4, 劣等生の夢
あたしの唯一の取り柄といったら、
『底抜けの明るさ!』
…かな?!
先日、高校生の妹に彼氏とセックスしちゃったっていう報告を受けた。あの時は冷静に聞いていたけどさ、もービックリよ!!!
更にさ、あの子、あたしに「男とヤッたことある?」なんて聞いてきたの!
あるかーー!!!ないっての!!
悪かったわね!!めのこォ!!!
あたしだって、そりゃあ好きな人ぐらいいるわよ?ちゃんと。
あたしの名前は水原るり。聖美音楽大学2年生。一応地元じゃあ有名な音大。
あたしはこの大学で声楽をやってるの。特に昔から歌が上手かったってわけじゃないけど。中学生まで習ってたのは、むしろピアノだったしね。まぁ、つまりはピアノの才能がなかったってわけだ!
って気がついたのが中学3年の秋。当時のあたしには音楽の力しかなく、今更一般高校の受験勉強なんて出来っこなかったから、とりあえずピアノで音楽専門の高校に入学したの。
声楽科に転科してからはめっきりピアノなんて弾いていない。もう弾けないだろうなぁ。
特に特化した成績の残してなければ、得意な曲もなかったなぁ。
そんなあたしには、うってかわり出来の良い弟がいる。一応紹介しとく。
水原銀次郎。双子の弟だ。
銀ちゃんは、あたしと同じく幼い頃からピアノを習っていた。本人はピアノに興味無さそうだったけど、両親はあたしたちのどちらかがやりたいと言い出したものを、二人同じようにさせたがった。そのため、銀ちゃんもピアノを渋々習ってたのである。
しかし、ピアノの実力が天才的なものだったのは銀ちゃんの方だった。一度曲を聞くと耳ですぐに覚え、曲が弾けちゃう。指回しも、練習すればあっという間にこなせてしまうの。
ピアノだけじゃない。学校の成績も、運動神経の良さも全部銀ちゃんの方がいつも上なのだ。この姉としての屈辱的な気持ち、みんなには解るかな?
とにかく、銀ちゃんは良い言い方をすれば自慢の弟だけど、あたしにとっては憎たらしいヤツなの。嫌いじゃないけどね。
その憎たらしい弟と、何故か仲がいいのが、ヴァイオリン専攻の月島奏太くん。
彼はとっても大人びてて、優しくて、奏でる音が優雅で繊細で美しくて…
早い話、あたしは月島くんが好きなの。
そして絶対、今年の定期演奏会で月島くんのヴァイオリンに合わせて歌うが今のあたしの目標!!!
『月島&るりのラプソディー』
なんちゃってね。
だけど現実はそう甘くない。
実は、年末に行われるこの定期演奏会、全国各地の有名な音楽家や、音大生たちが駆けつける大きな演奏会で、毎年各専攻の学年別成績上位者しか出場することができないの。
(ちなみに銀ちゃんは去年ピアノ科全学年の中でダントツトップで出場したけど。)
今、あたしはまさにピンチな状況に追い込まれている。
「えー?!るり、あんたまた移動なの?!」
高校時代からの親友・慧仁ちゃんが掲示板の貼り紙を見て耳元で叫ぶ。
「『期末試験結果によるレッスン室の移動』って、あんたこれで何回目よ!」
毎回期末試験で成績の悪かった学生は、強制的にレッスン室(指導者)が変更になるのだ。
「だってぇ~慧仁ちゃ~ん!助けてよぉ~!!」
「知らない知らない!あんたがレッスンサボるからでしょーが!こんなんじゃ、憧れの月島くんとの定演は無理ね。」
「慧仁ちゃ~ん!!」
あたしはおもいっきり慧仁ちゃんの腰にしがみついた。
「自業自得ね。」
呆れられるのはいつものことだ。だがしかし、このままでは本当にマズイ。挽回できなくなってしまう!!
「水原るり…ふーん、今度はマダムの部屋か。」
気づくと、後ろに銀ちゃんが突っ立って掲示板を見てた。ピアノ譜を手に持ってるのを見ると、今からレッスンだろう。
「何よ!たまたま今回の成績が悪かっただけだもん!銀ちゃん何かすぐ追い越してやるんだから!!」
「どうだかねぇ…こりゃ月島に報告だな。」
そう言うと、銀ちゃんは譜面をあたしの頭にコツンと乗せ、レッスン棟に向かっていった。
「キーッ!!本当やなヤツ!何であんなに意地悪いのよ!」
「るりも少しは見習いなよ?水原くん、トップ成績から落ちたことないんだから。」
「フン!どうせ『◯◯先輩』的なキャラを狙ってんでしょ?!こうも同じ世界にいると腹立しさ倍増よ!」
「まぁ、双子ってだけで比べられるあんたの気持ちも可哀想だけどね。」
「慧仁ちゃ~ん、わかってくれるね~。」
「アホ!あんたの成績に同情してんじゃないのよ?!追試頑張んな!」
あぁ、何であたしはこんなにも出来が良くないんだろう。
きっと母さんのお腹の中で全部銀ちゃんに能力を持ってかれたんだろうな。きっとそうだ、間違いない!!
