表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎撃のインフィニティ  作者: いーちゃん
12/95

第9話 part-a 中東ウィルス編

 第二形態(セカンドフォルテ)を展開させたレナは暗闇へと意識を引きずり込まれた。

 そこに身体はなく、視点だけが浮いている。

 まるで海の底だ。遠くに焔のような緑色の輝きが見える。目を細めて見ると、光は流れ星みたく尾を引いて揺らめいているのが分かった。

(何? 理由は分からないけど……此処は懐かしい感じがする)

 気がつけば少女の細身はベッドへ横たわっていた。どうやら戦闘は既に終了したらしく、キョウノミヤが詳細を伝えてくれる。

 記憶に残っていないムービーを見て目を見開くレナ。

「この戦ってるのが、あたしなんですか? こんな動きが出来てるなんて……」

 しかし指揮官に相応しくない行動を選択したことに対して責任を負い、初日にして任を解かれることになる。

 甲板に出たレナに、2人の仲間が新たに加わった。

[part-A]レナ


 インド洋沖で<アクトラントクランツ>が第二形態(セカンドフォルテ)による暴走を起こした戦闘から数日が経つ。

 レナ・アーウィンはようやく艦内の雰囲気にも慣れてきた。わずか1日で指揮官を外された少女がいる――というのは話題にのぼったが、失望した兵士たちの数は予想外なことに多くなかった。むしろ「作戦の成功よりも人命を優先した」として親しみを持ってくれる人の方が多く、廊下で擦れ違えば挨拶を交わしてくれる人たちも、心なしか増えてきたように感じる。

「まぁ、お前は "美少女" だからな。そりゃ男共にはモテるだろーよ」

「え、そう? あとお前って呼び方やめてって何度も言ったでしょ。下の名前でいいわ」

「へいへい。俺もレナみたいな美少女に生まれ変わりてえなあ~」

「うげっ……想像したら気持ち悪いからやめなさいよ」

「美少女に生まれ変わったら毎日美少女のパンツ被れるんだぜ? 頭に」

「だからそういうの真顔で言うのやめなさいってば……」

 頭を抱えたくなるような会話だった。

 朝食を終えたレナとイアルは、食堂から艦橋の方へ向かっていた。後ろにはフィエリアの姿もある。

 指揮系統から外れた3人は結局、遊撃隊として新たなチームを組むことになっていた。

 この数日の間に、新たな同僚(チームメイト)のことも次第に分かり始めている。銀髪の男イアル・マークタレスは砲撃戦仕様の<エーラント>を、一方のフィエリアは近接戦闘に特化した<エーラント>をそれぞれ特機仕様で操っている。模擬戦を兼ねた力試しの限りでは、2人の実力は充分なレベルであり、レナは新たな仲間(パーティ)へ早くも信頼を置いていた。

 レナは息の限りに嘆息。

 隣に立っているイアルは、黙ってさえいれば良い男なのかも知れないが――口を開けば変態発言ばっかりで耳を塞ぎたくなる。しかも会話の相手が男性/女性に構わずベラベラ喋るものだから、節操ないことこの上ない。それとは対照的にフィエリアは寡黙な性格の少女で、普段は無口。機嫌の良いときはニコニコしながら話を聞いていたり、たまにイアルを蹴り倒したり、といった感じだ。

(何であたしの周りって、キャラの濃い人たちしか集まらないんだろ……)

 暗憺たる思いを抱えたまま、レナは扉の前に立った。

 3人がブリッジへ呼ばれた理由は、新たな任務に取り掛かるためだ。遊撃隊は本来の指揮から外れていても、決して仕事が無くなったという意味ではない。戦場を縦横無尽に駆け巡り、自己判断に基づいて戦闘へ介入する役回りだ。

「失礼します」

 レナを先頭として足を踏み入れると、後続のイアルが「オーッス」と片手を上げて部屋に入ろうとし、フィエリアに背中を蹴られ、レナには頭を叩かれていた。

 部屋に居たのはキョウノミヤだ。<フィリテ・リエラ>の艦長と技術部の最高責任者を兼任し、軍務もこなす――立場は雲の上のような存在である。

 イアルの反省より先に、部屋の奥から間伸びした声が返ってくる。

「はいはいそーいう堅苦しいのやめて。煩わしい敬語なんて不要よ」

「で、ですけど……やっぱり上官ですし」

 レナがムッとしてイアルを見ると、彼はキョウノミヤから見えない角度で「それ見たことか、バーカバーカ!」と揶揄するように笑っていた。もう一度だけ頭を引っ叩いておこう。

