昼の光 10
記憶が戻ってほしい、と強く願うことはなかった。
わたしはわたしで、それは変わらないのだから。
でもそうではなかったのだ。
15年分の重みが、いま、わたしを押しつぶしそうだ。
ぐちゃぐちゃの頭ではなにも考えられない。
「ただ眠ることだけ考えるんだよ」
眠れないなら手を繋いでいようか、とウィンクするりっちゃん。
なにがあったのか聞かない優しさに甘えて、りっちゃんの家に戻ってきてしまった。
りっちゃんに甘えている。その現実。わたしはひとりではなにもできないのだ。
不甲斐なさに、泣きそうになる。
「大丈夫………ありがとう、りっちゃん」
「おやすみ」
パタン、という音とともに扉が閉まる。
そのままベッドに背中から倒れる。ふっと体の力を抜くと、ゆっくりと頭が動きだした。
対等でいたいと思うことは間違いなのだろうか。須佐くんがわたしを守ってくれるように、わたしも須佐くんを守りたいと思う。疲れたときは肩を貸してあげたいし、ゆっくり休める場所を作りたいと思う。それは間違いなのだろうか。
わたしにはできないことなのだろうか。
わたしがここにいる意味はーー。
憂うつでもなんでも朝が来ない日はない。
りっちゃんが会社に行くのを見送って、家を出た。
りっちゃんはすごく心配していた。作り笑いでもなんとか笑顔になれただけ、強くなったのかもしれない。
いつに比べて?
そんなことを考えてしまう。
りっちゃんは落ち着くまでいていいと言ったけど、荷物は全て家に持っていってしまった。
朝も早いから、須佐くんは寝ているかもしれない。そう思って一度家に戻ることにした。
こういうとき携帯がおサイフケータイとかになっていてよかったと思う。携帯ひとつしか持ってなかったし。
りっちゃんから借りたコートに、したがジャージって組み合わせはどうなのかとは思うけど、仕方がない。
朝の通勤ラッシュとは逆で、電車の中はがらがらで、わたしの格好を気にするひともいない。
あ、鍵が無い。
玄関の前に着いてから気がついた。
どうしよう。チャイムを押すか押さないかたっぷり悩んで、押した。
チャイムの音が消えないうちに扉があいた。その速さにびっくりしてしまう。
「入れ」
もしかして一晩中起きていたの?
須佐くんはちらりとわたしの格好をみて、眉を寄せる。あきらかに大きなコートにジャージでは、格好悪いだろう。
「着替える」
「ああ、そうしろ」
寝室に入って、クローゼットを開けた。りっちゃんのコートをハンガーにかけて、長袖ニットを着て綿パンツをはく。
コート、どうしようかな。クリーニングに出したほうがいいかな。
「ちょっと、こっちへこい」
背後のドアが開いて須佐くんの声がした。
リビングにいくと、テーブルに腰掛けて足を組んでいた。お行儀が悪い、なんて言える雰囲気ではなかった。
「なにをうだうだ考えてんだ」
はぁっと大きなため息をついて、額に片手を当てている。
「どうせしょうもないことだろ」
ちらりとこちらをみて、まるでめんどくさいと言うようなその言葉にカチンときた。
「しょうもなくない!」
わたしには大きな問題なのに、須佐くんにとっては大きな問題じゃないの?
なぜ須佐くんはそんなことを言うのかわからない。
「須佐くんにとってはしょうもないことかもしれないけど、わたしにとっては大きなことなんだから!」
足元がぐらつくこの怖さ。きっと須佐くんにはわからない。なぜこうなってしまったのか。
そしてどうしたらいいか。
「思い出せないんだからしょうがねぇだろ」
「そんな…」
切り捨てるような言い方に言葉がでてこない。須佐くんにとっては、その程度のことなの?
あ、どうしよう。泣きそう。
こんな顔見せたくないと思ってうつむいた。ここで泣いたらダメだ。
「佳奈だけが傷ついていると思ってんのか?」
「え?」
いままで聞いたことないような、そんな声に驚いて顔を上げる。
痛みを我慢しているような、泣くのを我慢しているような。そんな顔。
「俺だってショックうけてんだ。昨日まで普通にしてて、ある日突然俺との記憶が一切ないとかありえねぇだろ」
「……」
「なんで俺のことだけ…」
くっと下唇を噛んで、言葉を探している。
「頼むから」
須佐くんが歩いてきて、わたしの背中に手を回したと思ったら抱きしめられた。
「頼むから、これ以上言わせないでくれ」
ねぇ、それって。
「………帰る」
「はぁ?どこへ?」
「りっちゃんのとこ!」
「おい、おまっ、佳奈っ!ふざけんっ」
「須佐くんの顔、見たくない!」
ありったけの力で須佐くんの腕の中から逃げ出し、ローテーブルの上にあったバックを掴んで部屋を飛び出した。
須佐くんのことがわからなくなった。
だって、だって。
いまのわたしはいらないんでしょう?記憶が戻ってほしいんでしょう?
わたしの知らないわたしがいいんでしょう?
記憶が戻ったら。そういう期待があるんでしょう?
無意識でそれ求めていることに気づいて、悲しくて仕方なかった。




