須佐翔太における佐藤佳奈の存在 3
佳奈は一生懸命悩んでいた。
たかだかゲームだ。なのに必死になって「勝った者の言うこと」を考えている。その姿を見て、口元が緩む。
目の前に居るのは佳奈の30の佳奈ではない。15の佳奈だ。
きっと「15の俺」は「15の佳奈」を好きにはならなかっただろう。いまだからこそ、好きになる。
15の佳奈は純真だ。透明で濁りのない水のようだ。それが俺の心を涼やかに癒してくれる。
それだけに、騙されないか、だれか他のやつにさらわれないか心配になる。
好きだといってくれるその心は本心だろう。だが俺しか知らない佳奈。他のやつを好きにならない保障はない。
「決めた!」
「なんだ」
「一日姫と執事ごっこね!」
「…なんだそれは」
「須佐くんが一日執事となって姫の私にかしずくの!」
「楽しいかそれ」
「うん、楽しそう!」
「はははっ」
これだから目を放せない。
飲み会があったあと、何度か佐藤と飲んだ。
お互いの休みが重ならなかったこともあってか、月に1回あるかないかのペースだった。それでも半年ほどそのペースで飲みに行っていた。
佐藤はしっかりしていた。いや、しすぎている。半年経ってもお互いの距離感は一向に変わらなかった。
「まだ看護師一年目なんだ。だから分からないことだらけで目が回りそうだよ」
「一年目ってことは、」
「うん、21の時に看護の大学に入りなおしたの」
「…それは」
「うん、両親が亡くなって、私もひとの命を救う仕事に就きたいと思ったの」
なんてことのないように言う姿が、逆に痛々しかった。それすらも見せまいという雰囲気がなぜか切なく感じた。
「…それまでの夢は」
「夢なんて大それたものを持ってなくて、なんとなく大学に入っちゃったの。四年間でやりたいこと見つけるぞ、っていう気持ちだったんだ。だから須佐くんみたいにやりたいことが決まっていたひとってすごいなって思う」
「いや、別に…」
「だって陸上続けたいって思ったんでしょう?中学のときからずっと。…始めたのってもっと前よね。それからだから20年くらいひとつのことを続けているってすごいことだよ」
好きだから続けていたわけだ。特別すごいことではない。ただその環境に恵まれていただけだ。
「大学も陸上ができるとこ選んだの?」
「ああ」
やっぱりすごいや、と呟いて酒の入ったグラスを手にしてふちを指で触っている。
すごいことなんてなにもない。それより佐藤のほうがすごいだろう。
「え、そう?」
佐藤は目を丸くしている。まるでその言葉は意外、といったふうで。
「両親を亡くして大変だったんだろう?そんな中で新しい夢見つけて歩いてきた佐藤の方がすごいと思うぜ。何だかんだ言って、まだ親に甘えている部分があるしよ」
「それはそうだよ。自分ひとりで生きていくのは難しいもの。頼れる存在がいたら頼ったらいいのよ」
同い年のやつの言葉とは思えない重さがあった。
「…佐藤は」
「うん?」
「佐藤はそういう頼れるやつがいるのか?」
「あー私?いなくても大丈夫、人間って強くできているものね、一回全部失うと、もう怖いものってなくなるのよ」
その言葉がずしりと胸に沈んだ。
同じだけ生きていて、これだけの考えにいたるまでいったいどれだけの苦労があったのか。そこで初めて「佐藤佳奈」という存在に興味を持った。
「付き合っているやつとかは」
「あーもうそんな暇ないよ。毎日のことで手一杯」
「そうか」
「須佐くんはもてるでしょう。中学のときだって相当もてていたじゃないの」
「そんなことはねぇよ。俺も目の前のことをこなすのにいっぱいで余所見している場合じゃねえ」
いや、なかった。今の今までは。
「そうなんだ」
「…………なあ、俺たち付き合わないか」
「へ?」
「佐藤は彼氏いないんだろ」
「それはいないけど、でも」
「なら問題ない。それとも俺じゃダメか」
「ダメっていうか、いや、その…」
「ダメな点を上げろ。じゃないと認めない」
「ダメな点って…。須佐くんは私のこと好きだとは思えないし私は須佐くんのことが好きじゃないから?」
「これから好きになればいい」
「えっ」
「佐藤のことは興味がある。いま他のやつに掻っ攫われたらいやだと思えるくらいには好きだな」
「……だってそんな数回しか飲んだだけじゃないの」
「んな難しく考えるな。付き合ってみてそれでも好きになれなかった、って言ってもいい。俺にチャンスをくれないか」
「………………私、男のひとがダメなの。だから付き合えない」
「え?」
「昔、ちょっとあって、付き合うとか考えられないの。ごめんなさい」
ごめんなさい、と重ねて言う佐藤になんと返していいかわからなかった。
自慢じゃないが、断られたのは初めてだった。
その理由が、「男がダメ」だと?
「……納得できるか」
「へ?」
「さっきも思ったけど、そうやってひとりで生きていけるほど世の中甘くねぇよ。いまダメでも明日は大丈夫かもしれないだろ」
「…須佐くん」
「無理強いはしない。だから俺にチャンスをくれ。お試し期間でもいい」
「……お試し期間。須佐くんも同じこと言うのね」
佐藤は自嘲気味に笑った。なぜここで笑えるのかが分からない。
「ごめんなさい今日は帰らせてもらうわ。また、今度」
「おい、佐藤!」
「本気を見せてくれたら、付き合うわ」
そう言い残して佐藤は店を出て行った。
なにがなんだか、わからなかった。