タイムトリック・パニック 11
須佐くんとデートした次の日、熱が出てしまった。
「39度8分。知恵熱だろう」
体温計を見ながらそう言う須佐くん。さらりと前髪を上げられ額に手を添えられる。須佐君の手は額より温度が低くて気持ちいい。
「ここんところ色々立て込んでたからな」
たしかに。
15年前からやってきて、須佐くんと結婚していて、病院に行って、同窓会に行って、須佐くんのお母さまに会って、デートして学校に行って。
イベントだらけの日々だった。
「ほれ」
視界にペットボトルを持つ須佐くんの姿が見える。体が重くて腕を上げるのも一苦労。ペットボトルを差し出されたが、体が動かない。
「いらない」
ゆっくり首を左右に振ると、須佐くんがベッドに近づいてきた。ベッドに腰掛けると、腰掛けたところがぎっしときしむ。
須佐くんのきれいな顔が近づいてくる。唇と唇が触れる。口移しで水を飲ませられた。
飲んだら喉の渇きに気づいた。体がもっと水分を欲しいと言っている。
「もっと」
「煽るな」
苦笑いとともにペットボトルにストローを刺して渡されたので、なんとか腕をあげて受け取って口に含む。
「行かないでって顔に書いてあるぞ」
間近で須佐くんに顔を覗かれ、つん、と額をつつかれた。
「…うん」
「今日はやけに素直だな」
素直か。そうかもしれない。
ここに来て初めてひとりになったときより心細く感じている。なぜだろう。
ずっと須佐くんに頼りきっていた。
「ねえ須佐くん」
「ん」
「何か話して」
「…なにを」
「なんでも」
「そう言ったってな、いきなりんなこと言われても」
「じゃあ須佐くんはどんなこどもだったの」
出会う前はどんな生活をしていたのだろう。
「別に普通」
「普通じゃないでしょ。家政婦さんがいる生活なんて」
「…それが普通だと思っていたんだよ」
「それが違うって気づいたのはいつ?」
「小学校入ってから」
「須佐くんはたしかエスカレーター組だよね」
「ああ」
「幼稚園のときは」
「まだ良くわかってなかったからな」
「習い事とかしてたの」
「習い事って言われるものの一通りはやったかな」
「陸上はいつから始めたの?きっかけは」
「小学4年のときオリンピック見て、そん時100走っていた選手の走りに目を奪われて、俺も走りたいって思った」
「へぇ。ふだんはどんな練習をするの」
「別にとりたてて変わったことはしないぜ。毎日同じことの繰り返し」
「それが聞きたいんだよ」
「何も楽しいことはない」
楽しいことはないのにそれでも続けられるってすごいことだと思う。
「…よく続けていられるね」
「試合のときの一瞬に全てをかけてる」
「すごいよね。それだけ練習して一瞬だもんね」
練習して練習して、10秒で終わってしまうのだ。
「試合のときはハードだけどな。二種目掛け持ちすると休んでいるひまねぇからな。瞬発力だけでなく体力も必要だぜ」
「そうなんだ」
さらりと髪を撫でられる。その感覚に安心する。
懐かしむような雰囲気が私たちを包み込んでいる。
「いつから一人暮らししているの?結婚してから?」
「大学になってから。そうそうまた就職で揉めてよ」
「ふふっ、須佐くんも苦労しているんだね」
「なんだその言い方」
「だって成績だって運動だってなにも苦労していないじゃない」
みんなの羨望を浴びて生活していたから。
「…その分のツケがでかいんだよ」
結婚に就職。人生の大イベントを揉めているなんてなんだか大変そうだ。
髪を撫でていた手が頬へと降りてくる。大きな手に包まれる。
「そういえば、付き合うきっかけはなんだったの」
まだ聞いていなかった。
「最初に俺に気づいたのは佳奈の方だったな」
「へ?」
「休みのとき偶然コーヒーショップで出会ったんだよ」
「へーえ。須佐くんは私だって分かったの?」
「いや、正直分からなかった」
「それなのに付き合うことになったんだ」
「佳奈の方が懐かしいって感じで話しかけてきたんだよ」
「いまの私からは話しかけるなんて信じられない」
「連絡先交換したのもそのときだな」
「私は熱心に連絡したの?」
「いや、仕事が忙しくてぼちぼちだったよ。たまの休みにメシ食いにいったりしてた」
「須佐くん暇だったの?」
「おいどういう意味だ」
「私とじゃなくて仲のよいひとと休みは過ごしたらよかったのに」
「……正直に言うと気になってた」
「は?」
「だーかーらー、いいなって思ったんだよ」
「それって惹かれたってこと」
「そういうことだ」
恥ずかしいのかぐしゃっと頭を撫でられる。
「私のなにがよかったの」
「そういうのって言葉で説明できないだろ。とにかくいいなって思ったんだよ」
「ウソぉ、いいところなんてなさそう」
「そういう自己評価ひくいところは変わってないな」
「…違うところは?」
「自立心が強いところ。絶対透き見せるかって肩に力が入っているところ。そういうのとっぱらった顔を見てみたくなった」
ふうっと大きく息を吐く。
「私は須佐くんのどこを好きになったのかなぁ」
「なんかその言葉失礼じゃねぇか?」
「だって分からないんだもん」
ウソ。なんとなく分かる。
短い期間だけど生活していて、噂とは違うところとか、すごいなって思うところとか驚かされることがたくさんあった。
でも付き合うことになったときの私ではないから、想像の域を超えない。
すべて想像だ。
だけれども。
「おなかすいた。お願いなにか食べるものが欲しいな」
「…初めてお願いって言ったな」
「えっ」
「いままで頼ったことないだろ」
ウソだ。頼りっきりだ。それを口にしなかっただけで。
伝えていなかっただけだ。
「頼りっきりだよ。須佐くんがいなかったらどうしていいかわからなかった」
「もっと甘えろよ」
「そんなこと」
言っていいのだろうか。これ以上甘えていいのだろうか。
「しっかりしているところは美点だけど、そればかりじゃあ疲れるぞ。なんのために俺がいるんだと思ってんだ」
「…須佐くんは優しいね」
「ばーか、なに言ってんだよ」
その顔は当たり前だろ、と言っていて。その自信に笑ってしまった。
そして分かってしまった。
私は須佐くんのことが好きなのだ。