか!」
あれれ・・・・。なんだかよく分からないが、メンズ亭主さんは腕を組み、にこにこと笑いながら、アイシャのほうを見て鼻息を荒くしている。
アイシャはまったくここで逃げ出すわけにもいかないから、是も非もなく首を縦に振った。
「と、泊まります。泊まらせて下さい!」
「なんだ、お前はお客さんじゃないか、そんな頼み込むようなことは、しなくていいんだぜ・・・・さあ、宿帳に記入しな」
彼は相変わらず腕を組み、怖そうな顔に笑顔をたたえながらそう言った。
「え、だって・・・・」
アイシャは戸惑いながらも、おずおずと宿帳に記入していった。
メンズ亭主さんは、よく分からないひとだった。王都のひとはみんなこうなのだろうか・・・・。
アイシャは夢に描いていたものと違ったことが目の前で起きて、ちょっぴりうんざりした。
それでも彼女は自分がちっぽけな村にいたのだから、いろいろな人がいていいのだと納得をした。
「よし、それでいい。さあ、荷物を持って部屋まで案内してやるから、そのたいへん見目麗しいドレスを台無しにしないように、気を付けな!」
「あ、はい、ありがとうございます・・・・」
アイシャは両手に抱えていた荷物をすっかりメンズ亭主さんに渡して、手ぶらになった。
これでも彼は自分のことを褒めてくれているのだ。いい人だ。
アイシャはやっとそう思った。すると突然、笑いが込み上げてきた。
「ふふ、ふふふ・・・・」
「なんでえ、なんで笑ってるんだい・・・・」
メンズ亭主さんは、ちょっと照れたような表情を見せた。
「あははははは!」
ついにアイシャはこらえきれなくなって、大笑いをした。
「おいおい! 困るぜえ、男はこういうとき、どうしたらいいか分からないものなんだ、お嬢ちゃん、さあ、部屋に案内するからさ・・・・」
アイシャは困り切ったメンズ亭主さんを見て、涙が出るほど笑いつづけた。
それから落ち着くと、すっかり打ち解けた彼に案内されて階段をあがり、2階の自分の部屋まできた。
「ところでお嬢ちゃん、いやアイシャは、どこに行くんだい? 宿帳をみりゃあ、お前はだいぶ田舎から出てきたみたいじゃないか、その身なりといい、たいそうな目当てがあるんだろう? この王都に」
アイシャはメンズ亭主さんから部屋の案内を簡単にされたあとで、そう尋ねられた。
「あれ、わたし、どこに行くんでしたっけ?」
「なんでえ! 素っ頓狂なお嬢ちゃんじゃねえか!」
こんどはメンズ亭主のほうが呆れて、大笑いする番だった。
クロムウェル家の血筋はこうして、どうもどこか抜けているところがあった。
お母さんもアイシャも王都に行くということだけで舞い上がって、手紙のいちばん最後に小さく書かれていた、差出人のところを見ていなかったのだった。
アイシャはまだ部屋に落ち着かないまま、メンズ亭主さんの前であわてて手紙を取り出して、行き先を見せた。
「ほう・・・・。あそこかい」
「え? メンズ亭主さん、ご存知ですか?」
「そりゃそうだ、この手紙に書いてあるだろう? うちが指定のお宿だってことを、忘れちゃいけないよ。しかしあそことは・・・・」
メンズ亭主さんは意味ありげに首を傾げている。
「え? なんですか?」
「いやいや、いいんだよ。あそこね、そうかそうか・・・・」
彼はそれだけ言うと、相変わらずの意味不明な上機嫌さを保ったまま、ゆっくりしていきなと言って、部屋から出て行った。