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昼の光 3

「うん、大丈夫。りっちゃんがいるから。じゃあ、また」

ぷつりという音を聞いて、携帯を耳から離す。テーブルに携帯を置いて、クッションの上に座りなおす。電話をしているうちに無意識にもぞもぞと動いていたらしく、いつのまにかフローリングのうえに座っていたのだ。テーブルをはさんでむこう側、目の前のソファーに座っていたりっちゃんがマグカップを差し出していた。

「ありがとう」

マグカップを受け取る。コーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。

今日は土曜日。りっちゃんは平日勤務なので、朝からふたりでだらだらしていたところに、須佐くんから電話が入ったのだ。

「翔太くんから?」

「うん。そう。なんか思ってたよりもはやく帰ってこれそうだって」

「それはよかったね」

いまだ須佐くんの仕事を知らない。言われてもわからないだろうけど、このままでいいとは思わないんだけどな。

帰ってきたらこんどこそ聞こう。

それよりも、気になっていることがある。

「ねえりっちゃん」

「ん?」

ソファーにもたれかかって、手にはテレビのリモコンを持っている。平日夜遅くまでシステムエンジニアとして仕事をしているりっちゃんは、テレビ番組を撮りだめして休日に見るのを楽しみにしているらしい。

「りっちゃんは、お父さんとお母さんの事故のことを、知っているんだよね?」

「……」

りっちゃんの動きが、ぴたりと止まった。

「だよね?」

「……」

りっちゃんはこっちを見ずに、テレビのほうをじっと見ている。背後のテレビからはいま人気のドラマの主題歌がながれている。

「わたし、知りたいの」

まっすぐりっちゃんを見る。するとゆっくりとわたしに視線を移した。そのりっちゃんの瞳に迷いが浮かんでいる。話していいのか、悪いのか。

わずかな時間のあと、りっちゃんが「どうしても?」と念をおす。

「どうしても」

わたしは力強く首を縦に振った。もう一度視線が交じり、りっちゃんはふっと笑った。

「かーこは、かーこなんだなぁ」

「?」

どういうことだろう?首をかしげる。

「あのころとは変わったかーこを知っているから。…うん、いまのかーこは昔のままなんだなぁって。そうだよね。かーこにとって15年前はつい最近なんだな、と思ったんだ」

「……」

「翔太くんから記憶喪失と聞いてびっくりしたよ。でも想像がつかなかった。記憶が無いってどういうことがわからなかったから」

リモコンをテーブルの上において、両手を膝の上で組む。そのしぐさはりっちゃんが話をするときのくせだ。

「あの日のことはよく覚えてーーいや、忘れられないといった方が正しいかな。あの日は、かーこの成人式の日は、雪が降っていた。かーこは朝早く母の美容院に予約をしていて、その関係で前日にうちに泊まっていたんだ。朝になって僕が美容院と会場までかーこを送ったんだ。送り届けた僕は自宅に戻ったんだ。そしたら電話が鳴って…病院からだった。携帯電話の一番新しい履歴が僕の家だったんだ。そう、夜に家に電話がかかってきてた。叔父さんたちはかーこを会場から迎えに行くよって、そう約束をして。――僕が病院についたときは、もう。そのあと父たちがかーこを連れてきて…」

「……」

「…かーこ?」

だまったままのわたしを不思議に思ったのか、りっちゃんはうつむいていたわたしの顔を覗き込むようにして顔を寄せてきた。

「おかしいよ、りっちゃん」

顔を挙げる。親戚の中でも評判のかっこいいりっちゃんの顔。

「なにが?」

「涙が出てこないの。いまの話を聞いて、ショックをうけてないの。わたしそんなに薄情者だったの…?」

「かーこ」

「お父さんとお母さんがいないって聞いたとき、家を見に行ったときは泣いたの。すごく悲しかった。なのにいまは涙が出てこないの」

「かーこ」

「どうして…?」

答えを求めるようにりっちゃんを見ると、りっちゃんはソファーから降りてフローリングに座る。目線が同じになる。

「泣いてくれたほうがよかった」

困ったような悲しそうな、そんな顔をしてりっちゃんは言う。言ったことを後悔しているような。

「りっちゃん?」

りっちゃんの言っていることがわからない。泣いたほうがいいって?

「かーこ。泣けないのは叔父さんと叔母さんのことを思ってないから、とかじゃないと思う」

「え?」

「…かーこの中で、そのことがもう過去になっているからだよ」

「あ…」

「もう過去のできごととして受け入れているんだ」

どきっとした。りっちゃんの言葉がわたしの心を震わす。

忘れていたとはいわないけど、少なくてもその事実を思い出すことはなかった。

だって振り返ってもなにもなくて。前を見るしかないなかで、ほんとうにいろいろなことがあったのだ。

足元さえ見えない世界で、頼れるのは須佐くんとわたししかいないなかで。

だいすきなふたりがいない世界で、生きていかなければならなかった。

「記憶喪失になったって聞いたとき、かーこがもっと落ち込んでいるのかと思ったんだ」

「落ち込むなんて…」

そんなことはなかった。落ち込んでなんていられなかった。だって必死だったから。必死にいままできたのだから。

「でもそんなの杞憂だったね」

須佐くんがいたから、だいじょうぶだった。

「かーこがひとりになって、父たちは何度もうちに来ることを提案したんだ。かーこが望めば養子にっていう話もあったんだよ」

「養子…」

「でもかーこは、成人したからひとりでやってくって言ったんだ。あんなに泣いていたのに」

「……」

「看護師になりたいから大学を変えるってときも、相談すらなかったんだ」

「……」

「だから僕は…」

「僕は…?」

「いや、なんでもないよ」

「?」

「さあそれより、夕飯にしよう」

りっちゃんはソファから立ち上がると、まるで何も無かったかのような顔をして、キッチンへと歩いていった。

その背中には、先ほど聞けなかった言葉があるように見えて、目を離せなかった。

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