須佐翔太における佐藤佳奈の存在 1
「須佐くん須佐くん!早く早く!」
佳奈がリビングで騒いでいる。
相変わらずどれだけ指摘しても呼び方が「須佐くん」のままだ。「翔太」と呼ばせるのに半分諦めている。唯一の甘い時間は別として。
洗い物を終え、キッチンからリビングへと移動すると、テレビの前で興奮している佳奈がいた。
「これとっても面白いね!はやく須佐くんも一緒にやろうよ」
昨日買ってきたテレビゲーム、wiiが大変お気に召したようだ。
毎日毎日家の中に居て暇をもてあましているようだったから、なにか時間を潰せて健康的なものをと思ってネットで検索すると、そのゲーム機がヒットした。
それを買って持って帰ると、佳奈は想像以上に喜んだ。
確かになにか買ってやるということはなかったかもしれない、とそのときに気づいた。
どこかへでかけることはあっても、こういうことで喜ぶのは想定外だった。
「はいはい」
あきらかにテンションが上がっている佳奈の隣に行くと、長細い棒のようなものを渡された。
「これでどうやって遊ぶんだ」
「まず、このストラップを手首にはめます」
と棒から伸びているストラップを俺の右手にはめる。
「で、このリモコンをこう、持ちます」
右手を持って正しい持ち方を教えてくる佳奈。
こういうところで、時間の経過と佳奈の心の変化が見える。
最初、佳奈は体に触れられることを拒んだ。それはそうだろう。慣れていなかったんだ。それから徐々に距離が近づいて、こうやって触れることに躊躇いがなくなった。
些細なことだけど、嬉しい。そうやって少しずつ俺を受けて入れている証なのだから。
屈んで右手にリモコンを持たせている姿がかわいくて、頭をさらりと撫でた。
「須佐くん?」
視線を上げて俺を見る。上目遣いにぐっとくる。
「うん?」
「どうしたの?」
「いや、別に」
いまの佳奈は生まれたての雛だ。
見るものすべてが珍しい。だけでなく、身を守ることを知らない。だからこそ守らなくてはいけない。
「ふふん、これなら須佐くんに勝てるね」
「お、言ったな」
佳奈はテレビのモニターをテニスに変える。
「走るのはどう考えても勝てないし、練習したテニスなら勝てるよ!」
得意げに胸を張る佳奈の頬をつついて言う。
「言ったな。負けたほうが勝ったほうの言うことをきくっていうのはどうだ」
「ええ、受けて立ちましょう」
佳奈との出会いは中学校にさかのぼる。だが当時の佳奈についての記憶はない。
そもそも俺が佐藤佳奈という人物を認識したのは25になってからだった。
その日、取引先からの帰り、あまりの暑さにチェーン店のコーヒーショップに駆け込んだ。
秋の訪れにはまだはやく、その歳は残暑がいつまでも続いていた。
カレンダーは9月になっていたが、真夏日ということばがたびたび使われていたそんな年だった。
アイスコーヒーを持って窓際の席に座る。
店内はクーラーが効いていて、火照った体を冷ましていく。
「あちぃな」
鞄から手帳を出して次の予定を確認する。しばらくは休めそうだ。
「須佐くん?」
そのとき背後から名前を呼ばれた。振り返る。
「あ、やっぱりそうだ」
「だれ?」
見たことのない女だった。
「あ、そうか、須佐くんは私のことわからないか」
隣いい?と訊かれて、鞄をどける。
「えーと、中高と一緒だった佐藤佳奈です」
「佐藤?」
名前を言われてもぴんとこない。
「同じクラスだったか?」
「ううん、私が一方的に知っているっていうのかな。須佐くんは有名人だしね」
「悪ぃ、覚えてないわ」
「ううん。覚えてなくて当然。ごめんね、いま大丈夫?」
「ああ」
「須佐くんは、仕事中?」
「ん、いま外回りしているところ。佐藤は?」
「今日は休みなの」
「平日休みなのか」
「ううん、看護師やっていて三交代制なの」
「ああ、そうか」
三交代制なら休みが不規則だろう。
「須佐くんはすごいね」
「は、なにが」
「先日の同窓会でもみんなに囲まれていたしね」
「ああ、同窓会来てたのか」
「うん」
たしかに同窓会ではいろんなやつと話をした。開始から終わりまで、だれかしらと話しをしていた。
「そのとき須佐くんは変わらないなぁって思って」
「そうか?」
「うん、すぐ分かったよ。じゃあ覚えていないね。あらためてお礼言わせて。あの時助けてくれてありがとう」
「あの時?」
「うん、中三のとき、階段から落ちそうになったのを助けてくれたのが、須佐くんだったんだよ」
全く覚えていない。そんなことをしたのだろうか。
「ごめん、覚えていない」
「そうだと思うよ。それまで接点なかったし、それからも話をしてないんだから」
「それでよく俺のこと覚えてたな」
「覚えているよ!須佐くん有名人だから、あのあといろんな人に羨ましがられたんだから」
「落ちたのに?」
「そう、それくらい人気があったってことよね」
カラン、とアイスコーヒーの氷が解けてグラスとあたる音がする。
コップにはびっしりと水滴がついていて、気温とコーヒーの冷たさの差が触らなくても分かった。
「…あんときは、まあ、調子乗ってたな」
「あれーそんな風に反省しているんだ」
中学のときは出来ないことがなかった。だから自然と自信が前面に出ていたのだろう。
あれから時が経ち、できないことの多さに、縛りのある生活にため息がでる。
「ね、よかったら連絡先交換しようよ」
「ああ、別に構わないぜ」
こうして、俺と佐藤佳奈の二度目の出会いが始まった。