タイムトリック・パニック 12
好きなのだ。須佐くんのことが。
熱は一日で下がった。でも気持ちは消えなかった。それどころかもっと膨らんでいる。
こんな気持ちは初めてで、どうしていいかわからない。
須佐くんは仕事へと出かけている。
私は午前の日課となった掃除をすることにした。今日は寝室を重点的にしようと掃除機と雑巾を持って寝室へと入る。
クローゼットの中も整頓しようと、扉を開けた。
「あ、これって」
卒業アルバムだった。表紙をめくると、中学校のアルバムだった。
フローリングの上にぺたりと座り込んでめくり始めると、校門や校舎など見慣れた風景が飛び込んできた。
ふと思い立って、B組のページを開いて、集合写真の中から須佐くんを探す。
「居た」
最上段に須佐くんはいた。いまより幼いけど、たしかに須佐くんだった。目元に面影が見える。
B組のページには生き生きと学校生活を送っている須佐くんがいた。体育大会でアンカーを走る姿。修学旅行で班のメンバーとアイスを食べている姿。真面目に掃除をしている姿。そっと指で触ってみた。つるつるとした感触だった。
そろそろとページをめくる。
D組の写真に、確かに私が写っていた。
体育大会で女子メンバーとピースしている写真は見たことがあったが、そのほかの写真は見たことがなかった。タイムスリップしてから撮影されたものだろうか。
一番後ろの寄せ書きを見ると、ページいっぱいに須佐くんへのメッセージが書かれていた。
おもに陸上のことが書かれていた。
「ふふ、人気者だね」
アルバムを持ってリビングに移動する。食事をとるテーブルに置いておく。
再び寝室に戻って掃除機をかける。クローゼットの中の衣装箪笥も覗いてみる。一着一着広げては畳みという作業を続けて手持ちの服を確認していった。
気がついたらお昼になっていた。
今日は簡単にうどんを茹でて食べよう。
キッチンへと向かい、冷蔵庫の中からうどんを出しておつゆを作る。沸騰したところでうどんを投入してネギやかまぼこやら具材を入れていく。
熱々のどんぶりを持ってリビングへと移動する。
「いただきます」
手を合わせてから、はふはふ言いながらうどんをすする。鼻水が出てくるから、そのつどティッシュで押さえながら食べることになる。
あっという間に食べ終わった。ひとりの食事は味気なく感じる。
「ごちそうさまでした」
どんぶりを横に押しやって、料理の本を開いて早くも夕飯をなににしようか考える。早めに決めないと買出し行くか、有りもので作るかと大きく変わってくるし。
ぱらぱらとページをめくるも、集中が出来ない。
思考のすべてが須佐くんのことだ。
須佐くんが好き。これは昨日気づいた。
須佐くんも私のことが好き。それは毎日の生活で、ここにきてからの態度で、よくわかっている。くすぐったいほどに。
だけれどもしっくりこないのはなぜだろう。
がちゃという音とともに玄関のドアが開いたような気がした。須佐くんが帰宅したのだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「なんか変わったことあったか」
須佐くんはリビングに入ってきながらしゅるり、とネクタイを外す。
「卒業アルバムを見つけたよ」
卒業アルバムを顔の横に掲げてみてる。
「卒業アルバム?」
「そう中学校のときの」
「ああ。どこにあった?」
「クローゼットの中」
「ふーん」
須佐くんはスーツを脱ぎながら相槌をうつ。
「着替えてきたら?夕飯準備しておくから」
「ああ」
須佐くんは寝室へと消えていった。
その間に私は作っておいたハンバーグをフライパンに乗せて火をつける。
このコンロ、IHヒーターというらしい、も使い方を覚えれば簡単だった。いまだにその仕組みがよくわからないけど、便利なものは便利だ。とくに片付けが楽である。