 レナはくるっと一転して向きを変え、

「で? 新しい任務って……何です?」

「ちょっと待っててねー、いま説明の準備しちゃうから」

 キョウノミヤはデスクにあるメインのPCを起動すると、手元のスイッチを切り替えた。画面を部屋の中央にあるスクリーンへ転送され、現れたのは海域図である。現在<フィリテ・リエラ>が航行しているのは、インド洋から中東に位置する近海だ。

 彼女が作業している間も、部屋にある12台のPCは音声言語を介してお喋りを続けていた。あるものは簡単なクイズを出していたり、あるものはしりとりを開始したり――かと思えば、唐突に鼻歌を歌い出すPCもある。微笑ましい光景ではあるが、初めて見たらギョッとする光景だろう。

 勿論、イアルも漏れることなくそのうちの1人だった。

「ここのコンピュータたち、うるさくね?」

「オ客サンなのー?」「オ客サン?」「珍シイ客サンだー」「歓迎スルでしー」

「……あ? 俺に向かって話し掛けてんのか? コイツら」

 イアルの声でコンピュータ達が認識を始めたのだろう、信号ランプを明滅させているのを見ると、どうやら新しい客人にいたく興奮しているご様子だ。

「ソウダヨー」「認識シテますー」「ダケドスグニ忘レチャイマスー」「ナンデカナー?」

「こいつら学習型か? ……にしては頭悪そうだな」

「ソウカー」「学習プログラム不完全?」「ソレ馬鹿チャウン?」「バカ治セナイッテー」

 コンピュータたちは互いにヒソヒソ声で話し合ったあと、

「キョウノミヤサンキョウノミヤサン」

「はーい。なあに?」

 作業しながら上官が答えるが、その声音は鬱陶しい子供に接するような低さだった。おそらく毎日こんなウンザリする会話を繰り広げているのだろう。少しだけ楽しそうではあるけれど……と思わないことはないけれど、さすがに毎日はノイローゼになりそうだ。

 コンピュータ達は間を置いたあと、

「バカッテ死ナナキャ治ラナイ?」一斉に声を重ねた。

「そうね、死んだら治るかもね――と、そろそろブリーフィングを始めるから、あなたたち少し黙ってて」

「ハーイ」「アイヨー」「オイッスー」

 明滅ランプが途切れ、部屋が静かになった。少し寂しくなったあと、キョウノミヤは疲れたように肩を落として大きく溜め息。

 レナはわずかに峻巡してから、

「もしかして、この子たち毎日こんな感じなんですかね?」

「そーよ、いい加減にしないと疲れちゃうわ。彼らの知能レベルは6歳並みになってきたんだけど、近い内に解体してやろうかしらね。元々は『話し掛けたことに適切な回答を与え、学習していくシステム』だったんだけどね。やっぱり五月蝿いわ」

 レナは引き攣った笑みで愛想を作った。

 スクリーンに映った海域がマウスポインタで動かされる。拡大されたのは中東――ちょうどアラビア半島の辺りだ。

 大きく突き出た平行四辺形のような半島。その中央部には赤色の円形マークが浮上する。レナは訊いた。

「このエリア、何かあったんですか?」

「密売よ。傭兵どうしの間で、機体のOSSに関する裏取引がある、という情報が上層部から得られたわ」

「OSSの売買? 別に危険な感じはしませんけど……コードの書き換えくらいなら出来る人なんて、幾らでもいるじゃないですか。OSSの海賊版なんて今ごろ珍しくないのでは?」

 OSSといえば、機体のすべてのシステムを管理・制御するプログラムのことだ。もとは統一連合が造った産物であったが、最近ではASEEでもオリジナルのものが開発されており、量産機<ヴィーア>へ適用されている。また、滷獲された機体からコードが抽出され、傭兵たちのAOFへ流出した物もある。