「るり姉また追試かよ~。おれと殆んど変わらねーな。」
居間でポテチをボリボリ頬張りながら弟の燦悟があたしのノートをのぞき込んできた。
「勝手に見ないでよ!そういうあんたも勉強しなくていいのぉ?!追試になるわよ。」
「おれは事前準備をすればするほどテストの成績良くないんだよな~。その場の一本勝負ってやつ?」
「何バカなこと言ってんのよ!勉強しな!」
「あー!おれのポテチ!返せ!」
もう、みんなしてバカにしてくるんだから。
これでも必死こいて勉強してんだからね!!
「あ、ねぇねぇ、そういやぁさ、中野って人姉ちゃんの知り合いにいる?」
「中野?誰それ。」
「おれの友達の兄ちゃんも聖美音大らしんだ。ユウタだったけなー?」
「へぇー、専攻はどこ?何回生?」
「さぁ。そこまで知らねぇ。知ってっかなぁーと思って聞いただけ!」
世間は狭いもんだ。うちの音大は、交通の便も良いから地元の人よりも外から入ってくる人の方が多いのに、燦悟の友達のお兄さんも聖美音大だなんてね。意外とこういうのって繋がるもんなのね。中野ユウタって知らないけど。
やっぱり音楽をやってる人の憧れなのかなぁ、うちの大学って。
あたしが音楽専門の高校に入学するのも、音大に進むことになったのも、そういえば父さんが決めたんだっけ。
「なーに言ってんだおめぇ。銀ちゃんが聖美高校行くっつってんだからオメーも聖美に行くに決まってんだろ。」
中学3年の秋頃、ピアノに自信をなくし、父さんに進路を相談した時確かこう言われた。今思えば娘の進路を勝手に操作していたようにも感じるけど、この時父さんにこんな風に言われなかったら今のあたしはないのかもしれないなぁとも思う。
あたしはこの道に進んでよかったのかな?
「るりちゃん、るりちゃん。」
気付けば目の前に月島くんがいた。(ついでに銀ちゃんも)あたしはどうやら食堂に長居していたようだ。ダメだ、最近ボーッとしている。
「どうしたの?元気ないみたいだけど。」
「ううん!元気だよ!!ほら、こんなに腕も動く!!」
「フン、こいつが落ち込んだりするわけないじゃん。追試で忙しくてそれどころじゃないよな?」
月島くんの後ろでグラスに入ったアイスコーヒーをチューっと吸いながら銀ちゃんが嫌みを言う。
「何で銀ちゃんがいるのよ!今日ミニコンの日じゃなかったの?!」
「あはは。今からちょっと打ち合わせしに行くんだよ。るりちゃんも良かったらどう?」
「ありがとう。でも今からレッスンなんだ。」
「そうなんだ。じゃあ6時に聖美堂に是非おいでよ。」
「んー、でも銀ちゃんの演奏はいいやー。おっかない表情で弾くしねー。」
思いっきりべーってしてやった。いつものお返しだい!
「けっ、バーカ。その演奏に月島も出るんだよ。ま、見に来ないなら別にいいけど。」
「え?」
んもー!!早く言ってよ!!!あたし今月島くんのお誘いに酷いこと言っちゃったじゃない!!
「そうそう、銀次郎とベートーヴェンのヴァイオリンソナタをやるんだ。よかったら。」
「行く!是非行きます!!」
やったー!!銀ちゃんは別として、月島くんのヴァイオリン聞けるなんて!!ボーッとしてた甲斐があったわ!!
レッスンが終わり、慧仁ちゃんと聖美堂に向かった。
「今月は月島・水原ペアなんだぁ。楽しみね!」
慧仁ちゃんもなんやかんやで面食いだ。あたしたち声楽科ソプラノ専攻はお嬢様女子の巣窟だから、他の専攻に比べて男の人と触れ合う機会は少ない。こんなミニコンサートなんて機会がなければ、中々他の学科の人にさえ会わないだろうね。
中に入ると、結構なゲストが揃っていた。ミニコンサートとは言えども、聖美堂は広いホールである。その中が人で埋め尽くされているなんて…。演奏者の人気ぶりがよくわかるわね。
「ねぇ、見てるり!あの真ん中に座ってる人、有名なピアニストじゃない?」
慧仁ちゃんの目線の先にいる人を見つけた。確かに見たことある。
「…あ!あれ確か小泉荘介だよ!うわぁ、有名人まで駆けつけるなんて。もっとキレイな格好してくるんだったなぁ。」
あたしたちはなるべく目立たない場所に座り、開演時間を待った。
時計の針が6時を回り、ピアノ科の学生がアナウンスをした。
紹介が終わると、上手から礼服姿の月島くんと銀ちゃんが出てきた。同時に黄色い声援が挙がる。
あたしも拍手をしながら月島くんの姿を追った。ビシッと決まった格好、やっぱカッコいい!!
