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タイムトリック・パニック 9

 ベッドに横になっても一向に眠気が訪れず、何度も寝返りを打ってしまうが、それでも寝付けない。

 水でも飲みに行こうと思ってベッドから降りる。リビングで寝ている須佐くんを起こさないように静かに廊下を歩いていると、リビングから明かりが見えた。

 そっと扉を開ける。須佐くんが私に気づいた。

「寝られないのか」

「……うん」

 まだ今日のできごとが頭から離れない。須佐くんがぽんぽんと座っているソファの横を叩く。ちょこんと須佐くんの横に座る。

「……」

 須佐くんは無言で立ち上がるとキッチンへと消えていった。戻ってきて目の前に差し出されたのは水の入ったコップと錠剤だった。

「なにこれ」

「睡眠導入剤」

「へ?」

「これ飲んで早く寝ろ」

「え、なんでこんなものを須佐くんが持っているの」

須佐くんも眠りが浅いのだろうか。首をかしげていると須佐くんは続けた。

「お前のだよ。最近眠れてないから処方してもらっている。ほら、この前行った病院」

 この前といえば脳の検査をしたときだろう。そういえば女医さんと面識があったような感じではあった。

 あの時感じた違和感。メンタルクリニック科の先生と面識があるということは以前一緒に受診したということで。

 私になにかが起こっている。

「…私になにがあったの」

 須佐くんは何か隠している。私の感がそう言っている。

 ふーっと大きく息を吐いて私のほうを見る。

「仕事を休んでいるのは知っているだろう」

「うん。体調を崩してなんでしょ」

 以前須佐くんが私を気遣って言葉を選んでいた。そのときは大して気にならなかったけど、いまは話が別だ。

「そもそものきっかけは、アレだ。俺の母親だ」

「お母さま?」

 思いも寄らぬ言葉が出てきて首を傾げてしまう。

「あの様子なら想像できるだろ。今日と同じ剣幕で毎日毎日仕事辞めろとかこどもこどもって言いやがって」

「…で?」

「…俺は気にするなって言ったんだけどな。佳奈はそうじゃなかったんだろ。日に日に眠れなくなっていって、仕事するのも辛そうだった。だから病院に行った。そこで薬を処方してもらった。いまは休養している。以上」

「……」

 言葉が出てこない私をどう捉えたのか、須佐くんはなおも続ける。

「もともと勘当状態までいったんだ。縁を切られようがなにしようが俺はどうでもよかったけど、佳奈がどうしてもそれはやめて欲しいって言って、まあそのあとは会社継ぐことで決着がついたんだけど。それ以来なんとかうちの親とうまくやろうと神経張っていんのが疲れる原因だったんだろうよ」

 嫁、姑問題。まさか私がその渦中になるなんて思いもよらなかった。

そういえばここにきてからぐっすり眠れたということがなかった。単に環境の変化かと思っていたけれど、そういう理由があったのかもしれない。

暇さえあれば睡眠を貪っていた私からは想像できない。

「ひとりで生きてきて忙しい仕事もそれなりにしていて、それでも元気だったんだ。それが体を壊したのが自分の母親が理由ってのがな……そこまで苦しめても佳奈を手放せないんだから俺も俺だと思うけどよ」

 自嘲気味に呟いた須佐くんに、思わず立ち上がって口を開いた。

「そんなことないよ!」

「は?」

「多分だけど…多分だけど、そこまでして一緒にいたいって思ったからそうしたんでしょ。それを苦しめるなんて思って欲しくない」

 よく分からないけど、その時の私は、須佐くんのことが好きだから付き合って結婚も考えていたのだと思う。別れることも選択肢であったはず。それをしなかったのは須佐くんの側に居たかったからだと思う。

 須佐くんのことが好きだったから、お母さんとの関係もよくしたいと思ったのだろう。

「好きだったから側に居たかったんだよ」

 それにお父さんとお母さんがいなくなった私は、そういうことに敏感だったのだろう。死んでしまってから遅いことに気づいていたのだろうから。もう叶わぬことだから。

 「私」はそういうことを口にしなかったのだろうか。

「私だったら自分のせいとかそんな風に思って欲しくない。選んだのは私なんだから」

「……」

「話聞いていると須佐くんは、わ、私のことすすす好きって感じが良くわかる。…でも私だって好きでもないひとの側にいたいと思わないよ」

 だって相手が須佐くんだ。とてもじゃないけど普通なら手の届かないひと。好きって思わなければきらきらしたひとの側にいるはずがない。

「……」

「だからそういう風に言わないで」

 ずっと自分を責め続けてきたのだろうか。そんなの悲しすぎる。「私」はどうして誤解を解いてあげられなかったのだろう。

 30歳の私。どうして。なにがあったの。どうしたの。

「…言葉が足りなくてごめんね」

 出てきた言葉はそんな言葉でしかなかった。もっといい言葉があるはずなのに。須佐くんの気持ちが軽くなるとは思えなかった。

「どうしてお前は……」

 苦しそうに言葉を紡ぐ須佐くん。

「へ?」

「……抱きしめていいか」

 返事をする間もなくぐっと腕を引かれて倒れこむように正面から抱きしめられる。ふわりと香る須佐くんの香り。ぎゅっと背中に手がまわされてより体が密着する。

 私とは違う硬い体。心臓の鼓動が密着したところから伝わってくる。

「佳奈」

 呼ばれた方を向くと、ゆっくりと近づくきれいな須佐くんの顔。

唇と唇が触れる。

キス、されてしまった。

「須佐、くん」

「黙ってろ」

 黙っているなんて堪えられないのは私だけなようで、須佐くんはすっと目を細めると私の頬を撫でている。大切に、それこそ壊れそうなものを扱うような触れ方に、ドキドキしてしまう。

 もういちど強く抱きしめられて耳元に囁かれた。

「我慢できね」

「?」

「はやくおいつけよ」

「須佐くん?」

「もうちょっとだけ」

 背中にまわされた手が腰へと下がっていく。そこからわき腹を撫でるように移動する。

「やだ、くすぐったいよ」

 逃げるように肩に手を置いて上半身を離して須佐くんの顔を見る。

「くすぐったくさせてんだよ」

「なにそれ」

なんだかおかしくてくすくす笑ってしまう。

「なあこの意味がわかるようになれよ」

「意味わかんない」

「…そうか、わかんないか」

「?うん」

「はやくこいって思ってんのと同じくらいこのままでいいって思ってるなんて、俺はわがままだな」

苦笑する須佐くん。

なんだかその顔がかわいく見えて、頭を撫で撫でしてしまった。

「佳奈?」

「あ、ごごごめんなんだかつい」

 きゅっと頭に載せた手を握って須佐くんは指先にキスする。

「ひゃぁ!」


 まるで王子様のキスだ、とか思ったりした。


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