タイムトリック・パニック 7
料理ができない私のために須佐くんは早く帰宅して準備をしてくれる。これでも本を見てちょっとずつ作れるようになってきたけど。
手早く須佐くんはパスタを茹でていく。
今日はボロネーゼだそうだ。何だか言いにくいおしゃれそうな料理だ。
ズッキーニやセロリ、たまねぎなどをみじん切りにして、にんにくとオリーブオイルでいためる。そこにひき肉とトマトの水煮をまぜ、パスタを絡めたところで生クリームを投入。
あまりの手際のよさに隣で唸ってしまった。
「須佐くんは料理が趣味なの?」
「趣味ってほどじゃねぇよ」
「だって料理器具揃っているじゃないの」
「それはお前が好きだから揃えたんだよ」
「え、私全然料理できないよ?」
正直に言おう。ご飯すら炊けなかった。
「ひとり暮らしが長いから慣れたって言ってたな」
そうだお父さんとお母さんは事故で亡くなったんだ。少なくても10年は自分で料理をしているんだ。最初は全くできなかったであろう。それからどれだけ数をこなして身につけたのか。いまの私には想像できない。
「あとは?」
「家事は好きなんじゃね?」
確かにリビングやキッチンはきれいに片付いていたし、洗濯物もきちんと畳んであった。
部屋の片付けが苦手でいつもお母さんに怒られていて、洗濯機をまわしたのはこの部屋に来てからという私からは想像できない。
「ねぇなんで結婚したの」
「はあ?まだそんなこと言ってんのか」
呆れたように私を見て、「皿」と私に指示する。慌ててお皿を差し出すと、須佐くんはきれいに盛りつけていく。
「ほら、持っていけ」
「はーい」
リビングのテーブルにお皿を置いて振り返る。「飲み物、冷蔵庫に入ってんぞ」と須佐くん。冷蔵庫を開けて麦茶とビールを取り出す。
「ビールでいいの?」
パスタといえばワインときそうで、なおかつ須佐くんにはワインが似合いそうだが、ビール派なんだそうだ。
過去に一度間違えてビールを飲んでしまったことがあるが、あんな苦いものをよく飲めると思う。
「ああ」
両手に持ってテーブルへと向かう。 須佐くんが座るのを待って話を切り出す。
「そういえば許嫁がいたって聞いたよ」
「あ?だれがそんなこと言った?」
とたんに須佐くんは不機嫌そうな顔になる。そんなに変なことを訊いたのだろうか。
「伊藤くんに聞いた」
「あいつ…余計なことを」
「余計じゃない。どういうこと?」
ここはしっかり聞いておかなければならない。
「まあ、いたな」
須佐くんはどうってこともないかのようにさらりと肯定する。
「なんで結婚しなかったの」
「…お前がいたからだ」
「へ?」
「好きなやつと結婚したいって思ってなにが悪い」
「!……須佐くんってそういうこと言うのにためらいがないよね」
聞いているこっちのほうが恥ずかしくなってしまう。
「あ?ためらってどうする」
「そうでした。そういう性格だよね」
ちょっと俺様な性格なんだよね。だから敬遠していたところもあるんだけど。だれかが言っていたけど、スポーツを極めるようなひとは「俺が俺が」って性格でないと強くなれないらしい。
熱狂的な須佐くんファンはそこがいいのだそうだ。私には理解できない。私はこう、優しくて気の利いたひとが好みだ。
「で」
「で?」
「それ聞いてどう思った」
へ、どういう意味?どう思ったもなにも、と首を傾げて返す。
「あ、ああ。なるほどな、って」
須佐くん伝説再び、という感じで聞いていたのだけれども。
「…ふーん」
なにその返事、訊いておいてその反応はいかがのものだろうか。と思うのは私だけなんだろうか。よくわからない。
「でもさ、婚約解消したってことはいろいろあったんじゃないの?」
ドラマや漫画では、許嫁ではなく別のヒロインの手をとると、あたりまえだが親の反対にあっている。婚約解消なんてなんだか昼ドラを彷彿とさせる言葉だ。
「…別に」
「あ。いま変な間があった。何かあったんでしょ」
「お前だんだん図々しくなってきたな」
図々しいってなんだ。訊きたいこと訊いてなにが悪い。
「だって自分のことが関係しているんだもん。許嫁ってどんなひとだったの?やっぱり親が決めたんだよね?親同士が仲良かったの?それとも政略結婚?」
興味津々といった感じで言葉を重ねると、渋々と言った様子で須佐くんは口を開いた。
「…会社を継ぐことにした」
「は?」
思いがけない言葉だったから思わず須佐くんの顔をまじまじ見てしまう。須佐くんは私の視線を鬱陶しそうにしながら、続ける。
「だーかーら、うちの会社を継ぐことを条件にお前と結婚したって言ってんの」
「須佐くんて確かお父さんが社長やってたんでしょう?会社って継ぐものじゃないの?」
会社を息子が継ぐ。あたりまえのような気がするのは、そういうテレビとか見ているせいなのかも。当事者になってみたら大変なことかもしれない。そう考えると、いままで苦労知らずだと思っていた須佐くんが急に身近な存在に思えてきた。
「継ぐのが嫌だったんだよ。大学卒業して入った企業は別の企業だしな。親の引いたレールに乗りたくなかったし、やりたいこともあった」
「やりたいこと?」
「……陸上」
「ああ。走るの早かったもんね」
全国大会出場するくらいだしね。50メートル10秒台の私とは天と地との差だ。
それにしても改めて聞くとすごい。社長の息子で会社を継がなくちゃいけなくて、成績も良くて、陸上でもいい成績をおさめていて。まさに伝説のひとだ。
「どっか実業団に入ってできる限り陸上続けたかったんだよ。その後はどうにでもなるし」
どうにでもなる。唸ってしまう。できるひとが言うと真実味があるからすごい。私にはとても言える言葉ではない。
「オリンピックは目指さなかったの?」
須佐くんは苦い顔をした。
「……俺ぐらいのレベルはごろごろいるんだよ」
「……はあ。そういうもんなんだ」
「そういうもんだ。おら、メシ冷めんぞ」
これ以上触れて欲しくないのか、話を切り上げた須佐くんをじっと見つめる。
「ソース、口元についてんぞ」
「え、どこ?」
「反対。もっと下」
「ここ?」
そのときすっと腕が伸びてきて須佐くんの長い指が頬に触れた。その指を口元に持っていって、ソースのついた指を舐めた。
「!」
は、恥ずかしい。なのに須佐くんは平然としている。
「どうした」
「い、いや別に」
火照った頬をぱたぱと片手で仰いで覚まそうとしてみた。だけど熱は一向に引く素振りを見せない。
「く、お前って」
須佐くんはテーブルに片肘をついて私を見る。
「な、なによ」
「表情がくるくる変わるな」
「!そ、そんなことないよ!」
表情を変えさせているのは須佐くんのせいだよ!と叫ぶと、おかしそうに笑われた。
なんかこういうところで「夫婦」って感じがするなとか思ったりした。