 キョウノミヤは首を横に振って、

「それが、実は思ったよりも深刻な事態のようね。OSSが海賊版として出回っているのは承知の通りだけど、オリジナルとして開発されたコード中に『本来を逸脱した仕様』の物が増えているらしいの」

「本来を逸脱した仕様……?」

「ええ。同調率という言葉は知ってる?」

「もちろんです。士官学校(アカデミー)はそこそこの成績で出ましたから」

 AOFの機体と操縦主の間には、『同調率』と呼ばれる関係が存在する。シンクロニシティとも呼ばれるそれは、簡単に言えば「操縦主が機体のポテンシャルに対してどの程度扱いきれているか」という目安のことだ。戦闘中(アクティブモード)における操縦主の状態を、心肺・呼吸や鼓動などのパラメータから推測し、そして戦闘スコアを含む技量から評価している。

 たとえば、イアルやフィエリアは安定して60%ほどの"同調率"を達成している。これは一般的な数値から見ればかなり高い水準で、平均なら40%程度をマークするのが精一杯だろう。一方で、レナが<アクトラントクランツ>へ搭乗した時の同調率は僅か45%程度――これは決してレナの技量が低いのではなく、<アクト>のポテンシャルが高すぎることによる数値だ。

 士官学校で学んだ知識を答えると、キョウノミヤは大きく肯首した。

「いま裏で取引されているOSSには、パイロットへの強い負担を代償にして機体性能をアップさせる物があるらしいの。鹵獲した傭兵機から見つかったんだとか。それが本当ならんば、我々はそれを拡散させるわけにはいきません。ましてやASEEの手に渡れば、事態の悪化も予測できます」

「で……その裏取引が行われている場所がココなんですか」

 レナはマップへ目を戻した。赤くポイント指定されている箇所だ――市街地からは遠く、砂漠地帯の真ん中にあるような小さな街である。

「その手の筋によれば、ね。偽物(ダミー)の情報の可能性もあるから裏を洗っているけれど、信頼性は高いわ。レナは<アクト>と共に現場へ急行して、取り引きの現場を押さえて頂戴。必要であれば戦闘も許可します」

「分かりました。でも相手は傭兵なんですよね?」

「窮地に立たされることは無いかも知れないけれど、油断は大敵。しっかり気を引き締めて」

「了解です。イアルとフィエリアは?」

 レナは後ろにいる2人へ訊いた。

「んー。そうだな、俺たちの機体は飛べねえし、行くのは無理だぜ?」

「母艦から百キロ近くも離れるとなると、移動手段がありません。その半分の距離なら固形ブースターも使えますが……」

 同僚が顔を見合わせて考え込んだ。

 2人が駆る<エーラント>はいずれも陸戦仕様のため、飛行・滞空能力を有さない。そのため、洋上を走る<フィリテ・リエラ>から指定ポイントへ出撃するのは不可能だった。

 少しの間だけ悩むと、キョウノミヤが決を下す。

「分かりました。では、残ったイアルとフィエリアの2人は、いったん通常の指揮系統へ戻って」

「そーゆーことだ。初っぱなから力になれなくて悪ぃなー」

「共同任務は別の機会にでも。それでは失礼します」

 踵を返すと、イアルとフィエリアは艦橋を出ていった。

 レナも支度へ取り掛かる。着替えを済ませて格納庫へ行くと、すでに<アクトラントクランツ>は出撃準備を終えていた。あとは整備班がゴーサインを送るだけ――という状態で、レナは狭いコクピットへと身を収める。

 深紅の機体がガントリークレーンによって両肩を吊り上げられ、一本のレール上へ移動。カタパルトハッチだ。隔壁が閉ざされると、<アクト>の背面には使い捨てのブースターが取り付けられた。

 前方のゲートが開き、進路がクリアになる。レーンの向こう側に見えたのは果てしない青空だ。

「システムオールグリーン。こちらレナ・アーウィン、<アクトラントクランツ>行きます!」

 機体が両の膝を折り曲げ、まるで滑走路から飛び出すスキーヤーのような姿勢になった。青色のランプが点灯すると、猛烈な威力のGがレナの細身をシートへ押さえ付ける。

 負けまい、と必死さを噛み締めると、<アクト>の機体は空へ大きく投げ出された。バランスを取りながら針路を決め、背面のブースターパックを棄てる。驚くべき速度で通り過ぎていく雲を避けながら、深紅の機体は直線状の軌道を飛翔する。

