第1章 ~ 7 (アイシャ、旅立ち)
次の日、一夜が明ける前に起きだしたクロムウェル一家は、鳥たちが一番声を上げたころには、朝食を済ませていた。
アイシャはいちどすっかり面談仕様に着かえ、装飾師さんを待った。待っているあいだ、あらためて出立の日の朝という実感にそわそわした。
装飾師さんが必要な作業を終えて、すべての準備が整った。
アイシャは旅行用の大きなカバンにすべてをしまい込んだ。
そしてお母さんと装飾師さん、この日のために来てくれた村役場のおばさんに見送られて、家のまえ、お母さんが手配した馬車に向かった。
こんな日が来るとは思ってもみなかった。アイシャ・クロムウェルはいままさに華のみやこ、王都ヴァンデルハイムに向かうのだ・・・・。
太陽がすっかり顔を出して、前の日よりもさらに暖かくなった小春日和の日差しのなか、アイシャは馬車に乗る前に、お母さんから魔法のステッキを渡された。
「いいですか、アイシャ・・・・。これはお父さんがむかし、暗黒の魔導師の討伐軍に参加した折に、その邪悪なものを屠ったという、由緒ただしきステッキです。魔力そのものはたいしたことはありませんが、精神を支配するちからが宿っているのです」
「え? お父さん、魔法が使えるの?」
アイシャはそんなことをはじめて知った。まったく彼女にとって昨日から、はじめてのことばかりだった。
「お父さんはね、お前に危ない目にあってほしくなくて、武勇譚は隠しなさっていたのよ。まったく、律儀なお父さんだこと・・・・」
お母さんは目を細めながら微笑んだ。
「でも精神の魔法じゃ、わたしは使えないわね・・・・」
アイシャはお母さんから手渡された重たいステッキをまじまじと見ながら、そう言った。
「お父さんは、あなたに使ってほしいわけではありませんよ。あなたが成人のときに渡すようにお父さんと決めていたのです。わたしたちは、あなたが立派に育って欲しいという願いだけです。お守りとして使いなさい・・・・」
「うん、わかった・・・・。では行ってきます」
アイシャは馬車に乗り込んだ。
「そうです、ちょっと行ってきますというくらいが、ちょうどいいですわよ。お世話になりましたなどとは、決して言う場面ではありませんからね。いいですか、簡単に帰ってきてはいけませんよ! 面談はきっとだいじょうぶですからね!」
そう言うお母さんはきっと口をへの字に結んで、目が潤うのを必死にこらえていた。
「あ、そうそう! お父さんはまだ王都にいるでしょうから、できたらすぐ連絡を取るのですよ!」
「はあい!」
アイシャは進みだした馬車の側面から顔を出して、いつまでもお母さんの顔を追いかけていた。
村役場のおばさんと装飾師さんのあいだで手を振るお母さんは、まるで偉大な女神さまであるかのように、アイシャを見守っているように見えた。
しばらく行った道中、村のはずれの谷を抜けるときにかすかな声を耳にしたので、アイシャは馬車から顔を出して、そのほうを見た。
「おうい! アイシャ! 何も言わないで行ってしまうんなんて、ずるいぞお!」
友達の男の子が谷の切り立つ崖の真ん中あたりにたたずんでいて、そこから叫んでいた。
「アイシャぁ! 元気でね!」
すぐ隣には、フィアンセのいる女ともだちが手を振っていた。
「アイシャあんた! わたしはね! もうこれで終わりとは言いませんよ! きっと王都ですぐ会えますからねえ!」
活発な女の子はちぎれるばかりに腕を振りまわしながら、いちばん大きな声で叫んでいた。
「みんな・・・・」
アイシャは涙が溢れた。景色が歪んで湖の中にいるみたいになった。お化粧が崩れてしまうことは気にしなかった。
わたしは負けてはいけない。意気地なしなことも言っちゃいけないんだ・・・・。
馬車に揺られながら、なんだか底知れない勇気が溢れてくるのを、アイシャは不思議な気持ちで胸のうちに感じていた。