バッドエンド・ガール
PC推奨。
行間に2行以上の空白があけてある部分があります。
雪が降っていた――。
曇天の空にぼんやりと浮かび上がる純白の精霊たちは、静かに優しく、私の上に降り積もってゆく。
背中に感じるのは、凍えるような地面の冷たさと痛々しい血溜まりの温かさ。
傷口から血が流れ出し、身体の芯からじわじわと温もりを失っていくその感覚は、心が少しずつ少しずつ歯車を外していくように壊れてゆく感覚に似ていた。
手を、伸ばす。
右手には折れた剣を握っていたはずなのに、感覚を失ってどっちなのかもわからなかった。伸ばした左手は血に塗れ、震えるばかりでこちらも既に感覚がない。
届かないとわかっていても、突き動かされるように空に向かって手を伸ばす。
そしてふと気づく。
この手は何を掴もうとしているのか。
罪深いこの手で今さら何を得ようと――――否、罪深いこの身で、今さら何を求めていると言うんだろう……。
愛する者は逝き、信じていた者には裏切られ、誓いすらも踏みにじられた。
恋い焦がれる想いも、信じていた絆も、胸の内に秘めていた正義も、その全てが瓦解した。だからもう、何も残っていないのか。
全てを失ったから、何も残っていないのだろうか。
いつのまにか隣にいた人も、いつのまにか背中合わせになってしまっていた人も、自分でさえも守れなかった。
守るべきものも守りたいものも失って、今、命すら尽きかけている。
人並みの幸せが欲しかった。
辛くても、苦しくても、ただ人並みの幸せが欲しかった。それだけなのに。
世界に、真実に、運命に踊らされ、私は戦いに身を投じていった。
ただひとつの能力と微かな、そして唯一の希望――――この戦いの先にはそれがあると信じていた。
あと少し、あとほんの少し頑張れれば、辿り着けたのか。わからなかった。
これが運命だと言うのなら、こんな結末のために、私は戦っていたの……?
運命は自分で切り開いてゆける。
よく聞いていた彼の頼もしい言葉も、今は信じられない。
運命は、変わらなかった。
私の、私たちのやってきたことが足りなかったと、間違っていたと言うのなら、
「これ以上……世界は何を望むと言うの……?」
目頭がじわりと熱くなる。
もう堪えきれない。
嗚咽が喉から漏れる度に心臓がズキンと痛み、子供のように泣きじゃくる。
私の何が悪かったの?
私の何が間違っていたの?
幾度となく問い掛けても、答えてくれる声はない。涙は止めどなく溢れ出した。
涙は前を向くための勇気に変え、敗北も運命を切り開くための強さに変え、痛みも大切なものを守るための翼に変えてきた。
でももう変わらない。変えられない。
私を支えてくれるものはもう何もないんだ……何もかも失ったから。
戦わずにいれば、戦いから逃げていればよかったのかな……。
出会わずにいれば、出逢うことなく生きていれば彼も死なずに済んだのかな……。
願わずにいれば、彼女は裏切らなくてもよかったのかな……。
そっちの方が皆、幸せだったのかもしれない……。たとえ私に何も残らなくても。
私が、選んだからだ。
戦いを選んだから彼は死んだ。
運命に抗ったから誰もが不幸になった。
願いを叶えようなんて考えたから世界は私をこの結末に誘い込んだ。
私が間違えたから、間違っていたから、こんな…………!
伸ばした手から力が抜け、再び血溜まりに沈む。
視界が霞んできた。
世界が、色を失っていく。
身体にはもう、力が入らなかった。
死が、迫っていることがわかる。
孤独の闇の中で、私は――。
「い……や……」
声が漏れる。
「いや……いや……死にたくない……」
想いが漏れる。
「誰か助けて……」
願いが漏れる。
「こんなところで……こんな風に終わるなんて――」
――いや……。
最後はもう、声にならなかった。
どうせ叶わないのに。
叶わない願いを口に出すことすら許されない、それほどに世界は私を拒むの……?
守りたかっただけだった。
守れるものを守りたかっただけだったのに、そんな小さな願いすら世界は踏みにじるの……?