『レナ、聞こえる?』

 ちょうど<アクト>が加速に乗ったところで、モニターの隅へ映ったのはキョウノミヤだった。眼鏡の奥にある強い眼光がレナを捉える。

『そのまま直線距離で90キロ、数分あれば到着します。作戦の概要を説明しておくわね』

「はい」

 彼女が立てたプランはこうだ。

 レナが最初に向かうことになったのは、取り引きが行われている指定ポイントではない。そこから外れた、今は誰も居なくなった旧市街地へ降り立ち、うまく機体を隠すのが最初である。

 電磁波、レーダー、赤外線波長を歪めるステルスシステムの開発は、だいぶ前から進んでいた。そこへ付け加わるようにして、新たに生まれたのが、可視光線を歪めるシステムだ。装甲へ流す微量の電流が、光の波長を透過する装備である。より精確に言えば「波長の散乱を極少量に抑えられる」機能で、これを使えば機体(フレーム)はレーダーにも視界にも映らぬ完全な無色透明になることが出来る。

『偵察型のS系装備を無理やり搭載したわ。電力の消費が激しいから長時間は持たないけど、今回の作戦程度なら充分のハズよ』

「了解しました。この機体を置いて、バイヤーには直接接触すれば良いんですね」

「そういうこと」

 キョウノミヤは頷く。

 機体を隠したあとは、徒歩で指定ポイントまで移動し、取り引きを行っている相手と接触してデータを手に入れ、急いで帰投する。すんなり進めば数時間で終わる任務だろう。取り引き場所の破壊やデータの押収、バイヤーの身柄拘束は別の部隊が担当しているらしく、今回はあくまで「接触すること」が目的だ。

 旧市街地へ到着すると、レナは廃墟の脇へ機体を降下させた。上空から行った生体反応スキャンでは、この町には人間らしい生命活動が存在しない――という結論が得られたのである。細かな流砂を巻き上げながら徐々にブーストを弱めて着地し、片膝立ちの姿勢になると<アクト>はコンパクトな大きさで建物の間に収まった。

 レナは座席後部に積まれていたトランクから必要な物資とローブを取り、コクピットから降りた。渇いた地面へ飛び降りて、端末からスイッチを起動させる。<アクト>の装甲表面が通電し、みるみるガラス細工のような色へ変貌を遂げていく――わずか数秒で深紅が消えたのち、やがて背景の建物と同化を果たした。

 おぉ、とレナは感嘆。耳穴に埋め込まれた小型の無線イヤホンから声が響く。

『ちゃんと透明化した?』

「え、えぇ……。すごいですねコレ」

『でしょ? でもオモチャじゃないから遊ばないように』

「子供じゃないですからね。これから指定ポイントまで向かいます」

 はぁと軽く溜め息して、レナは乳白色のローブへ袖を通した。

 30分かけて到着したのは、砂の中にある街だった。1キロ四方もない小さな町で、レンガ造りの集合住宅が碁盤の目のように並んでいる。

 手元にあるボトルの中には、もう水の一滴さえ残っていなかった。炎天下の下で歩き続けたのだから無理もないが、理由はそれだけではない。全身をすっぽりと覆うフード付きのローブを被っていたからだ。

 レナは日射を避けて、建物の陰へ入った。涼しい壁際で小休憩を取る。

 フードの下から周囲を見回すと、彼女以外にも姿を隠している人は珍しくなかった。それが宗教的な理由なのか、それとも他の要因なのかは分からないが、街の空気がやけにピリピリしているのは確かだ。

「……」

 レナは沈黙する。

 AOFが世界各地へ広まった現在、その扱い手は2つに分類することが出来る。まず1つ目は、統一連合やASEEのように正規の軍に所属して機体を操る兵士だ。そしてもう1つが傭兵である。いずれの軍にも属さず、自らの意思で戦う集団、もしくは個人のことを指す。彼らは資金提供によって依頼主(クライアント)の目的を果たし、それを糧として生活している。個人か集団によって多少の違いはあるのだろうが、多くの傭兵は提供資金さえあれば、どんな依頼主であろうと味方につくのが普通である。そのため、他の集団から恨みを買いやすい彼らは、あえて身分を偽ったり、姿を隠している場合が多い。

『レナ、大丈夫?』

 小型のイヤホンマイクから声が届く。周囲に悟られぬよう小声で答えると、レナは移動を開始した。目的を見失っちゃダメよ――と暗示して、歩き出す。

 だが、何処へ?

