タイムトリック・パニック 10
「佳奈、デートしようぜ、デート」
朝、起きたら須佐くんがそう言った。
「デートって」
「デートらしいことしてねぇだろ」
外出といえば、病院にいったり同窓会に行ったりしかしていないため、たしかにそうだ。だけど、突然の提案に戸惑ってしまう。
「なんだ、いやなのか?」
「え、いやってことはないよ。ただちょっとびっくりしただけ」
これまで付き合ったひとがいないから、これが初デートなのだ。しかも相手はあの須佐くん。一緒に暮らして二週間が経つが、それでも須佐くんはやっぱり須佐くん、時々こちらがドキッとすることを平気でするのだ。心臓に悪い。
「今日金曜じゃないの。仕事は?」
「休んだ」
「どこ行くの?」
「定番らしく映画でも観に行くか」
ここにきて初めての楽しい外出である。テンションが上がる。
「行く!」
なにを着ていこう。この前クローゼットの中身を整頓したから、持ち合わせの服をようやく把握したところだったので、さっそく披露できるかと思うとワクワクしてしまう。
出発時間がゆっくりしていたからまず昼ごはんを食べて、それから映画へと向かった。
映画館の入り口でなにを見るか若干もめたけれど、須佐くんが折れてくれた。私は恋愛ものが見たいのだ。と言ったら「変わってねぇな」と一言。
映画館から出るとだいぶ時間が経ち、空は色を変え始めている。車内から見える風景は様変わりし始めてていた。
「もう一箇所連れて行きたいところがある」
「どこ?」
「着いてからのお楽しみってな」
そう言って須佐くんは車のアクセルを踏んだ。
「須佐くんここって」
見慣れた風景に驚いたように声を上げると、須佐くんから返事が返ってきた。
「学校」
来客用の駐車スペースに車を止める。事務室で来客用のネームプレートを借りて首から提げた。須佐くんは職員室へと通じるドアで立ち止まる。
「お久しぶりです」
中から出てきたのは私の担任だった。
15年分歳をとっているが、確かに先生だ。
「ああ、久しぶりだな。どうだ元気にしているか」
「ええ、元気ですよ。変わらないですね。同窓会にいらしてなかったから今日伺わせていただきました」
「電話もらって嬉しかったよ」
いつのまに電話なんかしたのだろう。
「忙しいところすみません」
「いやこうして卒業生が遊びに来てくれることが嬉しいんだよ」
先生はばんばんと豪快に須佐くんの肩を叩いた。
「陸上、辞めたんだな」
「ええ、いろいろとありまして」
「もったいなかったな。須佐はオリンピック目指せると思っていたよ」
そうだ先生は陸上部の顧問だった。どうりで親しい感じがすると思った。
先生が須佐くんの後ろにいた私に気がついた。
「お久しぶりです」
しばらく考えている風だったが、ぽんと手を叩いて言った。
「ん…佐藤か?」
「そうです」
「おお、きれいになったな!」
ぱっと笑顔になって、その顔がどこか懐かしく感じる私がいた。
「ありがとうございます」
須佐くんが一歩前へと出る。
「いまは『須佐佳奈』です」
須佐くんの言葉にドキドキしてしまう。改めて言われるとなんだか恥ずかしい。
「そうかお前たち結婚したのか」
先生は納得するかのようにうんうんと頷いている。
「三年前に。家がごたごたしていて、式にお呼び出来なくてすみません」
「その気持ちだけで嬉しいよ。お袋さんは相変わらずか」
顧問と保護者の関係なら、多少は面識あるのかもしれない。いや、実力があった須佐くんのことだ、多少ではないくらい会っていたのかもしれない。そういう口振りだった。
「変わってませんよ」
須佐くんは苦笑する。
「それは結婚まで大変だっただろう」
「ええ、一騒動ありました」
「ははは、パワーあるな」
「おかげさまで振り回されてますよ」
「須佐にはそれくらいがちょうどいいと思うがな」
「どういう意味ですか」
「須佐は器用だから何でも率なくこなしてしまうだろう。苦労は買ってでもしろって言うしな」
「当事者の身にもなってください」
げんなりした様子で言うのがおかしくて、私は須佐くんの後ろで笑ってしまう。先生もおなじだったらしく笑った。
「ははは」
「校内を少し回ってもいいですか」
「ああ、懐かしいだろう。ゆっくりするといい。あとで陸上部の方にも顔を出しなさい」
「はい」
中央階段から三階まで階段をあがって、教室を見てまわる。パタパタと響くスリッパの音。
「懐かしい。須佐くんB組だったよね」
「ああ、お前はD組、だったよな」
「知っていたの?」
「いや、あとから聞いた」
どんどん歩いていく須佐くん。
「須佐くんどこ行くの」
返事もせずに廊下を歩いていく。廊下をずいぶん歩いたところで立ち止まった。それまでまっすぐ前を見据えていた須佐くんが左手へと視線を移した。
慌てて須佐くんのもとまでいき、視線の先を追う。
「ここって」
私が落ちた階段だ。須佐君はゆっくりと階段を下りて踊り場まで行ったところで振り返った。私を見上げる格好になる。
「そうだ。ここは初めてお前と出会った場所だ」
二週間前、私はここから落ちたのだ。そして。
「びっくりしたぜ、階段を上っていたら突然お前が落ちてきたんだからな」
「それで助けてくれたんだ。怪我しなかったの?」
「しなかったけど、念のためってことでお前は病院に行ってたな」
「須佐くんが怪我しなくてよかった」
「なに言ってんだよ、お前俺が受け止めなかったら大怪我してたんだぞ」
「だって大事な体でしょう。みんなが須佐くんの走りに期待している。もし怪我させてそれで走りに影響があったらって思うと、助けてくれてありがとうって気持ちもあるけど、なんだか複雑だよ」
そういえば、体育大会でアンカーを務めた須佐くんの走りは美しかった。素人の私さえそう感じたのだ。須佐くんファンはもっと盛り上がったに違いない。
全国大会に出場するくらいだ。校内だけではなく、もっと多くの期待が寄せられているんだ。その走りを壊してしまったら。
「ばーか。こういうときは素直にありがとうって言っておけばいいんだよ」
「…ありがとう」
「ん」
とんとんとん、とリズムよく階段を降りていく。踊り場で立つ須佐くんを見上げる。
「…ねえ、私のどこを好きになったの」
「ん?」
「平凡を絵に描いたような私が、須佐くんに好かれるなんて、いまだに信じられないんだけど」
「平凡、か」
「うん」
「魅力的だよ、お前は」
「うん?」
「俺にないもの持ってんだ」
「ないもの?」
「ああ」
「強情なところとかな」
「なにそれ褒めてないでしょう」
ははと須佐くんは笑っている。ごまかされた感じがするのは私だけだろうか。
「なんでここに連れてきたの」
「お前との思い出の場所を知ってほしかった」
それって。
「もしかして午前中巡ったところも?」
「そうだ。佳奈とデートしたところだ」
須佐くんは、たしかに、優しかった。
そしてその優しさがなぜか切なかった。