世界がこれだけ残酷だと知っていたら……この結末を昔の私が知っていたらどうしてたんだろう……。
きっと最初から正解なんてなかった……。それを知っていたら絶望しただろうか、それでも運命に抗おうとしただろうか、それとも――――。
――――目が覚めた。
少女は布団を撥ね飛ばす勢いで身体を起こすと、
「はーッ……はーッ……」
と息を荒らげ、心臓の鼓動を確かめるように左胸に手を宛てがう。少女の目元には知らずの内に涙が滲み、細い眉は悲しげな感情に歪んでいた。
「またあの時の夢……」
少女はズキンと胸が痛むのを感じ、瞼を閉じて宛てがった右手を抱き締めた。俯き加減のその姿は、まるで縋るような――祈るような様子だった。
しばらくピクリとも動かず、じっとしていた少女はやがてゆっくりと目を開いて、きょろきょろと部屋の中を見回す。
小綺麗に掃除・整頓されたアパートの一室。ワンルーム構造八畳半のその部屋に何とも言えない視線を注いだ少女は、力なく布団の上に倒れ込む。
「現実か……」
ぽつりと呟きが漏れる。
結論から言うと、彼女の物語はあの時点では終わらなかった。とはいえ彼女自身にすら、あの結末からどんな派生を経て現状に帰結したのかはわかっていなかった。
少女の空想ではない。彼女にとっては確かに、あの時だけが現実だった。
それまでの常識が壊れた世界。
彼女なりの平穏な日常を過ごしていた彼女は、ある時を境に世界の真実の姿を知ってしまい、生き抜くため身を守るために否応なしに戦うことを強いられた。
少女にとってはそれが唯一無二の現実で、死ぬまでそれは変わらなかったのに、一度死んで変わってしまった。
そして気がついた時にはここに――――この世界に飛ばされていたのだ。
「はぁ……」
この夢を見る度に全てを思い出し、居たたまれなくなってため息を吐く。ありとあらゆる感情が入り交じったそのため息は畳の匂いと冬の朝特有の澄んだ空気の中に消えてゆく。
その時、少女は突然部屋の中に人の気配を感じ、バッと身体を起こした。
「また例の夢かい?」
ずむっ。
起き上がった少女の目の前わずか二十センチ足らずの位置にひょこっと現れた青年の顔面に少女の拳がめり込む。
「痛いよ?」
「いきなり顔出すから」
言葉の割にまったく痛がる様子も引く様子も見せず、事も無げにそう言った青年に呆れた視線を送ると、少女は手を引っ込める。すると、青年も殴られた鼻面をさすりながら顔を引っ込めた。
「それはともかくお腹空いたんだけど」
「今から作るから少し待ってて」
「は~い」
やや子供っぽい言葉遣いなのに、実際に聞いてみるとまったく子供っぽくない調子でそう言った青年は、いそいそと少女の寝ていた布団に潜り込み、
「それじゃ、できたら起こしてね」
欠伸が混じってかなり聞き取りにくい声でそう言うと、瞬く間に寝息を立て始めてしまう。
少女はそんな青年を見て、今度は呆れと諦めに占められたため息を吐く。
「少しは気にしてよ……」
人がさっきまで寝ていた布団である。
怒りか羞恥か自分でもわからないが、少女はわずかに頬が熱くなるのを感じながら備え付けの簡易キッチンに向かい、そこに畳んで置いてあったクリーム色のエプロンを手に取ると、慣れた手つきで着け始める。
別に特別な感情はないが、自分だけが気にしているのは何処か悔しい。
苛立ちに似たそんな感情を示すように、しゃがみこんで冷蔵庫の中をチェックする少女の人差し指はたんたんと地団駄を踏んでいた。手で地団駄を踏むと言うのも心なしか違う気もするが。
血縁関係があるわけでもない二十代半ばの青年と十代半ばの少女の同棲という世間的に奇妙な構図なわけだが、少女からすれば青年は一ヶ月前に命を救ってもらい、それ以降は行くあてのない自分を置いてくれている恩人であり同居人であり家主である。
対して青年からすれば、少女はたまたま偶然拾って怪我の手当てをしてやり、追い出すのも倫理的に気が引けるから成り行きに任せて養っている――――野良猫のような感覚だったのだが。
そう思われていることを何となく感じ取っていた少女は、青年に感謝をしつつ、しかし特別強い感謝の念を抱いてはいなかった。何処と無く矛盾しているようにも見えるが、そうとしか表現できないというのも少女にとってはまた事実だった。
何しろ少女に青年を批評させると、
『いい人でも悪い人でもなく、自分の中身を見せることも他人の中身に興味を示すこともなく、偽りと戯れの中でそれに合わせて道化を演じて生きているような、言い換えると仮面舞踏会のように掴みどころのない変人』
というニュアンスの返答が躊躇いもなく返ってくるのだった。
現に青年は少女の抱えている事情にはまったく触れようともせず、少女がそれを訊ねると『興味がないからね』とばっさりあっさり切り捨ててている。
少女が死んだその時に何があったかは知れないが、そこに得体の知れない力が介在していると言うのなら、この世界もまた何処か狂った定義に支配されているのかもしれない。そうでなくとも彼女の以前の現実はある日を境に変わってしまった。いや、客観的に見れば彼女が知らなかっただけなのだが。
『井の中の蛙、大海を知らず』とは言うが、むしろ『井の中の蛙、底にのみ生きる』と言うべきか、知らないものは本人の世界には存在しないのとほぼ同義だろう。そこには外界からの脅威や干渉の可能性は残るものの、本人からすれば至って安寧そのものである。
しかしそれはそれ、とにかく彼女が理解していた現実を見失ったことは事実であり、少女にとってこの世界に飛ばされたということは死に際の願いが叶えられたということよりも、この世界でも以前と同じことが起こる可能性を示唆していた。
「もしそんなことがあるとしたら――」
――私はどうするのだろう。
「火代ちゃん、ご飯まだ?」
「まだ一分も経ってないから寝てて。あと私はヒシロ」
というより一分で目を覚まさないで欲しい怖いから、と少女は聞こえない程度の大きさでぼそりと呟く。
「わぁ怖い……」
まるで寝言のようにそう言って再び寝息を立て始めた青年を振り返って一瞥した少女、火代は、三度目のため息を吐いて――
――堪え切れない、という風にくすりと笑った。
いかがでしたでしょうか(--;
かなり謎の終わり方をしてしまいましたが、これは短編が非常に苦手な作者の未熟ゆえです。
思いつきで書いた短編です。
短編とは名ばかりで思いつきで思いついたネタをそのまま文に起こしてみた長編のオープニング的なものです。
連載はしません(--*
というかできません。今の連載で手一杯です。
もしかしたら今の連載が終わってから、新連載としてまた書くかもしれませんが確約はないです。
自分が思いついたネタを覚えておく(あるいは思い出す)ための短編?(゜゜;ですね。要するに。