 相手がどこに居るのか、そしてバイヤーは今この町に居るのか、それさえもレナは分かっていないのだ。この町で取引があったという情報しかなく、ほとんど運任せも同然である。

 石畳の中央でふと足が止まる。と、背中に何か小さな柔らかいものがぶつかった。

 反動で振り向く。レナは「え?」と目を丸くした。

 彼女の後ろに立っていたのは、まだ年端もいかぬ女の子だ。両手に花の束を従えて、きれいな黒い瞳が上目遣いでこっちを見つめている。

 レナはフードの下から少女を見、問う。

「――どうしたの?」

「お花、いる……?」

 気の弱そうな少女は花の束から1本だけ取り出し、それをレナに差し出した。

 お世辞にも綺麗な花ではなかった。朝のうちに摘んだであろう花は既に萎びていたし、疲れてクタクタに伸びきっていた。きっとゴミと勘違いされても仕方ないような代物で、とてもお金を出す人がいるとは思えなかった。

 レナは口元を笑ませて、

「分かったわ。おいくらですか?」

 少女は指でVの字を作った。レナはポケットから2枚だけ硬貨を取り出すと、小さな手へ握らせる。

 女の子は目を白黒させ、まるで信じられないとでも言うように、

「か、買ってくれるの…?」

「買って欲しかったから差し出したんでしょう?」

 レナ得意気になって1本だけ花を取り、ローブのポケットへ挿した。少女はコクコクと不器用に頷いてみせる。

 レナはその場に屈んで、

「ねえ、ついでに1つだけ訊いてもいいかしら。この街でいちばん人が集まる場所って知ってるかな?」

「知ってる……」

「どこ? 教えて欲しいの」

「えっとね……」

 3ブロック先を左に曲がったところにある酒場。

 それが、少女の教えてくれた情報だ。昔から人の多く集まる場所だったが、最近になって再び活気づいたらしい。中には傭兵も多く、近隣の住民はあまり近寄りたがらないとか。

 ――当たりだ、とレナは踏んだ。

 どうやら取り引きが行われているのはその酒場だろう。

 礼を言って手を振ると、少女はローブの裾を引っ張ってきた。

「や、やっぱりコレ、いい…」

 震える声で2枚の硬貨を取り出すと、まるで押し付けるようにレナへ突っ返してくる。

 ゴミのような商品を売ってしまったことに良心の呵責が働いているのだろうか――と悟ったレナは、にこやかな笑みを見せた。再び少女の前で屈むと、そっと頭を撫でてやる。

「大丈夫だよ。気にしてないから」

「でも…ごめんなさい」

「前にも、キミみたいな子を見たことがあるんだ。道路で売り物をしててね」

「ふぅ、ん……」

「でも、その子はスリだった。あたしが財布を取り出したら、パッと取って逃げちゃったの。キミは、そんなことしないでしょう?」

「うん…」

「ほらね。だからキミは謝る必要なんか無いの。そのお金、大切に使ってね」

「うん……お花も大切にしてくれる?」

「勿論よ。大切なことに使うからね、約束する」

 パタパタと去っていく女の子の背を見送って、レナは思わず目を細めた。

 さて――と、不意に視線は鋭くなる。

 角を曲がった先にある酒場は、建物の階段を降りた地下にあった。中へ入ると、石で作られた狭い部屋は人で溢れている。

 イヤホンからキョウノミヤの声が囁いた。

『到着したみたいね……周りは傭兵ばかりよ。くれぐれも気を付けて』

 レナは隅にある二人席についた。隣のテーブルでは筋骨隆々の男がグラスを煽っていたが、新たな隣客を一瞥しただけで、興味なさそうに二杯目を注ぐ。察するに、かなり酔っているらしかった。