静まりかえったのを合図にお辞儀をし、銀ちゃんがイスに座る。ピアノの音に合わせ、月島くんがヴァイオリンを構えチューニングを始めた。会場のみんなも、チューニングする音でさえ静かに聞き入っている。
チューニングを終えると、月島くんが銀ちゃんの方に身体を向けた。銀ちゃんも目で合図する。
月島くんが身体を大きく揺らしたのと同時に、弦の二重和音がホール内に響き渡った。
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番『クロイツェル・アダージョ』 。ヴァイオリンの高々と鳴り響く和音から始まるこの曲はヴァイオリンとピアノが掛け合うも多い。
月島くんの繊細なキラキラした音に、銀ちゃんの力強いピアノが、何とも絶妙なバランスで融合していく。あたしは思わず息を飲んだ。
月島くんはヴァイオリン科のエースとも言える実力の持ち主だ。そして、ピアノ科トップ成績の銀ちゃん。
この二人のコラボレーションは、確かに周りが注目する程の力を持っている。何と言うか、謙虚な中にも強い魂を感じるような、そんな魅力ある音楽を生み出している。
正面を向いているのに、月島くんは銀ちゃんのタイミングに完璧に合わせてくる。逆に、銀ちゃんも月島くんの音をよく聞いている。普段、家で一人闇雲に弾いているようなピアノとは違い、調和のとれたいい演奏だ。こんなに銀ちゃんのピアノが上手と引き込まれたのは何年ぶりだろうか。
二人の演奏は最後まで華麗に力強く駆け抜け、会場からスタンディングオーベーションの大きな拍手が湧き起こった。
「凄かったね!!月島くんも水原くんも!!感動しちゃった!」
慧仁ちゃんも大興奮していた。あたしもまだ耳に余韻が残る。
「やっぱ凄いよ、あの二人は。あんな演奏、ちょっとやそっと練習してできるようなもんじゃないもんね。」
「うん。おんなじ世界にいるのに、手がと届かない存在って感じ。」
「何言ってるの。るりも半年後にはあのメンバーの中に入るんでしょ?!るりらしくない
ネガティブ発言だなー。」
「うん…そうだったね。ごめん。」
あたしが月島くんと一緒に音楽やりたいと思ってるのはずっと前から思ってたこと。確かにそれに変わりはない。
入学してまだ間もない頃、レッスン棟で一人で練習してた時に声をかけられた。
「綺麗なソプラノ…。もう一回聞かせて。」
全く知らない人に声をかけられたので戸惑ったけれど、先輩だったら失礼のないようにしなければ、と思いもう一度歌った。
「…アメイジングレイス…好きなんだ、この曲。聞かせてくれてありがとう!」
それが月島くんとの最初の出会い。
声楽に転科してから歌を褒められたことはほとんどなかったから、あの時月島くんが「綺麗なソプラノ」と褒めてくれたことがとっても嬉しかった。月島くんは覚えてないかもしれないけど。
それ以来、あたしは月島くんに恋をした。月島くんの弾くヴァイオリンを初めて聞きにいったときは本当に驚いた。こんな素敵なヴァイオリンを弾く人がいたなんて…と、月島くんの音に魅力されたことは今でも覚えている。
「いつか、この人と一緒に演奏したい!」そう思うようになっていった。
そのために頑張っていたのに…
あたしは、今日の二人の演奏に感動したのと同時に、あまりに現実味をおびた壁を目の当たりにしてしまった。あの二人と私とでは、こんなに分厚く大きな一枚壁の差があるなんて…
「ちょっ、どうしたの?るり?」
「えっ?」
気づくと涙がこぼれ落ちていた。ボーッとして涙が出てくるとは…。あそこまで魅せられた演奏を月島くんとやった銀ちゃんが羨 ましかった。今のあたしにはまだその足元にも及ばないなんて、くそ、悔しいなぁ。
「るーりちゃん♪」
何だか聞いたことのある懐かしい声が聞こえ、後ろを振り返った。
「…聖夜さん!」
「久しぶり。何だ、るりちゃんも演奏聞きに来てたんだ。」
「…るり、誰?この人。」
慧仁ちゃんがこっそり尋ねてきた。
「ヴァイオリン専攻の4年生で南聖夜さん。今ウィーンに留学してたんだ。」
