タイムトリック・パニック 4
「………え?」
言っている意味が分からない。
「なに言っているの。冗談でも言っていいものと悪いものが」
声が震えてきた。怒りとも悲しみとも違う何かが私を突き動かしている。
「もう一度言う。お前の家族は、亡くなったんだ」
ゆっくりと、一言一言をはっきりと口にする須佐くん。
「…ウソ!」
「ウソじゃない」
「信じられない!」
須佐くんの顔は真剣そのものだ。
「信じられなくてもなんでもこれが現実だ」
「そんな現実知らない!」
朝、いつものように食卓で新聞を読んでいたお父さん。いってらっしゃいと見送ってくれたお母さん。鮮明に覚えている。
それが、なに。居ないの?
そんなバカな話があるわけない。
「家に行く!連れて行って!」
「…家はないぞ」
「ウソ!この目で確かめないと信じないからね!」
はあとため息一つついて須佐くんはアクセルを踏んだ。
そこにあるはずのモノが無かったときの衝撃をどう表現したらいいのだろう。
家があるはずのところは、コインパーキングになっていた。
「ウソ…」
私が小学校に上がるときに購入した白い外観の家は、きれいさっぱり無くなっていた。
その場に座り込んだ私。
「……帰るぞ」
須佐くんに腕を掴まれて立ち上がる。ふらりとよろけた私を須佐くんが抱きかかえる。いまの私には突き飛ばす元気は無かった。
「現実」がひたひたと近づいてくる。
「なんで…どうして…」
どうしてこんなことになっているのだろう。
どうして。
「…帰るぞ」
いまの私にとって帰る場所は須佐くんの家だけなのだ。そう思ったら涙が出てきた。
「ふっ…うっ……」
厳しかったお父さんが居ない。優しかったお母さんが居ない。無条件で私の見方になってくれる親が居ない。昨日まで居たはずの二人が居ない。
もう二度と会えない。
そう思ったら涙が止まらなかった。
「…泣いてしまえ」
頭上から声が降ってくる。抱きしめられていた。
昨日は嫌だったはずの須佐くんの体温になぜか安心して、わんわんと大きな声で鳴いてしまった。
ひとしきり泣いたら、すっきりしてしまった。
もう戻れないことが、どんなに泣いても、「現実」は変わらない。そう分かってしまったのだ。
「…帰ろう」
「ん?」
「須佐くん、帰ろう」
私には縋るひとがこのひとしかいないのだ。
そう思うとこの手を振りほどけなかった。ぎゅっと服のはしをにぎる。ぽんぽんと須佐くんに軽く頭を叩かれて、腕を引かれた。
「帰るぞ」
「…うん」
これからのことを考えなくてはいけない。
再び車に乗り込んだ。
「…そういえば須佐くん、仕事は?」
30歳なら当然働いているだろう。こんな風にゆっくりしていていいのだろうか。
「仕事なら休んだ」
「…大丈夫なの?」
須佐くんは、はあと大きくため息をついてこちらを向いた。
「お前以上に大事なものがあるか」
「!」
そんなこと言われたことなくて、そしてあの須佐くんに言われたってことで、言葉が出てこない。だけれどもそれが当然といった様子で須佐くんはまた前を向いてしまった。私だけ慌てている。
「…ねえ須佐くん。私となにがきっかけで結婚したの」
呆れたような顔で須佐くんが言葉を返す。
「ん?そりゃあ、好きだからに決まっているだろ」
「ええとそうじゃなくて」
聞きたいことはそうではない。
「付き合うことになったきっかけか」
言葉を探す私をちらりと見て答える。
「そう、それ。だって階段から落ちるまで、少なくとも私と須佐くんには接点なんてなかったはず。クラスだって同じじゃなかった」
「……あん時お前を助けたのが俺だって言ったら?」
「え」
どういうことだろう。
「階段から落ちそうになったお前を助けたのは俺だよ。いきなり目の前でおちそうになってんだ、助けるのが当たり前だろう」
「…本当?」
信じられない。あの場所に須佐くんがいた記憶はないし、第一助けてくれるなんて。
「ウソついてどうする。あのまま落ちていたら大怪我してただろうな」
それよりなにより、そのあと騒ぎになったんじゃないのか。落ちるという意味だけではなくて、あの須佐くんに助けられたということで、ファンに刺されそうになったのかもしれない。想像だけど、ありえる話だ。
それともヒーロー伝説がさらにアップしていたのかもしれない。これ以上かっこいいことしてどうするんだろう。
いやそれができるからモテるのか。
「……それがきっかけ?」
「いや、あんときはそれだけだった。付き合うきっかけはそれから10年後にあった同窓会だ」
「同窓会…」
「もっと詳しく言うと、そん時もどうとは思っていなかった。話をすることはなかった、接点が無かったからな」
「じゃあどうして」
「そのあと偶然出会ったんだよ」
頭が混乱している。
いまの私にはキャパオーバーだ。降参といった感じで両手を挙げる。
「…ごめんいまはちょっと処理しきれない。またあとで聞かせて」
今日は情報がいっぱいありすぎて、とてもじゃないけど冷静に物事を考えられない。
「ん。じゃあまた今度な」
ちょうど車がマンションへ付いた。エレベーターに乗って「我が家」を目指す。
須佐くんが鍵を開け、当たり前のように私の方を向く。きょとんとしていると、「はやく入れ」と言って顎をくいっと動かした。
これってあれですか、レディファーストってやつですか。当然そんなことをされたことが無くてどぎまぎしてしまう。なんだか申し訳なくてすばやく部屋の中へ入った。
「それで今日の寝るところなんだけど、やっぱり私がソファにいくよ」
「またそんなこと言っているんか」
須佐くんは呆れた顔で私をみる。
「……じゃあ一緒に寝るか」
「!」
「そんなに意識しなくてもなにもしないぜ」
「な、意識なんて」
私なんかに手なんて出そうとはしないと思うけど。でも全くしてないなんていったらウソになる。だけど。
「…ちょっとだけ、いいか」
「え?」
返事をするより速く背後から抱きしめられた。ふわりと香る須佐くんの匂い。
「え、え、えっ?」
予想外の出来事に硬直していると、首筋に須佐くんの息がかかった。くすぐったくて身動ぎしてしまう。
「なにもしないってさっき、」
「なにもしない。少しの間こうしてたらダメか?」
思いのほか居心地がよいから拒否する理由が見当たらない。体がこの体温を覚えているようなそんな感じがした。
「…ダメじゃないけど」
須佐くんの行動が読めなくて緊張してしまう。
「須佐くん?」
「…いなくなんなよ」
「え?」
「どこにも行くな」
その言葉がやけに強くて腕を振りほどこうとは思えなかった。