 バーテンが注文を取り、レナがフードの内から答えた。すぐに飲み物が置かれる。

 キョウノミヤがマイク越しにからかった。

『あら、お酒飲めるの?』

「……飲まないです。格好だけですよ」

 淡々と答える。

 怪しまれないように、です――と言葉を付け加えると、レナはグラスへ唇を運ぶ。一口だけ含む。

「――!?」

 思わずむせかえりそうになって、目元に涙を浮かべて口を押さえた。いますぐ吐き出したい衝動を堪えて、ごく、と液体を飲み干す。喉の奥が火傷してしまいそうだった。

 咳払いで誤魔化すと、レナは 酒場の中を注視しつつ順に見回していく。

『取引している様子があれば、こちらから近づいてみて。相手の特徴を把握して頂戴。危険と判断した場合には武器の使用も許可します』

 上官の声を軽やかに無視し、レナはフードの奥から周りを睨んだ。

 狭苦しいスペースの中で、商談のようなものをしている姿は一つも見つからなかった。広げられているのはカードやダイスを含めた賭け事か、壁際で行われているダーツくらいか。敷居の向こう側にはビリヤード台が2セット置かれていたが、そこには誰もいなかった。

「居ませんね。誰も」

『そう……やっぱり裏付けを取ってからじゃないと駄目なのかしら』

「といっても、バイヤーの連絡先を知ってるワケではないでしょう?」

 キョウノミヤの態度が落胆の色を含んだ。

 取り引きがないとすれば、これ以上の時間を割く理由はない。

 ほぅ、と溜め息して、レナは置かれたグラスへと目を戻した。一体どうしてこんなモノが飲めるのか――少なくとも今のレナにとっては不思議で仕方なかった。喉が火傷してしまいそうになるし、べつに美味しくも何ともない液体が、何故こんなにも世界中で飲まれているのだろう。

「――お……っと悪ぃ、相席いいか?」

 問われて、レナは視線を上げた。

 見ると、テーブルの前に立っていたのはローブを身にまとった客だ。あちこち破れてボロボロになった長い服には穴が空いていて、みすぼらしい格好ではあるものの、しかし不潔というほどではなかった。フードを被っているために顔や表情は窺えないが、喋っている口許だけは見られた。日焼けして浅黒い肌だ。ハスキーな声はまだ若い。 

「いいですよ。先に出ますから」

「まあまあ、これも神様の誘き寄せだろ。ちょっとだけ付き合ってくれよ、な。奢るぜ?」

「……」

 席を立ち上がろうとすると、客はレナの行く手を阻んだ。レナはやむを得ずテーブルへ戻り、静かに沈黙。オーダーを終えると、テーブルには2個のグラスが新たに並んだ。

 相席になった客はグラスの中身を一気に飲み干すと、空っぽになったグラスをしばらく弄ぶ。

「なんだ飲まねえのかよ。奢りだぜ? それとも他人様から戴いた物には口を付けねえ、ってカーチャンに教わったか?」

「……」

 レナは答えない。

 飲めないなんて言ったら怪しまれる――と思いきや、相手は肯首しながら、

「ま、別に飲めなくったっていいさ、こんなもん。飲めたところで、どうせ自慢話のタシにもなんねえ」

 悪いけどいただくぜ、と言ってグラスを傾けると、相手は再び目の前で中身を飲み干してしまう。

 レナは静かな声で問うた。

「本題は何です? 空いてる席は幾つもあったのに。何か理由がありそうです」

 役目を終えたグラスをコツンとテーブルへ置いて、一息。中に入った氷がカランと軽い音を立てた。

 客は声を小さくして、

「おまえ女だろ。珍しいなァ、こんな場所に」

「……!」

「安心しろ、あたしも女だ。ここじゃジョニーの有無なんざ関係ねえ、だいたいの連中は姿を隠してンだから。男ばっかりの胸クソ悪いなかで、久々に同性を見かけてな。つい」

 声は軽く笑ったが相変わらず静かな語調で言った。顔と姿さえ見えないものの、相手は男にも女にも受け取れるハスキー声である。こういうのを酒焼けした声というのだろうか――なんて純粋に思っていると、相手はぶっきらぼうに続ける。