聖夜さんはバイト先が同じで先輩だ。一見音大生には見えないような金髪メッシュの髪型に、サングラスと派手なティーシャツが極めてよく目立っている。演奏も、去年の聖美祭では近くにある聖美高校の音楽科の生徒たちと斬新なヴァイオリンカルテットをやっていたのを覚えている。
ウィーンにいたとは言え、聖夜さんはいつ見ても聖夜さんだなぁ。
「わぁ!お久しぶりです。いつ帰って来られたんですか?」
「今日だよ、さっき。大学に寄ってみたらさ、丁度あの生意気コンビがミニコンやってたもんだから聞きに来ちゃった。」
「あっ!聖夜さん!聖夜さんじゃん!」
片付けを終えて裏から出てきた銀ちゃんがこっちに向かって手を振っている。月島くんも気付きにこやかに手を振る。聖夜さんは二人が憧れるような、ちょっとした有名人だ。
「聞きに来てくれてたんですか?」
「たまたまだよ、たまたま。たーまたま暇だっただけだよ。俺のいなかった間にお前らがどんだけ学校を牛耳ってたのかを見にきたんだ。」
二人とも聖夜さんと冗談を言いながら楽しく再会を喜んでいる。銀ちゃんのあんなに楽しそうなのも久々に見る気がするな。
「よかったよ、あのヴァイオリンソナタ。さすがエースコンビだな。」
「そんなこと言って。聖夜さんだって、ウィーンで俺たちの知らない秘密レッスン受けて、またトップの座を狙いに戻ってきたんでしょ? 」
二人がこんなに慕う聖夜さんの演奏ってどんなかんじなんだろう。あたしは、会話を聞きながらふと思った。去年の冬はウィーンに行ってたから、定演での演奏は聞いたことがないけど、日本に残ってたら月島くんや銀ちゃんと一緒に演奏していたことは間違いないだろうな…。
「どう?るりちゃん。これからこいつらと飯食いに行くけど一緒に行かない?お友達さんも。」
「え?私もご一緒していいんですか?!」
「もちろん。どうぞ。」
「きゃー!るり、行こうよ!こんな機会中々ないよ!!」
慧仁ちゃんはテンションが揚がってる。月島くんに聖夜さんにおまけに銀ちゃん…このイケメンたちとご飯行くなんて確かに中々ないことだもんね。
「慧仁ちゃん、行ってきなよ。帰りは銀ちゃんに送ってもらえばいいし。」
「えっ?るり行かないの?」
「せっかくだからるりちゃんもおいでよ。」
「うん…でも今日はいいや、すいません。」
「そっか。来週バイト先にも顔出すから、また今度ご飯行こう。」
「はい!…あの、聖夜さん。」
「ん?」
私は三人が会話しているのを横目に、聖夜さんにこっそり尋ねてみた。
「あたしも…、あたしも今日の二人のように、半年後感動する音楽を届けることができると思いますか?」
何となく聖夜さんに聞いてみたくなった。率直な感想が聞きたかった。
聖夜さんは今あたしが何を考え、感じていたのかを察したのかもしれない。少し真面目な顔つきになり答えた。
「…るりちゃんが半年間、どこまで成長したのかはわからないけど、半年後なんてまだ誰にもわからないことじゃん?俺はまだるりちゃんが可能性秘めてるんじゃないかってずっと思ってるけどね。」
そう言うと、ポンポンっとあたしの頭を撫でて、「じゃあまたね。」といつもの笑顔で手を振り、月島くんたちの元へと向かった。
『るりちゃんは可能性秘めてるんじゃないかってずっと思ってるけどね。』
帰り道を歩きながら聖夜さんの言葉が頭の中でこだました。どんな有名な先輩や、先生に言われるよりも、何倍にも増して何だか褒められた気分だった。多分、外国帰りでまだ日本に染まりきっていない聖夜さんだから響いたのだろう。
そっか、あたしはまだ可能性を秘めてるのかもしれない。まだまだ自分でも見たことないような、おっきな力を、あたしが知らないだけなのかもしれない…。
明日はいよいよ追試だ。
半年後まで、これが最後の追試にしよう。
あたしはまだここで終わりじゃない。
銀ちゃんに追いつけないわけじゃない。
まだまだ頑張れる。
まだまだ力を持っている。
目標は高く掲げなきゃ意味がないけど、
達成できると思って進まなきゃ!
だから私はこれから生まれ変わるんだ。
必ず定期演奏会に出てやる!!
頑張れ!水原るり!!