須佐くんが戻ってくる。
ハンバーグを焼いているあいだに、テーブルの上にビールと麦茶、フォークとナイフをセッティングする。
「手際よくなってきたな」
「慣れてきたもの」
ふふんと得意げに胸を張る。
ハンバーグを両面焼いて、中まで火が通ったことを確認してから、お皿に盛り付けていく。両手にお皿を持って、テーブルに置いた。
椅子を引いて座る。
須佐くんはビールを開ける。
「かんぱーい」
私がコップを上げて須佐くんを見ると、須佐くんもビールの缶を上げる。かちんという音がした。
そのままぐびぐびとビールを飲む須佐くんに話しかける。
「卒業アルバム、須佐くんのだったのね」
「ああ、佳奈のもあるんじゃねぇか。だけど俺のを見たがったから、出してあるのは俺のアルバムだけど」
「ふふふ。楽しいね。他のひとの見るのって。メッセージを読むと楽しいもの」
「そうか?」
「そうだよ。楽しかった」
「そうは思えないけどな」
「須佐くんのアルバムはメッセージがびっしり書かれていたね。それだけ人気者ってことじゃない」
「まあ、な」
否定しないところが須佐くんらしい。
アルバムを差し出すと、須佐くんは懐かしそうに眺めた。ぺらりぺらりとページをめくっていく。
「幼いな」
「若いって言おうよ」
その姿になにか違和感があった。なんだろう。
そして須佐くんの視線が私へと移った。懐かしむような優しい目線に胸がざわついた。
「懐かしいな」
「えっ」
「楽しかったよ、あのころは。なんでもできる気がしてた」
「……」
「高校んときはタイムが伸び悩んでいたから、走れば走った分だけ速くなった中学のときが一番楽しかったな」
「……」
「…あん時お前に興味を持ってたらなにか変わってたのかな」
私の後ろ、遠くを見るような視線に心が震えた。
「……そんな目で見ないで」
「は?」
「そんな懐かしむような目で見ないで。私は懐かしいなんて思えない」
須佐くんにとってはもう過去の出来事だ。でもわたしには。
「なに言っているんだ」
「私のことだってそう」
「佳奈?」
「私だけど私を見ていない、それって私を好きって言わない!」
「お前まさか」
「そうよ、好きよ。好きになったの。悪い?」
「なに言ってんだ。悪いことなんてあるか」
「でも私のほうが戸惑っている」
「なんで戸惑う必要があるんだ」
「だって」
だって須佐くんが好きなのは。
「須佐くんがすきなのは30歳の私でしょう。いまの私、15歳のじゃない」
「おちつけ」
「嫌なの。私のむこうにいる誰かを見ているのが。それが私だって言われてもそれは違うもの」
「佳奈」
「もういい!」
「佳奈!」
がしっと肩を掴まれて逃げられない。視線が絡まる。
「たしかに好きになったのは25の佳奈だ。だけれどもいまはちがう、いまのお前のことも好きだ」
目線が私を射抜く。
「いまのお前はくるくる表情が変わる。素直に自分の言葉で気持ちを言える。大変な状況なのに相手を思いやれる。そういうところが好きだ」
「そんなのだれでも持っている」
「少なくても佳奈は、25の佳奈はそういう自己主張というか意思疎通をすることに疲れていた。なんでも受身だった。俺が押さなきゃこうやって一緒にいなかった」
「なにそれ。それじゃあ25歳の私には魅力がないみたいに聞こえる」
「そういうんじゃねぇ。あのときはあの時の、いまのお前にはいまのお前のよさがあるって言ってんだよ。どっちも大事なんだよ」
須佐くんの手に力がこもる。痛いぐらいだ。
「分かれよ…」
「分かんないよ」
だって私は25歳の、30歳の「私」ではない。経験もなにも考え方だって違う。別人だ。
好きという気持ちがこんなに苦しいなんて知らなかった。
知らない「私」に嫉妬している。
そんな自分が嫌だった。