「――で、なんでこんな場所に用が? お前もチート・ウィルスが目当てか」

「チート・ウィルス……?」

 知らねえのかよ、と口悪く言って、客は胸ポケットから煙草を取り出した。ライターで先端に火をつけて煙を燻らせ、息を壁へ向かって吹き掛ける。白い気体は壁にぶつかって不規則な対流を起こしたあと、ややあってから消えた。

 彼女は煙草の先でレナを指したあと、

「じゃあ質問を変えようぜ。アンタは何者(ナニモン)だ? 傭兵か、それとも正規軍か? それとも一匹狼杯(ベオウルヴズカップ)の出場者か?」

「……」

「答えねえか。ま、別に何だっていいさ。正規軍だろうが何だろうが、あたしゃ気にしねえよ」

 ん? と吸い殻を床に捨て、目の前に座った女は首を傾げた。それを見ていた店主があからさまに嫌そうな顔をし、女はニシシと黄色い歯で笑う。

 レナは正直なところ戸惑っていた。

 素直に正規軍であることを認めるか、それとも傭兵だと嘘をついて逃げ切るか――しかし、嘘がバレれば相手との距離は崩れてしまう。そうすればどんな仕打ちをされるか分かったものではない。孤立無援の状態で、それだけは何としても避けておきたかった。

 レナは周りを憚って、

「あたしは――正規軍よ。統一連合の」

「ほう、それはそれは。で、何の御用だ? アンタの後ろに部隊は来てるのか?」

「いないわ。単独」

「……根性あるねェ、個人的にゃ気に入ったぜ。ただ、ココらの連中には正規軍を嫌ってる連中も多い。気を付けるこった」

 女は煙草の灰を再び床に捨てると、再び煙を口に含む。

 レナはずいと迫った。

「そのチート・ウィルスのこと、詳しく知ってたら教えて欲しいの」

「おいおい……タダで何かを手に入れようって算段か? そりゃあんまりだぜ」

「報酬は出すわ」

「ポケットの中にあるのは硬貨だけだろ? ったくガキの使いじゃねーんだぜ」

 女は肩をすくめてケタケタ笑ってみせる。

 つくづく楽しそうな人だ、とレナは思った。

 他の傭兵たちとは違って、彼女はもっと大きな度量を持ち合わせているような気がする。潜り抜けてきた修羅場の数が違うのか、それとも、ただ単にいい加減な性格をしているのか。

 突如、建物の外で銃撃音が鳴り響いた。

 人が扱う武器にしては異常なほど大きな音――振動で壁がミシミシ音を立て、天井の埃がパラパラと舞い落ちた。

「まさか、AOFがっ……!?」

 女は真っ先に立ち上がろうとしたレナの袖を引いて着席させ、

「落ち着けよ。ココらの連中はこんなトラブルは慣れっこ、日常茶飯事だぜ。急いで行動なんか起こしたらアンタが怪しまれる」

「だけど外で戦闘が……! 早く逃げないと」

「それが正規軍の人間が言う言葉かぁ? どーせ上で戦ってるのは傭兵どうしさ。カネとプライドと、イノチとかいうクソッタレを賭けて遊んでんだよ」

「……どういうこと?」

「死に様くらいちゃんと見てやらねえとな。それと、さっきのチート・ウィルスについての話は後回しだ。見物に行くとしようぜ、命の保証はねえけど」

 ニタリ、と口元が笑むのが見えた。

 分かったわ――とレナが応じて、2人はフードをかぶったまま席を立った。女はバーテンに向かって軽い挨拶を済ませ、灰皿へ煙草を置いて外へ出る。

 建物の外には、多くの見物客が溢れていた。耳に痛いほどの喧騒と、風に舞い上がる砂埃がレナを直撃。

 フードの相手は顎の動きで方向を示す。

 街の北にある方角では、2機のAOFが戦闘を繰り広げていた。片方は深緑色の身軽そうな機体で、もう片方はネイビーブルーの重装備機体である。

 女は腕を組んで、

「野良試合だな。純粋に楽しんで()ってる連中もいるが、たいていの場合はケンカから始まる。あれは間違いなくケンカが発端だろうな――動きが感情的になりすぎて滅茶苦茶だ」

 見ると、深緑色の機体はムキになって相手を追い回していた。対する青色の機体は重装備である。武装もしっかり整えられているし、何よりも強力なシールドが敵の攻撃を無効化している。ハッキリ言って無闇な攻撃は徒労に等しいだろう。

 サーベルで斬り込まれると、青色の機体は盾でそれを受け止め、押し返した。至近距離で散弾砲を放つと、緑の機体は跳躍して一撃を避ける。

 統一連合の中でも、あれほどなめらかに機体を戦わせることの出来る人間はまだ多くない。それなのに、彼らは軍の支援やバックアップもないまま易々と操縦をこなし、見事にスピーディな戦闘を演じている。

 ぼうっと突っ立っていると、メインストリートから人が引いていくのが分かった。まるで蜘蛛の子を散らすように建物の中へと待避していく。見れば、ダメージを負った深緑色の機体が此方に向かって疾走してくるところだった。

 レナも釣られて遮蔽物の影に入った。が、隣に在るべき姿が無い。

「あっ――、あなた!」

 周囲を見回すと、見慣れたフードの女は隠れることなく、ストリートのど真ん中に直立したままだった。レナは慌てて呼び掛ける。

 砂埃を巻き上げながら突っ込んでくるAOFを目の前にしても、彼女はその場から離れようとはしなかった。

「はやく逃げなさい!」

 レナが叫んだのと、目の前をAOFが疾走していくのは同時だ。強いホバリングによって粒径の細かい砂が巻き上げられ、突風がレナの身体を襲う。建物の縁にしがみついて砂嵐を耐えたのち、彼女は見た。

 ストリートの中央である。

 強風がフードを剥がし、露になった相手の姿を。

 巻き上がる砂埃のなか、身動ぎもせずに凛然と立つ姿を。

 浅黒い肌、真っ赤に燃えるようなレッドの髪は後ろで1つに束ねられている。口許は、まるで最高のショーでも楽しんでいるように歪んでいた。

 そして、その目は――

「よォ」

 金色の眼差しがレナを真っ直ぐに捉えていた。まるで爬虫類みたいな眼だ、とレナは思った。

 ゴクリと唾を飲み込む。感じたのは恐怖。

 いや、それだけじゃない――とレナは思う。どこか狂気に充ちた奔流のような、悪寒のような、そういった類いの威圧感だ。

「さっきチート・ウィルスのデータが欲しいって言ってたな。あたしに勝てたらデータなんざタダでくれてやるよ」

「えっ!?」

「依頼主との契約でな。『コレを扱うのに適切な人間へ、適切な受け渡しを行って』欲しいんだと」

 年齢はレナと変わらない。17かその程度だろうと推測されたが、頬へ横に刻まれた一本の傷痕が、傭兵としての経歴を感じさせる。

 ――間違いない。

 レナは肌で感じ取っていた。彼女は本物だと。

 自らの命をダイスの代わりにして戦いを求め、硝煙や血で飢えと渇きを潤してきた連中。コイツは傭兵どころじゃない。もっとタチの悪い輩だ。

「戦闘は30分後に開始する。この街から半径1キロを中心として(おこな)うぜ。あたしに勝てばデータはくれてやる。負ければ地獄の底だ」

 擦れ違いざまに言うと彼女は再びフードを被り、速やかにその場を去っていった。

 インド洋沖で<アクトラントクランツ>が第二形態(セカンドフォルテ)による暴走を起こしてから数日。

 砲撃の得意なイアル・マクターレスと、近接戦闘に長けたフィエリアが仲間に加わった。

 中東にてOSSの密売情報を得たレナは、飛行能力のある<アクトラントクランツ>単機で砂漠都市へ向かうことになる。

 そこで出会った傭兵の少女は、名を戦狂という。

「よォ」

 砂埃の中で、金色の眼差しがレナを真っ直ぐに捉えていた。

「あたしに勝てたら、データなんざタダでくれてやるよ」

 世界最強の腕を持つ傭兵と、激闘が始まる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